三話 走れボルガ
すでに太陽は傾き、世界は黄昏色に染まっていた。
この地を歩くのは四人。
何度も大地に添えたせいで、両手は泥にまみれていた。
「ちっとも触らないだすね、お手上げだすよ」
最悪。
「戦闘でもあれば、こっちから気づけるんだすがね」
恐怖と疲れて震える足を叩きながら、一般補佐はしっかりとした口調で。
「赤の護衛さまが生きていたとしても、そういった自殺行為は避けるはずです」
この面子で一番弱いこともあり、荷物は彼が背負っていた。それでも魔物がくれば戦わねばならないため、持ち運ぶ量はとても少ない。
「魔物避けに魔獣具を使うはずだしさ、その瞬間を見逃さなければ良いのよ」
場数が違うようで、フエゴの声には余裕がある。
「慣れた金属に領域魔法を使えれば、まあ可能かも知れないだすね。でも、自分には無理だすよ」
建物の内部には地面がないため、金属を土の代用とすることもある。だが所詮は代用である。
「移動しながら土の領域を使えるってのは、それなりに便利だす」
使い手と共に領域も動く。
発動地点から離れろば離れるほど、領域は効果が弱くなる。また発動地点でなければ、細かな操作はできない。
フィエルは辺りを警戒しながら。
「あんな嫌味な言い方をしないで、正直にそう伝えれば良いじゃない」
「土の領域で失敗したら、食い扶持が無くなっちゃうだす。だから失敗を認めたくないんだすよ」
剣では稼げないこの時代。領域を売りにしなければ、今日の飯にはありつけなかった。しかしそれは命に関わる仕事である。
今回のような経験も、一度や二度ではないのだから、ゼドも自分の身を守る方法は心得ている。たとえ給料が下がろうと、依頼主に必要以上の期待をしないよう、前もって伝えておく。
・・
・・
フエゴは一般補佐から水袋を受け取ると、中身を一口ふくみ。
「水使いがいないのは、やっぱキツイのよ」
「そもそも、この面子もどうかと思うけど」
二人の補佐が救助に向かえば、陣形をとるのが難しくなる。その代役はガンセキと明火長が務めているものの、練度の低下は否めない。
「生存されていれば良いのですが、そうでなかった場合、我々は言い訳を用意しなければなりません」
責任を追求されたとき、どのような対処を取ったのか。
赤の護衛の救助に向かったのが、ただの兵士だと伝えれば、そこを突いてくる者がでてくるかも知れない。
「安全な場所から成り行きを見守っている連中に、好き勝手言われるのは、そりゃもう気分が悪いもんなのよね」
世襲というものも確かに存在するが、レンガという都市の構造だと少し違う。
一般補佐は周囲を警戒しながら会話に参加する。
「責任を追求する側も、相応の危険を犯しながら、その地位を手にしています」
失敗のリスクを背負った者だけに、出世というチャンスが訪れる。
現状で会話をするのは褒められた行為ではない。だが沈黙と言うのは、時に恐怖を増加させるものである。
ゼドは思うところがあったのか、木に遮られた遠くの空を見つめ。
「親の後を継ぐってのも楽じゃないだすよ」
もし弟が無能であれば、ゼドも少しは気が晴れていたかも知れない。
少なくとも今は、両親に感謝の念を抱いている。領域魔法の第一人者を雇い、自分の教育係として当ててくれたのだから。
ただ、気づくのが遅すぎた。
ゼドは歩くのをやめると、再び地面に手を添える。
最初は教育の一環であった。
「お師匠様は自分に剣を教えるのを嫌がっただす。でも父と母にお願いして、なんとか留まってもらった」
無気力だった息子が、始めて興味を示したもの。
低位土使いの魔力量は、ずっと展開できるほどの余裕はない。ゼドは領域を解除すると、フィエルを見つめ。
「言わなくとも解ると思うだすが、長生きできる人種じゃないだす」
剣士。彼の両親がその本質を理解していれば、また違った未来があったかも知れない。
