三話 歴戦の猛者たちⅡ
トントに指示されたのは内壁の出入り口だが、昨日通ったのとは別の場所だった。まだ約束の時間より速かったため、兵士に頼み壁の見学をする。
レンガの時などもそうだったが、彼はなぜか壁が好きなようだった。
「これ魔法じゃないっすよね」
案内していた兵士はうなずくと、加工された岩に触れて。
「極力ですが、自然のものを使っております」
「六十年。いや、もっと古いか」
先人の失敗は決して無駄ではない。
「外壁があらかた整ったお陰か、今はここまで接近されることも少ないのですが」
隙間なく囲われているわけではないが、薄いカ所は警備が厳重になっている。
壁の内側。グレンはある装置の前に立つと。
「人力なんすね。てっきり玉具でも使ってんのかと思ってました」
兵士数名で木の棒を握り、それを押して回せば、大きな鉄製の扉が持ち上がる。
「玉具も使っています。小さな力を増幅させる装置らしいのですが」
詳しいことは兵士にも解らないとのことで、本来は数名の力で何とかなる重さではない。
「そんで固定しなきゃいけねえってことか」
ここのように持ち上げるタイプの扉は、人通りの激しい場所には向かないようだ。
「すごく立派な壁だってことは解ったけど、やっぱ効果が薄い魔物もいますよね」
祈願所で現れた馬などは、堀などがあったとしても跳び越えてしまいそうだった。グレンも黒膜化状態であれば楽に侵入できる。
彼は作戦初期の段階から、この地を守って来たのだろう。
「外壁ができる前は何度も突破されております。火炎団の皆様がいなければ、もっと大きな被害が出ていました」
今さっき本人に直接会った。
「属性大隊長はずっとヒノキに?」
レンガにて兵士たちを見送ったが、記憶の中ではホウドらしき人物をグレンは見ていない。
「なんどか戻られることはありましたので、ずっとでは」
戻った先はレンガなのか、それとも中継地なのか。あまり詳しくは言えないのかも知れないため、それ以上は聞かないことにする。
「すんません。もう少し早く到着できれば良かったんですが」
矢や魔法などを放てるよう、小さな穴があいていた。そこから外を覗けば、不格好な畑が伺える。
「いえ。どちらにせよ、まだ山の開拓なども終わっていないようですし」
レンガ軍にも派閥のようなものはあるのだろうが、ホウドはそういったものに所属しているのか。
一兵士からここまで成り上がったとして、その道が楽だとは思えない。少なくとも彼の剣は、とても汚かった。
「急にお邪魔してすんませんでした」
「こちらこそ大した説明もできず」
時々ホウドあたりが来るのか、グレンが現れても彼らはそこまで驚いていなかった。
外を覗けば、赤火と思われる者たちが、こちらに向けて歩いて来る。
・・
・・
到着した面々をグレンは外で出迎える。
彼ら彼女らは土埃や返り血で汚れているが、大怪我を負っている者はいない様子。
「おう、待たせたか」
中距離が主体のトントですら、これほどに汚れているのだから、外壁の先がどれほど危険かは理解できる。
「大丈夫なんすか、倒れたそうっすけど」
先ほど案内してくれた兵士は中隊長だったが、グレンが倒れたことを知らないようだった。その情報が伝わっているということは、やはりトントも相応の役職なのだろう。
「寝てなくて良いんすか」
「お陰さんで、たくさん休ませてもらいました」
チビデブは接近戦が主体。
「たぶん今は皆さんより体調優れてますよ」
転倒して肘を擦ったのか、その部分が草色に染まっている。片膝には布が巻かれており、わずかに血が滲んで痛々しい。
「ここにいるんだから大丈夫ってこんだろ。それによ、あんま大声で言ってんじゃねえ」
赤の護衛が倒れ、意識が戻らない。下手に口外すれば、士気が落ちるかも知れない。
「昨日の今日でもう仕事なんすね」
「すげえ怖いのがいてよ、中々断れねえんだ」
ラソンは人数を確認しているのか、扉の前でこちらに背を向けている。
