十二話 達成感
闇が徐々に支配を強めるころ、未だメモリアたちは移動を続けていた。
「本当にいない?」
「だからそう言ってるじゃないだすか。しつこい女は嫌われるだすよ」
すでに目視での警戒は難しくなっているため、今は土の領域だけが頼りであった。
「嘘だったらごはん抜きだよ」
今にも相手を殺しそうな眼光から、ぽたぽたと涙が流れ落ち。
「なんで信頼してくれないんだすか。自分はこんなにも、メモリア殿を信じているのに」
「よくもまあ、いけしゃあしゃあと」
両手で地面をなでまわすと、真剣に領域を展開させている素振りをして。
「そもそも熊さんは、この時期まだ冬眠中なんじゃないだすかね」
今は春の手前。その種が活動をはじめるのは、もう少し先であった。
メモリアは呆れた口調で。
「なんでおじさんが勇者さまの案内人なの?」
ここは褐色の大地に近いため、そこからの影響を受けやすい。またヒノキ周辺は時が狂わされているせいか、冬眠をしない種も確認されている。
その程度の情報すら把握していないなど、案内人として失格ではないのか。
ゼドにも一応だが、ボロ雑巾ほどのプライドは残っていたようで、メモリアを睨みつけると。
「熊さんは冬眠前が一番危険だし、ヒノキ周辺じゃなくても、真冬に活動することだってあるだす」
ふとした切欠で、まともな言葉を返してくるから、彼女はこの人物に気を抜けない。
「厄介な魔物だってことは自分も承知してるんだすがね、臆病な生物ってことは、度を過ぎると余計な刺激を与えるんじゃないだすか」
相手が怖くなければ、警戒など必要ない。
「自分たちの存在をあえて気づかせて、相手を遠ざけるって手法もあるんだすよ」
魔物によって対応が違うのは当然であるが、それを実行するのはかなり難しい。
鈴を鳴らしながらの移動では、沢などが近くにあると音がかき消されてしまい、遭遇する危険が高くなる。
「弱気になっちゃいけないってことなの?」
「攻撃するかどうか。魔物の判断基準は憎しみだけじゃないだす」
優れた力は安心となり、やがて油断へと変化する。
「私よりオジサンのほうが、きっと性根が腐っていると思うの。理由があったのなら、ちゃんと言ってくれないと伝わらない」
メモリアはゼドをあてにするのは止め、今まで通りの移動を再開させた。
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しばらくすると、先行隊の一部とメモリアたちは合流した。
力馬を守っていた者たちと比べ、現れた班長はだいぶ汚れている。
「あと四五分ほどで野営地につきます。ここからは俺らが護衛させてもらうんで、一般兵は休ませたほうが良い」
班長はメモリアの前にコガラシと接触したわけだが、あの戦闘狂は目が血走っていた。
「お願いします。勇者さまも疲れてるだろうし、そうしてもらえると助かるの」
「今までの戦いぶりで優秀なことは俺も把握してる」
剣士に限らず、戦いの中で興奮するのは珍しくない。それは士気が高いとも言えるが、現状の輸送任務だと障害にもなりうる。
「ですが一般兵ですし、明日からはちょくちょく持ち場を交換したほうが良いと思います」
力馬の前方。その位置は魔物との戦闘を引き受けることが多い。
並位属性使いと違い、常にまとっていられるほど、一般兵は魔力を持ってはいない。
「本当は私の役目を交代で務めてくれると良いんですけど、前にでたいって人だから」
兵士として指示には従うが、イザクと違い剣士の性分は隠さない。
一般兵はまだ余力も残っているが、分隊長の興奮状態は他者にも伝染するため、頭を冷やさせたほうが良い時もある。
領域を展開させているゼドの背中は、いつだって穏やかに丸まっていた。
「興奮で自分を見失うような二流なら、勇者に接触なんてさせないだすよ」
とても小さな声であったが、責任者の耳には届いていたようで。
「少なくとも今日は、冷静に動かれてました」
アクアは班長の引き連れてきた団員たちを見渡しながら。
「グレン君は別行動かな?」
「はい。今は野営地の支度をしてもらっています」
基本は真面目な性格であるため、そうそう迷惑はかけないと思っているが、責任者の立場からして心配なのは当然である。
そんな内心に気づいたのか、ペルデルは苦笑いを浮かべると。
「良く働いてくれて、とても助かってますよ。本人にお願いされたとおり、うちのお偉いさんに赤の護衛は素晴らしいと伝えておきます」
