十二話 遠くの山に日が落ちる
こちらは二話投稿の二話目です
眠る都市にて夜の仕事を終え、一度帰り睡眠をとると、金を払い修行場に入る。
「やっぱ今日も、お前さんだけのようですぜ」
黄土の敷かれた軍の演習場だが、一般にも開放されている。しかし昼時ということもあり、人はまばらだった。
「仕方ありませんよ、皆さんも無償では鍛錬などしたくないですし」
月に数度だが修行場は本来の姿に戻り、小隊から中隊規模で訓練をするが、それには確りと時間で給料が支払われる。
「無償どころか自腹でさあ。まあ、命は値段じゃ買えねえと思うんですがね」
「誰かさんの変な特攻癖がなければ、私もこのようなことは不要だと考えておりますが」
コガラシは苦笑い。
「こりゃまた手厳しい」
「それでもせっかく金を払ったんです。無駄話で終わらせたくないので、今日も付き合いますよ」
鎧も鎖帷子も装備してないが、支給された片手剣だけは持ってきていた。
「嬉しいねえ。そんじゃ、手合わせ願いまさあ」
コガラシが鞘から剣を抜いた瞬間、シンセロは腰が引けてしまう。
「いつでもどうぞ」
「どうぞってねえ」
構えを解き、少し呆れっ面で。
「補佐さんの全身から、弱い人特有の何かが滲みでてますぜ」
本当にこの男は嫌なことを言う。
「その自覚があるから、私も馬鹿にならない使用料を払って、貴方と鍛錬してるんじゃないですか」
「こりゃ面目ねえ。鍛錬ってこと、すっかり忘れてやした」
ダメな分隊長は剣を鞘に戻すと、身体の曲げ伸ばしを始める。
「じゃあまずは、基礎体力からつけやしょう」
剣より先にやるべきことが沢山ある。
「走るのはあまり好きではないのですが」
「まあまあそう言わず。とりあえず一時間くらいですかね、あっしも付き合いますんで」
このように始まった訓練だが、日を追うごとに参加者は増えていった。
周りが確実に上達していくなか、一人だけ取り残されていったが、それでも止めなくてよかった。
少なくとも以前の自分なら、このような山道を歩くことは無理だったはず。
祈願所から離れ、三時間ほど進むと舗装された道にでた。
この黄色い土を見て、修行場での出来事を思い出していた。
最近の雨で水たまりもできているし、石どころか岩も転がっている。だけど、黄土とは確かに便利なものだった。
手で触れても、ほとんど水分は感じられない。これなら荷馬車でも、なんとか通れそうだ。
「シンセロさんっ!」
気づけば誰かが呼んでいた。
どうやら、いつの間にか倒れていたらしい。
「すみません。ちゃんとした道にでて、少し気が抜けてしまったようです」
傷口がもの凄く痛かったが、不思議と今はそこまで困っていない。
「大丈夫っすか?」
「はい。ただ足に力が入らないので、肩を貸してもらえますか」
グレンだけでなく、他の面々も駆け寄っていた。
「おめえは休んだほうが良い、肩はおれが貸すんだな」
「自分の体格みてから言いやがれ、お前じゃ腕が回らねえだろ」
確かにボルガでは、身長の差でシンセロが辛くなる。
「とりあえず立てるかしら?」
フィエルが脇に手をいれる。
「俺にもつかまってください」
「……はい」
グレンの首に腕を回す。
「歩けますか。体重かけても良いんで」
「ありがとうございます。これなら、なんとか歩けます」
先を歩くフエゴは立ち止まっていた。離れた場所で赤火の面々が様子を伺っていたため、手を上げて大丈夫だと合図を送る。
「もう舗装された道に入って、三時間くらい過ぎてんだけどね」
シンセロの認識では、今さっきということになっていた。
「自分の経験上、あれは厳しいだす」
「それ、グレンちゃんには言っちゃダメよ」
みっともない格好だが、ゼドは真剣にうなずいた。
・・
・・
前もってフエゴが予想していたとおり、攻撃してくる魔物はいなかった。ある程度こちらが近づくと、どの個体も逃げていく。
しかし下手に動きを止めると、縄張りを刺激する危険があるため、休憩は十分以内で終わらせる。
速度はとても遅かったが、確実にヒノキへと近づいていた。
ゼドは警戒の要であるため、一般補佐を支えるのは、ボルガを除いた三人が交互に受け持つ。
