十話 赤火との出会い
熱湯につけた道具。温度を冷ましたいのか、雪がポタポタと落ちては消える。
ドーム型に固定された布を口もとに置き、液体を染みこませれば、しばらくしてシンセロは意識を失う。
血のついたガーゼは、もう用済みとばかりに、地面へと投げ捨てられる。
無理やり塞いだ傷口には、感染症予防に湿った布を当て、包帯できつく巻いた。
清水に麻酔。この二つが現れただけで、かなりの発達があったのだろう。
フエゴは専用の手袋を外し、額の汗をぬぐうと。
「三時間もすれば、本人も目覚めると思う」
麻酔といっても元は毒。
ずっと見守っていたフィエルは、シンセロの顔を覗きこみ。
「意識が戻ると願うしかないわ」
所詮はその場凌ぎ。致命傷ではなかったとしても、出血量から判断するに、決して浅い傷ではなかった。
「内蔵まで届いてないと祈るしかないね」
自分の処置が正しいかどうか、彼には解らない。
「まあ、やれることはやったさ」
あとは神のみぞ知る。
フエゴは立ち上がると、壁上で警戒をしている男を見て。
「とりあえず、魔物の波は過ぎたんじゃない?」
「そうね。今はだいぶ落ち着いてる」
雪で狂うといっても、これではさすがに絶滅してしまう。
「今夜さえ乗り切れば、何日かは安心なのよ」
魔物も疲れ果てて動けなくなる。
フィエルは地面に手を添えながら。
「ここに四名ほど向かってるわ。残りの二班はもう少し時間が必要ね」
わずか二人の援軍でも、彼らの到着で形勢は逆転していた。
「助かりました」
脇差しにより魔物の動きを鈍らせ、見たことのない氷魔法で一気に終わらせる。
「冗談抜きで、火炎団はすごいと思うわ」
感謝はすれど、彼女の表情は晴れない。
これまで必死に戦ってきた自分たちが、虚しくなってしまうから。
「うちとしてもあれは特別なのよ。ここぞって時はさ、いつも奴に動いてもらってんだ」
相手には届かない声で、フエゴは発言を続ける。
「もとはただの笛吹きなんだがね」
地面に横たわる一般補佐に視線を戻すと。
「今は様子を見るしかないから、なんかあったら呼んどくれ」
オッサンは階段へと去っていく。
残された女はその場にしゃがむと、シンセロの額に手をそえる。
デニムの時もそうだったように、今は無事を祈るしかない。
「母よ……どうか」
両膝を大地に、両手を重ね、雲に隠れる月に願う。
「ほんと、コガラシ殿は人に恵まれてるだす」
年老いた母を含めれば、少なくとも三人はいる。
「羨ましいだすね」
祈願所の外壁に背をあずけ眠っていたが、いつの間にか目覚めていたようだった。
「ゼドさんにも、良い人はいなかったのかしら?」
先ほどの戦闘で、昔のことを色々と思いだしていた。
「いただすよ」
旅立ってすぐの頃だったか。啖呵を切って挑み、情けをかけられたことがある。
野次馬に笑われる中、自分を打ち負かしたその男だけは、馬鹿にしないで真剣に向き合ってくれた。
うちには受け入れられないと、ちゃんと断ってもらえた。
「初めて自分を団員として受け入れてくれた人は、とてもおっかない女だっただす」
領域魔法の使い手としてだったが、確かに自分は必要とされていた。
当時はまだ二十代前半か。
「フィエル殿と同じくらいの歳だった記憶があるだす」
三十半ば。
「色んなことを教えてもらっただす。お酒の飲み方とか」
言葉にはしなくとも、伝わったようで石を投げられた。それでもゼドは懲りずにヘラヘラと。
「今思うと、本当に世話んなっただす」
馬鹿は馬鹿なりに、良い男だと思ったんだ。
「とても大切にしてもらった」
「そう」
鋭い彼女のことだから、予想できてしまったのだろう。彼女との結末は、聞くに聞けなかった。
「アホみたいな拘りなんて、さっさと捨てたほうが良い」
「捨てたから、今があるだす」
頭に巻かれた包帯は、赤く滲んで痛々しい。
「説得力ないわよ」
祈願所の外壁に背中をあずける男は、全身が血まみれだった。
・・
・・
ボルガが石を投げれば、それが単独の前足に当たって砕け散る。
動きが鈍った瞬間、グレンは相手の懐に潜り込むと、腹部に手を当て掌波を放つ。
「これで終わりなんだな、たぶんもういねぇ」
「まだだ」