止めようとして、止められるものではない。
「あんたは生きてるじゃない」
もしもの話は、あったはずの未来とは違う。
「運が良いだけだす。嫌な人も沢山いたけど、良い人もちゃんといた」
出逢いは掛け替えのない財産である。
ゼドには未だ、その言葉の意味が理解できない。
「彼の目にはちゃんと映っている。だから、見捨てないでやってほしいだす」
別に見捨てたつもりはない。
恋とは違った。
なにも解らない彼とは違い、地に足がついた感覚があった。そこには確かな安らぎがあって、はじめて人を愛せた。
愛がなにかは、今でもわからない。
「私より、あなたとの出会いのほうが、価値はあると思うけど」
外から見れば誰でもわかる。その背中を見つめる姿は、言葉では表せない何かがあった。
「自分は関係ないだすよ。今の彼があるのは、本物に出逢えたからだす」
大切に思っていた。
異性としても見ていた。
少なくとも、そのつもりではあった。
どのような感情にせよ、誰よりも自分を意識してもらえて、本当に嬉しかった。
ゼドには未だ、あの言葉を完全に理解できない。
自分は確かに、彼女を愛したはずである。
「一点に縛られる者は二流だす」
幼き日々。しつこく言われたから、今でもなんとか思い出せる。
少しずつ足場が悪くなってきた。
一般補佐は近場の木につかまりながら、慎重にくだっていく。
「ですが、あの剣は止めさせたほうが良い」
責任。出世。
沈黙していた男は顔をあげ。
「彼が動いてくれなければ、あの時点で赤の護衛を失ってた。ペルデル君が言ってたのよね」
熊からグレンを守ったときだけではない。セレスとの出会いも、似たような状況であった。
「あのような戦いを続けていれば、命がいくつあっても足りません」
「でも根本だけは捨てちゃ駄目だす」
自分の剣を世界に認めさせる。
お前が母さんを守れ。
「それがなくなると、一気に老け込むだすよ」
剣を持てなくなった剣豪が、僅かの間に年老いたように。
この場にゼドが立っていられるのは、少ない事例である。
・・
・・
会話をしながら警戒を続け、やがて四名は最適な場所を発見した。
激流は衰えることもなく、彼らの行く手を遮断する。
橋などはない。
沢の幅。
「おいちゃんもう歳だしさ、もともと運動とか苦手なのよ」
フィエルは怖がるオッサンを無視して地面に両手を添える。
「私も得意とは言えないわ」
調和型であるからして、攻撃型ほど細かな動きはできない。
「でも同行するって名乗りでたのは、どこの誰だったかしら?」
「自分、運動はけっこう得意だす」
召喚された岩の腕に飛び乗ると、ゼドは指先に移動する。
「それじゃあ、せーので行くわよ」
うなずき膝をまげる。ゼドはフエゴに微笑みを向け。
「よく見てるだすよ。でも、自分の格好良さに惚れちゃダメだすからね」
フィエルの合図にあわせて宙に舞い上がる。
美しく着地を決めると、ゼドは向こう岸の三人に格好良いポーズをとる。
「次は誰?」
「では私が。ゼドさん、警戒をよろしくお願いします」
身体能力は平均以下だが、真面目な性格からして訓練は怠っていないのだろう。なんの面白味もなく、ゼドのもとへ渡った。
「フエゴさん、私が受け止めますので!」
「無理よ、涙でお兄さんが見えないの」
お目々が潤々していた。仕草はとても可愛いのだが、まあオッサンなので言わずもがな。
いじけていたゼドは鼻糞を穿りながら。
「死にたくなければ、急いだほうが良いだすよ」
二体の魔物が動きだしていた。
フィエルは片手を地面に添え。
「戦力を分断した隙を狙ってきたわね。十から始める、そろそろ覚悟を決めなさい」
「おいちゃんには無理よ、もうこれ以上進めない」
泣き崩れるオッサン。
「お姉さまも一緒に飛んで、二人ならいけそうな気がするのよ」
