十話 もう一度
机の上に置かれた明かりは、玉具といえど薄暗い。扉が開き外の闇が入ってくれば、影が動いて光も形を変化させる。
「遅くなりました」
土の領域でグレンの所在を探っていたのか、ガンセキは得物の杭を腰に戻し。
「大変だったようだな」
「うわっ グレンちゃん汚い!」
なんども転ばされたから、服が土色に染まっていた。
「オルクの得物は片手槍、または槍だっつうことで、学びがてら手合わせしてました」
ここぞとばかりに、アクアは「ぷぷっ」と笑いながら。
「あれっ、もしかして君、こっぴどくやられたのかな?」
嬉しそうな表情に、うんざりした口調で。
「はいはい、負けましたよっ 体術に関しては、ボロ負けだ」
「……そうか」
いつもの苦笑い。
「しばらく寝不足になりそうです」
悔しいというのもあるが。
「小細工っつうか、小手先の技術が多い人でして。なんか、色々考えちまう」
もっと踏み込めていれば、もう少し流れを呼び込めたはず。
相手の視線を観察するのを、なんどか忘れていた。
守りに入っていたのに、なぜ自分から攻撃を仕掛けたのか。
攻めようと姿勢をつくった次の瞬間、気づけば拳が目前に迫っていた。あの現象はなんだ?
転ばされた時点で、もう急所に刃が触れている。だから転ばさる前に、転ばされることを想定した対策を。
いけると判断して、強めの一撃で攻めたから、別に焦ったという認識はない。あれはただ単に、自分の判断ミス。
他に知っている達人といえばギゼルだが、戦い方はけっこう違っていた。
「今やるべきこと全部放り投げて、今日の反省に集中してえ」
アクアは呆れた顔で。
「ちょっと、それ赤の護衛としてどうなのさ」
「気持ちは解らんでもないが、刻亀討伐が終わってからだな」
残念なことに修行好きは、グレンのそれに付き合いたい様子だった。
「やっぱゼドさんって、戦うの上手なんだねえ~」
「いやまぁ、差があることは予想してたんだけどよ。でもなんか、泥臭い戦い方する人だった」
剣豪というくらいだから、もっと手の届かない位置にいると考えていた。
「普段からダスさん、泥まみれだったけどね」
祈願所防衛。
「そういや、そうだったな」
弄ばれるように転ばされはしたが、それは華麗な物とは遠く感じた。
「そういう道を通って来たんだ。泥臭くもなるだろ」
負ければ反省して、対策を練り、工夫を重ねる。
「もし私なら、私なんかより、そういう人の方が信用できるけどな~」
「お前がそれ言っちゃ駄目だろ」
神に愛され、数々の力をもって産まれた者。
「違うもん、私がそれを皆に言うべきなんだよ」
セレスの発言が面白くないのか、グレンは仏頂面で。
「お前だって、お前なりの努力はしてきただろ」
授かった力の特徴を調べ、一つでも多く実戦に取り入れる。
「うん、だって皆が喜んでくれるから」
それが正しいと鵜呑みにし、自信にして、褒められるために修行をした。
「でもそういうのってね、ちょっとの陰口で挫けるもん」
「なにが違うのか俺には解かんねえけどな。あの人だって、根本は似たようなもんだろ?」
自分の剣を世界に認めさせる。
「ボクも良くわかんないけど、なんか違う気がするかな」
「少なくても私、グレンちゃんと始めて会ったとき、修行なんて止めちゃってたでしょ」
ガンセキには身に覚えがある。
「違いがあるとすれば、執念や執着とでも呼ぶべきか」
自分の価値を両親に示す。
「理由はあるんだろうけど、あれだけの腕……もったないっすよ」
魔族に対する貴重な戦力。
「全盛期のゼドさんすら、一対一は厳しいって言ってましたね」
「連中の属性は闇だからな」
黒は全ての色を塗りつぶす。
土地によって、影響を及ぼしている神には違いがある。
「本来の属性に加えて、どういう原理かは諸説あるが、別の属性も使ってくるんだ。本当に隙がない」
思い当たる節があるのか、セレスは咳払いをして。
「防御魔法がないのって、たしかに不便だもん」
協力して水魔法を使うようになって、最近は特にそう感じていた。
「まあ、魔力まといだけじゃ限界もあるしな」
炎の壁も物理には不向きで扱いが難しい。
「そういえば、魔獣具も別属性を扱えるか」
「俺のは魔力まといの魔獣でしたが、トントさんとこの猫は水属性ですからね」