吹き飛んだ魔物は木の幹に激突し、ピクリとも動かない。
「死んだかどうか、確認しねえと」
相手に意識を向けながらも、グレンは大猿を見る。うつ伏せに倒れるその巨体は、たしかに死んでるはずなのに、呼吸で背中が動いてるような気がする。
先ほど猿の喉元を確認したが、本来は岩を投げれるような状態ではなかった。
「こいつら致命傷でも、まだ動きやがんだ」
残る一体に火玉を放ると、火力をあげて炎とする。
魔物は動かない。グレンはそれでも焼き続けた。
思い返せば、あの時も。
死んでいるとの油断が、彼を置き去りにするという結果に繋がった。
大型から小型まで、無数の亡骸がここには転がっていた。
赤の護衛は一体また一体と、物言わぬものたちに爪を突き刺していく。
肩を叩かれる。
「勝手に持ち場を離れんじゃねえよ」
気づけばボルガが囲い壁から降りていた。
「気にするだけ無駄なんだな」
振り返り睨みあげると。
「じゃあ打ち逃した奴のせいか。それとも案をだしたオッサンが悪いのか?」
あれだけ苦労して槍の柵をつくったのに、この結果には反吐がでる。
「おれにそんな難しいこと聞くんじゃねぇよ」
できることなら、誰にも迷惑をかけない人生を送りたい。
グレンは溜息をつくと。
「腹減った、なんか食わせてもらいに行くか」
ボルガは頷いて。
「おれもそれを言いたかったんだな」
デカブツの背中を叩くと、壁に向かって歩きだす。
・・
・・
戦いの傷跡は囲い壁にも残っていた。
所々焦げているし、石や氷が当たったのか、ひび割れも確認できる。
正面側はただでさえ低かったが、大雷馬の突撃により、一部よじ登れる高さになっていた。
豚が突進した裏側も被害は大きく、一面が黒く染まっており、岩が命中した場所は崩れて瓦礫が散乱する。
祈願所に到着した二人は挨拶もせず、そのまま防衛戦に参加することになったが、今は落ち着いたため壁の状況を確認していた。
トントは壁の上。
チビデブは壁の下。
見回りをしていると、一人のデカブツが壁から飛び降りるのを確認する。その行先を覗えば、青年が単独に火の玉を放っていた。
彼が驚くのも無理はない。
「おいおい、着火眼かよ」
火玉は火力を上げ、魔物の肉体を焦がす。
「初めて見たときはこっちも驚いた」
いつのまにか背後に立っていた男に、トントは振り返ることもなく。
「あれが赤の護衛ってことか。なるほどね、お前を動かす理由も想像ついた」
同じ目型の炎使い。
「相変わらず頭は働かんようね。悪いけどさ、そんな理由じゃ僕は動かんよ」
ケッケと笑いながらも、険しい表情になる。
「なんだ、嫌味かこの野郎。お前こそ相変わらず胸糞悪い奴だな」
その場で胡座をかくと、仏頂面で頬杖をつく。
フエゴは立ったまま。
「デカイ兄ちゃんいるだろ。あれの名前さ、ボルガっつうのよ」
「そうか」
言われても、トントはデカブツを視界に映さない。
「……息子か?」
「たぶんね」
今では熟練者と呼ばれる年代に入ったが、右も左も解らない時代はあった。
同じく故郷を失った者として、力を貸してくれた恩人。
「お前もアホだな」
「君にだけは言われたかないよ」
これだけ説明したのに、なぜ解らない。
「そうだな、俺りゃアホだ」
頼むから、気づいてくれ。
フエゴの願いは虚しく空回り、トントは呆けた顔でグレンを見つめる。
「ところでよ」
その背中はゼドとは違う丸みをおびていた。
「俺らが祈願所を目指したとき、まだ雪は降ってなかったんだ」
「まあ、時間的にそうなるね」
狼煙。
「祈願所に向かうって目印があってな。でだ、お前はどう思うよ?」
フエゴは腕を組み、しばらく考える。
「少なくとも僕らが煙を確認したとき、二人はこっちに気づいちゃいなかったね」
救助の存在を知ってもらうために、あのような行動をとったのだから。
愚か者は一瞬だけボルガを見るが
「やっぱそうか」
我関せずにグレンを睨む。
「あの狼煙は僕らじゃなくて、そっちに向けられたもんってことか?」
「魔虫の死骸があんだけ集まりゃ、こっちの魔物具にも反応するからな」
予想外の数ではあったが、それなりに寄ってくるとグレンは考えていた。
・・
・・
囲い壁のもとまで足を進めたが、また群れがこちらに接近していると気づく。
