一話 『ごめんね』
狂暴な魔物の生息する山中では、決してやってはいけないことがある。
「どうして!」
だが現状で、それを咎める者はいなかった。
「彼を責めちゃいけやせん。そもそも今回に限っては、デカイ兄ちゃんが事前に動いてたじゃありやせんか」
メモリアはボルガの発言を受け、力馬周辺の警戒を強めた。
納得できるはずもなく、セレスは右手でこめかみを押さえながら。
「違う。私はそんなことが言いたいんじゃない」
ペルデルは一歩前に出ると。
「本来は臆病な魔物だから、争いに混ざるような真似はしません。原因があるとすれば俺だ」
こちらが逃げ腰であれば、その気配を察して襲いかかる。
行く先に単独を確認し、その種を調べるために数名を先行させた。探っていた者たちが気づかれれば、驚いて攻撃してくることもある。
だが、今回は違う。
「恐らく熊は、魔獣具を魔獣そのものと勘違いしたんだ」
魔獣の存在に怯え、混乱した。
班長はセレスに頭を下げ。
「猿を殲滅するために、その手段をとった俺に責任がある」
「違う、ペルデルさんは悪くない」
グレンが身体を張って築いた朱火との関係を、自分が壊すわけにはいかない。
このやり場のない感情を、誰かに向けなければ、心を保てない。
責任者は勇者に言い聞かす。
「要請を受け入れ、グレンを動かしたのは俺だ。誰が悪いかじゃなくて、今後どうすべきかを考えろ」
それでもやはり納得はできない。拳の中で爪が突き刺さるが、痛みなど今は感じない。
肩に添えられたアクアの手にも気づかない。
「ガンセキさん言ってた、探知は俺なんて足もとにも及ばないって。ボルガさんより先に気づいてたんじゃないの!」
男はどんなに怒りを向けられようと、なに食わぬ顔で地面に手を添えていた。
「もし生きていれば、沢沿いに反応があると思うんだすがね」
メモリアは彼の前で膝を曲げると。
「意識を失ってたそうだから、今はボルガに託すしかないの」
湿った地面は土使いにとっては厄介な状態といえる。しかしガンセキのように、訓練すれば克服もできた。
「広範囲を探る土の領域は、俺でもいつも通りとはいかないんだ」
セレスは自分を責める。それでも、誰かに当たりたい。
コガラシを睨みつけ。
「探知において、殺気は今でも役に立つんですよね」
丸まった男の背中が、死にかけた頃の師匠と重なり、直視ができない。
「これ以上、彼に変なもんを背負わせたかねえ。もう、勘弁してくだせえ」
自分は今回も、ただ守られているだけだった。
仲間を失った彼女がそうであったように、誰かのせいにしなければ、自責の念で立てなくなる。
今、都合の良い位置に立っているのが、皮肉なことに彼だった。
「ちょっと集中してるから、静かにして欲しいんだすが。ガンセキもそんなのに付き合ってないで、探すの手伝って欲しいだす」
涙を浮かべながら、セレスは唇を噛んで黙りこむ。
「あんたは正しい。でも、彼女を余計に刺激するとは考えないのかしら」
男は相手を馬鹿にしたような口振りで。
「今回は気づけなかっただす。そう言っても、勇者さまは信じてくれないんじゃないだすか?」
悔しさと情けなさに、気づけば歯を食い縛っていた。
「皆さんご存知かと思うだすが、自分は嘘つきだすしね。本当は気づいていたかも知れないだす」
セレスは握りしめていた手を解き。
「気づいていたんですか」
眼球を斜め上に動かす。それは、思い出そうとする仕草。
「さあ、記憶にございません」
片手剣の柄を握りしめ、鞘から払おうとする。だが、セレスはそこで動きを止めた。
ゼドは微動だにせず、両腕を地面に添えたまま。
アクアが彼女の背中を抱きしめる。
コガラシは案内人を守る位置に立ち。
「良く堪えやした。ここらへんで、終いにいたしやしょう」
溜息をつき、首だけを動かして、横目でセレスを見つめる。
「別に斬るなら、斬っても良いだすよ。でも痛いのは嫌だから、一気に頼むだす」
「斬らないもん」
人々を守る勇者になりたい。
責任者は男の背中から視線を反らし。
「その言葉は、冗談として受け取っておきます」
剣道の果て。螺旋の終わり。
これまで成り行きを見守っていたフエゴは、一段落したものと判断し、話を本題に移す。
「で、これからどうすんのよ。おいちゃんとしては、さっさと休みたいんだけど」
無神経なハゲを明火長が引っ叩く。
ゼドは立ち上がると、あらためてセレスと向かい合い。
「じゃあ、責任をとるだすよ。メモリア殿、自分以外にあと三人選ぶだす」
もう一人の案内人である商会員に、ここら一帯の地図を広げてもらい。
「グレン殿と合流。または死体を回収しても、自分は戻らないだす」
ゼドは地図の一点を指さし。