グレンは出入り口から動こうと、一歩を踏みだす。
「ちょっと、入ってこないでよ、汚いじゃないか」
「あの……入らないと身体も拭けないんですが」
理不尽だとは本人の意見だが、それを認めてくれない者もいる。セレスは鼻をつまみながら。
「グレンちゃん臭い」
「失礼な、トイレのあとはちゃんと手を洗ってるぞ」
紙がなくて尻を満足に拭けないことはあったが。
「ところで、最後にお風呂入ったのいつさ?」
「そんな難しい質問、答えられるわけないだろ」
設備の手入れも必要だが、水や火は魔力があれば湧いてくる。
「一度くらい行ってくればどうだ」
「いや、ちょっと」
大勢で入るのは恥ずかしい。
「この時間は勤務交代の関係でそんなに利用者はいんぞ」
一・二時間も過ぎれば、一気に押し寄せてくるが。
「俺は身体拭くだけで良いですよ」
そう言って自分の意を通そうとするが、アクアは納得せず。
「ほら、いくよっ! 寂しいなら、ボクたちがついてってあげようじゃないか」
「いや、擦り傷があって、湯につかると痛いんだ」
もしかすると彼は、忙しくて入れないのではなく、単にお風呂があまり好きではないのかも知れない。
責任者は溜息を一つ。
「俺たちは勇者一行だ。それに信念旗や道剣士の件もある」
毎日は無理だとしても、決められた日時は貸し切りということで、上層部と話はついていた。
「体調の管理はできているのか?」
水が貴重な資源だった時代、風呂など一握りの特権だった。それでも、土地・国・文化によって違いはあるが、大衆浴場は確かにあった。
「今のところ、健康だと思いますけど」
「少なくとも、疲れは取れるがな」
今度はグレンが息をつく。
「わかりましたよ、行きますよ」
セレスはしかめっ面で。
「私たちの言うことは聞かない癖に」
「責任者の言うことは絶対かい?」
ガンセキさんなら、なんとかしてくれる。
「うるせえ」
グレンにとって前回の勇者一行は、最後の希望だった。
・・
・・
ここも夜空は美しい。だが村育ちの四人からすれば、見慣れた光景ともいえる。
「今日は月の光が強いんで、目が慣れろば明かりもいらないっすね」
一応右手に火を灯しているが、セレスとアクアは先行して歩いていた。
しばらく進めば、建物や幕も増えていく。巡視中の兵士もいるが、鎧を脱いた者たちも見受けられる。
配られた食事を摂る者や、補給された物品を整理する者。
土木作業で腰をやられたのか、後輩だかに腰を踏ませている者。
勇者一行の存在に気づき、姿勢を整えようとする者もいるが、一度崩れたそれは簡単には戻せない。
仕事で散々振るったはずなのに、上半身裸で木剣を握りしめ、チャンバラごっこにせいをだす者。それを囲み、賭事に興じる人々。
「兵士もやっぱ戦闘職ってこんか、良い身体してら」
発言が聞こえたのか、アクアは振り返ると。
「ちょっと、やめてよっ 君そっち系の人?」
セレスは人混みに縮こまりながらも、浮ついた口調で。
「うへへっ 私も戦闘職だよ」
グレンは唾を吐くと。
「お前はもうちっと鍛えたほうが良い。魔力まといと魔法に頼りすぎだ」
人内魔法の基礎。魔力まといは足し算というよりも、掛け算に近い。
「私もとが女だし、魔力まとい練習したほうが効果高いもん」
「土台が低くちゃ、大した数字にゃならねえんだよ」
アクアは首を傾げながら。
「でもボク、そんな困ったことないけどな」
本来、弓を絞るのは、かなりの力を必要とするが、魔力まといで補えている。
「けっきょくボクら人間じゃさ、単独と同等の身体能力を得るのは難しいんだよ」
魔力まといの熟練が高いグレンでも、力負けする魔物は多い。そもそも体格差、体重が違う。
「人の男と女くらいなら、魔力まといでもある程度は埋められるけど、やっぱ優先は魔法かな~」
炎放射や雷撃。氷の壁に岩の壁。
力勝負であれば、岩の腕なら単独とも渡り合える。
圧倒的な体格差の相手を、電撃で動きを鈍らせたり、氷による捕縛も可能とされていた。
「兵士は職業柄かも知れんな。鎧をまとっているだけでも、結構な負荷になる」
特に一般兵であれば、勤務中ずっと魔力をまとうのは難しい。移動中も険しい場所などを選んで使っているのだろう。
「土使いにいたっては、鍛錬なしで身体が出来てる者も多いがな」
