七話 返事がない
十四時ころには朱火の団員と接触し、小隊長は行く先の様子を聞く。赤の護衛は当初の予定通り、ペルデルたちと行動を共にすることとなる。
現在二日目。
三日目より、この一団は二手にわかれて本陣を目指す。
【荷馬車ルート】
道の状況はかなり悪く、積荷を下ろすなどの手間も考えられる。予定ではヒノキ到着まで、十日から十五日のあいだ。
最終決定権は一般小隊長。
護衛は一般分隊二十名と属性分隊十名。
荷馬車の管理は商会員数名。
五名の朱火団員が先行し、班長補佐がその指揮を取る。
【力馬ルート】
道は多少険しいものの、宝玉具を装着した馬の足は速く、かなりの時間短縮となる。予定ではヒノキ到着まで、六日から十日のあいだ。
ただし、馬車と比べ積める荷は少ない。
フエゴとグレン、そして案内人(商会員)を含めた先行の十九名。
今夜は輸送隊の野宿地を通り過ぎ、前もって下準備をすることにより、メモリアたちの進行を円滑なものとする。
その下準備に魔法陣を使用するらしく、明火長も先行部隊には同行しているが、指揮権を持つのは班長となっている。
一般十名と属性十名。最終決定権はメモリア。
コガラシの戦闘癖が予想されるため、今後先行隊に彼が回される可能性もある。
・・
・・
野営地。
周囲にはまだ岩と黄土が残っているが、少しずつ薄緑の草が目につく。まだ少ないものの、この先を進んでいけば木の数は増えていくだろう。
辺りはまだ明るいため、今ごろペルデルたちは、力馬ルートに入っているころと思われる。
ここ野営地では、それぞれが朝を迎える準備を始めていた。
明日より二手に別れることもあり、この一団の上席者たちは照明玉具を囲う。
話し合いと言っても、すでになんども繰り返していた。しかし通る道が両方とも楽ではなく、なにより勇者一行という護衛対象も含まれるのだから、念入りになるのは当然だろう。
その場に集まるのは、一人を除き力馬ルートを通る面々であり、ほか分隊長はそれぞれの役割につく。
小隊長・属性分隊長代理・戦闘狂の一般分隊長・勇者一行の責任者。
本当はセレスも加わるべきかも知れないが、今はアクアと共に夕食の支度を手伝っていた。内容も簡単なものであり、それほど時間はかからないが、太陽が隠れる前に調理は済ませたほうが良い。
話し合いも終盤となり、確認事項もなくなったころ。メモリアの付き人がなにを思ったのか、草の生い茂る地面に両膝をつけ。
「お願いがあるだす。もっ もう、じっ じぶんは」
ヒック、ヒックと喉を鳴らしながら、ゼドは頭を草に打ちつけて。
「つらいだす こ、怖いだすぅ」
そう言いながらメモリアを指さしていた。
「なにオジサン。私がなにかしたの?」
ゼドは頭をあげる。額には土と草がこびりついており、人を殺すような眼光からは涙が頬をつたう。
自慢の穴からは鼻水が流れ、臭そうな液体が顎をぬらす。
「このひどごわいからあ゛ 今晩だけで良いだずから、だれが別の人が自分の面倒をみてくだざい」
開かれた口内から見えるのは、上下の歯をつなぐ涎の糸。
「ちょっと、やめてよ。人聞き悪いの」
「どうかぁ どうか、頼むだずぅ」
再び地面に頭をこすりつける。
「……ひどいよ」
これまでの彼女の行いは当然のものであり、むしろ甘いくらいであった。勇者一行の案内人でなければ、この程度ではすまないだろう。
「いじめないでぐだざいぃ」
終いには大声で泣き始める。
駄目だこいつ。
そう思ったのは、この場にいるほぼ全員だろう。
ガンセキは今のゼドに多少慣れたのか、困惑しているメモリアに近づき。
「気にしないほうがいい。この人は平気で嘘泣きするので」
「嘘じゃないだすよ。これを見るだす、これが本物の涙なんだすよぉ」
たしかに液体は流れているが、瞳は濁っていて汚い。
「感情操作に関しちゃ本物でさあ」
