十二話 無価値の意味
火の明かりに照らされた雪は、黒と赤に彩られるも、まだその色を保っていた。
「今日は降り始めるのが遅いだすね」
折りたたみ式の焚き火台は使い古されているが、まだまだ現役。服などは駄目にするものの、もともと彼は物持ちが良い方だった。
「まあ、ありがたいだす」
こういった道具があれば、炎使いでなくとも火おこしはできる。
即席で作った長箸で火の中をかき回し、熱していた小石の様子を確かめ、まだ早いと再び火をかぶせた。
手が熱くなったのか、脇に置いた投槍の柄を触って冷やす。
背後より近づいてきた足音は、聞き慣れたものだった。
「探しましたよ。いつも、この場所で?」
「見張りは夜だすしね。高いとこにいても、暗くてなんも見えないだす」
少し道からそれた林の中。人気はないが、位置としては勇者の宿舎よりも低い。
焚き火台の明かりを見つめながら。
「古来より、火は魔除けにも使われてるらしいだすよ」
「ゼドさんにしては珍しいですね。そんな目立つことをするとは」
魔物は種にもよるが、少なくとも魔虫は寄ってくる。
「自分ずっと隠密行動してるわけじゃないだすからね。こうやって、暖をとる時もあるだす」
「今日はそこまで、寒さも感じませんが」
季節としては、もう春も終盤。
「真冬でも雪降ってない時の方が、空気が乾燥してて、寒い気がするだすしね」
それでも今、雪が降っていた。
ゼドは身体を縮こませて。
「やっぱ寒いだす」
肌寒いというよりは、恐怖からくる背筋の冷え。
「貴方でも、やはり単独行動は怖いものですか?」
「そりゃ怖いだすよ。だから、自分なりの工夫をしてきただす」
ガンセキに見せたのは、小さな巾着袋。汚れているが、もとは高級品なのか、解れなどは見られない。
「なんです、それは?」
「懐炉だす。グレン殿のお陰で封熱土が沢山あるから、少し失敬させてもらっただす」
誇らしげな表情を浮かべていたが、ガンセキは苦笑い。
「それは油玉の素材だった気が……盗んだんですか?」
「人聞きが悪いだすよ。出世したら、何倍にでもして返すもん」
いつ出世するのかは不明だが、懐炉の説明をしたいようなので、ガンセキは黙って話を聞く。
「簡単にできるんだすよ。こうやって熱した石を入れるんだす」
長箸で焚き火台をほじくると、小石をつまみ地面に放る。巾着から取りだした容器を開ければ、中には封熱土が詰まっていた。
「少しコツがいるだす」
指で容器内の土を掻きだし、真ん中に穴をあける。次に魔力をまとい、熱を発する小石をそこに入れた。
「熱いだす」
「長箸を使えば良いじゃないですか」
小石を隠すように土をかぶせ、手の平でなんどか叩く。
「普段あまり使わないから、ちょっとした練習だす」
「ゼドさんも、魔力まといはするんですね」
溜息を一つ。雪は降っているが、息は白くならない。
「昔から魔法ほどの敵対心は持ってないだすよ。まあ最近は、そっちも薄れてはきただすが」
魔力まといを人内魔法と呼んでいるのは、赤の護衛を含めた一部の人間だけ。
「そういえば、グレンが世話になったそうで」
「久しぶりで楽しかっただす……悔しがってただすか?」
意地の悪い表情に肩をすくませて。
「それはもう」
「最初から勝てないと思ってる相手には、そうそう負けないだすよ」
もっとも格上とみられた記憶が、ゼドにはあまりなかったが。
「お前なら解ってると思うだすが、自分の真似させちゃダメだすよ」
魔力まといがなければ、身体能力に違いが出るのは必然。彼が今の体術になったのも、また自然な流れだった。
「グレン殿には内緒だすが、決定的な差はほとんどないだす。逃げ腰なほど、心理の操作が楽になるだす」
春といっても毎夜の雪は日陰となる位置に残っていた。ゼドは立ち上がると、そこに向けて歩きだす。
「魔力をまとっても、冷たいものは冷たいし、熱いものは熱いだす」
なんどか往復し、焚き火台の中に放る。長箸で良くかき混ぜ、火が消えたことを確認すると、手袋をして燃え屑を用意していた袋に移す。
「そこまでする人は、あまりいないのでは?」