ガンセキは目もとを手で隠し。
「本当に何と申し上げてよいやら、感謝の言葉もありません」
「まったくグレン君は、図々しいにも程があるよ」
敬語を使えないアクアにだけは本人も言われたくないだろうが、この場にいないのだから返すこともできなかった。
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・・
一方そのころ、グレンは商会員たちと野営の準備に入っていた。
そこは集落跡ではないが、なんらかの作業場だったようである。だいぶ前に切られたまま放置されていた木材が、壁のない小屋に積まれていた。
近くには崩れた窯があり、木炭でもつくっていたのだろうか。
今は商会員と天幕を張っていた。
「前から思ってたんすけど、今日は天気も良いし、こんなの必要なんすかね」
これは火炎団の私物であり、今まで使っていたものより一回り小さい。
「清水も無料ではありません。微魔小物にも毒持ちはおりますので、安全第一ということです」
清水運び。雨が降らなかったとしても、決して楽な作業ではない。
グレンは天幕の硬い布をさわりながら。
「鉄工商会ってのは鉄だけじゃなくて、色んな物に手を出してるんですよね。レンガは服とかも生産してるんすか?」
勇者の村だけでなく、その周辺の村々は糸を紡ぎ、機を織る技術が伝わっている。
「名産とまでは行きませんが、昔の名残ですかね。工場は鉄工街の隅に小さいのが幾つかあったかと」
魔物狩りに夢中であったため、故郷のことは良く知らないが、もしかすれば財源は勇者だけではないのかもしれない。
勇者の村で織られた生地など、その銘柄だけで凄い値段がつきそうである。
鉄工商会。
「ほんと、おっかない組織っすよ」
杭を地面に刺し、それをハンマーで打とうしたが、狙いがそれてしまう。
我ながら不器用だと思うが、苦笑いで作業を続けながら。
「借りを返せれば良いんですがね」
グレンはあの女が怖い。
「損と得ですか。今はあの方の口癖になっているようですね、とても立派になられて」
「昔からの知り合いなんすか?」
商会員は頭を左右に動かすと。
「どちらかと言えば、彼女の教育係だった者とは、何度か仕事を御一緒させてもらいました」
どの職業にも、師やそれに属する存在はいるらしい。
「仕事の鬼とは、彼のような人物なのかも知れません」
すでに引退しているのか、もう死んでいるのかは解らない。
「なんか、すげえ人なんだってのは想像できました」
「はい、凄い方でした」
商会員は苦笑いを浮かべると。
「正直に言わせてもらいますと、彼女には似て欲しくない」
鬼とまで呼ばれるということは、その職に命をかけていたのだろう。
グレンは気になる。今話しているこの人は、以前どのような仕事をしていたのか。
ここよりも険しい場所。それも同じ道を行来するのではなく、国中を歩きまわっていた。
「要らぬ話をしてしまうのは、私も潮時ということですな。さあ、早く作業を進めましょう」
アルカとの会話に登場した、代弁者のような役割だったのか。
死ぬまで現役を貫き通す者。
後任に託し去っていく者。
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一団が野営地に到着したころには、なんとか一通りの作業を終えていた。
パチパチと音を鳴らす炎は赤色を弱め、今は暖かく辺りを彩る。持ち運ぶのは苦労するが、大きな鍋は皆の心を安定させるのに、とても大切な道具であった。
「すこし横にならせてもらいやす」
ごはん抜きにされることもなかったようで、ゼドは木製の器にもられた粥を一口すすり。
「食べないんだすか?」
天幕の前で、コガラシは背中を向けたまま。
「残ってたら、あとでもらいやす。とりあえず、今は休みてえ」
誰の返答も待つことなく、中へと入ってしまった。
現在メモリアは見張り中である。本来ならゼドもそれに従うはずなのだが、お腹がすいたと泣きわめいたため、今はフィエルが彼の面倒を見ていた。
「興奮冷めやらぬって感じだすね、あんな様子じゃ寝れないと思うんだすが」
天幕に視線を向けることもなく、黙々と夕食をとっていたが、ふと動きを止め。
「あんな調子で、ヒノキまで体力が続くとは思えないけど」
一般兵だとすれば、常に魔力はまとえない。ましてや魔力なしであれば尚更である。
