十一話 一の行動
ガンセキのことを説明すると、アクアが少し機嫌を損ねたものの、しばらくして意識を切り替えた様子だった。
兵士たちの待機所が近いだけでなく、この施設からなる湯気混じりのような明かりが、独特の雰囲気を発していた。
「ちっと施設周り見学したいから、お前ら先入ってろ」
グレンが見上げる建物は、予想以上に確りしていた。
「そんなこと言って、逃げるつもりなんじゃないかい」
「たぶん外からは覗けないよ~」
幕などで作られた簡単なものかと思っていたが、石を土台に木を骨組みとし、壁の素材は余所から調達した物のようだ。
「逃げた所ですぐにバレるだろ。正直よ、こんな大掛かりなもん、無理して造る意味あんのかね」
セレスの発言は無視する。
「娯楽は大切だって言ってたよ~」
「風呂なん用意しなくても、兵士の連中は自分らで楽しみ作ってるようだったけどな」
ここまでの道中。
「でもボクは嬉しかったけどね、ずっとお風呂なんて入れなかったしさ」
「俺らはお偉いさんの分類だし、普通に使ってりゃ気づかないだろうけどよ、たぶん一通りの人間が使った湯船なん泥水と変らねえぞ」
ガンセキは健康面を上げていたが、グレンからするに大衆浴場は不衛生。
「感想は一度くらい使ってから言いなよ、この泥人間」
「グレンちゃんみたいな人が使うから、泥水になるんだよ~」
唾を吐くと、二人に背を向けて歩きだす。
「兵士なん汚れるのが仕事だろ」
戦いに土木作業。
「逃げても臭いでわかるからね、ちゃんと入るんだよ」
「お口もキレイにしなきゃ駄目だよ、さっき隙間に歯垢たまってたもん」
身体の臭さを指摘されても、本人は気にしていない様子だったが、これに関しては違うようで。
「嘘つけ、口腔の手入れは欠かしたことねえよ」
毎食は難しくとも、一日一度は最低でもハグキの実でケアをしている。
「歯を食い縛れなくなったら、拳術に影響すんだろうが」
グレンの教わった呼吸法は、吸って吐くだけでなく、上下の歯も利用していた。
二人分の溜息を背に、そそくさと足を進める。
・・
・・
施設の裏手。表に比べると内からの明かりは少ないが、これはこれで従業員しか味わえないような、独特の感覚が脳を刺激する。
建物からは何本かの大小ハイプが伸びており、それが地中に埋まっていた。
「これが排水か。外壁あたりの沢にでも繋がってんのかね?」
土を掘った形跡はうっすらと残っているが、だいぶ前のようだった。
「そのまま流してんのか?」
糞尿とは違い、身体についた汚れだけなら、そこまで問題はないのだろうか。
「たしかトイレは汲み取り式だったよな」
砦のどこかに処理専用の施設があるだろうから、もしかすればこのパイプは、そこを通しているのかも知れない。
こういった建物もそうだが、こういった排水設備も。
「兵士にゃ無理だろ」
専門の技術を持った人間。
グレンはしゃがみ込むと、建物から伸びたパイプに触れながら。
「いくらなんでも、やりすぎだろ。こんな所で」
魔力の自然回復は、その時の精神状態に左右される。
「流石に、そこまで追い込まれた経験はねえんだよな」
村で魔物狩りをしていた頃も、帰れば自宅で休むことができた。
「まあ、必要と判断されたから、現に造られてるわけだ」
立ち上がると再度周囲を見渡すが、巡回または警備している兵士くらいしか見えない。
ガンセキから渡された杭を手に持つが、彼は土使いではないため、領域魔法は使えない。
次に意識を鼻へ集中させる。
「よく解かんねえや」
これから風呂に入るのだから、逆手重装も今は外していた。
「とりあえず、問題はないか」
魔犬の探知能力を利用する過程で、鼻の使い方を素の状態でも身につけたのか、それとも左腕に浮かび出た模様の影響か。最近は逆手重装がなくても、すこし鼻が利くようになっていた。
「まあ、なんとかなるか」
彼の得物は本来、自分の身体なのだから。
・・
・・
入浴施設に入ると、係りの者に出迎えられた。
「一度汚れを落としたほうが良いですね、こちらへどうぞ」
手で進む方向を示したのち、係りの者は歩きだす。グレンは小さく頭をさげ、おとなしくついていく。
