三話 場作り 中編
勢いのまま山中に突っ込み、短剣を天高くかかげながら、雄叫びを上げて駆ける。大棍棒はもう片方の腕で担ぐ。
用意された探知用の魔物具もあるのだけど、それを使うこともなくただ走る。
いかんせん、運が悪かった。
遠目に熊を確認すると、持ち上げた短剣をそのままに、足を止めることなく叫ぶのをやめて引き返す。
本来あるべき場所に刃を戻し、とりあえず魔物具を取り出す。
何処かの班に合流するか。
「やだ。いくらなんでも格好がつかないっす」
すでに魔力はまとっていた。魔物具をくわえることで効果は発揮され、耳と鼻から知りえる世界を広げる。
身の毛がよだつ。
間違いなく気づかれ、追われているだろう。
熊という魔物は基本臆病。
だがもう一つの側面として、この種は執念ぶかい。一度敵と決めたり、獲物または餌と判断した場合、どこまでもその対象を追いかけてくる。
そして此処はヒノキ山。
近場に他班もいるが、恐らくすでに戦闘中。
とりあえず進路を変える。普通に走っていては追い付かれる。
やがて目についたのは、見上げる急斜面。こっちを進んだ方が時間は稼げるだろう。
自分に縛り付けているものだけでなく、鍋の取っ手には細縄も括られていた。大棍棒の柄にそれを結び、右肩と脇に巻き付ける。
魔力をより多くまとえば、その体格からは想像できないほどの身軽さでよじ登る。肩に重さを感じれば、そのたびに足場を確かめてから細縄を伸ばす。
枝や尖った石に引っかからないよう、なんどか縄を片手で操作をしながら高みを目指す。
「どっこら」
上部に足を引っかけて登りきると、細縄を持ったまま良い位置まで移動して、メインウェポンを持ち上げる。
もとより未開の地での仕事が多い彼らにとって、かさ張る武器は不向き。
出発前の会話を思い出し。
「そういえば、こういうのも教わったっすね」
縄の縛り方。山中の歩き方。斜面の登り方から下り方まで。
少し手間取ったが、なんとか棍棒を手元にもどす。
「俺、なにやってんだろ」
今さらこの班から抜ける気もない。
他にお邪魔するのも連係の邪魔になる。
「やっぱ、自尊心っすよね」
皆が仲間と組んで戦っている中、自分は一人。
認めたくはないが、この状況に酔っているところもあった。
そんなことを考えながらも、魔物具をくわえて歩き出す。
先ほどまでの場所よりも、ここは折れた太い枝や、背丈の高い草が多い。
縛り付けた鍋は大きい物ではなく、背中側の腰に短剣の鞘が固定されていた。
右腕を背後に回して柄を握れば、そのまま短剣を抜く。やはり個人的にはこちらの方が、即座の動作には向いている気がする。
魔力まといに反応した籠手は短剣を頑強にさせる。
行く先の障害物を切り払いながら、金魚の糞はゆっくりと進む。
・・
・・
足場の感触を確かめる。
諦めてヒノキに向かい、朱火と一点放射の餌食になってくれろばと願ったが、よほど美味そうだったのか見逃してくれそうにない。
まだ距離はある。
もう他の班に頼るのはやめよう。
邪魔な枝を切っては放り、草は炎放射で軽くだが焼き払う。
魔力を鍋に送り、それを盾でしばらく打つ。
あくまでもその場だけのものではあるが、音というのを利用することで、一定の範囲を光の魔力優勢な状態にできる。
影響を受けやすいのは炎使いで、他属性は恩恵がいくらか弱まるが、これもまた雨対策の一つと言えるだろう。
咥えていた魔物具を手に持つ。何気なく臭いを嗅ぐと、チビデブは顔をしかめる。
「俺の口臭じゃない。唾液を放置してれば、誰でもこうなるっす」
自分に言い聞かせ、現実から逃避する。
短剣を鞘に帰すと、小さな瓶を取り出す。口を開けてそこに一押しすれば、霧状の水分が口内を潤した。
この瓶というか、霧を作り出す押口は、けっこう値が張る。でもこれは臭い予防とは別目的。
チビデブは脇差を鞘から払うと、刀身に清めの水をふりかける。消費を最小限に抑えられるので、もったいないかも知れないが購入した。
「兄貴のは格好良かったな」
口に含むとぶわっと吹き、それでまんべんなく剣に清水を当てていた。借り物であるからして、絶対に自分ではしないと思うが。
