四話 一点に響く
この世界では肥料に醗酵させた糞などを使うことが多いため、生の野菜を食べる習慣はあまりない。
氷魔法のお陰もあり、通常より食材も長く保存できる。
兵士と勇者一行では食事の内容も違ってくると思われるが、万全を期して刻亀へ挑むために協力してもらっているのだから、同じ物をとは頼まない。
神々への祈りは当然として、この環境をつくってくれた者たちへの感謝も忘れずに、三人は静かな朝食を終えた。
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・・
時刻は朝の七時過ぎ、見送りのために宿舎を後にする。
グレンが安否不明だったせいもあり、ちゃんとカフンを眺めるのは初めてだった。
「本格的に作戦が始まったのってさ、ここ最近なんだよね」
計画はずっと前から行われていたが、多くの人間が動きだしたのは一年以内。
「人って凄いんだねえ~」
「俺たちがどれだけ小さいか、思い知らされるな」
巡視中の兵士と何度かすれ違う。
おはようなど声を掛けたりはしないが、一度立ち止まり失礼のない角度で頭をさげる。
アクアは元気よく手を動かしていた。セレスは緊張しているようで、少しぎこちない。
「本当は彼らに守ってもらいたいんだがな」
「けっこうギリギリで回ってるんだっけ?」
ガンセキは呼び笛を懐から取りだすと。
「皮肉な話だな。頼んだとしても、恐らくつくのはイザクさんかコガラシさんの分隊だ」
「二人とも、警戒対象だもんね~」
間抜け面では危機感もクソもないが、本当に厄介な状況だった。
道を歩く剣士か、協力者の可能性を拭えない剣士。
しばらく進むと、トイレの前でゼドが立っていた。
元気よく手を振りながら。
「ダスさんじゃないだすか」
「そんな人知らないだす」
細かいことは気にしないと、アクアはゼドの前を通り抜ける。
「お待たせしてすみません」
「うんこしてたから平気だす」
青髪の少女は振り向くと。
「ダスさんバッチィだすよ」
「真似すんなだす。それに手はちゃんと洗っただすよ」
綺麗なお手々で鼻クソをほじっていた。
「どっちにしろ汚いよ!」
ガンセキと並んで案内人も歩きだす。
昨日グレンが倒れ、医者に見てもらった後、彼から簡単に遭難中のことを聞いていた。
これまで責任者に怒られることは何度もあったが、旅立ってから同郷以外の相手に叱られたのは、大犬魔と戦った時だけ。
「おはようございます」
少し遅れて、セレスは朝の挨拶をする。
「おはようだす、グレン殿目覚めたようだすね」
「うん。起きてすぐ出かけちゃったけど」
大犬魔に関しては、一番怒られたのはゼドだった。
「知ってるだす」
ガンセキは咳払いを一つして。
「それで……どうでしたか?」
「夜間通して、怪しいのはいなかっただすよ」
これまでのアホ面はすでに消え、セレスは感情の消えた口調で。
「そのこと、グレンちゃんは知ってるんですか?」
責任者に頼まれ、二人の知らない所で、ゼドはずっと見張っていたのだろう。
「しょうがないよ。土の領域ってさ、感情も読めるから」
相手が本職であれば、一行の僅かな心の動きでも、ゼドの存在を勘付かれる危険がある。
「そこは私も納得してる」
トントとの約束を守るため、単独行動をしたグレンは、そのことを。
「後で説明はするが、あいつはそれすら不要と言いそうだな」
知られなければ罪にはならない。
「グレン殿はまったく警戒してなかっただすが、彼に敵意を向けてた相手はいなかっただす」
もっとも道剣士の場合、それとは違う感情で挑んで来るが。
セレスは表情を崩して。
「ありがとうございました。ゼドさんも疲れてるのに」
「本当だすよ」
申し訳ないとガンセキは苦笑い。
「でもさ、何日か続けなきゃダメなんじゃないかい?」
「まあ君らとの付き合いもあと少しだすし、怪我が治るまでは自分が受け持つだす」
丸まった背中を眺めながら。
「薄情もの~」
「そうだよ、結果くらい見てけば良いじゃないか」
ゼドは振り返り、セレスを見つめ。
「こうみえても、結構しんどいんだすよ」
勇者と関わることが。
「逃げてばっかじゃ、なにも変らないもん」
呪縛の信念は頑強だが、一本道に迷いやすくなる。
「それがセレスさまの拘りだすか?」
「解かんないもん、私バカだから」
ゼドは視線をもとの位置に戻し。
「自分で決めた目的って、脆くて崩れやすいんだすよね。嫌なことから目を反らすのは、無意識でやってることも多いだすし」
「きっと大丈夫だよ~ 私には無理かもだけど、ゼドさんは人格者なんだよね?」
となりを歩く者をジト目で睨み。