「自分これでも神官みたいな一族の出だすから、意外と真面目なんだす。ということで……」
これを処分しといてと、袋をガンセキに渡す。
「神への敬意みたいなものですか?」
「良く解らないだすが、儀式とかで火を使ったら、こうやって片付けろって教わっただす」
水や土にも、決まった後始末があるとのこと。
「ずっと忘れてたけど、なんとなく今また、やりたくなっただす」
ガンセキに渡した袋を指さして。
「本当はそれにお祈りっていうか、ありがとうみたいなのしなきゃいけないんだすがね。面倒だから、ここで終わりだす」
使った物を片付けるのは下っ端の役割でもあり、上位の者も付きそう大切な儀式。
手にもった巾着袋。
「ちょっとだけど、暖かくなってきただす」
安心は手に伝わる温度か、それとも思い出か。暖かなそれを懐にしまい、焚き火台を手袋で拭いたのち、荷物に詰める。
「そろそろ行くだす」
荷馬車と共に旅立てば、自分が去ったことを誰かに知られる。
ガンセキは自身にかけた土の結界を再度まとい。
「これからの予定は?」
「本当はまた、あてのない旅に戻りたいのだすが、ピリカ殿の依頼を受けるだす」
居るのか居ないのか。そうするだけで、少なくとも敵対者への時間稼ぎにはなるだろう。
「問題がなければ、その内容を知りたいのですが?」
「中継地でグレン殿が依頼したのを、そのまま引き継ぐんだすよ。たぶん自分の部下たちは、今ごろ動いてるだすよ」
レンガの武具屋。
ゲイルについて。
「刻亀討伐が無事に終わったら、ジャグチで待ってるだす。とりあえず、二ヶ月くらいは欲しいだすね」
ジャグチという港町で、二ヶ月後に会う段取りを整えておく。
「王都へは海を渡らねば着けませんので、もともとそこは通る予定です」
ゼドは少し考えると、ガンセキの目を見て。
「信念旗には復国派。ギルドはどちらかと言えば安定派。治安維持軍には新国派ってのがついているだす」
責任者は一歩さがり。
「大丈夫なんですか、そんな情報を教えて」
「良くないだすが、いつかは関わってくるだすし」
数秒の沈黙。
「力関係は?」
「もう大体は把握できてるだすよね。組織それぞれの規模だすよ」
ギルド、治安維持軍、信念旗。
「勇者がどれにつくかで、安定派がどちらに流れるかに、少なからずの違いはあるだす。もっとも、役目は終えたと退くのもいると思うだすが」
どんなに地位の高い生まれでも、病が発症することはある。
「信念旗の幹部とは話をつけただすが、まだ油断はならないだすし、安定派も約束が終わってる訳じゃないだす」
下手にバランスを崩せば、戦争を集結させまいと牙を向けてくる。
「新国派が目指すのは神さまの国だす。これにつくのが一番安全だすね」
復国は国の再興。恐らくかつて魔王の領域に存在していた国の思想だろう。
安定は役目。復国派との繋がりを考えるに、恐らく古代種族との約束。
「先二つは自分にも予想できるのですが……神の国というのは?」
もとより勇者一行はその存在に気づいていた。ギルドや治安維持軍など、こんな馬鹿げた規模の組織を成立させるなど、並の後ろ盾では不可能なのだから。
「良く解らないだす。自分で考えて欲しいだす」
管理。
勇者の案内人は薄手の外套をまとい、投槍を持つとその中に一部を隠す。
「今後なかなか機会がとれないから話しただすが、刻亀討伐が終わるまで、三人には黙っとくだすよ」
ガンセキはしばらく黙り込み。
「グレンにもですか?」
「これ以上悩みを増やさせてどうするんだすか」
ヒノキ山の方面を指さして。
「少しは集中させてあげるだす」
責任者は肩を落とし。
「頼りすぎという自覚はあります」
「頼られるのは嬉しいもんだすよ。それをこなせるだけの余裕と実力があれば」
ゼドはそう残すと、ガンセキを置いて歩きだす。
「途中まで、送りますよ」
「ついてきちゃダメだす。今から道中に使う封熱土を盗むだすから、ガンセキさん共犯になっちゃうだす」
困った人だと笑いながら。
「一仕事終えたら、どちらの方面から?」