「今日明日と捜索はするだすが、それ以降はどのような結果にせよ、ここで二日は耐えるだす」
メモリアたちは逸早くヒノキに到着し、ゼドは指さした場所で救助を待つ。
「四人なんて自殺行為なの」
たとえ二名加わろうと、生きて戻れる保証はない。
「でも、これ以上は無理なんじゃないだすか?」
これまでと状況は一変していた。
「先ほどの戦闘で負傷者と死者を出しただすよね。自分は戦力外だすが、三人抜けるだけでも、けっこうな痛手のはず」
ゼドは勇者を睨みつけ。
「事前に報告しなかった責任があるだすから、自分は一人でも行くだす」
「監視されてる身の上で、ずいぶん偉そうじゃない」
フィエルはメモリアの前で姿勢を正すと。
「彼の案を受け入れるのなら、私が同行します」
攻守バランスの取れた彼女であれば適任であるが、それに異を唱える者がいるのも当然だった。
女は男を見ることもなく。
「分隊長という立場で、ふざけたこと抜かさないでください」
「まだなにも言ってやせんよ」
それでも抜かす気は満々のようであった。
一般補佐はコガラシの肩に手を置くと。
「私が行きます」
もし彼にも剣道の果てがあるとすれば、たとえそれが気休めであったとしても、戦場での悔いを紛らわせたい。
「お前さんじゃあ、どう考えても力不足でさあ」
その半生は恐らく、こんなことの繰り返しだったのだろう。若くして黄昏の時期に入ってしまった者を、微力だとしても支えたい。
「少なくとも、私は魔力をまとえます」
一般分隊の要となっている人物は、恐らくコガラシではない。
「あっしがここに残るより、お前さんの方が皆をまとめられやす」
補佐は相手の目をまっすぐ見つめていた。
「私は分隊長ではありません」
こうなったらテコでも動かない。
「コガラシさん、貴方は兵士でしょう」
そのことを剣士は嫌というほど知っていた。
補佐は姿勢を正すと、心を込めて分隊長に語りかける。
「鞘の中を確認してから、もう一度考えてみてください」
自分が使っていたものは糞だらけ。残るもう一振りも、木の上に突き刺さったままである。
部下から借りたものは、熊の攻撃を防いだとき駄目にしてしまった。
フィエルにいつも叱られているが、こればかりはどうしようもない。
「あっしがついてっちゃ、一日どころか一戦で使い切っちまう」
「今は輸送任務の最中で、予備もそろそろ無くなってきてるわ」
ボルガや力馬のような運び手がいなければ、持てる数もずっと少なくなる。
「ゼドの旦那に一振り持たせてくだせえ。きっと誰かさんより、大切に扱ってくれますんで」
「剣はいらないだす。そのかわり、朱火の使っている槍をかして欲しい」
明火長はゼドの要求を受け入れ、投げ槍を手渡すと。
「突き刺すと抜けない仕組みになっている。ここをこうやって捻れば、刃の形状が変化して抜けるが、直接振るには向かんと思うよ」
「ありがとう。大切に使うだす」
ゼドは新たな相棒を手に、少し嬉しそうだった。
同行する二名は決まった。
メモリアは腕を組むと、この場にいる面々を見わたして。
「あと一人、どうしようか」
まず勇者一行の三人は護衛対象であるため、外れなくてはいけない。
両分隊長に班長も、立場からして離れるのは難しい。
明火長は頭をさげ。
「原因が我々にあるからには、こちらから一名出したい所ではあります。ですが、申し訳ない」
氷魔熊との戦いで、朱火は戦力を失っている。
うつむくペルデルの肩を叩くと、フエゴが一歩前にでて。
「元々ただの付き添いだし、おいちゃんが行っても良いよ」
明火長は顔をしかめ。
「死にそうな顔して、なに言ってんだか」
人に向かっておばさんと呼ぶが、彼もそれなりの年齢である。威嚇射撃のために、過酷なルートを進んだ身体は、すでに悲鳴を上げていた。
「だいたい、あんたは」
その先を言いたくとも、現状で発することは許されない。
魔獣を倒したあの日から、彼は敬語を捨てた。
責任もなにもかもを放り投げた。
ペルデルとセレスを交互に見て。
「おいちゃんはとても格好悪いオッサンだけどさ、苦しんでる若者を無視できるほど、落ちぶれちゃいないよ」
フエゴは両手の平をパチンと合わせ。
「グレンちゃん結構しぶとそうだしさ。まあ、なるようになるんじゃない」
・・
・・
これから離れて行動するため、フィエルはその支度をしていた。
コガラシは黙って見守る。
「心配?」
「うちの補佐さん、実戦はあまり得意じゃねえんですが、あっしよりずっと有能な兵士でさあ。だから、こんな所で死なせたくねえ」
非戦闘時、彼ほど役に立つ者はいない。
「そう、彼の心配なんだ」
「ちっと、そりゃわざとらしいねえ。もっと潮らしくいたしやせんと」