この行為は盾の加護をまとわせ、血や油から脇差を守るためのもの。片腕に炎を灯し、刀身についた水分を蒸発させる。
「来たっすね。先に言っとくけど、食っても不味いんで」
周囲には氷の粒が舞っていた。
刀身を鞘に帰すと、足元の大棍棒を右腕で背負い、左手の炎で鍋を熱っした。
場は光魔力に優勢。
氷の粒は熱に耐えきれず消えていく。
鍋は赤身を帯びることなく、代わりに醜い全身が微かに光る。
左腕が料理器具から離れた瞬間だった。チビデブが輝きに包まれた。
熊との距離は二十mあるかないか。
「めーんうぇぽん」
燃える大棍棒を担いだ団員が、その場から勢いよく飛び跳ねれば、湿った土が舞い上がり地面が陥没した。
鍋を燃やしている段階から、警戒はしていたのだろう。氷魔熊はその速度に反応し、氷の壁を召喚。
「ふぁいあっ!」
右上から左下への振りおろし。命中する瞬間に魔力を送れば、棍棒の炎は消えてしまったが、粉砕された氷の破片が燃え上った。
今回は転ぶことなく、振り切る前に手放していた。
時が止まるまで、もう猶予はない。
壊されることを見越していたのか、壁に塞がれた時よりも熊は後方にさがっていた。
未だ鍋は熱を持っているが、あと数秒で発動条件よりも温度が低くなる。
それでもまだ、チビデブは光をまとっていた。
踏み込むと同時。再び氷の壁が召喚されるが、構わず鞘から抜きながらの一刀。
鞘と刀身。宝玉が合わさることで切れ味は強化されるが、これはあくまでも副産物。
刃は氷を切断し、本来であれば届かないはずの熊を襲う。
たしかに斬ったはずだが、相手は声すら上げず。
熊の首もとより血が流れる。しかし氷の皮膚に邪魔をされ、その傷口は浅かった。
チビデブの時が止まる。
辛うじて、刀身は鞘に帰っていた。
熊の傷が鈍く光る。
焦げた臭いに意識を戻せば、自然と身体が反応し、熊の圧しかかりを盾と籠手で防ぐ。
巨体と共に地面に激突すれば、数百の重みが命を潰す。
魔力まといに宝玉が反応。盾の強度を上げていた。
魔力まといに金属が反応。盾に炎が灯る。
獣は炎を畏れる。怯んだ熊は、わずかに体を反らせた。
デブは炎盾の角度を操作し、力の流れを変化させることで、熊と共に倒れはしたが直撃は免れた。
轟音と共に草や小石が飛び散り、それが視界をふさぐ。
転倒した先に岩があり、後頭部を打ち付ける。
激痛を堪えて盾を構えたまま、手からのそれと同じ要領で放射させ、自分は這いずりながら後退していく。
ある程度の距離をとると、炎の放射をやめる。
氷の皮膚はなくても、魔力まといは健在で、熊はまだ生きていた。
顔面に黒い紋様が浮かびあがれば、牙をむき出して大口をあける。その先に小さな氷の粒ができたかと思えば、気づくと人の拳ほどまで大きくなる。
発射。
倒れているため動けず。燃える盾を振り抜き、炎の壁を召喚した。
防御魔法として願った炎は、物量の小さい氷であれば蒸発させられる。
後頭部の痛みに堪えながら、チビデブは片膝を立てた。
熊は四本の足で地面に立ち上がると、こちらに向けて走りだす。
手に入れたばかりの玉具を、実戦ですぐに使うのは良くない。実際に使いこなせてはいない。
しかしこのデブ、なにかと器用だった。
小盾の端をつかむと、裏面に指を引っかける場所がある。それを押さえながら肩側に寄せれば、下から棒が飛びだす。
防御面に不安があると求めたくせに、決め手はこれだった。
金属に魔力をまとわせ、盾ごと棒に炎を灯す。
迫る熊に盾の先を向け、金属部分に魔力を送る。
神に炎放射を願えば、一点に凝縮された炎が棒先より放たれ、熊の左前足に命中。
「相変わらず、この距離でこの精度っすか」
威力は申し分ないが、炎盾のおまけで棒も燃えているだけのためか、命中率があまりよろしくない。
慣らし訓練の結果としては、放つときに狙いを少し右上にそらした方が良いと判断していた。しかし咄嗟の事であったため、それができずにズレが生じる。
でも当たっただけで喜ぶべきだろう。
地面に倒れたまま、熊はピクリとも動かない。立ち上がり、殺しあった相手を見下ろす。
「終わらせてやれないことを許して欲しい。とてもじゃないけど、怖くて近づけないっす」
それが無理なら一点放射で仕留めればいい。すぐ解りそうなものではあるが、そこまで頭が回っていない様子。