指をさそうとしたが、失礼にあたると思い、持ち上げた腕をさげ。
「あれって……猿っすか?」
彼女の後頭部には、仮面が逆さまに取り付けられいた。
「ええ、ありゃ魔物具ですぜ」
猿面のまわりには茶色い毛が生えており、正面に持っていけば首から上が全て覆われる。
「生息地が限られる種だからよ、けっこう珍しいんだぞ」
「でも仮面魔猿じゃ、そんな身体能力は上がんないんじゃ」
大きさからして、単独の物でもない。
未来を占う。災害を占う。人を占う
「魔法が登場したせいか廃れてんだが、呪いとかに今でも使われてるな」
特定の相手に不幸を齎す。
「でも戦闘で使う変人はラソンくらいですぜ」
「どんな効果があるのかは、本人にでも聞いてみんだな」
身体能力は今でも男女で差があるものの、魔力まといの技術が高ければ充分に埋められる。
部下をまとめていたガラン。魔法が主体のガンセキ。片足のないギゼル。
道を歩く者ではなかったとしても、グレンは拳士だった。
「やっぱ強いんすよね」
「接近戦に関しちゃ、赤火で一番っすかね」
道具屋と出会った頃は別として、圧倒的な格上の相手とは、未だ手合わせをした経験がない。
チビデブがそのように認識しているのなら。
「そういうこっちゃな」
トントは平べったい容器を取りだすと、それをチビデブにあけてもらい、蝋燭に火を灯す。
「待たせといてあれだが、幾つか持ってくるもんがあってな」
煙草をくわえ、先端に着火したのち、肺に入れた煙を吐き出しながら。
「時間は取らせねえからよ、少し待っててくれ」
デブにお前はどうすると聞く。
「オイラもこいつの手入れしたいです」
戦う前に清めの水を使えば、ある程度の汚れは防げる。しかしこの玉具は戦闘の最中、なんども鞘に刀身を帰す。
「基本は熱を帯びてんで、血も乾いたり蒸発するんですが、やっぱ限界はあるんすよ」
金具の部分を外せば、内側も綺麗にできる仕組み。
玉具は刀身と鞘の金具部分だけで、それ以外は取り替えても、問題のない造りだと聞いている。
「もともとオイラには、荷が重いんすよこれ」
相手がいなくとも、借り物だから。
「せめて大切に使わねえと」
拵も、長く使えば手に馴染む。デブは現状のまま、脇差しを残したかった。
グレンは逆手重装を見つめ。
「職人さんも、そういった使い手のほうが喜びますよ」
「そうなら嬉しいっすね」
トントは煙草を二本指でつまむと、口から離して辺りを見渡す。
「じゃ、俺らは先行くわ」
後は任せたと叫び、チビデブを引き連れて歩きだす。残されたラソンは溜息を一つ、赤火の面々が集まるのを待つ。
・・
・・
全員が揃ったことを確認し、それを中隊長に報告すると、幾つかの注意事項を団員に伝えて解散させる。
一通りの役目を終えると、首の後ろに手を回し、面を取り外す。
現れた髪は猿よりも明るめの茶色で、そこまで長くはない。蒸れていたのかボサボサだったが、指で掻き分けたのち、グレンに向けて足を進める。
離れた位置から眺めた時は、背が高いのだと感じていた。
「お疲れさまです」
こうして近くで見ると、女性の平均より少し上な程度だと解る。
「おはようございます、良く休まれましたか?」
恐らく自分も前に出て戦ったのだろう。全身が汚れてはいたが、これといった怪我はみられない。
解散の音頭をとっていた時にも感じたが、彼女の口調は厳しいものではなく、どちらかと言えば穏やかだった。
「はい。皆さんが守ってくれたお陰もあり、安心して寝させてもらいました」
「ありがとう」
無表情でもなく、グレンの返答に笑顔だって向けてくれる。
「そう感じてもらえたなら、我々も頑張った甲斐があります」
接した感じではとても暖かな印象だが、それでも身が引き締まるのは、恐らく声のせいかと思われる。
「トントさんが無理を言ったようで」
女性にしては低い。
「最初に依頼したのは自分ですし、気にしないでください」
