五話 休息と救助
縄張りとして居場所を確保できたため、六名はつかの間の休息をとる。
黒膜化を解いたのち、三十分ほどの眠りにつき、先ほど起きたばかりの目をこすりながら。
「ずっと維持できない以上、もうここも長くは持たねえ」
沢から生還し、あれほど消耗していた体力である。わずかばかりの睡眠で、どれほど回復できたのだろうか。
「俺としては、さっさと本隊に合流したい」
「おいちゃん達がなんで沢を渡ったかわかる?」
あのような危険を冒さず、熊と戦った側を捜索するという選択もあった。
「普通はさ、今のグレンちゃんみたいに考えるからだよ」
自力で戻れるのなら、それに越したことはない。どのような結果にせよ、彼らは祈願所を目指すつもりであった。
熊との戦闘による被害や、赤の護衛が行方不明になったことなど、本隊も予定が大幅に遅れていた。
「輸送隊はそろそろ今日の野宿地に到着するころね」
「距離としては、ここから三時間ってとこですか?」
グレンの予想にフィエルはうなずく。
「私たちの体力じゃ、恐らくもっと必要よ」
一般補佐は背負っていた荷物から、布に包まれた干し肉と水袋を取りだし、グレンにそれを手渡す。
「自分たちは戻る分の食料を持ってきてないだす」
なんとなく、グレンも今後の予定が掴めてきた。
「祈願所で救助を待つってことか?」
一刻も早くヒノキにつく必要があるため、本隊は朝を待たずに出発するだろう。
季節としては春の始まり。
太陽が沈む直前。のろしを上げたのが十八時だとすれば、逃げて戦い合流して、今は恐らく二十時から二十一時のあいだ。
普通の足で三時間。今のグレンたちでは到着できたとしても、倍以上かかるかも知れない。
もし間に合わなければ、彼らは誰もいなくなった野宿地を、呆然と見ることになる。
「でもよぉ、飯がねぇんだろ?」
今回は通らなかったが、そこはヒノキへの通過拠点の一つである。魔物に気づかれないよう、食料も多少は保存されていた。
「我々だけであれば、数日の生存は可能かと」
「でも場所が場所なのよね」
現状をみれば、それがどれだけ困難かわかる。
「救助に赤火の連中が動くそうだけどさ、恐らく到着は明後日の朝ごろよ」
「今日明日くらいなら、きっと生き残れるわ」
フィエルもこんな所で死ぬわけにはいかないため、保証などなかったとしても、そう思わなければやってられない。
だが現実を見つめる者もいた。
「その祈願所だけどさ、この前みたいな感じだと、流石にちょっと辛いんじゃない?」
「ここらは魔物の気性が激しいので、以前の場所より小ぶりですが、それなりの造りになっているそうです」
一般補佐が情報を得た相手。
「商会員からお聞きしたことですので、恐らく間違いは無いかと」
フエゴは救助に赤火が来ると知り嫌がっていた。
フィエルはコガラシと逢引中だった。
ゼドに至っては投げ槍の慣らしに夢中である。
下見だけでなく、商会員は何度か力馬ルートを通っていた。
「その時によって道筋は違ってくるんで、もしかすれば祈願所を使ったことがあんのかも知んねえ」
フエゴは新作の杖を見つめながら。
「拠点を駆使し、どのように生き残るか。グレンちゃんの縄張りがどれほどの効果があるか。まずはそこら辺から話し合ったほうが良い」
清水運びの時もそうだったが、こういった話し合いの場では、意外とまともなことを言う。
「場合によっては太陽が昇ってるうちにさ、見てくれだけでも工事した方が良いかもね」
しょせんは祈願所である。山一つ使った砦とはいかない。
それでも相手が魔物であれば、僅か一日でもなにかできるのではないか。
フィエルは考える姿勢をとり。
「岩の腕は私しか使えないわよ」
