二話 親
扉が締まる音に反応し、抱きつかれたことで意識を完全に取り戻す。アクアは片目をこすりながら身体を起こす。
「あっ ごめん、起こしちゃった」
謝りながらも「にへへ」と笑っているため、あまり反省しているようには思えない。それでもアクアとしては、こんな彼女の方が好きだった。
「グレン君は?」
「でかけちゃった~」
最近は元気もなく、グレンが嫌がるためアホっぽい喋り方は控えていた。
「まったく、人の気も知らないでさ」
「アクアは何だかんだで、いつも優し~ねえ」
可愛い子ぶるというよりも、それは自分が馬鹿だと認識させるための口調。どちらかと言えば、アクアの方が少し作っている。
机で寝ていた状態でも、ガンセキほど身体は凝っていないのだろう。元気よく身体を伸ばせば、眠気も一緒にどこかへ消える。
「もしかしてセレスちゃんってさ、メモリアさん目指してる?」
「ふえ?」
あの女性。話し方や動作だけは可愛い子ちゃんだが、周りの兵士たちを怯えさせていた。
「憧れるけど、私あんな格好良くはできないな~」
「格好良い……のかな?」
弱肉強食とか言っちゃう人物である。
「うん。メモリアさん、格好良いと私は思うよ」
「そっか」
アクアは立ち上がると、窓際まで足を進め、外の様子を確認する。
「まだ暗いや」
気づけば男部屋の扉が開いていた。
「あの人は恐らく、女を捨ててるぞ」
最初の挨拶くらいしか出来てないが、赤火のラソンという女性以上には。
「ダメじゃないか、女の子の話しを盗み聞きしちゃ」
「すまん」
だがセレスは興味を持ったようで。
「ピリカさんはどうなのかな?」
「彼女の内面に関しては、俺にも良く解らん」
口には出さないが、必要であれば女を交渉の材料に使いそうだが。
「やっぱ強くなるなら、女は捨てなきゃダメなのかな~」
「そこら辺は俺も専門外ではあるが、フィエルさんは立派な方だと俺は思うよ」
ただ責任者として、言っておきたいことはある。
「恥ずかしながら経験豊富とは程遠いが、恋愛は人生を変える」
ガンセキは小説を好んで読む。その内容はフィクションもあるが、実在した人物をモデルにしたものもあった。
「色恋沙汰なんて言葉があるくらいだ」
「ボクらの元になった三神さまのことかな?」
嫉妬・恨み・依存・恐怖
「負の感情と言われるが、どれも必要なものだ」
洗脳は歴史に欠かせない。
「恋愛に限らず人と深く関われば、大小の危険は避けれない。救われる切欠にもなれば、転落に繋がる時もある」
少なくともガンセキは救われた。
このような会話をしたことがなかったから、セレスは「うへへ」と笑いながら。
「ゼドさんは、どっちだったのかな」
彼女も馬鹿ではない。時折彼が、自分と誰かを重ねていると気づいていた。
「さっきグレンちゃんに言われたんだけどね、中身は意外とまともなんだって」
同じ勇者だからか、込められた感情は。
「あくまでも個人の意見だが、剣さえなければ人格者だ」
アクアは窓から花瓶の水を捨てると、魔法のそれを新たに注ぐ。
「剣道の果てってさ、なんだったのかな」
話すからには、仲間にも伝わると知った上だろう。
本当は世界など、どうでも良かったのではないか。
「グレンから聞いた内容を察するに、両親への反抗か」
「馬鹿みたい。それただの思春期じゃん」
セレスの発言はゼドだけでなく、別の相手への嫌味も混ざっていた。
「親が憎いとか、ボクには理解できないよ」
勇者の村で育ち、レンガという都市しか知らないのだから無理はない。
「世襲というものがあってな、人によっては一生を引きずるものだ。それにな、全ての親がまともとは限らん」
病が発症し、子を殺す親もいる。
「でもセレスちゃんの言う通りでさ、歳を重ねたら認識も変らないのかな」
ゼドなりの重要な役割が用意されていたかも知れない。
「気づいたときにはもう、引き返せない場所に立っていることもあるんだ」
少なくとも勇者と出会ったとき、彼はすでに剣士として死んでいた。
ガンセキには責任者として、勇者と二人を死なせないという目標がある。
「恐らくゼドさんは、実力不足が原因で諦めた訳じゃないのだろう。剣道の果てというのを、自分で決めれるならもっと楽なんだがな」
