十七話 大デブ小デブ
作戦決行まで残すは数日。時刻は太陽が隠れ、雪が降り始めた頃。
二ノ朱火長の執務室。
基本は前もって話を通さなくてはいけないが、その男は約束もせずに訪れていた。
「構いません、入れてあげてください」
彼女の部下と思われる者が二名おり、ここまで彼を制止してきたのだと思われる。不安は残しながらも、許可が出たのだから、自分たちは下がらなくてはならない。
扉が閉まる。
「珍しいですね。あなたから来るなんて」
「ええ、まあ」
突然の来訪者。
左の腰には脇差。肩に担ぐ大棍棒。右腕を守る籠手。
「そんな出で立ちで、私を殺しにでもきたのですか?」
スウニョに背を向けると、壁に大棍棒を立てかける。
「変な誤解しないでくださいよ。それとも、身に覚えでもあるんすか」
「じゃあ、夕食でも御馳走してくれるのですか?」
両側に取っ手のある中華鍋。それと良く似た物を、縄で背中に縛りつけていた。
「一度食べてみたかったんですよね。貴方の手料理おいしいって、前に褒めてたんですよ」
「その場仕込みの適当なもんっすよ。きっと街中で食えるやつの方がうまいっす」
長年雑用係を担っていただけあり、ふざけた装いだが違和感はない。もっとも多い時で四人分だったから、そこまで大きい鍋ではなかった。
完全武装の出で立ち。
「今から仕事なもんでして。預けたり受け取ったりすんの、なんか面倒だったんで」
団員の制止を振り切って、この男は執務室に乗り込んだ。
「そうですか」
「あんたを殺したところで、今更どうにもなりませんしね」
むしろ状況は悪くなる。
トントの金魚の糞。
「最初なにがあったかは詳しく知りませんが、これまで親分を守ってくれたことに恩義は感じてるっす」
この人物が入団したのは、最初の五人が魔獣を倒してから一年後。人数もそれなりに増え、熟練組と初心組で別れ始めた頃だった。
年齢はすでに三十を過ぎており、火炎団の中ではベテランの分類になる。
「てっきり恨まれてると思ってました。結局のところ、守れませんでしたし」
たとえ死にかけだとしても、魔獣であることに違いはない。
「情報操作ってのは、凄いって感じたっす」
新聞。
「風の神官はある意味、お金よりも恐ろしいので」
初代団員が魔獣を倒した時と違い、まったく話題にはならなかった。
暗黒の大地。主鹿の領域。数の王。
目的としては刻亀討伐に向けての予行。しかし実際に参加したのは赤火のみ。
「糞みたいな名目で戦わされたっすけど、まあ無駄ではなかったっすよ」
赤火に命じられたのは、勇者とは別方面から突入する部隊の傘下。捨て石とまではいかないが、危険の度合いは言わずもがな。
「そう言ってもらえるのでしたら、私もうれしく思えます」
団員を増やすのに、トントが邪魔になっていた。赤火長が死ねば邪魔者はいなくなる。
「今の赤火ができあがったのも、当時の経験があったからなんで」
精鋭である彼らも、無傷では済まず。
「あの戦いで失った人材は、こちらとしても痛手です」
安定派の中にも、先を見通せない者はいるのだろう。
本命である刻亀討伐開始時。朱火の総勢四百に対し、赤火は六十に満たなかった。
「でもやっぱ、オイラ出来た人間じゃありませんので。あんたに好んでは会いたくないっす」
猫には四人で挑み、二人が死んだ。
「そうですね。では、要件を伺いましょう」
「決行日は一人で戦うんですが、少し防御面に不安が残ります」
遺品に良い物があれば、それを使いたい。
「こちらで決めた編成と違いがあるのですが、その指示はトントさんからですか?」
「いえ、オイラが自分から親分に頼みました」
事実とは違う返答。
「他の班にお邪魔しても、下手に連係を崩すだけっす。それにいまさら、所属を変えたくもないんで」
赤火は新たな人員を補充させるのが難しくなっていた。一ノ朱の実力者であれば問題なくとも、そういった人材は朱火の中で相応の役職についている。