「そうだすねぇ……秘密だす」
頭をさげ。
「お気をつけて」
「ガンセキも気をつけて帰るだすよ」
丸まった背中が見えなくなるまで、責任者は眺めていた。
・・
・・
下り坂の先。休息中の兵士たちを横目にゼドは進む。
賑やかな光景は少し落ち着いたようだが、眠りにつくにはまだ速く、それぞれが思い思いの時間を過ごす。
気づかれないようにするのではなく、気に留められないようにする。
巡視中の兵士ともなんどかすれ違うが、職務質問されるほど怪しい格好はしていない。
照明玉具に照らされた雪は、周囲の空気に触れてどこか暖かい。
「まったく、身体冷えちゃったじゃないか」
「女の子より長いなんて、グレンちゃんお風呂大好きなんじゃん」
青年は涙目で。
「うるさい! 俺の気も知らないでっ」
よほど恐ろしい事があったのか、青年は風呂屋を何度か見返している。
三人とすれ違う。
「どうしたの?」
少ししてアクアは振り返り、立ち止まった。
「あれ? 妖精さん?」
小首を傾げている。
「なにしてんだ、はやく行くぞ。今日はもう寝たいんだ」
まったく眠そうではなかった。
アクアは視線をもどし。
「なんでもないよ、行こっ」
小走りで二人のもとへ。
・・
・・
風呂屋を過ぎると照明玉具の数は減り、行き交う人も少なくなる。
それでも巡視の兵士から身を隠すような真似はしない。もとより勇者の案内人なので、堂々としたものだった。
やがて前方から、兵士が一人。
立ち止まらず、誰にでもそうする風に。
「お疲れだす」
兵士は立ち止まり、頭をかるく下げる。
二人はそれぞれの動作で、自然に交差した。
通り抜けざま、兵士は鞘から剣を抜き、そのままゼドの首に向けて一閃。
「これまた、珍しい」
鞘から放たれた一手を屈んで避け、身体を起こしながら相手の前腕をつかみ、背中側へと回り込んで固定する。
兵士の喉には、ナイフの刃が触れていた。
不意打ちを受けた瞬間、ゼドは迷いなく槍を捨てていた。
「そんなの捨てた方が良い、筋を痛めるだすよ」
捻りを強めるが、なぜか剣を手放さない。兵士は無表情で。
「お構いなく」
巡視が一人というのも変だったが。
「殺気は見事。でも、それの違和感が凄いだす」
式典などで使われる、切れ味優先の剣。
「これは、僕が唯一教わった術でして」
先ほどのようなすれ違いざま。座った状態など、すぐには抜けない位置からの斬りかかり。
または、そういった攻撃を退ける術。
「ちゃんと、師は居たんだすね」
「愚かな師です。こんなもの、なんの役にもたたない」
この国には正座の文化はない。
「けっこう歴史は古いだすよ、その術。なんていうか忘れただすが」
「刀自体が衰退したいま、もうないようなものです」
一部ではその技術が宝玉具に活かせないかと、復興の兆しもある。
「価値がないなんて言っちゃだめだすよ。歴史的なものもあるから、残すこと自体に意味はあるだすし」
「実戦に活かせないものに、少なくとも僕は興味がありません」
彼が言いたいことは、ゼドにもよく理解はできる。
「師は剣術も優れていました。事実、助けられたとき、これだと確信しました」
しかし教えてくれたのは、無意味な術のみ。
「無力な者はなにもできません。危機が訪れても、ただ安全な場所に身を隠すだけ」
ここに隠れていれば安全だから。こちらから蓋をあけるまで、決して出てはいけない。
「魔物に対し、このような剣に意味はない」
待てども出入り口は開かず。痺れを切らして外へ出たときの光景を、故郷を未だ忘れられず。
自分の剣を、人々のために使いたい。
「それで、価値を見いだした剣術を磨いた今、なにか得るものはあったんだすか?」
なにもできなかった、無力な自分。
剣を捨てた者は、兵士を開放する。
あらためて、イザクはゼドと対峙した。捻られた前腕を気づかう動作はない。
「たぶん兵士さんの師匠は、剣術でなくそれを教えることに、なんらかの意味を見いだしたんだすよ」
無価値なものに、意味を求める。
「自分にも、答えは解らないだすが」
