九話 雪の降る山・ゼド孤立
終わることのない戦い。罪を認識しようとも、気を抜けば時間の中で薄れていく。
沢山の人を殺めたこの手を見ても、自分は被害者だと勘違いしてしまう。
このような状況なのに。このような状況だから。今まで戦ってきた相手の言葉が、頭の中を過ぎっては消えていく。
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肩で息をすれば、額から流れた赤い汗が、足もとの死体に落ちる。
喉が乾く。
ナイフを死体から引き抜けば、そこから液体が溢れでてきた。
目を血走らせた化物どもは、威嚇とは関係なく吠えてくる。
近づいてくる無数の足音は。
「怖い」
この道を求めたからには、劣勢に不満を述べることもできない。
ただ一本の刃物を手に、勝つ方法を考える。
ゼドはより深くのめり込む。唾液が顎をつたうのにも気づかず、両肩を落として戦いに備える。
跳びかかってきた個体を左腕でいなし、自分の足に抱きつこうとした魔物の目を、後退りながら真横に斬る。
暗くて見えないが、間違いなく別種の魔物であり、協力しているようにも思えない。
いなされた魔物は腹を立てるのも忘れ、涎を撒き散らしながら姿勢を立て直そうとした。そうはさせまいと跳びかかり、頭部を固定するとナイフで急所を掻き切った。
構えが乱れていると気づき、一度呼吸を調え心臓を落ち着ける。
夢うつつに溺れながらも、闇の中で感覚だけは研ぎ澄ます。
生物の範疇を越えた叫びにより、自分の左肩が狙われていると察知し、腰を捻りながらナイフをそちらに突き入れる。
敵の顎を貫き、滴る血をそのままに、左腕で抱かえ込む。すでに回りきっていた腰に乗せると、ゼドは単独を背負い投げた。
その地響きにより、周囲の敵が寄ってくる。先ほど目を裂いた魔物は、単独に潰されて息を引き取った。
巨体に片膝を固定してナイフを抜いたが、休む暇なく別の魔物が何かを頭上から飛ばしてきたため、右腕を振って弾く。
びしょ濡れの泥玉だったようで、刃物と前腕が凍りついていた。手首が動かなければ、振ったあとの絞りが難しくなる。
ナイフはしばらく使えないと判断し、ゼドはもう一つの武器を求めて走りだす。
槍は非常に強力な武器だが、これはあくまでも投げる物。特に火炎団から受け取った一振りは、刃の構造がそれ専用につくられており、手に持って扱うには不向きだった。
死の淵から舞いもどった魔物により、ゼドは右足を噛みつかれ、その場に転倒してしまう。
残った足を動かすことで、小さな化物の頭を膝で固める。仰向けになると同時に姿勢を入れ替えれば、鈍い音と共に命の灯火が消えた。
血が欲しいとかではなく、本当に口が乾燥していたから、凍った腕を舐めて少しでも喉を潤す。
立ち上がり足の様子を確かめる。痛みもなく問題ない。
先ほど殺した魔物を見ると、まだ小さな子供だった。
「おいっ!」
何者かが自分の肩に手を置こうとしたため、肘で振り払ったのち、そのまま肩をぶつけて自分ごと押し倒した。
暗ければ、魔物を見ることなどできない。
「危ない奴だな」
ゼドは相手にまたがっていた。手首を無理やり捻じり、ナイフの柄尻に手の平を当て、切先は喉仏の寸前で止まる。
首に血がつたう。
「申し訳ないだす」
急いでナイフを退けようとするが、その手を掴まれる。すでに集中力が切れており、熱さに顔をしかめると。
「おいおい、魔力くらいまとっておけよ」
利手の氷が溶けていた。
チビデブは大きな棍棒を地面に打ちつけると。
「親ビンにそこの人。仲良く倒れてないで、はやく立ってください」
トントはゼドを払いのけると、首の血を拭いながら上半身を起こし、解けてしまった黒布を巻きなおす。
「ったくよ、年寄りは大切にするもんだ」
まだ爺さんと呼ぶほどの歳ではないが、三十半ばのゼドよりも、一回りは上であった。
腰を叩きながら立ち上がり、ゼドを見下ろす。
嫌味な半笑いで。
「お前すごい格好だぞ」
「自覚はあるだすが、人のこと言えないだすよ」
肩から生えた、尻尾らしき装飾品が宙をただよっていた。
「この場はそこのデブがなんとかするから、ちっと休んどきな」
「親ビンも手伝ってくださいよ」
などと文句を言いながらも、鯉口に左指を添えて姿勢を整える。右腕には宝玉具と思われる篭手。
デブは臭い息を吐くと、目を閉ざし。
「お借りしますぜ」
抜いた刃を炎で熱したのち、赤みを帯びた刀身は前方に持っていく。本人は半身で構え、左手は鞘にもどす。