単純に強くなりたいとかであれば、果てしない道のりだとしても、迷いづらいのではないか。些細な切欠で、それが崩れてしまうこともあるが。
「言ってしまえば、そんなくだらん意地など、下手に持たん方が賢明だ」
「グレンちゃんも、諦めてくれろば良いのに」
花の手入れを終えると、アクアは振り返り。
「無理だよ」
セレスを睨みつける。
遺書を読んだのだから、彼女も理解はしているのだろう。
「私なんかより、ずっと危なっかしいと思うんだけどな~」
「だからさ、あいつ自分のことしか考えてないんだって」
どうしたものかと溜息をつく。ガンセキは気をとり直して。
「一時間くらい休んでおけ」
この地で散った命。
「夜更かしのせいで、お肌荒れちゃった」
セレスは自室に戻る。ちゃんとした身なりで見送りたいから。
「けっきょくさ、ボクらに心配されて、なんだかんだで喜んでるんじゃないかい?」
アクアは椅子に座り、あごを机につける。
「そうかも知れん。あいつは嘘つきだが、ちゃんと本音も隠すからな」
俺は構ってちゃんだと、自分で言っていた記憶がある。
自室に一人。扉を締めたまま動かない。
「本当に馬鹿だよ。ちゃんと助けてって言わないと」
相手には伝わらない。
・・
・・
逃げるように飛び出したグレンは、なにかを探して周囲を歩いていた。
男部屋、女部屋。そして出入り口の扉。ほかにもあったかも知れないが、多分室内にそれらしきものはなかったはず。
「……やばい」
建物自体はここ最近のものだと思われるし、全てに設置するのは難しいのではないか。
辺りを見渡せば、巡回している兵士が数名いた。本当は自分から話しかけるのは苦手だけど、今は緊急事態だった。
「すんません、トイレってここらにあります?」
グレンに気づいた相手は姿勢を整えると。
「たしか勇者様の宿舎の裏手に」
あったのかよと心の中で突っ込むが、今さら戻れない。
「ちょっとくらい遠くても良いんで、屋外のがあれば」
指をさして大まかな場所を教えてくれたため、お礼もそこそこに走りだす。
こういう時はまだ大丈夫だと思うより、やばい出そうと考えた方が、我慢できると聞いたことがあった。
掛け声は「漏れる・出る・やばい」の三拍子。
着実に足を進めていくが、もう周りの景色を眺める余裕はない。
力を込め続ければ、それだけでも疲労は蓄積する。そんな時は数秒緩めるのが肝心だと、どこかの糞好きに教わった記憶があった。
肛門筋を締めながら走っていたが、そろそろ限界が近づいてきた。
今は一歩一歩を慎重に、顔を出した太陽がこんにちわをしないよう、力の入れぐわいを調節する。
やがて目的地が視界に映る。砂漠にオアシスといった表現はありきたりだが、今はまさにそれ。
先客がいれば恐らくアウト。悲しいことにセレスのいるあの場所へ、泣きながら戻らなくてはいけなくなる。
グレンは悲壮の決意をする。
「もしもの時は、ガンセキさんに慰めてもらおう」
到着した。少し臭う建物の扉を、恐る恐る確認する。
「神よ」
こんな時だけ祈るのだから、都合の良い神さまだった。しかし願いは通じたようで、使用中の札は裏面だった。
個室に入り内側から鍵をすれば、そこはグレンだけに許された楽園となる。ベルトをゆるめズボンを下げるとき、腰袋の有無で難度も変化するが、幸い今はすぐに戦闘態勢に入れる状況。
歓喜を開放と共に声にだす。
「ぼっとん」
綺麗とは程遠い場所だが、掃除はされているようで、飛び散った液体は少ない。
こんな所でもちゃんと尻拭き紙が備え付けられているのだから、輸送部隊さまさまと言えるが、最悪水だけでも良かったりする。
紙は便器ではなく、別に用意された箱に捨てる。
「衛生面に気づかうのも、楽じゃないな」
これだけの人間が生活していれば、排泄物以外のゴミも出るだろう。自然を崇拝するこの世界において、環境の維持は重要な項目だった。
「流石に遺体と一緒には持って帰らないか」
グレンとしては積荷はゴミのほうが良い。
命がけの旅路を終え、安堵の表情でズボンを上げる。急いでいた所為もあり、少し汚してしまったため、紙を一枚とって綺麗にしておく。