グレンは壁の一部を指さすと。
「そこから上れるから、さっさと持ち場に戻りやがれ」
「おれは腹がへったんだなぁ」
呆れを通り越し、溜息もでないため、早く行けと尻を蹴る。
「急かすんじゃねぇ、石くらいつくらせろってんだ」
苛立ちを我慢し、群れを迎え撃つために移動する。
ボルガがせっせと投げ石をこしらえていると、どこからかチビデブが姿をあらわす。
「もしかして、赤の護衛さんっすか?」
ヘコヘコと低姿勢のデブ。
グレンは一歩さがると、気まずそうに頭を下ろし。
「そうっすけど」
「はじめまして、オイラ赤火の」
名前を言おうとしたが、壁上からの怒声に遮られる。
「おいチビデブ、群れが来てるぞ!」
「ヘいっ! 承知しました!」
デブは大棍棒を壁に立てかけ。
「ここはオイラが相手するんで、大丈夫っす」
「俺も手伝うっすよ」
あくまでも低姿勢。いやいやと腕を左右に振りながら。
「自分まだまだ元気っすから。赤の護衛さまも、災難続きで疲れてるっしょ」
「いや、でも」
良いから良いからと、登り場に向けてグレンの背中を押す。
「あれでも上にいるオッサン、うちの親ビンなんで、顔合わせをお願いしたい」
もしかしてこのデブは、長いものには巻かれろ主義なのか。
以前から、赤火長には興味もあった。
それにこれから怪我人を連れての移動になるため、そのことをお願いしたい気持ちもある。
グレンはデブに頭をさげ。
「すんません。それじゃあ、ここは頼んます」
「へい、お任せくだせえ」
コガラシは師匠の真似だが、この男は下っ端根性が染みついた口調なのかも知れない。
「なんだ、戦わなくて良いんだな。そんじゃ、俺は飯を食いに行くんだ」
デカブツはグレンより先に壁の窪みに足をかける。
「おいてめえ、なに先にのぼろうとしてんだ」
これはグレンではなく、チビデブの声だった。ボルガはのほほんと振り返り。
「おれだって疲れてんだ、休みてぇです」
「お前はここに残ってオイラと一緒に戦うんだよ」
兵士。
どうやらこのチビデブ、同じ下っ端には強気に出るようだ。
ボルガは足を地面に下ろすと、肩を落としてチビデブを見下す。
「わかったんだなぁ」
どうやら強気の理由は違うようだった。
チビデブはその巨体を見上げながら。
「大きいからって調子のんな、このデブ!」
悔しかっただけらしい。
「デブにデブって言われたくねぇんだ」
「うるさい、うるさい、うるさい。オイラなんも聞こえないも~ん!」
グレンは壁に足をかけると。
「あの、そろそろ来ますよ」
チビデブは打って変わってニッコリ微笑むと。
「へいっ! お任せください」
続けてボルガを睨みつけ。
「おらデブ、行くぞっ!」
「なんかおれ、この人嫌なんだな」
チビデブが前に立ち、デカデブはその後ろを守る。
一度呼吸を落ち着けると、デブは脇差しの柄を握り。
「兄貴、お借りしますぜ」
刀身を空気に晒した。
・・
・・
壁の上に到着すると、そこには見慣れないオッサンが胡座をかいていた。
その傍らには、見慣れたオッサンが立っている。
「悪いな、うちの馬鹿が」
「いえ」
グレンは相手のもとまで歩むと、まずはフエゴを見る。
「紹介すんね。こいつはトントで、赤火長なんて偉そうな役についてるのよ」
「トントだ。うちの下っ端がずいぶん世話になってるようで、感謝する」
赤火長が指さした先にはフエゴがいる。
「挨拶が遅れてすんません。赤の護衛でグレンです、よろしくお願いします」
あまり似合わないかも知れないが、確りと頭を下げたのち。
「フエゴさんには魔法のこととか、こちらの方が色々と教えてもらい、とても感謝しています」
「そうかい。まあ、それなりの付き合いになると思うから、こっちもよろしく頼むわ」
顔見知りのオッサンは向きを返すと。
「一般補佐の様子が気になっから、おいちゃん先もどってるね」
本当はフエゴについて行きたいが、この人物とは関わっていきたいため、我慢して残る。
しばらく無言で時が流れる。
下を見れば、二人のデブが戦っていた。
トントは専用の荷物入れから、銀色の平べったい箱を取りだすと。
「申し訳ねえが、これ開けてくれるか」
パカっと開けるタイプの物で、中身によっては片手だと飛び散ってしまうのだろう。