攻撃魔法としてだけでなく、岩腕は土木工事において重要な役割をもつ。
「下準備で祈願所の修復をしたはずだから、もしかすればなんか道具もあるんじゃねえっすか」
「さすがに玉具は持ち帰ったと思うだすが、木槌や円匙くらいなら、たぶん残してあるはずだす」
たかが兵士でも、一般補佐はない知恵を絞り。
「縄も欲しいですね」
周囲を見渡しながら。
「木材は豊富ですし」
たった六人。
作業時間も明日の日中のみ。
「たぶん大したことできないのよね。でもさ、なんもしないで後悔はしたくないじゃない」
火を囲む五人は、それぞれ力強くうなずき合う。
デクノボウはあくびをすると。
「じゃあ、日中の力仕事に備えて、ちっと寝させてもらうんだなぁ」
縄張りの効果がいつ切れるか解らない。
「三十分したら起こすぞ」
一応だが魔物たちは、今のところ落ち着いている。
前半休んだ者たちが見張りを受け持ち、残る三名が睡眠をとる。
寝ることはできないかも知れない。それでも横になるだけで、脳を休ますことができるはず。
グレンの瞳には、もう諦めの色はない。開いていた手の平を握りしめ、明日を思う。
「赤火が来るまで、必ず生き抜いてやる」
横になっていたボルガを見つめる。その背中はとても大きかった。
三十分後、六名は慎重に移動を開始した。
まずは祈願所に到着し、息を潜めて夜明けを待つ。
作業をすれば、それだけで魔物を刺激してしまうかも知れない。だからといって建物の中でうずくまれば、先に精神が殺られてしまう。
・・
・・
陽が昇り、そして沈む。
明かりは自分の灯した炎のみ。男はその場にかがむと、足もとの燃えかすを手に取る。
枝と黄土。炎に飛び込んだのか、魔虫の死骸も確認できた。ホノオの司る季節が恋しくて、これほどに集まったのだろうか。
「数も狂ってるが、この時期は普通まだ幼虫じゃないのか?」
「ヒノキほどじゃありませんが、ここらも生態系が狂ってますんで、なにがあっても変ではないんじゃ」
男に話しかけたのは、小柄なデブ。
「ここらにも雪の影響はあんだな」
「親ビン、こりゃあれですかね?」
黒い布は首に巻かれ、口もとが隠れているため、年齢というものを掴みにくい。
「のろしだな」
右の肩当てからは、魔物のものと思われる細長い尻尾が生えており、それが上腕から胴体へと巻きついていた。
前腕は失ったままであり、義手だという情報もあったが、それらしきものは装着していない。
「ですがこの感じだと、上手いこと煙がのぼらないんじゃないですかね」
「確かに作りが甘いな」
ここで一つ、グレンが知れば悔しがる知識があった。
犬が魔物となり野生化したため、今も犬魔と呼ばれているが、やはり生態は狼に近くなっていた。
狼煙。
猪と同じで狼はその種に拘った魔物だが、犬魔の糞でも煙を細長くする効果はあるのだろうか。
「それでも良くやったもんだよ、切羽詰まった状況だったろうに」
赤い布が巻かれた左腕で、そっと黄土をすくい。
「ところで、こりゃなんの意味があんだ?」
「山火事の恐れがあるので、たぶんその対策なんじゃ」
高く舞い上がった火の粉が枝を燃やさないよう、何本か木を倒しているのも見て取れる。
「へえ、良く考えるもんだ」
「とても気が回る御仁なようで」
チビデブは手に持っていた脇差しを腰に戻すと、地面に置いていた大きな棍棒を担ぎ。
「夜も更ふけてきましたんで、そろそろ皆さんと合流しましょうぜ」
明火長の書状を持った数名が、ヒノキ本陣に駆け込んできたのは今日の昼過ぎ。
いつものように拒否することもできず、動かせる何班かを引き連れて出発した。
二人がゼドたちと合流できず、輸送部隊を追った可能性もあった。もしその道中で死んでいれば、魔物具はともかく土の領域には引っかからない。