チビデブは左前腕を指さして。
「ここに固定する小型の盾があれば、決行当日までに用意して欲しいっす」
脇差のように名指しで授けられた物であれば、当事者は無料で火炎団から受け取ることができる。
「必要なら金も準備するんで」
本来、彼らは自分で気に入った玉具を武具屋で調達するため、遺品から買うことはあまりない。
「貴方が赤火である以上、一人で参戦させるわけには」
「防衛は朱火の役目です。赤火は魔物の引き寄せ係なんで、万が一オイラが死んでも大丈夫っす」
交代で隧道入口に待機。この役目はトントが決めたものではなく、ラソン本人がチビデブを挙げたことによる配置。
「正直いえば、私は魔物と戦った経験がほとんどありませんので。個々の実力と言っても、良く解らないのですが」
赤火に与えられる役目は、基本どれも厄介ごと。
「一人で大丈夫なんですか?」
「自分これでも第一班の生き残りっす」
大棍棒は別としても、二ノ朱時代の短剣に籠手を装備していた。そして背中の鍋をスウニョに見せて。
「実績はそれなりにあると思います」
彼が仲間と戦ったのは、主鹿の右腕とまで呼ばれた大物。
「そうですか。しかし私の一存では決めれないので、このことは上に報告させてもらいます」
赤火長が駄々をこねれば、もしかすると通る可能性もある。
スウニョはチビデブの嘘に気づいていたのだろう。
「トントさんが、貴方にそんな無茶を言うとは思えないのですが」
嫌なら火炎団を去れ。
「まあ、今まで無茶を親分に言ってきたのは、あんたっすけどね」
そんな嫌味を無視すると、二ノ朱火長はしばし考えこみ。
「とりあえず、玉具は用意しましょう。お代はいりませんので」
チビデブは兵士ではなく団員だった。こちらから無茶な要求をするのなら、相応のサポートはさせてもらう。
「前腕に取り付ける小盾ですね」
「大棍棒は両手持ちだし、脇差も基本姿勢は鞘にあるんで」
左は鞘。右は剣。
「できれば固定位置は前腕だけの方が良いっす」
腕にはめるタイプでも、固定は握る位置との二カ所がなければ、攻撃を受け止め切るのは難しい。
「要望に合うものがあれば良いのですが」
朱火は被害が多いものの、ヒノキだけに遺品を保管しているわけではない。
「とりあえず、こちらで何品かあげておきますので、後日確認にいらしてください」
「へい、感謝します」
そろそろ集合しなくてはいけないので、チビデブは部屋を出ようと向きを返す。
「たぶん親分。刻亀を倒したら、火炎団を抜けると思うっす」
「貴方はどうされるのですか?」
壁に立てかけていた棍棒を重そうに持ち上げて。
「まだ決めてないっすね」
もし戦場に行くと選択した場合、団員は何名残るのか。
「スウニョさん、あんたはどうすんですか?」
立場からしてあり得ない選択でも、彼女は答えられなかった。
・・
・・
仕事を終え、引継ぎも終えた属性兵は、それぞれが休息に入る。
宿舎の裏だけでなく、道にそって天幕が張られている。
決められた時間までに、汚れを落とすため浴場に向かう者。お風呂は自主練または食事を終えてからと考える者。
雪が降っているのだから、場所は外になるのだろう。
「もう、いい加減にして欲しいの」
「上の許可は通っていますので、これは正式な命令です」
グレンの失態により、油玉の制作期間が延びていた。
配属されて日が浅いこともあり、すでに彼の信頼は地に落ちている。実質のリーダーは赤火と同じく、補佐であるメモリアだった。
「正式にあなたを分隊長にしてもらうよう、小隊長に掛け合っていますので、もうしばらくお待ちください」
自分は補佐に落ち着く。
「違うよ、私はそんなこと言いたいんじゃないです」
もとよりメモリアの評価は高かった。それでも彼が分隊長に指名されたのには、なんらかの思惑があるのだろう。