この男が本気で泣けば、恐らく全員を己の場に引きずり込む。
他国の勇者一行を含め、幾多の強者を殺めてきた化物という事実。
コガラシは責任者を見つめ。
「旦那さえ宜しけりゃ、あっしが御一緒いたしやす」
気づけばゼドの目は枯れていた。
「お兄さんが自分の面倒をみてくれるのだすか?」
赤く染まった頬に両手をそえ、身体をくねらせながら。
「ご指名されちゃっただす」
ガンセキは危険を感じ、即座に首を左右に振り。
「俺としては、このままメモリアさんにお願いしたい」
代理はどこか冷めた目で。
「それを決めるのは私じゃないの」
暗くなりかけの天を仰いでいた小隊長は、嫌々ながらもゼドについて考える。
「この二人を組ませると、ろくなことしない気がするが。まあ、一人にずっと押しつけることもできないか」
ガンセキはゼドに辛く当たれない。
「申し訳ないがもしものとき、俺じゃこの人を止めるには力不足だ」
その点に置いては自分より、メモリアのほうが優秀だと、責任者は考えている。
小隊長は咳払いを一つ。
「一晩くらいなら、まあ面白いかな」
代理は眉をしかめ。
「大丈夫なんですか」
「毒は毒をもってなんとやら、中和するかも知れないだろ?」
そもそも問題行動の多い自分の部下を、今回の重要任務に推薦するような人だった。
類は何とかを呼ぶというが、小隊長もけっこう適当。いや、いいかげんな性格なのだろうか。
メモリアは周りに気づかれないよう息をつくと。
「判断に従います。それじゃあ、私ごはん食べても良いですか?」
もともと順番は決まっているため、小隊長の許可を得たのち、代理はちょこんとお辞儀をしてその場を離れた。
・・
・・
メモリアはうつむいたまま、部下たちに指示を送る。
「ご飯たべよ」
補佐は彼女の来た方角を見渡して。
「案内人さんは?」
顔を上げた分隊長はいつもの笑みを浮かべ。
「今夜はね、コガラシさんが面倒みることになったの」
「それ、やばいでしょ」
フィエルが顔をしかめるのも肯ける。
部下の誰かがぼそっと言った。
「たぶんサボるな」
こういった認識を持たれている連中である。
「毒は毒をもって制すんだって」
「同じ馬鹿ってことかしら?」
戦闘狂と気狂いは、なにを考えているのかわからない。
「なにがいけねぇのかわかんねえけど、食って良いんじゃ、おれは飯をくうんだな」
ただの馬鹿は立ち上がると、炊きだしを受けとりに行く。
メモリアはその無駄にでかい背中を見つめながら。
「あのデクノボウ」
語源は不明だが、役にたたない人、気の利かない人といった意味が今に伝わる。
「でも命令には忠実ですし、あれに比べれば、ずっと良い兵士よ」
フィエルやイザクはこの分隊に所属して日が浅い。
「ボルガが命令違反をすると、だいたい流れが良い方に傾くの」
頭は悪いが、根本は見すえている。
「壁系の魔法だけなら、たぶんレンガの属性兵でも飛び抜けてると思う」
姐さんと呼ばれているだけあり、補佐または代理の地位になるまでは、良く一緒に修行をしていた。
・・
・・
メモリアは炊きだしを受け取ると、座る場所を探す。いつもはフィエルと食べているのだが、なぜか今日は彼氏のことで頭が一杯のようである。
休憩中とはいえ、仕事の最中なのだからやめて欲しいのだが、まあ仕方ない。
「代理、一緒にどうだい」
部下に勧められたが、苦笑いで断っておく。
正直いえば、彼女はあまり男性が得意ではない。
自分たちを捨てた父が憎い。
故郷の大人たちが怖い。
鉄工所で出稼ぎをしていたころ、優しい言葉で自分を騙した男は、今でも許せない。
それでも責任感の強い兄は優しかったし、いつも心配してくれる弟は可愛い。
なにより彼女との将来を本気で考え、その家族を村から開放しようと、一生懸命お金を稼いでくれた男もいた。