「すでに殺してしまったので、聞くすべは僕にもありません」
防がれると思っていたその一振り。
「そういえば不思議だったんだすよね。症状が進んでる割には、特有の臭いは薄いだす」
届いてしまった刃。
「なんとなく解っただす。兵士さんは自分でも、もう気づいているだすよね?」
気づいているから剣術ではなくて、ゼドにその術を向けてきた。
ただの兵士は肩を落とし、小さく息をつく。
ゼドに掴まれていた腕が痛いのか、顔をしかめる。
イザクは剣を鞘に帰すと、それを腰から外し。
「持っていってください」
渡そうと、腕を前にかざす。
拒もうと、顎を左右に動かす。
「探してみると良い。もっと相応しい人が、きっといる」
「もう、そんな時間はありません」
ゼドはこの相手を前に、眉間のしわを寄せて、ゆっくりと瞼を閉ざす。
「戦いの最中、意識を失うことはあるか」
「気づくと、戦っていた魔物が足もとに転がっています」
勇者の案内人は兵士の横を通り過ぎ、背中を向けたまま立ち止まる。
「頼みがあるだす」
「その願いを聞く前に、質問を良いでしょうか?」
ゼドとイザクには、決定的な違いがある。
「なぜ、魔力をまとわないのですか?」
先ほどの不意打ち返しにも、それはなかった。
「魔力による肉体の強化には若干のズレがあるだす。簡単に言うと、切れ味が悪くなるんだすよね」
「なるほど」
恐らくイザクは気づいている。肉体の強化による切れ味の低下は、そこまで戦いに影響しない。
「では、そちらの願いをお聞きします」
頭を掻きながら、顔だけをイザクの方に向け。
「最悪。自分がやろうと思ってたんだすが、ここ最近の兵士さんを観察していて、お願いしちゃおうかなと」
一点に響く。
「もし全部終わったとき、今みたいな感じだったら、殺気の技をつかって欲しいだす」
ゼドが指さしたのは空。
「そうですか。わかりました」
了承を得ると、完全にイザクの方を向き、深く頭をさげる。
「申し訳ない……ありがとう」
「もしそのような事態になれば、僕は最高に格好良いですね」
姿勢をもどし、相手に背を向けると。
「堂々としていられろば、まあ個人的にはそう感じるだすが」
「いっそ意識を手放したままであれば……きっと」
受け取ってもらえなかった剣を見て。
「両手剣に関しては、誰にも渡したくありません」
その瞬間を認識したことで、耐えるべき足場が固まり、心に余裕が生まれる。
「誰か探してみるのも、良いかも知れません。ですが、僅かな時間で、なにか残せるのでしょうか」
もう振り返ることもなく、歩きだす。
「兵士さんは師匠のこと、けっこうすぐに殺しちゃったんじゃないだすか?」
「確かに。一年ほどだったかと」
なぜ防がなかったのか。イザクはそれを自分に問い続けた。
ゼドはすこし微笑んで。
「やっぱ、ちゃんと教わってるじゃないだすか」
人々のために、自分の剣を。その目標のために、大切なこと。
聞こえているのかは不明だが、一応残しておく。
「兵士さん、人を殺したこと、あまりないだすよね」
その衝動を抑えるのが、どれだけ難しいことか。
・・
・・
数時間後。
道から外れた山の中。
すでに火炎団や兵士の気配もないため、そろそろちゃんとした場所を歩きたい。
投槍を背中に紐で縛りつけ、手足を使い急斜面をよじ登る。こういう時に限って、鼻の穴がムズムズする。
「鼻毛が憎いだす」
やがて斜面に伸びた木の幹に足を引っ掛けると、手袋を外して思う存分ほじくった。
「これは……ダメだすね」
今年の品評会(鼻クソ)には、良いのが出せそうにない。
「全部あの女の所為だす」
指で駄作を弾くと、次に両手を斜面に添え、土の守護領域を展開させる。
「よし」
喉が乾いているものの、水は最低限しか持ってきていない。
取り出したのは、酸味の強い果物の汁。一口舐めれば唾液が溢れだす。
「価値のない剣に意味を、か」
手袋を再び装着し。
「さて、いくだす」
雪の気配が心細さを増幅させるが、胸に抱いた懐炉の熱を頼りに、魔力をまとうと再び登り始めた。
その背筋は、丸まってなどいなかった。