外観と違い内側は木目調だったが、つくりは大雑把で広めになっている。兵士などが利用するときは、こういった案内はつかないのだろう。
良い照明玉具をつかっているようで、外と違いとても明るい。
「着替えの用意はございますか?」
「持ってきてます」
通されたのは脱衣所らしき一室。
「衣類はそちらの籠に入れてもらいましたら、浴場の係員に渡していただければ、こちらで後日お届けいたしますので」
洗濯のサービスは特別なのか、それとも全てを対象に引き受けているのかは解らない。
脱衣所の先に湯船はなく、床には一面に簀子が敷かれていた。
「お湯は用意に少し時間がかかりますが、よろしければ」
「あっ 泥流すだけなら、水でも良いっすよ」
係員は簀子に足を踏み入れると、一方を指さし。
「でしたら、水はそちらにありますので」
言われてそちらを覗くと、両端に四角い大桶が幾つか備え付けられており、その中に水が溜まっていた。
「浴場の位置は廊下に札が掛けられておりますが、お困りの時はこちらで案内いたしますので」
出入り口まで戻ってこいとのこと。
「それでは、ごゆっくり」
「ども」
係員が去ると、そこに残されたのは一人。
脱衣所の隅には、編んで作られた籠が積まれており、グレンはそれを一つ手に取る。
「人がごった返すだろうし、自分のが解かんなくなったりしないのかね?」
盗難の被害なども心配である。
再度辺りを見渡すと、籠と一緒に番号の書かれた布と紐がまとめられていた。
「ああ、これを籠に被せんのか」
簡単に籠を漁れないようにキツく縛ったり、自分の番号を覚えて紛失を防ぐなど。
よく見れば、貴重品の管理は自己責任や、衣類紛失時は係員に言えば良いなど、注意事項の札が壁に立てかけられていた。
「やっぱ前例あんのかよ」
籠の持ち出しは泥流し場と浴室の間のみとのルールも確認した。
今すぐにでも裸にはなれるが、左腕の長手袋だけは簡単には外せない。まずは固定されている金属部分をカチャっとずらし、指を引っ掛けて持ち上げる。伸縮性の強い魔物の皮を原料としたそれも、皮膚に吸いついていて剥がすのに時間がかかる。
やっとこさ脱いだ衣類を籠に入れると、布と紐で口を包んで脱衣所の端に置く。
簀子にまで足を進め、隙間から下を覗けば、黄土が敷き詰められていた。
「数日に一度だとしても、土の入れ替えとかしてんのかねえ」
利用者の大半は戦闘職だとすれば、ここも頻繁に使われるはず。
入ってすぐは綺麗にされてると関心していたが、細かく見ればカビなどの汚れも確認できる。それでもこの状態を保っているのだから、最低限の手入れは行き届いているのだろう。
水の溜まった大桶の近くにも、札が掛けられていた。
【この中には入らないでください】
思わずツッコむ。
「入った奴いんのかよ」
設置された水溜めは人が簡単には入れないよう、グレンの胸ほどの高さがあった。脇に重ねられていた小さな桶を取り水をすくう。
最初にかけるのは心臓から遠い指先で、徐々に内側へと近づける。
「つめてぇ」
何度か身体にかけていると、簀子の隙間へと流れ落ちる水が濁っていた。
「たしかに、このまま湯船にはつかれねえや」
ヘッチーマという植物で作られたタワシも用意されていたが、彼は変な所で潔癖症なのか。
「やだよ、これ使い回しだろ」
タワシは使わずに、手の平と爪を使い汚れを落としていく。
頭に水をかけ、髪を指でゴシゴシとこする。ごわついている所為か、掻き心地が悪い。
「さっびぃっ」
予想以上に髪の汚れがしつこく、何度か同じ動作を繰り返す。
「こんなもんで良いか」
身体を震わせ、両腕を重ねながら、自分の衣類が入った籠に戻る。
「おいっ どうやって身体拭けば良いんだよ?」
辺りを見渡すが、それらしきものはない。
「あっ これか」
紐を解き、籠を包んでいた布で全身を拭く。少し生地が硬いが、そこまで問題はない。
ここで綺麗にしたら、そのまま帰っちゃおうかと考えてたが、予想以上に身体が冷えていた。
「遠慮しないで、お湯頼んどけば良かった」
実際に湯船へはいかず、ここで終わらせる者もいるだろう。