「誰だすか、そんな無責任なこと言ったのは」
「……さあ?」
アクアは道端に落ちていた枝を拾うと、それを振り回しながら。
「一度諦めたくらいで諦めないでさ、もう一度挑戦すれば良いじゃないか」
「もう価値やら意味が見いだせないんだすよ」
誰よりも、ゼドを信頼する男がいた。
「貴方は凄い人ですよ。全てを投げ捨ててまで、飛び出せる奴なんて、そうそういません」
彼と同じ境遇の者も、かの国には沢山いる。
「少なくとも俺なら、現状に甘んじてます」
下準備をしたのち、弟や妹を蹴落とす兄姉もいる。
「馬鹿だっただけだす」
両親が存命かどうかは解らない。
「ダスさん一部じゃ有名なんだよね。もしかしたらさ、耳に入ってたかも知れないよ」
弟はまだ生きているはず。
「どうだすかね。そもそも偽名だすし」
旅だったあの日。彼は全てを故郷に捨ててきた。
一振りの剣で何をしたかったのか、もう自分には理解できない。
真意がわからないから、ピリカのあれは数に入れず。
「ありがとうだす」
励ましてもらったのは、とても久しぶりだった。
丸まった背中はなにも語れない。
剣さえなければ。
「本当にゼドさんって、バカなんだね」
セレスにも、その意味が少しわかった気がした。
・・
・・
トントと合流したグレンは、門から出てしばし歩く。
荒れた畑を踏みつけないよう、慎重に二人は進む。
小さな丘の上に一本の大きな木。
見下ろせば内壁から伸びた道が通っていた。
「ここなら見送れるな」
「良いんすかね、勝手に外でちまって」
気にすんなと笑い飛ばしながら、その場に腰を下ろす。グレンも隣に座ると、地面に包みを広げ。
「良かったら一つどぞ」
「おう、気が利くじゃねえか」
トントは姿勢を正し、脇に挟んだ水袋で左腕を清めると、祈りを捧げる。
グレンはお行儀わるく口に含んだまま。
「意外と信仰があついんすね」
祈りのあいだは返答せず。終わるとグレンに水袋を渡し。
「こりゃ習慣みたいなもんだ。育った場所がけっこう厳しくてな」
口ではそう言いながらも、食べ始めると無言を貫く。
「まあ、神さまは別として、夜のあいだ守ってくれた人たちへの感謝は俺にもあります」
グレンも以降は黙って飯にかぶりつく。
塩味。
味噌の風味と山菜の苦味が口に広がる。
山肌の雪を眺め。指についた米粒に歯をたて。
「もう春っすかね?」
水を飲む。
トントは猫の魔力で左腕を洗い流すと。
「んな気はしねえな」
夜になれば雪が降る。
時間もそんなにないため、束になった紙をグレンの前に置く。
「なんですこれ?」
「これさえありゃ、曲を知らなくても演奏できんだ」
手に取ろうとしたが、トントに腕を叩かれる。
「痛いじゃないっすか」
「せめて洗ってから触れ」
折り線が破れていたり、手垢でくすんではいるが、大切に使われていた。
「すんません」
水袋を使い綺麗に洗ったのち、服で良く拭いてから、相手がうなずくのを待って内容を確認する。
「読めねえっすよ」
「手紙は読むだけで声に出す必要はねえけど、こいつは演奏するためのもんだ。舞台役者が使う台本みたいなもんかねえ」
グレンもトントも演劇など観賞した経験がない。
「まあ、とりあえず読み方は追々教えるとして」
口笛で平坦にドレミファソラシドの音をだす。
「この音に感情を乗せんだがよ、込めるのはお前の気持ちじゃねえ。作者の思いを奏者が表現するんだ」
「……意味がわかんないっすよ」
人に教えた経験など彼にはない。
トントは頭を掻きながら、紙をめくり先日奏でたものを表に晒す。
「これは端的に言えば、子供を寝かしつけるもんだから、荒々しくしちゃいけねえ。でな、どの曲にも成り立ちってのがある」
トントが指さしたのは、遠くの景色。
「最初は山に陽が落ちた夕暮れ時」
言ったのち、口笛でその部分を奏でる。
一度演奏を止めると。
「次は今日なにがあったのかを、子供に聞く時間。俺の場合は夕飯を表現してる」
再び演奏を再開させる。
「陽は完全に暮れて、月の守り火が空と子供たちを包み込む」
グレンに曲の意味を伝えていく。
「眠りやすいように、子の腹を叩く人の母」
優しいリズムで、少しずつ沈んでいくように。
「夢見る子の髪をさすり、額に口づけを」
曲の締めは親の眠り。
グレンにも、その光景が脳裏に浮かぶ。
「そんな簡単に寝ませんよ」
「じゃあそういった所を、お前なりに表現すりゃ良い」
トントは右腕を凍らせると、鳥型の笛をくわえ、同じ曲を演奏する。
・・
・・
一行が荷馬車のもとに到着したころには、すでに面々がそろっていた。
コガラシ分隊はフィエルを含めた全員。