男と女はそう言って笑い合うが、しばらくして互いに黙りこむ。
コガラシはフィエルの右手を握ると、それを額に持っていき。
「死んでもらっちゃ困りやす。まだ、返事をもらってねえ」
「帰ってきたら、抱擁くらいできるのかしら?」
へっへと笑いながら、片手で頭をかく。
可愛らしいことに、照れているようだ。
「遺体を抱きしめんのだきゃ、あっしは御免ですぜ」
周りに人がいるため、彼女の横髪をさするだけで止めておく。
フィエルはくすぐったかったのか、その手を払い。
「ちゃんと洗ってから触りなさい」
「こりゃまた失礼」
やはり兵士なのだろう。彼女の髪の毛は、少しだけごわついていた。
「大丈夫、私はそう簡単に死なないから。あんたこそ、うっかり死んじゃダメよ」
「どうか生きて戻ってきてくだせえ」
いつかは伝えなくてはいけないことがある。
本当はまだ、勇気は持てない。
そもそもこの国では、彼が思うほど風は迫害されていない。しかしコガラシが恐れているのは、風を拒絶されることではなく、その裏に潜む犯罪組織である。
命を狙われた当時のことは、今でも脳裏に焼きついて離れない。
それでも、あの丸まった背中に応えたい。
・・
・・
これは火炎団ではなく、火炎団の問題である。
「救助には連中を向かわせる」
明火長の発言に、フエゴは心底嫌そうな顔をして。
「おいちゃん、やっぱこのままヒノキ行く」
この男はグレンのためだけに、ゼドと同行することを決めたのか。
「もう良い歳なんだから、自分の発言には責任を持て」
そういったいつものやり取りをしていると、亡骸の確認を終えたペルデルが二人のもとに。
「すみません」
「若いのに気苦労が多くて大変だね。禿げないように気をつけるのよ」
少しは見習えと頭を叩かれたが、フエゴは素知らぬ顔で。
「まだ任務が失敗したと決まった訳じゃないからさ、やれることは互いにやろうじゃない」
ペルデルは力強くうなずいて。
「まずは一行の三名を」
「だけど最悪の想定はしといた方が良い。なにかできることがあれば良いのだが」
明火長にそう言われ、ペルデルはこれまでのグレンとの会話を思いだす。
ボルガが背負っていた一行の荷物を見て。
「そういえば」
一難の先にまた一難と、こうやって火種はまかれていく。
・・
・・
出発の支度をするわけでもなく、ゼドは投げ槍の慣らしに精を出す。
本来は投げる物であり、こういった使い方はしない。だが生活用品のナイフを武具としてきた者からすれば、これは充分な代物である。
突いては捻り、そして抜く。
足を払い、姿勢を崩した瞬間に、ナイフで止めを刺す。
これから戦うのは魔物だというのに、気づけば人間を対象として動いていた。
まともに戦わなくなって、もう随分と時が経っている。
だけど、だから、泣きそうになる。
鼻水をすすりながら。
「なんだすか。まだなにか、言いたいことでもあるのだすか?」
下を向いたまま、セレスはゼドの後ろに立っていた。
少し離れた場所で、アクアとガンセキが見守っている。
「ごめんなさい」
「なにがだすか?」
突くたびに、払うたびに、投げ槍は不慣れながらも応えようとしてくれる。
それが嬉しくて堪らない。
「ごめんなさい」
自分もまだまだ下手くそだけど、一緒に高めていこう。
ゼドはセレスを無視したまま、投げ槍の慣らしにのめり込む。
今、この一時。
「ごめんなさい」
頼むから、邪魔をしないでくれ。
相棒の声を聴き逃したら、お前はどう責任をとってくれるんだ。
誰かの声が聞こえる。
『あの約束を思い悩んでいた私が、まるで馬鹿みたいだよ』
消え入りそうなその叫びに、槍の刃先は動きを止めた。
『いつだってそう』
その場に立ち尽くす。
『ゼドは私と向き合ったことなんて一度もない』
恐る恐る振り向けば、勇者が頭をさげていた。
『あんたは、剣越しにしか私を見ない』
息をつき、肩を丸める。
手に持った槍を、しばし眺めて。
「気にしなくて良いだすよ。自分の日頃の行いが悪いだけだす」
セレスは未だ、こちらを見ようとはしない。
人を散々罵ってきたくせに。ゼドには未だ解らない。
案内人は傾き始めた空を見上げると。
「本当は朝を待ったほうが良いだす」
暗闇の中。この地を歩くなど馬鹿にもほどがある。
「でも自分は生きているものとして動きたい」
たとえ生存していたとしても、二人で夜明けを待つのは厳しい。
ゼドは鼻糞を穿りながら、顔を上げたセレスに向け。
「きっと、彼は生きているだす」
「うん」
涙と鼻水によだれが混じり、とても見られたものではない。
もしここにグレンがいたとすれば、その笑顔を気持ち悪いと言っただろう。