番号の書かれた布を腰に巻き、籠を抱えると、残った腕で着替えの入った袋を持つ。
みっともない格好だが、係員さんの話では、浴場も近くにあるらしい。もっとも出入り口に戻る場合は、グレンもちゃんと服は着る。
泥流し場から出ようと、扉に手をかけた瞬間であった。自動で開かれた先には、見事な体格のオッサンが立っていた。
「あら、先客がいたのね」
「えっ あ、すんません」
グレンは横にどき、道をあけた。
「悪いわね、じゃあ失礼して」
長髪をかき上げ、独特の歩き方で番号の書かれた布の束まで足を進める。
グレンは呆然とその場に立ち尽くしていた。オッサンはしばらく布をあさると、臭いを嗅いだり、頬をこすりつけたりする。
やがて振り向くと、グレンの存在に気づく。
「これはあれよ、どれにしようか悩んでいたのよ。私ね、五の倍数しか使わないって決めてるの」
「……そうなんですか」
今、オッサンが手にしている布には、二三と書かれていた。そっと布を隠す動作には隙がない。
「じゃあ、俺はこれで」
逃げようとするが、オッサンは立ち上がると。
「ちょっと待ちなさい」
威厳のあるその響きに、グレンは足を止めてしまう。
オッサンはジロジロと若者の身体を見て。
「あなた……良い筋肉してるわね」
背筋に悪寒が走る。
「決めたわ」
オッサンの指先がグレンの股間に向けられる。
「私、それを使う」
得体の知れない男は、一歩ずつグレンに近づく。
うら若き青年は、慌てて外に出ると、急いで扉を閉めた。
「ちょっと待ちなさい!」
本当の恐怖に遭遇した瞬間。人は涙すらでない。
開けられたら終わりだと、必死で横開きの扉を固定する。
出来る限りの魔力をまとい、両腕に力をこめたはずだった。
開かれた扉から現れたオッサンは、にっこりと微笑んで。
「せめて布だけはここに置いていきなさい」
顔面の蒼白は寒さからではない。
「いや、これ俺使ってますし」
「あなたはこれを使いなさい。二三、素敵な数字でしょ」
もう駄目だと諦めかけた瞬間だった。
「困ります」
先ほどの係員さんを先頭に、何名かの救世主がグレンを守るように立つ。
「一時間ほど待ってください」
「なによ、私は今入りたいの。そこの坊やと一緒に入るってもう決めたのっ」
グレンは固まっていたが、係員さんの暖かな手が肩に触れ、意識をとり戻す。
「申し訳ありません。浴場に案内いたしますので、どうぞこちらへ」
「いえ、僕もうお家に帰りたいんですけど」
他の係員に拘束され、オッサンは去っていくが、チラチラとグレンの方を伺っていた。
「あの方と同じ方向に進むのは止めたほうが良いかと。あとは我々がなんとかいたしますので」
声が聞こえる。
「なによっ! じゃあせめて女風呂に入れなさいよ!」
全体の割合からして男の方が多いものの、女性もいる。最初の頃は時間交代だったが、今は刻亀討伐決行が近づき、兵士も増えていた。
女風呂は小さいが、最近新たに設置されたとグレンは聞いていた。
「女性の賛同を得られなかった以上、そこは諦めると納得してくれたじゃありませんか!」
「あれもだめ、これもだめ、嫌んなっちゃう」
オッサンは肩を落とし。
「わかったわよ」
なかなか難しい話になってきたため、グレンは諦めて係員さんの後についていく。
「すみません、接し方の難しい方でして」
「なんか大変ですね」
仕草や喋り方など、グレンもなんとなく気づいていた。
「我々の力不足です」
親は悲しむかも知れない。いじめられるかも知れない。苦悩で自殺する者もいるかも知れない。
「時代が流れろば、認識も変わってくんじゃないっすか?」
「その時を待つ以外に、なにかできろば良いのですがね」
隠す人もいれば、さらけだす人もいる。
「俺は心も体も一致して産まれてきたんで、かける言葉もできることも、よく解りませんけどね」
はっちゃけて、笑いに変える人もいた。
「一個人として、普通に接しますよ」
ペルデルよりの情報。
《誰がなんと言おうと、女です》
今は勇者一行が少しの間使わせてもらっているが、恐らくこの時間に浴場を利用しに来たということは。