ただ抱きつきたいだけと思われても仕方がない。無常にもフィエルはカウントダウンを開始した。
実際に抱きつきたいだけだった。
ゼドは女口調で。
「しっかりして、これまでの努力を無駄にするつもりなの!」
「でもおいちゃん、やっぱり怖い」
二人を別つ激流。
ゼドはフエゴを睨みつけ。
「泣いてちゃなにも変らない。前をみて、立って!」
魔物は刻々と迫り来る。
長年の勘が、相手の真意を掴む。
「ダメっ! やっぱり、おいちゃんにはできない」
「なんのためにここまで来たの、グレン殿を助けるためでしょ」
ギュッと両目をつぶり、そして叫ぶ。
「お願いフエゴ、飛んで!」
ゼドは一般補佐よりも前にでて、満面の笑顔で両手を広げ。
「大丈夫。だって、貴方には翼があるもの!」
オッサンは両手を強く握りしめ。
「わかったわ、ゼド」
カッと目を見開く。
「おいちゃん……飛ぶ!」
今この時。彼は大地という呪縛から解かれ、約束の地へと放たれた。
水しぶきが夕陽に反射し、空を舞うオッサンを美しく彩る。
きっと二人には見えている。二人だけの絆という運命の翼が。
「ゼドっ!」
「フエゴ!」
胸に飛び込んできたオッサンを。
「できるって自分は信じてただす」
オッサンが力いっぱい抱きとめる。
「ちがうよ。ゼドがいなければ、おいちゃんきっと飛べなかった」
その後も二人は抱き合う。
他者には聞こえない声で、会話を交わす。
普段穏やかな人は、怒るとすごく怖い。
「ふざけるのは止めてください。今の状況が解っているのですか」
いい歳をしたおっさん達は、一般補佐に本気で諭される。
二人を払いのけると、未だ向こう岸に残るフィエルに。
「早く!」
うなづきだけを返し、岩の腕に飛び乗ると、自分でそれを操作する。
他者を飛ばす方が難しいため、難なく着地に成功した。
フィエルは三人を交互に見たのち。
「相手によっては飛び越えられる距離です」
軽蔑すら向けないまま、ゆっくりと走りだす。
一般補佐はいつもとは違う穏やかな口調で。
「貴方たちが要です。お願いですから、確りしてください」
ごめんなさいと二人して頭をさげ、彼らは沢から離れていく。
フエゴは意志を灯した眼球で、赤色の消えた空を睨みつける。
フィエルを追い越したのち、ゼドは無言で一方を指差す。
・・
・・
屑二人は遊んでいたが、馬鹿二人は生き残るために動く。
沢沿いまで到着したボルガとグレンは、水の流れる轟音を背に、命がけの作業を進めていた。
岩の壁を召喚し、それを崩すことで土へと変化させる。
山火事となれば洒落にならない。周囲の草をむしる余裕もないため、黄土を広げることで引火の予防とする。
「なにしてんだ、おめぇも手伝ってくれ」
グレンは辺りを見渡し。
「何本か危ない位置にある。悪いけど、そっちはお前に任せる」
危険と判断した木まで足を進めると。
「先に枝とか切り落としたほうが良いのか?」
尋ねたものの、土を広げるのに一生懸命で、声が届いていない様子。
無視されてムカついたのか。
「おいっ!」
荒い口調で声をかければ、ボルガはこちらに背を向けたまま。
「んなこと、おれが知ってると思うか。だいたいよぉ、その身体で木登りは無理だろ?」
「聞こえてんなら返事しやがれ。まあ、今後のこと考えれば、体力は温存しておくべきか」
このまま倒すと決めたグレンは、構えを整えると慎重に引き裂く。本調子とは程遠いため、一撃は弱めである。続けざまに何度か斬ることで倒す向きを調節し、最後は両腕で力を込めて押す。
炎柱が倒れた瞬間。あの光景が今と重なり、急いでそこから離れる。
地面が湿っているため埃はまわない。土と草に水が混ざった臭いが強くなる。
「良し」
「よしじゃねぇだろ、押した方向と違うじゃねぇか」
彼は少し不器用だった。