気づけば時刻は十五時を回っていた。
「すみません、グレンさんも体調が悪いでしょう」
「気にしないでください。もとはといえば、俺のせいですし」
本当は朝の時点で、左腕が痛い。
「誰のせいでもないですよ。遭難の切欠は、たしか熊だったはず」
足をもつれさせ、グレンの腕に体重が掛かる。
寄り添う二人の後ろを、フィエルは見守っていた。ふと、彼らの足もとをみて、視線を反らす。
「もう痛みは感じないのですが、どうも力が入りません」
「大丈夫っすよ、足はちゃんと動いてますんで」
グレンは地面に落ちたそれに気づかない。気づきたくない。
移動速度は明らかに遅くなっていた。いつの間にか、フエゴとゼドがこちらを見ていた。
二人がなにを喋っているのか、シンセロには解らないが、何となく自覚してしまった。
青ざめた表情で地面を見たまま。
「すみません、グレンさん」
「なんすか」
その瞳はもうどこも捉えていない。
「今のうちに伝えたいことがあるので、うちの分隊長を呼んでもらえますか」
「ここにはいないっすよ」
アホなことを言ってしまった自分に、シンセロは苦笑いを浮かべると。
「一度、座らせてもらえますか」
「日暮れまで時間がない、頑張って歩いてください」
虚ろな目には、なにが映っているのか。
「お願いします、時間がありません」
しばらくの沈黙。
グレンはフィエルに声をかけ、一団の動きを止めてもらう。
・・
・・
これまで山の中だというのに、ひらけた場所は通ってこなかった。
傾き始めた太陽が、遠くまで照らしている。
誰かが一つの山を指さして。
「あれがヒノキっすか?」
「たぶんそうね、まだ雪がすこし残ってるわ」
もう景色を眺める余裕もないのだろう。切り株の幹に背をもたらせると、シンセロはうつむいたまま。
「私の荷物を取ってもらえると。中に紙とインクが入っています」
グレンの救出に失敗すれば、言い訳を用意しなくてはいけない。報告書を提出するため、彼は細かな内容を常に記録していた。
鞄を持っていたボルガは、その中に手を突っ込むと。
「これで良いのか?」
「ありがとう」
デブはいない。気づけばトントだけが様子を見にきていた。
「近くに群れがいんだ、できれば早くしてくれ」
「申し訳ありません。できる限り、早く終わらせますので」
文字をかこうとするが、震えてしまうためフィエルに代筆を頼む。
銀行とまではいかないが、レンガには預かり所というものがあった。
「私が借りている倉庫の権利を、コガラシさんに譲りたい」
ここに印鑑はないため、自分の血を指につけ、それの代わりとする。
フィエルの書いた文面を確認したのち。
「一応、これで私の意志は示せるかと」
「正気なの?」
下を向いていた顔を、さらに落とす。
「五桁の数字はフィエルさんにのみ伝えるので、コガラシさんに教えてください」
「おいおい、同じ分隊でも赤の他人だろ」
トントには考えられない行為だった。
「保証人というか、預かり所を利用する場合は、契約時に戸籍を書かなければいけません」
故郷の村。
「もし料金の支払いが数ヶ月滞れば、私にはレンガに兄弟もいないため、村の方に連絡が行くはずです」
保管していた物の内容を確認され、彼の故郷が受け取りを拒めば、預かり所または都市に所有権が移る。
受け取りを望んだ場合は、村の者が自腹で取りに行く。一年待ってそれがなくても、所有権は移される。
「本当は私だって、誰にも渡したくない」
兵士は給料を村に送るのではなく、自動的に故郷へと流されていた。
「これまで貯めてきたのは、戸籍を都市に移すのに必要な、準備金やその他諸々でして」
ただの村人は頭を掻きむしりながら。
「俺の金なんだ」
隠そうとしても、その無念は滲みでる。
「これだけは、死んでも村に流したくない」
都市の人間になるために、どんな理不尽にも心を殺し、今日まで頑張ってきた。
「好きにすれば良いのよ。お兄ちゃんの金なんだからさ」
恵まれた故郷だったのだろう。フエゴには彼の気持ちは理解できない。
グレンには泣き崩れる人物を、呆然と見つめることしかできなかった。
・・
・・
番号をフィエルに伝えるため、周りには少し離れてもらった。
