七話 いつかの花畑にて
力馬ルートはカフン到着に九日を要した。一方の荷馬車がヒノキにたどり着いたのは、十四日目の夕方。
遭難により二日ほど遅れたため、グレンが到着した三日後ということになる。
物資の輸送としては、かなり困難な数字かと思うが、実際には中継地とそこまで離れている訳ではない。荷馬車を走らせることができたなら、この日数はもっと縮まっていただろう。
昼夜襲ってくる魔物に、舗装が不十分な道。刻亀討伐において、最大の難所はこの二つ。
魔物であれば兵士や火炎団が受け持てるが、道を用意するには専門の職人が必要だった。
ヒノキ山の開拓。力仕事だけなら一般兵でも事足りるが、現場の指揮を採るのはこの道のプロ。
下手に木を切れば、それが土砂崩れの原因になることもあるため、地盤の調査は専門職に任される。
枝を落とし、地面に光を当てる。この作業もちゃんとした技術が必要とされていた。
本来しっかりとした道を作るには、兵士では役不足な面も多いが、最低限の教えは受けていたのだろう。手入れされた山というのは、それだけで雰囲気が違ってくる。
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少しずつ昔の姿を取り戻す山中を、勇者一行は属性兵の先導に従って進んでいた。
開拓と言っても、そこまでちゃんとした道はない。
「ここら辺から、足場が悪くなってくるの」
メモリアは歩く速度を落とす。今この瞬間も、朱火の面々が魔物と戦っており、勇者一行を守っていた。
「ずっと俺らの練習に付き合ってたわけじゃないんすね」
「一応上からの命令だから、文句は言えないの」
もしもの時は、イザク分隊と力を合わせる。
兵士側には勇者一行の考えがすでに伝わっていた。
「でも本来の役目はこっちだし、下見くらいしとかないと」
本番。刻亀との戦闘中、魔物の接近を防ぐ。前線拠点の防衛。
魔獣王ヒノキ。一度火がつけば、そこに魔獣がいたとしても、接近してくる化物が確認されている。
「君と同じでさ、メモリアさんたちだって居ない時もあったよ」
グレンはイザクらと油玉を量産している。
「こんなことなら、フィエルさん抜けないで欲しかったの」
現状。分隊をまとめているのはイザクでなく彼女だった。
「なんかすんませんね」
気まずそうな謝罪に恨めしそうな視線を向けながらも。
「別に良いです、ある程度は慣れてきたので。最初はすごくちゃんとした人だと思ったのに」
腰袋から話題の物を取りだすと。
「迷惑をかけてるぶん、本番ではきっと役立つはずなんで」
イザクも無駄事で離れているわけではなかった。
「ご理解を頂けると助かります」
彼女にとってグレンの最初の印象は怖い人だった。しかしそれなりの付き合いを重ねたことで、糞真面目な青年だと今は感じている。
「姐さんだってそこら辺はわかってんだなぁ。ただよ、分隊長……なんか戦うこと避けてんだな」
ボルガは勘が鋭い。狂戦士、または狂化種との違いがあるとすれば、恐らくこの点が上げられる。
触れてはいけないと無意識に感じたのか、グレンは鼻で周囲を探りながら、話題を別の方向へとそらす。
「この山って、群れの魔物ほとんど居ないっすよね」
単独も小さな群れをなすことはあるが、ヒノキのそれは本当の意味で単独だった。
アクアは気持ち悪そうに辺りを見渡す。
「なんかさ、あの集落跡に雰囲気が似てる」
セレスはボルガの背中を見ながら。
「闇が勝ってる」
興味があるのか、責任者は自分たちが歩いてきた方角を見て。
「聴いた話によると、カフンが砦としての体を成す前は、もっと酷い状況だったそうだな」
「神さま側が押し返してきたってことっすか?」
ヒノキ山開拓の狙い。神と闇の戦況によって、人と魔のそれも左右される。
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砦を出発して一時間半ほどが過ぎた。周囲の木々はまだ人の手が加わってなく、どこか薄暗い。
かなり急な傾斜であり、手足を使いながら登っていく。
雑草は湿っている。地面が剥きだしのカ所や、木の表面は苔で覆われていた。
どこかで、魔物の断末魔が鳴っている。
「お待ちしてました。ここからは俺が案内させてもらう」
「あとは任せるの、なにげに緊張しちゃった」