人は財産であり、属性使いは最大の稼ぎ頭でもあるため、貧しい村との交渉は命がけ。
たしかに男は苦手だか、彼らのお陰で嫌いではない。でも嫌な記憶が多いから、やはり警戒はしてしまう。
「うめぇ」
この男、最初はすごく怖かった。
「これは、うめぇんだなぁ」
無駄にデカイのである。
「おいこらボルガ、食べ物粗末にすんな」
「ああ、姐さんか」
スプーンの持ち方をみれば誰でもわかるだろう。
「邪魔しねぇでくれ。おれは今いそがしいんだ」
ただのバカだった。
メモリアは自分のスープを地面におくと、デカブツのとなりに座る。
「おまえ食べ方汚い。ちゃんとキレイに食べないと、お母さんに怒られちゃうよ」
「そりゃあ困るんだな、母ちゃん怒るとおっかねぇんだ」
本人から得た情報であり、そこまで詳しくは聞いてない。
彼の実家である食事処は、父が倒した魔物の報酬を元手にして建てられた。
メモリアはギルドがあまり好きじゃない。
父が嫌いだから。そのせいで酷い目にあったのを、今日まで忘れたことはない。
「ほら、ちょっと食べるのやめな」
布でボルガの汚れた鎧を拭く。
病気で死んだ妹も、もっと上手に食べていた記憶がある。
「だから姐さん、邪魔しねぇでくれって」
「まったく」
メモリアは溜息をつき、鎧を綺麗にするのを諦め、自分のスープを手に持つ。
少しの乾燥野菜。米か芋でも混ぜてあるのか、粘り気がちょっとある。
ちょびちょびとすすっていく。
グぅ~という音がなる。
気づけばボルガが明後日の方角を眺めていた。
メモリアは硬いパンをナイフで半分にし。
「ほら」
ボルガの空になった食器に放る。
「いらねぇんだな。おれはこう見えてもよぉ、力馬と同じで燃費が良いんだ」
「さっきから、誰かのおなかがうるさくてしかたないの」
自分のスープをスプーンですくい、空皿の中にある硬いパンを湿らせる。
こまった子ほど可愛いというが。
「姐さん性格わりぃから、後が怖ぇんだよなぁ」
パンを掴むと一気に噛み切ろうとするが、硬くて手こずる。
「おいこらボルガてめえ、礼ぐらい言えないのか」
可愛くはない。
・・
・・
辺りはだいぶ暗くなっていた。後方から玉具の明かりが照らしてくれているものの、探る先はなにも見えない。
数名の一般兵が前にでて、自らを明かりとする。
「ありゃちっと、可愛こちゃんが可哀想ですぜ」
「彼女の本性は冷酷な機械なんだす。お兄ちゃんも可愛いからって、あの忌々しい上っ面に騙されちゃ危険だすよ」
分隊長は首を傾げ。
「そうですかい? あっしには、ただの強い子にしか見えやせんが」
「どっちも変らないだすよ」
気をはって、負けないように。そういうのを見ていると、心の底から虫酸が走る。
「あれが育つと、ほんとに厄介なんだすよ」
「へえ」
なんど地面に叩きつけても、自分に憎悪の眼差しを向けながら立ち上がり、震えた剣を再び構え直す。
「それでたぶん、最終的には凄く嫌な性格の女になるだす」
「あっしに女のことは解りやせんが、そんな単純じゃねえでしょ?」
ただ単に、嫌いな女性を一緒くたにしているだけではないのか。
「女どもはみんな自分を馬鹿にするんだす。でも自分はお利口だからわかるんだす、馬鹿にする奴が本当の馬鹿なんだす」
こんな口を叩きながらも、地面に手を添えているのだから、やはり侮れない人物である。
「低位魔法をそんだけ使えりゃ、あっしらよりゃマシじゃありやせんか」
コガラシはもともと打撃に特化した剣術だが。
「イザクの旦那、今はちげえが本来の得物はたぶん刀でさあ」
魔力があれば宝玉具を使える。
「戦場で活かし難いからって、打撃の剣に持ちかえる時点で、自分からすれば考えが生温いんだすよ」
水属性の鎖帷子により、暑い場所では熱を防いでいる。この国ほど鉄製の防具は普及していなくとも、鎧系統(氷と岩)の魔法を使う魔者も多い。