指揮能力は低いわけではない。傭兵としての経験もある。
この場にいるのは三人だけ。イザクが本来の役目を果たしていないのだから、誰かがメモリアの代わりに補佐をしなくてはいけない。
「姐さん、分隊長は別にサボってるわけじゃねぇんだ。おれたちのために頑張ってんだなぁ」
勤務態度は真面目。
指揮能力は低いが、これまで勘の良さから何度か分隊を助けている。赤の護衛を救ったという実績もあった。
「わかってる。わかってるけど、なんでイザクさんなの」
油玉量産は兵士のためにグレンが用意した計画。
「分隊長がなんでそんな役目をしなきゃいけないの。私たちただの兵士なのに」
一兵卒である自分が、勇者の護衛という大役を背負わされた。遭難という事態もあったが、彼女はなんとかそれをやり切った。
「私はもう嫌です。分隊長なんて無理です」
これまで抑えつけてきたが、彼女の精神状態は朱火と同様に限界だった。
イザクは悩む。
謝って良いのか。今ここで、自分の非を認めるべきか。
今で良いのか。
第一に、彼女が望むのは謝罪なのか。
最後。追い詰められ、致命傷を負う。介錯をさせてもらう時、あの人はなぜ自分に謝った。
そこからどう生きたのか。レンガにたどり着くまでの記憶が、イザクにはもう思い出せない。
だが彼女をここまで追い込んだのは、他ならぬ自分の行動。
いつかの団長と同じく、イザクは部下に頭をさげる。
「申し訳ない。分隊長の件は、こちらから小隊長に伝えておきます」
中継地からヒノキまでの移動を大軍で行うのは危険。
もともとカフンは自然の奥地。道すらまともにできていなければ、大人数で野営をとれる場所もほとんどない。
レンガ軍は都市防衛が専門。
当時イザクはただの団員だったが、対象の護衛に関し、一応の知識と経験を持っていた。
「僕はあなたほどに指揮は採れない」
隧道方面より接近してくる魔物から、勇者一行を守る。
情報伝達路。旧ヒノキ山道と花畑までの脇道で、受け持ちが別れている。
レンガでは情報兵が速馬に乗って駆け回っていた。今回の作戦では彼らが伝達路を行き来することになっているため、属性小隊も決められた区間を守らなくてはいけない。
「もしまだ信用が残っているのなら、分隊長は引き続き僕が務めさせてもらいます」
メモリアは疲れ切った表情で。
「それで我慢するしかない。あとちょっと、頑張るの」
「姐さん」
あまりこういった彼女を見たことがないのか、ボルガにはどのように声をかければ良いか解らない。
だから話題を変える。
「にしても油玉かぁ、グレンはすげぇんだな。おれと歳そんな変わらねぇのに、色々動き回ってよぉ」
「あの人は勇者一行なの。私たちみたいな一般人とは違う」
セレスのような少女が、一心に期待を背負わされる。
「姐さんも十分にすげぇんだ。おれには真似できねぇ」
自分が利用されたことすら知らず。
「同じ人間です。グレンさんだって、失敗すれば顔を青くしていました」
無意識かと思われるが、恐らくあの青年は一行を含め、誰が相手でも大小の警戒をしている。
でも、それが人間。
「心の許せる相手がいるというのは、羨ましい限りです」
魔獣具職人のログ。
「ボルガは多分ですが、グレンさんにとって希少な存在なのかも知れません。もし機会があるのなら、彼の助けになって欲しい」
「よく解んねぇです。おれは分隊長や姐さんと一緒にいてぇな」
「人の一生ほど、思い通りにならないものはありません」
なにがどうなって、そんな人生になるのか。
「不思議なものです。僕は生涯、ただの村人として生きる予定だったんですよ」
裕福ではなかったが、それなりに生活ができていた故郷だった。
「それなら私だって、今ごろ兵士なんてやってないの」
愛する人と結婚して、幸せな家庭を築いていたはず。
次回で決戦前夜を執筆しましたら、この章は終了になると思います。