ここからメモリアたちは別行動となる。カフンまでの道のりを考えれば、そうでもないと思うのだが、ボルガに肩を揉ませていた。
「すごい久しぶりな気がするっすね」
猿との戦い以来だが、時間とすればほんの数日前。
「なんか、色々と悪かったな。謝らせてください」
恐らく無意識だと思うのだが、彼の喋り方は敬語とタメ口が混ざっているのが特徴だった。
「ああ、手紙のこといってるんすか? あれは本来そういった用途に使うもんなんで、気にしなくて良いっすよ」
「そうだよ、悪いのは全部こいつなんだ!」
セレスがうんうんとうなずいてる。グレンはアクアの指を払い退けると。
「人に向かって指をさすんじゃねえ、あと大声だすなよ」
「でもどちらにせよ、私たち荷物あさってたし、ペルデルさんは悪くないよ」
コガラシ・イザク分隊は一般と属性だが、兵士のなかでは優秀の部類に入っている。もっとも属性分隊に限って言えば、メモリアの力量によるところが大きいが。
「ペルデルさんの班が、ここを受け持つんすか」
「いや、まだそこら辺は決まってないんだけどな。正直、うちだけでは厳しいかも知れませんね」
案内程度であれば問題はないとのこと。
ペルデルの背後には洞窟の出入り口。いや、人工なため隧道とでも呼ぶべきか。
責任者は穴の一部に触れながら。
「一ノ朱火長殿は来られてませんか?」
振り返り、相手に対して失礼のない姿勢をつくる。
「はい。うちのお偉いさんの方針でして、極力関わらせないようにと」
「できれば一度、挨拶くらいはすませたいのですが」
勇者一行の目的は初代団員の五名であるからして、その人物は外せない。
「俺からはなんとも。一応は伝えておきますが」
「なんかあんた、面倒な役どころだな」
ペルデルは溜息を一つ。
「誰のせいだと思ってるんだ」
アクアがグレンの脇腹を肘で小突く。
「ほら、ちゃんと謝りなよ」
謝罪はしても良いのだが、小娘がなんかムカつくため、相手のつむじを強く押したのち。
「ご迷惑おかけしてます」
痛かったのか、アクアは頭をさすっていた。
セレスはアホ面で隧道を覗きながら。
「ふへぇ~ まっくらだ~」
力の抜ける声だったが、ペルデルも本来の役目を思い出したようで。
「一応内部に魔物の反応はありませんが、足場が悪いので注意して歩いてください」
班員はペルデル含め4人ほど。彼らに守られながら、暗闇へと足を踏み入れる。
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班長は足型の炎使いのため、明かり役にはあまり向かない。
グレンや他の団員の火を頼りに、足を進めていた。
「人工にしては、明かり置きみたいなのはないんすね」
木組みで補強されているが、少し心もとない。簡単な補修はされているようだが、落ちてくる水滴が不安を煽る。
「まあ、今となっちゃ俺らがいますしね。そう言うのも不要か」
ここは大昔の人間が掘った場所。壁に小さな穴があれば、そこに火を入れたのだと予想もできるが、それらしき痕跡は見当たらない。
ガンセキは壁の一部を指差すと。
「一定の間隔で杭が打ち付けられているだろ。こういう所は大概、共振明石の採石場じゃないのか?」
腰からハンマーを取りだすと、杭に近づく。
「ええ、たぶんその積りだったんでしょうね。だけど残念ながら、ここのは質が悪いんだ」
削ると効果が薄れてしまう。
ガンセキは「なるほど」と頷くと、手に持ったハンマーを振り上げて。
「すみませんが、明かりを消してもらえますか? コツがいるらしいので、上手くいくか解りませんが」
振り下ろしたハンマーは、見事杭に命中するが、音が響くだけで変化は見られない。
「ガンセキさん、なにしたいかわかんないけど、暗いの怖いよ~」
明かりが消えてなにも見えないが、アクアの背後にしがみついているのだろう。
「少し待て、もう一回やってみる」
「力を入れないで、得物の重さだけで振ると良いかと」
団員の一人が経験者だったようで、簡単なコツを教えてくれた。
「ありがとうございます……ではっ!」
ハンマーが当たり音が鳴る。
音速ではないが、杭を中心に光が広がっていく。
「ふへぇ~」
小さな背中に隠れながらも、擬似の星空に瞳が輝く。
「うわぁ 綺麗だね……すごいや」
「アクアさんの方がキレイですよ」