皿底に残った汁を意地汚く舐め回しながら。
「レンガ軍は良いところだと思うだすよ。場所によっては、魔力なしはぞんざいに扱われるだすからね」
コガラシの部下には一人、本物の魔力なしがいる。
彼は今、食事もとらずに片手剣の手入れをしていた。剣士ではないようだが、兵士としての誇りは感じられる。
元来一人ぼっちだから、そんな人生はあり得なかったとしても。
「コガラシ殿のような人の下につくことができたなら、また違った人生を歩めたと空想するほどには、良い上司だと思うだすよ」
「あなたは魔力なしだったかしら? それに人格はともかく、低位魔法の技術はもっと評価されるべきね」
デザートの鼻糞を味わいながら。
「魔法なんか糞食らえだす」
ゼドにとって魔法とは、昔からそういった認識である。
「よく解らないけど、あなたから魔法をとったら、もうなにも残らないじゃない」
酷い言われようだが、返すこともできないため、不貞腐れるしか道はない。
「どうせ自分はなにも残せないダメ人間だすよ」
間者としての働きは、偉業としても良いくらいである。
しかし本当に残し、伝えたかったものは、なに一つ。
「コガラシ殿はなんで、ここに戻ってきたんだすかね」
その発言を受け、フィエルは初めて視線を天幕に向けた。
「未練でも、あったんだすかね?」
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ランプの明かりに照らされた、緑色の刀身は美しかった。
お前が母さんを守れと、父に押し付けられた物である。
「こりゃまた困ったもんで」
この懐刀に魔力をまとわせれば、その量によって風に乗せたときの切れ味が増す。しかし直接斬ってしまえば、刃毀れは免れない。
手に持った武具だけを対象とし、金属を丈夫にさせる。こういった力を宿した玉具を購入しなければ、懐刀は少しずつ消耗していく。
本当はそろそろ研師に依頼をしたほうが良いのだが、風使いであるからして、それをする勇気が持てない。
守れと言われても、あの頃の自分にそんな力があるはずもない。
戦うこともできず、ただ母に手を引かれ怯えていた。
レンガに到着するまでの出来事は、コガラシの心に深い傷を残し、今も血を流し続ける。
「休むんじゃなかったのかしら?」
突然声をかけられて、そそくさと刃を鞘に帰す。
「興奮しちまいやして、どうも眠れねえ」
「それ、昔から肌に離さず持ってたけど」
なんとなく予想はしていたのか、それとも母親から聞いていたのか。
「お父さんの形見?」
「ええ……まあ。そんな大層なもんじゃありやせんが」
刀身を見られていないか、コガラシは動揺をなんとか隠し。
「あっしの私物んなかじゃ、一番高価な品でしてね」
フィエルはこの親子の過去をあまり知らない。
「どうせ眠れないんじゃ、食べといたほうが良いと思うけど」
目の前に置かれた器の中には、干し肉入の粥が注がれていた。汗もかいているため、塩分はとっておいたほうが良いだろう。
「フスマって、どんな所だった?」
「さあ、もうずいぶん昔のことでして」
覚えているはずもない。滞在していたのは、ほんの数週間である。
「あっしからしてみりゃ、レンガが故郷でさあ」
「おばさんも、あんたもいつもそうやって、話をはぐらかしてた」
母心からすれば、コガラシを頼むとか言いそうなものだが、そういった発言は一切なかった。
とても居心地の悪い沈黙が、二人のあいだに流れる。
「ヒノキについたら、手紙でも書いてみたらどう?」
コガラシは顔を上げ、目を見開いてフィエルを映す。
「届くかどうかもわかりやせんし、間に合うとも思えねえ」
「それでも、ちゃんと想いは伝えたほうが良い」
未練を残したくないのなら。
「あっしには……なに書いたらいいか」
「私が手伝っても良い。それが嫌なら、自分で考えるしかないわね」
母と向き合うのが怖かった。でも、聞きたいことはある。
「なぜ父と結婚したのか。あっしを産んで後悔はないのか」
どうして俺を産んだのか。
フィエルには事情が解らない。
「オバサンが今、どう思っているかってこと?」
頭をかきながら、コガラシは力なく頷いた。
「そんなの、一つしかないと思うけど」
心中を思い悩むほど、追い込まれた親子だったことは、すでに彼女も知っている。
苦労をしたのだろう。
「やりきった……じゃないの?」