十三話 憧憬
風が吹き、時代が変わる。とても素敵な言葉であるが、それには混乱がついてくる。
格差は差別へと変化する。
不満がなければ革命など、必要はないのだろう。
理想の果てが独裁でないと信じたい。
風が吹いたから、その時代に生きた者は心に闇をもったのか。
それとも闇が強まったから、風が吹いたのか。
なんにせよ、誰かが言った。
風が全ての元凶だと。
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コガラシが天幕から出ると、今日の空も曇っていた。
すでに外で待機していた一般補佐は、一礼をしたのち。
「雨の心配はもうないそうです」
ヒノキまであと三日ほどの位置まで進んでいたが、太陽が隠れ魔物が活発に動きだしたため、二日間の足止めとなっていた。
「この天気ですと、もう少し様子見になりそうですが」
彼らが待機しているあいだ、朱火の者たちは雨中を歩き、これから進む先や魔物の様子を確認していた。
だがその情報を得なくとも。
「実際にここらの魔物さんを見りゃわかりやすよ。どいつもこいつも、目が血走ってやがる」
力馬ルートに入った当初は、少し執念深い程度であったが、明火長の威嚇射撃も少しずつ効果が薄れてきた。
しばらくすると天幕から、続々(ぞくぞく)と一般兵が外にでてくる。
ある者は朝の空気を吸い込み、ある者は眩しさに顔をしかめていた。その中の誰かが、二人の会話を聞いていたようで。
「コガラシさんに魔物のことはいえねえな」
「こりゃまた手厳しい」
上下関係というものがあるのなら、メモリアのほうが確りしているだろう。
「それでも魔物と違い、我々には知恵があります」
補佐が誰よりも忠実であるからこそ、この分隊は成り立っていた。
「まあ、やることは変わりやせんよ。あっしらは阿呆みたく鍛錬して、敵を殺すだけでさあ」
ゼドは彼を良い上司だと言っていたが、それが優秀だとは限らない。
補佐は皆の前に立つと、おはようの言葉もなく。
「我々は所詮、一般兵です」
鍛錬はほぼ毎日であるが、そこまで厳しいものではない。
「しかし役目があるからには、それをするための準備を怠ることはできません」
どちらかと言えば最初の数ヶ月、兵士となるために受けた訓練のほうが、精神的にも肉体的にも辛かったのを彼らは覚えている。
コガラシが教えるのは心構えではない。それを叩き込むのはレンガ軍の役目である。
一対一の戦いなど必要ないのだから、どう頑張っても彼は、生粋の兵士にはなれないだろう。
走りこみは現状だと無理なため、素振りで身体を暖めたのち。
「じゃあ今日は三人一組でいきやしょう」
そこら辺の木や岩を魔物に見立てて訓練をする。
二人で一体を、三人で一体を仕留めるには、どうすれば良いのか。三人で十体を、十人で三十体と戦うには、どうすれば正解なのか。
そんなことコガラシは師匠から教わっていない。
敵を引き付ける者。動きを封じる者。息の根を止める者。
多勢と戦うときの位置取り、そのときの死角はどこになるか。
補佐と手探りで今日まで色々と考え、仲間とともに一つずつ実戦に取り入れてきた。
剣士は得物を担ぎながら、辺りを見渡して。
「いつも君らには、世話になっていやす」
皆が集中しているため、コガラシの声は誰にも届かない。
本当なら、部下たちの信用はすでに失っていたはずである。自分から全てを打ち明けるなど、今も昔もそんなこと、意気地なしにはできなかった。
「お前さんには、足を向けて寝れやせん」
補佐は自ら率先して、兵士たちに指示を飛ばしていた。
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無類の修行好きであれば、その光景は見ているだけで至福の時間だろう。
実際にガンセキはとても楽しそうであった。というか興奮しているのか、すこし鼻息が荒い。
そんな責任者を横目に見ながら、ゼドは今日も鼻糞をほじっていた。
剣の師。
「沢山の兵士を育てた立派な人だったそうだすが、たぶんコガラシ殿と過ごした時間は、掛け替えのないものだったはず」
彼からすれば。彼だからこそ、その気持は嫌というほどに理解できた。
「心は最初からもってなくちゃ駄目なんだす」
「それがなければ、ただの押しつけですからね」
勇者からすれば、さぞ迷惑だったはず。
「牛魔双角。あれはまだ実戦で使わせちゃダメだす」
「俺もそう思います」
地面に手を添えなければ、魔法は使えない。ガンセキも例外ではなく、多くの土使いはそう教えられていた。
ボルガがどのような選択をしたとしても。
「教えちゃいけない理由はないだすよ。少なくとも、修行は好きなようだすしね」
本音を言えば教えたほうが良い。ガンセキはしばし考えたのち。
「もしグレンが交渉に失敗すれば、兵士に頼らなければいけなくなります」
だからこそ責任者は、フィエルに針壁のことを教えた。
「所詮は一般兵か。あの補佐さんはきっと、嫌なことをたくさん経験してきたんだすね」
時に理不尽な命令にも、嫌な顔一つせず従うのが、兵士という仕事である。
上に立つ者として、本当に優秀なのは分隊長ではないのだろう。
「俺も責任者だなんて偉そうな立場にいますが、コガラシさんを悪くは言えませんよ」
「どこだって、そんなもんだす」