慎重に棍棒を回収すると、背中を見せないよう徐々に後ずさる。
・・
・・
魔物具で熊に動きはないかを探りながら、十分ほどを歩いた。とりあえず休めそうな場所を見つけたので、木と岩の陰に隠れるよう腰を下ろす。
頭巾型の兜を脱ぎ、後頭部をさわる。出血はしていない。
羽織っている上着を見渡して。
「怒られるっす」
もう文句を言われる相手もいないが、せっかく揃えてくれた物は汚れていた。
「にしても」
赤火で受け持っていたのは、ヒノキ方面以外の寄せ場のみ。
こちら側の夜間を受け持つのは、開拓に参加していない朱火。
時々勤務交代はしていたかも知れないが、日中の護衛に一ノ朱火長が参加しているとなれば。
「あの人、すごいっすね」
自分には、そんな責任は背負えない。
結局のところ、長年やっていれば嫌でも身につく技術はある。
でも根本はどうか。
怒られろば萎縮して、その相手には二度と立ち向かえない。
それでも短気で、感情のままに動いてしまう。
承認欲求だけは衰えることなく。
誰かの部下で認められることの方が、負うべき責任も軽いまま、自尊心を潤してくれる。
「なにがベテランだ」
後輩が次々と責任を引き受けていく。焦りはありながらも、その苦労をこっそり眺めては、大変だなと横目で流す。
失敗は怖い。立ち直れる気がしない。
こうやって一人で戦う方が、まだ楽だ。
・・
・・
軽い休憩をとったのち、チビデブは移動を開始する。
木製の棒は地面に突き刺さっていた。刻まれた記号と数字を手持ちの地図に照らし合わせ、現在地を特定すると、専用の玉具で方角を調べてから歩きだす。
もう朱火が動き始めているから、こちらも急がなくてはいけない。
短剣で草や枝を掻き分けながら、隧道の入口を目指す。
形見の脇差。
どこか異臭のただよう魔物具。
背中に背負うのは、盾国のボロい武具屋で埃を被っていた物。
氷の粒に対処ができたのは、間違いなく。
「鍋のお陰で助かったっす」
能力にもよるが、玉具は武器の形をしている必要はない。常日頃から最低限の生活用品は持ち歩かなくてはいけないので、個人的には納得もできた。
なにより身体強化は時間制限つきであるが、そこから瞬発力を底上げできるものだった。
大棍棒。どうしてもこれを使いこなしたいデブは、この能力を気に入って今に至る。
「でもこれ、鞄背負ってると手が届かないんだよな」
カフンへの道中で、もっとも危険なのは氷魔熊であるからして、今のような完全武装でなければ一人で勝つのは難しい。
「しかし。あれの上がいるとなれば、ちょっと困るっすね」
ここはヒノキ山。
「まあ、あの人とは状況が違うし、大丈夫か」
現在は魔物を刺激するために散っているものの、これが終われば一応は定位置につく。
周りには仲間がちゃんといる。
・・
・・
短剣で草を刈っていたチビデブは立ち止まると、右後方を眺めていた。
その方向に、そっと剣先を伸ばす。
「やっぱ、あれが異常だったんすかね?」
ボルガより少し小さい犬が茂みから飛びかかってきたが、吸い寄せられるように切先は口内へ入っていき、そのまま骨ごと貫いた。
この単独は奇襲を狙い、それが失敗しただけのため、実際の危険度は解らない。寄せ場の同種とは戦った経験があるものの、違いはあるのだろうか。
氷魔熊。
これまで何度か戦ったことはあったが、絶対にあれほどの強敵ではなかった。
それとも。
「親分」
明日からどうするか、チビデブには答えがでない。
町で生まれた金魚の糞。
三男で家庭も少し裕福。苦労知らずといえば、そうなるのだろう。
誘われるがまま、言われるがまま。
誰かの後ろを追ってきたのか、それともついてきたのか。
「名を残せずとも、英雄たれか」
気を紛らわせても、寂しさは拭えない。
思い出が、全部無かったことになる気がする。
やはり今の班が消えるのは、本当に嫌だった。
兄貴。
「情けないっす。自分から動かなきゃ行けねえのに、怖くて一歩も進めねえ」
すでに赤火の面々は隧道入口に集まっている様子。
まだここからでは、三十分ほど掛かる。
火消の法被を整え、脇差の鯉口に触れて。
「まずは明日を迎えないと」