「あいつに教えればいいのね」
「はい」
泣きつかれたのか、今はもう生気を失っていた。
「私は都市出身の人が嫌いでして」
「なんとなく解るわ」
ですがとシンセロは加える。
「あなた方にも、色々と事情があることを、この一年で知りました」
「そうね。理由がなければ、こんな仕事誰もやりたがらないわ」
婚期が遅れるし。
「コガラシさんは都会の出身ではありません」
フスマの出身だとフィエルは聞いていた。
「貴方はあいつの事情を知っているの?」
自分には話してくれたことなど一度もないのに。
シンセロは苦笑い。
「話してもらったのではなく、話させました」
魔法を使えるのに、それを使わない分隊長。
「フィエルさんは気づいてると思いますが、あの人は戦いの中で魔力をまとっています」
話させなければ、彼は信用を失っていた。
「そうね。詳しくはわからないけど」
「彼の父親は風使いでして、剣国から家族で移住されたそうです」
表向きは風使いを増やすため。
「彼らは迫害を受けておりまして、王都への途上で襲撃を受け、父親が殺されたと聞きました」
「そんなこと教えていいの?」
シンセロは脇腹を押さえながら、人の悪い笑みを浮かべ。
「誰にも言うなと念を押されています」
「そう」
どうせもう怒られることもないのだから、彼からすれば知ったことではない。
コガラシが自分だけに教えてくれたこと。
「いつも肌に離さず持っている短刀ですが、母親を守れと託されたそうです」
今度はフィエルが苦笑い。
「約束を放棄してるわね」
親不孝なこれまでの行動。
段々と、喋るのも辛くなってきた。
フィエルの書いた紙を指さし。
「この金を使うに当たり、条件があります」
片手剣を左手で触れる。
「これは支給品ですが、コガラシさんに渡すよう、話を通してください」
安物でも良い。
「母親の治療費であまり金がないそうなので、これで宝玉具を買うよう」
質は劣るかもしれないが、チビデブの篭手と同系統の物。
「わかりました。私が責任をもって、シンセロさんのお金を使わせます」
「よろしくお願いします」
やっておくべきことは、これで一通り済ませた。
シンセロは滴り落ちる血を気にせずに、その場からゆっくりと立ち上がる。
「まだ諦めたわけではないので」
「ヒノキまでもう少しです、頑張りましょう」
あそこまで行けば、それなりの治療は受けれるはず。
フィエルは人を集めると、移動を再開させた。
・・
・・
もうシンセロは歩くことができなくなっていた。
まずはボルガが彼を背負う。
グレンはその後ろで、移動を続ける二人を支える。
「焦るな、ゆっくりで良い」
「んなこといったってよぉ」
先ほど動きを止めてしまったせいで、魔物の群れが近づいてきた。そのため今は赤火が戦ってくれていた。
土の領域で周囲を探っていたゼドは、小走りで三人に駆け寄ると。
「大丈夫だす、四人でちゃんと防いでくれてる」
フィエルは片手剣を鞘から抜いていた。
「もし突破されても、私たちがなんとかするわ」
オッサンは心増薬の残量を確認しながら。
「今日くらいはあるのよね」
シンセロを慎重に背負いなおすと、ボルガは移動を再開させる。
数分後には、魔物も静かになっていた。
・・
・・
一般補佐を地面に下ろす。支えるが、なんとか立っていられる程度。
「ここからは俺が背負うんで」
「……すみません」
ボルガの手を借りて、グレンはシンセロを背負う。
左腕が痛い。
重力には慣れていたが、あれは均等に重さが増すため、人を背負うのとは少し違う。
「ほんと、この道を選んで正解でしたよ」
悪路といえば悪路だが、黄土のお陰か靴底も沈まない。
背中が暖かい。
「グレンさん」
「なんすか」
背中が濡れていて、生暖かい。
「自決できれば、皆さんに迷惑をかけることもないのですが、未練が多くてそのような勇気はもてません」
「そんな勇気は要らないんで、ちゃんと掴まっててくれ」
首に巻かれた両腕がきつく締まる。
「もし都市の住民になれていたなら、兵士をやめて安全な仕事を探したいと考えておりました」
「シンセロさん、兵士には向いてないっすからね」
背負っていればわかる。