ゼドの考える良い上司が、優秀だとは限らない。
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二日も同じ場所に留まれば、それなりの生活環境はできてくるものである。
ある程度広いというのが大切ではあるのだが、守りという点においても有利に運べる場所が好まれる。
いかに魔物の身体能力が優れていようと、どこでも楽々と動けるわけではない。接近してくる経路をあらかじめ予想することにより、そこに兵士や団員を置く。
予想どおり近づいてくるとは限らないため、土使いが領域で網を張る。
このような対策を立てることで、彼らは安全地帯をつくり、そこで寝起きをする。いざという時、すぐに動ける場所で待機をしたり食事をとる。
そんな野営地の一角に、ガンセキとデカブツは立っていた。
「ということで、双角を使う上で教えたいことがあります」
この武具を装備していると魔法を使い難い。
本人も自覚はしていたようで、ボルガも不満はないのだろう。責任者がメモリアから許可をもらうと、嫌がることもなくついてきた。
「へぇ。それはありがてぇんですが」
教えを受ける前に、ボルガとしては伝えておきたいことがあった。
「おれは敬語が苦手だから、失礼があると思うけど、大目に見てくだせぇ」
なんどか怒られた経験があるのだろう。ガンセキは微笑みながら。
「うちにも似たような者がいるので、その点はお気になさらず」
デマドの時は目が笑ってなかったが、今は本当に楽しそうである。なんとなく安心したのか、ボルガは頭をさげ。
「そんじゃあ、よろしく頼んます」
ガンセキはうなずくと、自分の両手をボルガに見せる。
「そもそも二足歩行の生物は珍しい。人以外は大半が前足や後ろ足ですよね」
与えているのは神ではなく闇の存在だが、魔物は魔法を使っている。
「まぁ言われてみれば、たしかにそうなんだなぁ」
相手に向けていた手の平を地面へ添えると、自分とボルガのあいだに岩の壁を召喚する。
趣味は読書だが、彼は資料を漁るのも修行の一環として好きだった。
「土魔法を使う時は大地に両手を添える。この教えが広がり始めたのは、恐らく古代種族が去ったあと」
フエゴが炎だとすれば、ガンセキは土を探求した者といえる。
「両手を添える必要はねぇんですか?」
壁を土に帰すと、その言葉にうなずきながら立ち上がる。
「実際に見たほうが早いですね」
片足を持ち上げて、靴底で地面を叩く。
新たに召喚された岩の壁を触りながら、ボルガは息を漏らす。
「こりゃあ、すげぇんだなぁ」
それでも自分なりに検討したいのだろう。ガンセキの真似をして、靴底で何度か試したのち。
「おれはもう思いこんじまってる。腕からじゃないと、ツチが返事をしてくれねぇです」
この男は土使いとして、責任者よりも鋭いところが多い。ボルガがそう判断したのなら、別の方法を提案したほうが良い。
「短剣を地面に突き刺して岩の剣にする。今のような間違った教えが意図的に広まっても、こういったものが残るのは当然の結果です」
「使い慣れた武器は、自分の手と一緒なんだって教わったなぁ」
このように誤魔化すことができるから、残ったのだとも考えられる。
ガンセキは壁の維持をやめると、次に杭を地面に突き刺す。
「こうやって得物に岩をまとわせるだけでなく」
ハンマーで地面を打ち、岩の腕を発動させる。
「壁や腕をつくりだすことも可能です」
実際にはツチとの繋がりを強化する能力なのだが、それを発動させなくとも、この程度ならできないことはない。
「あと俺がこれを使うようになってから、まだそれほど時間は経っていません」
手に馴染んでいなくとも、武具からツチに願いは送れる。
ボルガはその教えを受け、双角を握りなおすと、大きく振り上げて地面に突き刺す。
それは一瞬であったが、大地が盛り上がり、岩へと変化してすぐに土へ帰る。
結果はでた。
「足でやるよりも、こっちの方がなんか良い感じなんだな」
牛魔走法のときは自分の胸を頭として、両脇を角の生え際とする。
「魔法を使うとき、双角が腕の一部だと思い込めば、もっと上達するはずです」
それでも手袋などをすれば、細かい作業は難しくなる。
「離れた場所や寸分違わぬ位置に壁をつくるときは、直接地面に触れた方が良い」
「ありがとうごぜぇます。ちっと練習してみるんだな」
ガンセキのうなずきを確認すると、ボルガは何度も同じことを繰り返す。
その光景をこっそり眺める者がいた。
いつかの時を想いながら、重なっては薄れていく。
誰にでも老いは訪れる。
黄昏の時期に入り、結果を残せていなければ、不安は過る。
勇者に剣士としての心がないことは、彼だって気づいていた。
それでも、自分の剣には価値があると信じていた。
本当はなんでも良かった。
迷惑がられても構わない。
憎しみだけでなく、なにか一つ、彼はあの娘に伝えたかっただけだ。
戦い続けた。
魔法というものに抗い続けた半生には、もう剣しか残っていなかった。
残せるものが、剣しかなかった。
ボルガは同じことを、馬鹿みたいに何度も繰り返す。
ガンセキは飽きもせず、傍らでそれを見守っていた。
鼻糞をほじるのも忘れ、男はその情景をずっと眺めていた。
予定では次か、長くてもその次でこの章は終わりだと思います