「うるせえ。こういうのは職人技なんだよ、素人になにを求めてやがる」
想定の範囲内だと吐き捨てるが、もちろん強がりであった。
それでも慎重に作業を進めたこともあり、四本ほどを倒すことができた。前腕で額の汗をこすり取ると、振り返りボルガの方を向く。
所々草が顔を覗かせていたが、とりあえずは完了したようである。
「まだ離れてるけど、魔物が何体か近づいてきた。さっさと終わらせるぞ」
太いものもあれば、細く枝分かれしているものもある。グレンには上手くできないため、ボルガにそれを組み重ねてもらう。
レンガで色々と知識を詰め込んだが、あの期間では限界がある。
「これで良いのかねえ?」
のろしを作ったこともなければ、作り方を調べた記憶もない。
ボルガは先ほど倒した木を指さして。
「葉っぱも燃やしたほうがいいんじゃねぇか?」
しかめっ面でうなずくと、頭をかきながら歩きだす。
五分後。一応は完成した。
二人は馬鹿面でそれを見下ろし。
「じゃあ、行くぞ」
力なくボルガはうなずく。
腰袋から油玉を二つ取りだすと、それを投げつける。
「なにやってんだ」
枝と葉っぱがクッションとなり、玉は破裂しなかった。
「予定どおりだ、こんちくしょう」
石を作ってもらい、それを当てて破裂させる。
ボルガが抜いてしまった杭を、のろし(?)から少し離れた場所に突き刺す。
逆手重装の爪で記号と数字を刻む。
「北はどっちだ?」
たとえ領域を使えなくとも、土使いの大半はその感覚をもっている。
「あっちだな」
教えられた方向をしばらく見つめる。頭の中に存在する地図と照らし合わせると、グレンは一方を指さして。
「この方向を忘れんなよ、お前についてくからな」
「わかった。あっちに祈願所があんだな」
互いにうなずくと、グレンは相手の肩をたたき。
「離れてろ。俺が着火したら、すぐに走れ」
「遅れんじゃねえぞ」
背中を向けたボルガの尻を蹴飛ばすと。
「誰に言ってやがる、薄鈍風情が」
尻をかきながら足を進める。相手に振り向くこともなく。
「あんま酷えこと言うと、おれ泣いちまうぞ」
「悪かったな、俺も泣きそうだわ」
その場にかがみ、油の付着した場所に手を添える。
「良いか。合図したら走れよ」
せーの。
アクアの笑みを思いだし、グレンは少し嫌な気分になった。
「一」
まだ三は言ってないが、グレンはのろしに火を灯す。
「二の……」
追加で魔力を送り、火を炎へと変化させる。
油に引火して、火力が並位中級へと燃え上がる。
振り向くと同時。黄土を蹴った瞬間にグレンは叫ぶ。
「三ッ!」
ボルガは駆けだした。
加速には時間が掛かる。
木を倒せば音がなる。それに刺激を受けた魔物は、移動速度を速めていた。
魔虫はこの場に寄せつける。
赤の護衛が兵士の背後に追いつく。
「近くに誰もいなけりゃ、もうどうしようもねえ」
祈願所への道のりを探してくれ。
「一応杭に目印は残したがよ、あれは俺らの死体回収用だ」
死体を探しにきて、死体が増えるのは困る。
「嫌なこと言うんじゃねぇ!」
そろそろ完全に燃え移ったと予想し、グレンは魔法としての維持を止める。
「どちらにせよこのままじゃ死ぬ。やれることはやる!」
鼻で周囲を探る。しかし未熟であり、切羽詰まったこの状況では、あからさまな相手しか探れない。
熊との戦闘があった場所は沢の向こうであり、どう頑張ってもこちらからは戻れない。
今のところ、近くに人の気配はない。
歯を食いしばる。
ギシギシと音がなり、歯茎が軋む。
「くそ」
それどころか、輸送部隊の存在すら感じられない。
「なにも考えるな、前だけを向いてろ」
相手だけでなく、自分に言い聞かす。
今の顔を見られたら都合が悪い。
だから。
「絶対に振り向くな」
生き残るぞと声をかけることが、グレンにはできなかった。
涙を堪え、必死に叫ぶ。
「走れボルガ!」