「はい」
拒む理由もないため、それを受け取ると、開いてトントの前に置く。
紙と乾燥させた葉っぱ。
「ありがとよ」
未完成品もあったが、すでに丸められているものも五本ほど入っていた。
そのうちの一つを咥えると、指先に火を灯す。そのままでは意味がないため、箱の中に入っていたロウソクに灯し、色が変化するのを待つ。
いつものグレンなら、そんなの身体に悪いだけだと嫌味を言うが、相手が相手だから我慢する。
「最初は格好良いって理由で始めたんだが、気づいたら止めれなくなってた」
「アホっすね」
思わず本音が出てしまった。
トントはケッケと笑いながら。
「だろ」
「すんません」
吐いた息と共に、煙が宙を舞う。
「後悔先に立たずってやつだ」
もう自分で丸めることもできないのに、未だに止めれない。
ボルガは囲い壁を背に、ハの字に頑強壁を作ると、そこから石を投げていた。
「見かけによらず、器用なことすんな」
「壁魔法だけっすけどね」
器用といえば、チビデブのほうが器用である。
「あの体型からは、想像できない動きっすね」
ゼドの認識では標準の剣さばきでも、人によって印象は異なる。
「浅い傷を負わせながら自分の身を守るってのは、けっこう難しいわな」
肩当てを固定しているベルトは、動きを阻害しないよう、身体に巻きついていた。トントは煙草を咥えながら、仕込まれていたナイフを取りだすと、胡座をかいたまま投げる。
「俺も上手いもんだろ」
「はい」
ボルガを狙った個体に、トントのナイフは突き刺さる。急所をとらえたのか、当たった魔物は倒れたまま動かない。
失った右腕が利手だとすれば、もっと凄い腕を持っていたはず。
フエゴにこの人物。そして恐らく明火長も離れた位置からの攻撃を得意とする。
「一ノ朱火長が接近戦ってことか」
「良くわかったな。まあ、正確には近・中距離ってとこだが」
煙草を指で挟むと、口から外し。
「岩の鎧が得意なのがいてな。その人が切り込み役だったんだ」
「炎使い以外にもいたんすね」
ケッと痰を吐き。
「まあな」
一通りの魔物に傷をつけると、デブは刀身を鞘に帰し魔力を送る。
傷が鈍く光れば、グレンの鼻に臭いが通る。
「すげえ」
「ここからが見ものだ」
煙草の先から糸をひく煙は、ロウソクの灯に照らされて、風になびく。
「ここからがオイラの」
デブは駆け足で大棍棒のもとまで行くと。
「めーんうぇぽんの出番でさあ!」
岩の篭手を再現しているのか、右腕に魔力を送れば、電気や氷への耐性をあげられる。
今までは敵の魔法を動作と篭手で捌いていたが、棍棒に持ち替えた途端に対処が難しくなっていた。
「い、イタっ 痛い、やめて!」
先ほどとは同じ内容だが。
「すごいですね」
棒読みになっていた。
デブは棍棒を落とし、その場にうずくまると。
「オイラは子鹿っす、子鹿です~っ」
意味不明の言葉を喋りだす。
「よくわからんが、初心者だから虐めるなって意味らしい」
少なくとも、子鹿には見えない。
壁で自分の身を守っていたボルガは、チビデブに向けて走りだすと。
「おめぇなにやってんだ!」
デカブツの助けが入り形勢が逆転すると、魔物の群れを睨みつけ。
「良くもやりやがったなこの野郎!!」
性格が豹変する。
グレンは苦笑いを浮かべ。
「個性的っすね」
「だろ、俺の班で一番の問題児だ」
もう児という歳ではないが。
四人一組。
二人でも班と言い切るのだから、なにかあるのだろう。
「あんなふざけた野郎だが、慣れてくると可愛く見えなくもねえんだ」
グレンが見ても可愛くはない。
煙は火に照らされて、雪の夜空に上っていく。
「あの狼煙だけどよ」
気づけばこの男に、心を許している自分がいた。
「込められた意味を、デカイのは知ってんのか」
うつむくしかない。
「説明はざっとしましたよ」
「そうかい」
トントはケッケと笑いながら、板についた嫌味な口調で。
「嫌だねえ」
ここから祈願所までの間に死体があるから、さっさと回収して帰ってくれ。
「まだ若いってのによ」
もし見つからなければ、もう探さなくて良い。
これがここから先、グレンがもっとも迷惑をかける者たちとの、最初の出会いだった。