集合地点を最初に決めておき、赤火は班を展開させていた。死体を探しながらの移動である。
本来は四人一組のはずだが、この場には二名しかいない。
「ありゃなんだ?」
男が指さした方向には、杭が地面に突き刺さっていた。デブは一度持ち上げた棍棒を再び置き。
「少々お待ちを」
赤火長が動きだすのを制止すると、チビデブは杭のもとまで進み、それを抜いて相手にさしだす。
「抜くなアホ、そりゃ地図の目印だろ」
罰が悪そうに頭をなでながら。
「でも位置からして杭を移したのは、たぶん赤の護衛さんだと思うんす。それに、なにか刻まれてるようでして」
片手がないためデブに杭を持たせると、残った腕に火を灯し文字を確認する。
「こりゃ何処だ?」
グレンと違い、頭に地図が入っているわけではない。
「勇者の案内人さんが示されたのが、確かそこの範囲内だったはず」
ここから祈願所までの間を探せ。
赤火長はしばし腕を組んで考える。もっとも右手が無いため、それっぽい姿勢をつくっているだけだが。
「祈願所までここからどんくらいだ?」
距離すら把握できていない。
「へい。急げば、一時間強もあれば」
通常の足であればもっとかかる。体調によっては、二から三時間は必要だろう。
「合流地点に戻んの面倒だな、いっそこのまま行っちゃう?」
「ですが、皆さん心配しますぜ」
赤火長はケっと唾を吐き。
「そんな可愛娘ちゃんがいれば、俺もふんぞり甲斐があるんだがな」
屈んでいたせいもあり、なんどか腰を叩きほぐす。
「老体には堪えるねえ。でっ、どうするよ?」
決断力の有無。
「オイラは親ビンについてくだけっす」
見てくれはこんなんだが、このデブはけっこう可愛気があった。
これまでの移動で、休憩などあるはずもない。
「もう歳なのにさ、こんな命令ばっか当てられてよ」
片手でも取り出せるよう、なんらかの工夫がされた小物入れ。そこから取りだした地図は折りたたまれていたので、なんどか振って広げる。
「俺って本当に可哀想だよな」
デブは土の玉具で方角を確かめると、一方を指さして。
「へい。親ビンは可哀想です」
気分を良くしたようで。
「だろ」
ケッケと笑いながら祈願所に向けて歩きだす。
チビデブは大きな棍棒を持ち上げると、赤火長のあとをチョコチョコと追いかける。
「赤の護衛さん、無事にたどりつけていますかね?」
夜風が二人のあいだを通り抜けた。
「知ってると思うが、俺はあまり頭が働かん」
デブは哀しそうに、頷こうとしてそれを止める。
「追いつめられた状況でこんだけ動くなんて、とてもじゃないが俺には無理だ」
頭の回転が速い人間であれば、こんなことにはなっていなかった。
「たいした兄ちゃんだ」
知恵のある者達に騙され、踊らされた結果が今である。
デブは下を向いたまま。
「自分で言わないでくださいよ」
頭をかこうと右腕を持ち上げながら。
「危ない思いして救助に来たんだ、死んでもらっちゃ割に合わん」
トントは乾いた声で。
「ほかの連中は面識なくて知らんけど、珍しくあいつが自分から動いたんだ」
長いあいだ魔物の王を支え続け、後は若い世代に全てを託し、死ぬはずだった猫がいた。
凍てついた肩当てが、一層に身体を冷やす。
「まあ、なんとかするだろ」
言動はともかく、その人物はいつだって、冷静に事を運んでいた。
「ああ見えて、けっこう頭切れるしな」
右手など、もう何処にも無いのだから、頭をかくことはできなかった。
散々引っ張ってきたトントさんの初登場です。
フエゴやオルクの時もそうだったんだけど、実際に描いてみると、考えていた人物とちょっと違う感じがするんですよね。