「今後もし余裕がなくなるようでしたら、私に言ってくだされば、トントさんに伝えますので」
しゃがれている。または濁っている。
お世辞にも綺麗な声ではないが、耳の奥に響く。
グレンは感謝の気持ちを動作で示しながらも。
「その時はちゃんと自分で言いますんで」
トントやデブとの会話より、正直緊張していた。
「あと、これなのですが」
恐らく先ほどのやり取りが聞こえていたのだろう、ラソンは仮面を見つめていたが、それをグレンに向けると。
「気持ち悪いでしょう」
「いえ、まあ」
元の魔物があれなのだから、凄く不気味だった。
「使われている素材は頭部の毛皮と頭蓋です」
顔面を引き剥がしたわけではない。
「効果とか、教えてもらっても大丈夫ですか」
「そこまで身体能力が上がりはしないのですが、なんと言いますか、戦いに集中できます」
嫌な予感がした。
「もし良ければ、持たせてもらえますか?」
「いえ、その……汗臭いので」
彼女も女性で、恥じらいは残っている。
「すんません」
配慮の足りない発言だった。しかし、このまま終わらせるには。
「もしそれが感情を削るといったものでしたら、多分かなり危険な魔物具になります」
死の力を身につけた者は、大概が愚かな人生を歩む。これはセレスより得た知識。
「実際に使用している身ですので、そこら辺は理解しているつもりです」
あの魔物自体が普通ではないのだから、安全なはずもない。ラソンは失った片目に手を添え。
「素の状態でも訓練はしているのですが、ここぞの時に遠近感の狂いがでてしまいまして」
グレンは一歩後ろにさがると、片目を閉ざす。
「俺にもなんとなく解ります」
ラソンは頷くと。
「自分の間合いは把握しているのですが、どうしても若干ずれてしまいます」
個人的には逆手重装に関して教えたくないのだが、お礼はしなくてはいけない。
「これの元になった魔物、隻眼なんすよ」
左腕をゆっくりと前に伸ばす。
「恥ずかしながら、道具の力に頼ってしまいました」
「んなこと言ったら、俺なんおんぶに抱っこですよ」
ラソンは微笑み、より一層響く声で。
「そうは見えませんが」
照れたのか、グレンは後頭部を掻きながら。
「まあ、これでも一応拳士の端くれですんで」
「道具に頼っても、お互い溺れずにいきましょう」
恐らくだが、同等かそれ以上。
ラソンは一歩離れ。
「最近は仕事続きで中々鍛錬が出来ないのですが、もし時間が合いましたら」
「はい。俺からもよろしく頼んます、御一緒させてください」
互いに頭をさげ合ったのち、女性は面を抱えながら歩きだす。その背中を見つめながら。
「俺も人のこと言えんけど」
仮面魔猿の被り物に、両腕のガントレットは凄く不気味な風貌だった。
それでも。
「格好良いな」
グレンにはあそこまで、歴戦の気配は出せない。
見渡せば、まだ赤火の連中は残っていた。
一目で実力を図れるわけではないが、それでも赤火は単独専門で四人行動。
宝石玉具を複数扱う者もいれば、色のついた鋼を得物とするのも数名伺える。
「こいつら……やばいだろ」
狙われろば、全力を出した勇者一行でも、間違いなくただでは済まない。
火炎団。
「あのっ!」
ラソンが振り返る。
「一の朱火長と手合わせしたことってありますか」
女は悔しそうに笑いながら。
「強いです。私では歯が立ちません」
初代団員において、中距離と近距離を受け持った人物。
「マジっすか」
もう一度お辞儀をして、ラソンは去っていく。
昨日通った出入り口は荷馬車などで混雑している。本来この方面は兵士が守っているため、彼らの到着を待っているのか、ここの扉は上がったままになっていた。
数分後、トントの姿を遠目に確認する。
魔法陣の明火長。
魔獣具使いの赤火長。
着火眼のハゲ。
接近戦において、圧倒的な格上と思われる一の朱火長。
今後どれほど忙しくなろうと、彼との笛の練習は。
「最優先だわ」
刻亀討伐に向けて、勇者一行は本格的に動きだす。