「トイレに感謝っと」
外にでてはじめて気づく。まだ雪が少し舞っていた。
建物の脇には水瓶と柄杓。喉が乾いているが、あまり飲みたくはない。
「冷て」
水使い。彼らの存在こそが、豊かな生活の象徴なのかも知れない。
不潔なお手々を洗い流し。
「アクア様々だわ」
その様子を見ていた兵士が、ゆっくりとグレンに歩み寄る。
「良けりゃ、これ使うかい」
布切れを貸してくれた。
「あっ すんません」
お礼を言って返すと、兵士は夜明けの空を見上げながら。
「しばらく動かない方がえぇよ」
兵士に習って眺めれば、何本もの赤い線が空を翔ける。
「鳥ですか?」
「レンガじゃ滅多にないんだがねぇ」
ここは他よりも少し高い位置にあり、近場には見張り台。
「刻亀の所為ですかね」
「同じ魔獣王の領域内だし、飛龍も手は出せんと思いたいのぉ」
世界はそれなりに広いため、出現する確率は元々低い。
「やっぱ土の領域には反応しづらいんすか?」
「そうらしいよ。まぁ、ワシ土使いじゃないから、そこらへんは責任者にでも聞いとくれぇ」
見張り台には数名の兵士がおり、照明玉具でなんらかの合図を送っていた。どうやら彼らが受け持つのは、一つの方面だけらしい。
「特に夜間は内側でも気は抜けねぇなぁ」
望遠鏡は玉具ではないが、魔物具らしき物を身に着けている者もいた。
「遠くの空までは見えないっすよね」
「魔物の中には夜目が利くのもいらぁな」
時間からして朝食の準備でもしているのだろう。兵士は空に昇る煙を指さして。
「あの鳥とか、素材としてどうじゃい」
「でも狩るのすげえ難しいから、結構な値段するんじゃ」
グレンは未だ飛行属性の魔物を倒した経験がない。
見張り台下の建物には、結構な数の兵士がロッド持ちで待機していた。接近してくる鳥に気づけば、すぐに駆け付けられるよう、勇者やお偉いさんの宿舎はここにあるのだろうか。
「気遣い感謝します」
「おうよ、足止めして悪かったねぇ」
数分後、魔物は逃げたようで、空の彼方へと消えていった。
「赤の護衛でグレンです、よろしくお願いします」
彼の地位となれば戦闘に参加することもなく、レンガでは軍服あたりを着ているはず。しかしその兵士は年季の入った鎧を装備しており、型が古いのか少し見てくれも違う。
「いやぁ 朝の散歩がてら、挨拶できてえがった」
杖代わりの剣は錆びているのか、抜くのが大変そうな代物。
身長はグレンよりも頭一つほど小さく、体格も筋肉質ではない。
年齢は六十前半といった所で、特徴といえば横だけ残った乾いたハゲ頭に、白混じりの無精髭。酔っ払っている様子ではないが、鼻頭と頬が気持ち赤みを帯びている。
今は地べたに置いた荷物から、なにかを取り出している。立つと同時に腰を叩き、包みを持ってグレンの前に。
「会話もできたし、もう改めての顔合わせはええよ」
これが彼なりの出世術なのか、人が苦手なグレンもあまり緊張はしていない。
「赤の護衛さまもやること一杯あるだろうし、鬼婆にはワシから伝えとく」
恐らく一般大隊長かと思われる。
賄賂を渡すかのような手つきで包みを持たせ。
「良い身体してんねぇ、頼もしいじゃないかい」
ベタベタとグレンの身体を触る。
「見た目だけは立派なんすよ」
あまり期待されても困る。
「お互い厄介事を背負わされたどうし、仲良く頼みますわ」
刻亀討伐の総責任者。
「頑張ります」
「まあ、ワシ失敗しても引退するだけだし、あんま気負わんでええょ」
そう簡単にはいかないと思うのだが、肩の力が程よく抜けた気がした。
老兵士は背を向けると、足もとの荷物を左腕で抱え。
「そんじゃ、散歩の続きすっから、赤の護衛さまも一日張り切っていきましょ」
汚い剣を杖がわりに、見張り台へ向けて一人歩きだす。
グレンの手には包みに入った握り飯が二つ。
「そういやなんも食ってなかったな」
あまり食欲はない。
トントに言われた地点に向けて、空を見ながら足を進める。いつのまにか、雪は止んでいた。
「親父なんぞ」
年老いた兵士の背中を思い浮かべ。
「お前、知らないじゃねえか」
グレンは嫌味な表情で、すこし誇らしげに笑っていた。