心のこもってない褒め言葉に腹が立ったのか、グレンの靴を踏みつける。
「グレンちゃん、私は?」
「キレイキレイ。でも俺の心の方が、もっと綺麗だわ」
相変わらず適当な返事だが、セレスは偽の夜空を眺めていた。
「まあ見た目は綺麗なんだけど、これが質の悪さを証明してるんだ。良い物だと、こういう風に疎らにはならんそうです」
ペルデルが無粋な説明をするが、二人は気にせず見入っていた。
「だが歩く分には問題ないな」
次の杭にたどり着く頃、あたりの光は消えていき、再び世界は闇に包まれる。
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真っ直ぐではなかったが、距離としては六十mほど進んだか。杭を叩いたのは四回ほど。
曲がった先。一団の視界に太陽の光が映る。
「うわっ! まぶしぃ~」
セレスは手で視界を隠す。
その先に待ち構えていたのは刻亀ではなく、崖に囲まれた空間だった。
「ここが俺らの休憩場所になるってわけだ」
グレンは一方を指さし。
「あそこを進むと、いよいよってこんすね」
アクアが唾を飲み込む。
「刻亀」
ガンセキは地面を慣らしていた。
「皆、気を引き締めろ。ここからが今日の本番だ」
空洞の上には曇り空が広がっていた。そこから魔物たちの叫びが入ってくる。
「周囲が反応し始めてる。あんま時間はありませんよ」
ペルデルの言葉に頷くと、班員が三人を梯子のもとまで誘導する。
ガンセキは借り物の玉具を手に。
「時間を合わせるぞ。十分後に下級兵を動かす」
グレンも同じ玉具を持ち、今の時刻を確認する。
「この先の距離からして、刻亀と接触するのはおよそ十五分後だ」
それまでに移動を終わらせる。
ガンセキは土の祭壇を設置したのち、次々に大地の兵士を召喚していた。ペルデルたちはこの場に残る。
セレスたちは梯子に足をかけ、空洞を登っていく。
「ボク、すごい緊張してきちゃったよ」
「安心しろ。俺もだ」
「グレンちゃん、上見ちゃダメだよ」
はっきり言うが、それどころではなかった。さっきから心臓の音がうるさい。
「ある意味お前って凄いわ」
一つの梯子を登りきると、小さな足場にたどり着く。
「次はあそこだね」
アクアは隣の足場に飛び移り、その先にあった梯子を掴む。
「気をつけろよ、落ちたら死ぬから」
「そういうこと言ってる人が一番危ないんだもん、滑るから苔にきをつけてね」
一部には影もできており、そこには雪が確認できる。
なんだかんだで馬鹿話をしながらも、三人は無事に空洞の上についた。セレスは下を覗きこみ、悲しげに列を成す大地の兵を眺める。
「案内しますので、ついて来てください」
現れたのは班長補佐。どうやら無事にカフンに到着していたようだった。
「休む暇もないんすね」
化粧のせいかはわからないが、疲れの色は伺えない。
「赤の護衛さまも話は伺っております。ご無事でなによりです」
セレスたちは帰還を出迎えていたが、グレンは別用でその場を外していた。
恐らく前もって空洞を守っていたのだろう。辺りにペルデルの仲間が何名か確認できる。
周囲は木々が無造作に広がっており、昼だというのに暗かった。
空洞内部は日当たりが良いのか雪は少なかったが、ここにはまだそれなりに残っている。
「この先、突然崖になっているんで、足を踏み外さないよう気をつけてください。落ちて無事だったとしても、刻亀がいますので」
「ログ爺さん、こんなとこで戦ってたんすね」
これから向かうのは六十年前あの老人が、白の護衛と刻亀の戦いを見た場所と、同じなのかも知れない。
やがて三人の視界に映ったのは、花畑ではなく、一面の雪景色だった。
大岩はない。
その代わりとして、全身を湿った苔らしき植物に覆われた亀が、ぽつんと一体たたずんでいた。
今でもどこかで魔物の声が響いているが、実際に見ているにも関わらず、なぜか本命らしき気配は感じられない。
時刻はちょうど十五分。
隧道の出入り口は全部で三カ所。兵士が魔獣に向けて、ゆっくりと近づいているのが伺えた。
一分後。兵士の残骸だけが残る。
「行きましょう」
安全と思われていた崖上にも、氷の破片が突き刺さっていた。
大きな亀はうずくまったまま、最後まで動かなかった。
まるで、死んでいるかのように
いきなり挑むのも変かと思い、このような話を用意しました。