イザク分隊はボルガとメモリアの三人。
他に兵士が数名いる。彼らは恐らく、シンセロ以外の関係者。
ニノ朱火長は最終確認として、荷馬車の脇で商会員と書類ごしに会話をしていた。
どの属性かは不明だが、神官らしき者がホウドと積荷を見つめている。
門の外では、これから荷馬車を守る兵士と朱火。
一般分隊長のもとに向かい。
「おはようさんです。わざわざ有難てえ」
「いえ、グレンの恩人ですので」
彼の傍らにはフィエル。ガンセキは姿勢を正し。
「改めてお礼を」
「いえ」
一般補佐となった彼女は、ヒノキ山を眺め。
「必ず成功させましょう」
三人は力強くうなずいた。
セレスは責任者の許可をもらい、荷馬車のもとへ足を進める。
属性大隊長は大きな瓶を両腕に抱えていた。
「早くからありがとねぇ」
「よろしくお願いします」
ホウドより瓶を受け取れば、神官が一歩前にでる。
「手順の説明をいたします」
深くお辞儀をして、教えを受ける。
その様子をアクアは見守っていたが。
「グレンはいねぇんですか?」
「朝早くに出かけちゃったらしいけど、来るのかな」
振り返り見上げれば、やはり大きい。
「薄情な奴だなぁ」
「まったくだね」
凸凹コンビは気が合う様子。
「助けてくれて、ありがとう」
ボルガは荷馬車をみて。
「一番、堪えてたのはあいつなんだ」
「自分から何も言わないから、ボクらにはわかんないよ」
人と人との繋がりは、少しずつ重なっていく。
遺言に関する顔合わせのためか、確認を終えたニノ朱火長が、一般分隊長を探して歩きだす。
責任者は気を利かせ、挨拶ののちアクアの隣に立つ。
ボルガはメモリアに怒鳴られ、そそくさと走りだす。
やがて儀式が始まる。
皆が決められた位置につく。
進行は神官。
使い古した鎧をまとった人物が、見送る者と逝く者に感謝を伝え、届ける者たちの安全を祈る。
勇者は神官の導きのもと、積荷に清めの水をかける。
続いて馬車まわりの地面を濡らしながら一周。前方に移動し、神官に大きな瓶を渡す。
両手に清水が注がれる。
飲むかどうかは相手の意志。
「よろしくお願いします」
勇者の願いを汲みとったのか、力馬が口を動かした。
太陽の輝きが辺りを照らすなか、積荷が揺れはじめる。
門の外で待機していた者たちが、ゆっくりと荷馬車を包み込む。
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一人。皆と一緒に儀式に参加する男がいた。
濁った瞳には誰も映らない。
なにかを灯そうと、諦めずに目を開く。
何処を見れば良い。
荷馬車か、空か、太陽か。
答えは未だ果ての先。
道は見えず、振り向けど山の中。
解らず、判らず、分からず。
兵士たちは死を司る象徴を天に掲げていた。
皆の動きに合わせようと、両手剣を胸に持っていき、なんとか切先を伸ばす。
コガラシは去りゆく積荷に夢中で気づけない。
周りと同じ動作なのに、一人だけ明らかに外れている。
異変を感じ、遠目から観察していた。
「憧れだけが」
ゆっくりと瞼を閉ざず。
「先走るか」
ゼドは力なくうつむき、左右に顎を動かした。
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演奏を終えたトントに拍手をと思っていたが、彼は本音が口から出てしまうことがある。
「口笛の方が上手い気がするんですけど」
フエゴの忠告。
『本気でへこむから、本人に言っちゃダメよ』
申し訳なさそうに、相手の顔を横目で覗き込む。
「形が違ってるからよ、もう駄目かも知れねえけど、一応これ神具なんだわ」
右腕は氷の義手。
鳥の形を模した笛は手首の動きだけで、穴をふさげる構造となっている。
「この音じゃねえと意味がない」
失礼な発言に怒ることもなく、小さく肩で笑っていた。
すんませんと謝ろうとしたが、直前で思いとどまり。
「勉強になります」
気を良くしたのか、頼りなく「ケッケ」と笑う。
誘う音。捧げる音。願う音。畏れる音。
嘆く音。怒る音。喜ぶ音。
奏者は誰かに音を伝える。
荷馬車がこちらへと近づく。
トントは立ち上がり、グレンも習う。
「同じ曲だが、ここからは本来の解釈で演奏させてもらう」
作者の思い。
「山に陽が落ちる。これは噴火を意味する」
流れる溶岩。
嘆きから絶望へと。
希望は見えず。
それでも二本の足で、残された者は大地を踏みしめる。
後ろを振り向きながらでも良い。
歩け。
お前がどこにいるのかも解らない。
だからせめて、安らかに眠れ
古の子守唄。
何処かで、鉄を叩く音が鳴っていた。