「ですが最近は、このまま続けても、良いかと思っていたんです」
その臭いは独特なものだった。
「あの人ね……私がいないと、なにもできないんですよ」
「心配っすね」
なんとなく、グレンには良くわかる。
「言うべきことも、特に思いつかないのですが、せめて直接なにか」
本当はもっと別の返事があるのだろう。
だけど彼には、これしか言えない。
「大丈夫です。シンセロさんが居なくても、コガラシさんはなんとかなるはず」
グレンの肩に当たっていた顔が、うすく笑った気がした。
「それはそれで、すこし寂しいですね」
「あんたが守ってきた分隊の連中もいるんだ、大丈夫だって信じるしかないだろ」
もう信じるしかない。
遠くの山に日が落ちる。
先ほどよりも、ずっと重く感じる。
「そうだ」
なにか思いついたのか、グレンは顔をあげると、先を歩くフエゴに声をかける。
「赤火の人に先いってもらいましょう。そんでコガラシさんを呼んできてもらえば」
「そうね。でも、もう間に合わんよ」
フエゴは振り向かない。
少しずつ、シンセロがずり落ちていく。
「今日中の到着は無理らしいです」
頑張って背負い直すが、左腕に力が入らない。
「おいデカブツ、悪いけど変わってくれ」
返事がない。
「ボルガっ!!」
叫んでも返事はない。
「ったくよ」
シンセロに気を使わせてはいけない。
「まあ、俺はまだ大丈夫なんで、もうちっと力いれて掴まってもらえると」
それでも腕は垂れ下がったまま動かない。
虚ろな表情をそのままに、黙々と歩き続ける。
少しすると、グレンは石につまずき転倒した。
「すんません、大丈夫っすか」
自分に覆いかぶさったシンセロの腕を固定すると、もう一度背負い直そうとする。
「痛いと思いますが、もう少しなんで辛抱してください」
返事はない。
誰かが止めさせようと、青年の肩に手を置こうとした。それを振り払い、相手を睨みつける。
「くそっ!」
もう一度背負おうとするが、力が入らずに崩れ落ちた。
シンセロが地面に転がる。
トントがグレンを見下ろしていた。
「もう満足したか」
道の真中に伏せたまま、グレンは左右に頭を動かす。
「そうか。俺としては日が暮れる前に、そいつを送ってやりたいんだが」
見上げれば、トントの左手には笛が握られていた。
グレンは身体を起こすと。
「よろしく、お願いします」
頭をさげる。
・・
・・
道から少し外れた場所で、一団は今日の寝床を確保した。
すでに準備は整っていた。
フィエルは祈りを捧げる。
ボルガは声を殺して泣いている。
ゼドは儀式には参加せず、少し離れた場所から、岩を背もたれに見守っていた。
トントは右肩を天に翳すと、魔獣に願い氷で再現するが、それは人と猫が混ざった不気味な腕だった。
「俺に合わせろ」
願いか、それとも命令か。しばらくすると形状が変化する。
赤火長は右手の指をなんどか動かしながら。
「俺はもともとこれが本職でね」
冠婚葬祭
「悲しいことから嬉しいことまで、こいつだけで表現してきた」
このままでは穴を塞げないため、黒布を右手に巻きつける。
「まあ、こんなんなっちまってな。とてもじゃないが、人に聞かせられるもんじゃねえ」
それでも心を込めて演奏したい。
「送り専用の曲があるんだが、俺はいつも子守唄を使わせてもらってる」
滅多に見れるものではないのだろう。赤火の面々も、その光景を見守っていた。
赤の護衛はその場に屈むと、遺体に両手を添える。
呼吸を調え、神に言葉を送る。
「紅蓮の炎よ。どうか、安らかな眠りを」
燃え上がった剛炎に乗せて、笛の音色が山に響く。
遠くで眺めていたゼドのとなり。
「フエゴ殿はいかなくて良いんだすか?」
「ここで良いのよ」
目を閉じれば、安らかな音。
「上手だす」
「こんなもんじゃないんだけどね」
送り火の曲。
本当は難しくて、もうトントには満足のいく演奏ができない。
「あの馬鹿は煙草の吸い過ぎなのよ」
「それでも上手だすよ、少なくとも」
自暴になりながらも、これだけは練習してきたと、ゼドにも伝わっていた。
「今夜はたぶん、雪は降らなそうだす」
とても暖かな笛の音は、遠くまで鳴り響く。