「あの、頼みがあるんですけど」
できれば会議が始まる前に、赤の護衛として会っておきたい。
・・
・・
長手袋やガンセキの杭などを残し、汚れ物は係員に預ける。
案内された浴室は一見、簡単なつくりであった。
それでも床の角度など、お湯が一カ所に集まるようになっていた。
湯船は大きいものの、二十名も入れば満員だろう。
桶で湯をすくい、身体を清めてから、湯船につかる。
「熱い」
浴槽が小さければ、冷えた身体でぬるくなるが、この大きさだとそうもいかない。
天井を見上げれば、無数の水が張りつき、雫となって落ちてくる。湯気で視界がないと思っていたが、そうでもない。
「あそこから出てんのか」
壁の上部に四角い穴。外に直接通じているのか、通気口になっているのか。
水滴か汗かは不明だが、額をつたうそれがくすぐったいため、両手で湯をすくい顔にかける。
思わず口から息が漏れる。
レンガのシャワーという設備にも、興味を示していたし、たぶん本人に風呂嫌いという認識はない。
これほどの貸し切り状態であれば、また来ても良いかなと頭を過るが、やはり面倒くさいで繰り返される。
もともと、長風呂はできない体質だった。そろそろ出ようとした瞬間、大きな横開きの扉がガタガタと鳴った。
「ありがとね、あなたのお陰でお風呂はいれたわ」
驚いて再びお湯に飛び込むと。
「なんでっ!?」
入ってくるんだ。
「あら、話がしたいって言ったの、あなたじゃない」
「いやっ すぐ出るからちょっと待っててって頼んだんですけど」
クエルポはグレンの発言を無視して、お湯を身体にかける。
筋肉隆々ではないが、引き締まった肉体は実戦向き。
「平気なんすか、一応その」
係員さんも配慮して、恐らく普段は他のお偉いさんが来ても、待っていてもらうかしているのだろう。
「色々複雑なのよ。女風呂に入りたいんだけど、男風呂は男風呂で楽園なのよね」
「そうっすか、大変っすね」
うんうんとうなずきながら。
「こんなことなら、オカマだってバラさなきゃ良かったわ」
「いや、バレバレですし」
どうやら係員に男湯も禁止されたらしい。
性別不明の人物は湯船につかると、外側の縁に両腕を置き、天井を見上げる。
「まあ、わざとこんな喋りかたしてるからね、私」
典型的なオカマ口調に仕草。
「隠した所で、どうしても女らしさって出ちゃうのよね。でっ くねくねしてるって陰で笑われんのよ」
「ならいっそって感じですか?」
視線を天井からグレンに移す。
「そっ 笑われるくらいなら、笑わせてやるわ」
「はは」
乾いた笑みを無視して、クエルポはグレンの一点を睨みつけ。
「男なら隠してないで、堂々としなさいよ。お風呂の中なら見えないから安心しなさい」
「いや、モロ見えなんですけど」
おっさんはキャッとクネクネしながら。
「エッチ」
それでも隠さない。
「それにしても勇者一行ってくらいだから、どんなもんかと思ってたけど、なかなか良い身体してるわね」
「あんま見ないでください、俺も目を背けるんで」
確かにジロジロ見ていたが、いやらしい気持ちは半分だったのか。
「でも、食生活には気を使ってないようね。鶏肉とかおすすめよ」
「豚や牛なんかは家畜としてもいますけど、鳥はやっぱ値が張りますし」
天井を指さして。
「そこらへん飛んでるじゃない。種にも寄るけど、良い食材もあるわよ。あとそうね、カエル系も良いけど、ここらは毒持ちだからオススメはできないわね」
「下手物は嫌っすよ」
心外だと言わんばかりの表情で。
「まあ私もそこまで食べ物に気を配れていないけど、魔物だって美味しいのよ」
「追い込まれろば食べますけど、流石に普段の食事に取り入れたくはないっすね」
クエルポは半身をグレンに近づけると。
「まったく、好き嫌い言って。悪い子にはお仕置きが必要ね、こっちにお尻を向けなさい」
「いえ、自分そっち系の趣味はないんで」
「なに、掘られるより掘りたいの。仕方ないわね、むしろ大歓迎よ」
グレンは泣きそうな表情で。
「あの、純尻はどうしても守りたいので、勘弁してください」
「私、気持ち悪いでしょ」