右腕の篭手に魔力をまとわせ、得物の刃毀れを防ぐ。
魔物たちはそれぞれの鳴き声を発しながら、三人に迫っていた。中には血走った目を剥きだしに、吠えることすらできなくなった個体も確認できた。
まだ熱が残っているうちに、近場の車輪牙へ飛び込むと、硬い表面ごと焼き切っておく。
別の個体がその隙をついて男に飛びかかるが、あえて篭手を噛ませ、牙が食い込むよりも早く引き抜いた。デブは無防備になったその瞬間を狙い、無駄にデカイ腹を打ちつけると、地面に落ちるのを待って突く。
深く刺すと抜くのが大変なので、浅めに止めておく。
デブの剣裁きは基礎を捉えているが、ゼドの目からは標準の腕であり、飛び抜けた素質は感じない。ただ無理もしないため安定していた。
車輪牙は危険を感じると、無意識に反応して身体を丸める習性があった。チビデブは体重にまかせて踏みつけると、緩んだ所で刃を差し込む。
次々と器用に敵を傷つけていくが、魔物は攻撃の手を緩めない。
木の上から抱きついてきた猿を屈んで避けると、柄だけを持ち替え相手の背中をプスっと刺す。
勢いをつけて突撃してくる相手には、左手で右前腕を固定することにより、確りと威力を受け流してから次手に移る。
大きな身体で脇差しを操る姿は、不釣合いで少し面白い。それでも妙な安心を感じられた。
「ちっとは落ち着いたか」
「たいしたもんだすが、あれじゃ何時までたっても終わらないだすよ」
魔物につけた傷はどれも浅いものばかりで、動きが鈍ろうと死んだ個体は少ない。
何体かの車輪牙には表面に深い傷が入っていた。
脇差しに魔力を送れば熱による軟化を防ぎ、まとわせることで切れ味の強化をする。
あの程度の刀の振りで、硬い物を斬れてしまう。
篭手の効果と合わせれば、脇差しで何体斬ろうと刃毀れ一つしないだろう。それを実現させるのに、自分はどれほどの時間をついやしたか。
「気分が悪いだす」
もう考えたくもない。
「あの脇差しの持ち主はな、物凄い苦労をして、やっとの思いで入手したんだよ」
命がけで稼いだ金の大半を注ぎ込んだ。
気づけばデブは一通りの魔物に傷を負わせていた。
「兄貴」
なにを考えたのか、刀身を鞘に帰す。
彼らは討伐ギルドである。
宝玉具に関しては、職人ほどではなくとも知識を持っていた。
「若年のころの作で、使ってんのも火の宝石玉だけどな。まあそれ以上の代物は個人じゃ無理だ」
国宝として保護される。
脇差しの鞘には金具が取り付けられており、刀身と同じ赤宝玉が練り込まれていた。
ちゃんとした職人の師事を受けたとしても、刀鍛冶の技術は半人前以下だと思われる。
一つの魔法陣に二つの能力を込める。宝玉具でこれを実現させた職人は、今のところ一人しかいない。
抜いた状態で魔力を送れば、炎の熱から刃を守る。
現在刀身は鞘に収まっていた。デブが魔力を送くると、魔物たちに刻まれた傷が鈍く光り、焼け焦げた臭いが鼻につく。
デブは大きな棍棒を手に取ると。
「ここからがオイラの、めーんうぇぽんの出番ですぜ」
傷から発生した熱に敵は動きを鈍らせていた。
これまでと違い、とても似合った武器である。デブが振り回した棍棒が当たった瞬間、魔物は燃え上がり吹っ飛んだ。
ゼドは鼻糞を穿りながら。
「すごいだすね」
「みっともないだろ」
振り回すというよりも、振り回されていた。命中した衝撃に耐え切れず、デブは棍棒を手放してすっ転ぶ。
「まだまだっ!」
デブは懲りずに立ち上がると、大棍棒を肩に背負い、別の個体に向けて走りだした。
「非力とまでは言わないだすが、あれを扱うには役不足だす」
滑稽な姿に毒が抜けてしまい、ゼドは色々と現状を思いだしていた。
「予定よりもずいぶん速い到着だすね」
「天気がこんなんだから、前倒しで来てやったんだよ。もっとも二人だけだがな」
言われるまで気づかないゼドにも問題はあるが、肌にふれた冷たさに息を飲む。
「色々と、現状に納得がいっただす」
今頃だが。
「お前変な喋り方だな」
デブ一人がどんなに頑張っても、受け持てる数には限界がある。気づけば敵が二人を取り囲んでいた。
「ここいらの化けもんは粗方片付けたんだ」
今までと打って変わって呑気なもので、赤火長の左手に灯る明かりを頼りに、ゼドは空の雪を見ようとした。
別のものが写り、目を見ひらく。
「さっさと祈願所に案内してくれや」
地上も木の上も関係ない。
トントから夜空に伸びた一筋の氷は、枝分かれして大地へと降り注ぎ、魔物たちの肉体を貫いた。