やがて女二人は会話に興味を失ったのか、浴場に向けて足を急がせる。
残されたグレンとガンセキは、後も追わずにゆっくりと歩いていた。
「もっとも土台というのは、体格だけではないと思うが」
身体の使い方。
「アクアはともかく剣を得物とするんなら、重要だと思うんすがね」
グレンは少し寂しそうだった。
「そういうな。お前は普段一緒にいないから知らんと思うが、やるべきことはしている」
「確かに。それに関しちゃ、俺のほうが危ういっすね」
逆手重装・赤鉄。合間を見つけては、習得に向けての練習をしているが、状況はあまりよろしくない。
「一応、そこら辺の対策は練ってあるんですが、会議の結果しだいかと」
武の道は一日にしてならず。
「時間があるんなら俺も、いつかのゼドさんみたいな生き方に、少し興味がありますね」
「廃れても、根本は衰えずか。お前でも歯が立たなかったとなれば、やはり道を歩く者は危険だな」
グレンは立ち止まって構えを整えると、ガンセキに同じ動作を二度みせる。
「最初のは殴ることを目的とした横殴りで、次のが振り切ったあとの体当たりを狙ってます」
「違いはわからんな」
得意げな表情で。
「俺もそこら辺は気をつけてますんで。だけどゼドさんから言わせると、膝の動きに違いがあるらしいっす」
戦いの一瞬でそういったものを見極め、自分の持つ有効な小手先の技を選択し、確実に組み込んでくる。
無意識にそれを使ってくるのか、意図して狙ってくるのか。
「なるほどな。たしか……道着のなかには膝を隠すものもあったか」
武道袴
周りでは木剣で戦っている人間もいるのだから、こういったことをしていても、意外と二人は風景に溶け込んでいたのだろう。
遠くで声がきこえる。
「なにしてんのさ! お風呂嫌だからって、こんな所でダダこねちゃ駄目だよっ!」
注目をあびて恥ずかしいのか、グレンは顔を赤くして。
「行きましょう」
だがガンセキはその場から動かない。
「どうかしたんすか?」
「いや、お前と手合わせしたということは、もう怪我の方は大分良くなったということか」
普段からグレンは別行動をとっているが、その日なにがあったかは逐一報告している。
「あの人なら、骨折程度じゃ怯まず戦えそうですけどね」
ホウドとの対談により、セレス一行の考えを伝えた。
グレンにオルクの得物に関する情報を教えた。
到着してから今日まで、一行を狙う不審者を探り、今のところ大丈夫だとの知らせを責任者は受けている。
「道剣士はわからんが、少なくとも信念旗は彼を警戒しているだろう」
この砦でやるべきことは、すでに終えているのではないか。
「どうも、予感がしてな」
敵対者が動くとすれば、ゼドがいなくなってから。
「流石にそれは……いや、あの人なら」
ガンセキは腕を組んで考え込むと。
「魔王の領域で単独行動をしてたんだ」
腰から杭を抜き、グレンに渡す。
「風呂場には持ち込めんと思うが、もしなにかあれば、それに魔力を送れ。」
「俺も行きましょうか?」
顎を左右に振ると。
「お前は風呂に入っとけ。正直、かなり臭うぞ」
これからゼドを探すとなれば、彼の考えからして、兵士に護衛は頼めない。
一人で大丈夫ですか。
そう口から出そうになったが、自分も人のことは言えない。もっとも何かあれば、十体でも二十体でも、彼は大地の兵を召喚できる。
「二人には俺の方から伝えときますんで」
「ああ、頼んだぞ」
ガンセキは一度宿舎に戻るとのこと。
見送ったのち、グレンも浴場に向けて足を進める。
辺りは先ほどよりも、賑やかさを増していた。
勝敗が決したのか、歓声が飛び交っている。
腰痛持ちの兵士はお礼を言うとその場に座り、今度は肩が凝っていると主張を始めた。後輩は苦笑いを浮かべながらも、仕方ないなと手を伸ばす。
「もしかしたら、この日常の中にも」
疑いだしたら切りがない。
これから、ゼドに頼れなくなる。
案内人の仕事を終えたのち、彼は何処を目指すのだろうか。
最後まで見届けて欲しかったが、また別の役目に移らなければいけないのか。
グレンは溜息をつき。
「風呂……行きたくねえなぁ」
空を見上げれば、思いだすのは今日の出来事。
「ちくしょう、勝ち逃げかよ」
許されるなら、あの一時を