何度もうなずいた。
「自分でもそう思うわ。なにこの気色悪いオッサンって」
「じゃあやんないでくださいよ」
ふんっと可愛くないそっぽを向くと。
「だって、これがあんた達が望むオカマ像でしょ!」
「変な偏見を持たないでください」
あらそうと興味なさ気な返事をして。
「まあ、一重にオカマって言うけど、色んなタイプがいるのよ」
女が好きでも、女口調で女っぽい仕草の男。
男であろうと足掻く者。
女より美しくなろうと、追求する者。
心は女でも、見てくれには拘らない者。
最終的に、どっちか自分でもわからなくなり、考えることをやめる者。
「よく解りませんね、実際にあったの始めてですし」
オッサンは変な仕草をやめると、肩まで湯につかり、一息をつく。
グレンも隠すのをやめ、今日の出来事を振り返り。
「まあでも、魔物食か。そこまでしないと、達人の域には辿りつかないんすかね」
「そんなのわからないわよ。わからないから、手探りで努力したり、先人の教えを受けるんでしょ」
黙っていれば、その長髪を含めても、歴戦の風格。
傷の数はガンセキよりも少ないが、確認できるそれはどれも深手。
「それ、魔獣具の特徴よね?」
指さしたのは左腕の文様。
「ええ、まあ。トントさんにもあるんすか」
「あら、本人に聞いてるんじゃないの。たしか笛の練習してるんでしょ?」
その予定だったが。
「なかなか聞けませんよ」
笛、右腕、魔獣具。
「そんな気にしなくても良いと思うけど。でも、特別にお姉さんが教えてあげちゃう」
詳しくは知らないと前置きをしたのち。
「あなたほど濃くないわよ、トントちゃんの紋様。それに確か、範囲も右肩の一部だけだったわね」
考えられる原因とすれば、闇魔力の練り込み。
火炎団は組織の一部に過ぎず。
それは勇者と共に、魔族という人類の宿敵と戦う職業。
それは消えた救世主の知恵を得るために、命がけの冒険をする職業。
それはかつて、突如現れた魔物という天敵から、世界を救った職業。
意外と口が軽いと判断したのか、一歩踏み込んだ質問をする。
「ギルドに入って、けっこう長いんですか?」
「そうね。色んな所を転々としてたんだけど、こんな長いこと席を置くなんて、最初は思いもしなかったわ」
フエゴやトントよりも年上。
初老前の男性と呼ぶべきか、女性と呼ぶべきか。
「抜けようと考えたことは?」
「入団のきっかけは、知り合いの男性に誘われたのよね。コブつきだったけど、良い男で目をつけてたのよ」
土使いとその彼女。
「最初の頃はね、私ら三人で色々面倒みてあげたのよね」
フエゴとトント。
「属性紋狙いの小娘も加わって、途中で一人引退したけど、けっこう楽しかったわ」
明火長と土使いの妻。
「今じゃ、あの小僧共も立派になって。ただ見守るだけのお爺ちゃんね」
「そこはお婆ちゃんじゃないんすか」
ピクっと眉が動き、額の汗が流れる。
「うるさいわね、間違えただけよ」
沈黙が流れる。
天井から雫が湯船に落ち、波紋を広げる。
「なんとかならないの」
「最善の手段を選びます」
今度は水滴が背中に落ちたのか、背筋が凍るように冷たくなる。
「俺も、勇者を死なせるわけにはいかない」
「そう」
クエルポは立ち上がり、湯船からでる。次の瞬間、浴室の扉が開き。
「朱火長さま、勝手に入られては困ります!」
「今でるところよ」
グレンは去っていく相手を真っ直ぐに見て。
「交渉の形は取るつもりです。敵としてではなく、味方として」
老いてもなお、屈強な肉体。
「百の発言より、一の行動。口だけで終わっちゃ嫌よ」
「行動で示しますよ」
その背中には、爪に引き裂かれた大きな傷痕。
「なにもできなかった私に、とやかく言う権利はないわね」
一ノ朱火長は係員に連行されて消えた。
「申し訳ありません、別室に待機してもらっていたのですが、いつの間にか居なくなっておりまして」
グレンは返事もせずに、ずっと目の前のお湯を見つめていた。
係員はもう一度頭をさげると、浴室を後にする。
彼女にも歴史があれば、火炎団にも歴史はある。
熱さも寒さも忘れ、グレンは黙ったまま湯につかり続けた。