「昔は刀を得物とする剣士がそれなりにいたからこそ、実戦向きの物を作る職人も少しはいたそうなんだすがね」
桑などの農具を造っている者が、間に合わせで武具を拵えていた時代もある。
「切れ味を優先させた剣ってのは、最近じゃただの美術品でさあ」
レンガでも式典や日勤内務の一部でしか使っていない。
光の一刻。
宝玉具の流通が始まったころ、刀の時代は完全に終わった。
ゼドは領域を消すと、その場で立ち上がり。
「自分が剣士だったころ、戦いの場で魔力まといなど使わなかった」
炎魔豚と戦ったとき、彼は火傷を負っている。
「あんなもの、剣に対する冒涜じゃないだすか」
そうなんども教えても、私は女だという戯れ言で、魔力まといを止めなかった弟子がいた。
「あっしの師匠は普通に使ってやしたがね」
「それはお兄さんの流派だから良いんだすよ。教えを受けるのなら、せめてその期間は従うのが礼儀だす」
だからゼドは師に言われ、やりたくもない領域魔法の鍛錬をした。
「少なくとも自分の流派では、大切な戦いの場に魔力まといを許したくないだす」
精神的な教えは何一つ聞かなかったが、力を得る代わりとして、ゼドはそういったものを守っていた。
でも自分の弟子からは考え方が古臭いと、良く馬鹿にされたものであった。
「あんた剣は捨てたようですが、不殺の意志は持っちゃいやせんよね」
現に魔物を平気で殺している。
「最後に戦ったとき折れちゃっただす。新しいのを求める根気は、もう自分にはないだすね」
伸びていた背筋を丸めると。
「剣士が殺すのをやめたら、それこそなんも残らないだすよ」
必要なら、今でも人を殺めることはある。
コガラシは目を閉ざし、腕を組む。
「玉具なしの刀を長年使うなんて、あっしにゃ到底無理でさあ」
戦ってはいなくとも、この会話は戦闘であった。殺し合いに限らず、ただの試合でも、真面目であれば誰だって集中する。
心技・一
相手の集中状態を利用し、心の隙間に刃を通すことで、対象の思考を一瞬停止させる。
「量産品だからか魂は薄いだすが、製作者の執念が邪魔しないのも一つの利点だす」
全ての刃物には、神の亡骸が宿っている。
「これだって、丁寧に造られてるじゃないだすか」
コガラシが腰に差していた片手剣を、いつの間にか手に持って眺めていた。
「懐刀だけじゃなく、この子も大切にしなきゃ可哀想だす」
その一振りを止めるには、鍛錬からなる反射運動しかない。
「高価だから壊さんようにしてるだけで、あっしからすりゃ大事でもありやせん」
父の形見をゼドから守っていた。
この男。師より若いが、恐らく同列かそれ以上。
「剣に生き、剣に死ぬ」
だからこそ、聞きたいことがあった。
「流れに任せて使っちまったんですが、あっしにはその意味が不明でさあ」
ゼドは片手剣の刃を持つと、相手に柄の部分を向ける。
「戦いに生きる人は誰だって、自分の死に美意識を持つだす」
受け取ると、コガラシは片手剣を鞘に帰し。
「あっしにはようわかりやせん」
「愛する人に看取られるのを望む者もいれば」
百人百様。
「戦いの果てに朽ちるのを夢見る人もいるだす」
望み通りとは限らない。
引き際すら気づけぬまま、敗走に出遅れた者たち。
追撃からなんとか逃げ切ったと、安堵した数日後の夜間。
「あっしに出会わなけりゃ、師は剣に死ねたのでしょうか」
「それは酷なことをしただすね」
コガラシは振り向くと、野営地を見渡して。
「最後の教えに従って、あっしはレンガに帰りやした」
魔物だけでは物足りない。
「ここは息苦しくて仕方ねえ。魔者が恋しくて堪りやせん」
彼は誰かと違い、そんな自分を認めていた。
「でも、もどってきてよかった」
母を看取ることはできないかも知れない。
あの子には振られるかも知れない。
本当は一緒に来て欲しい。
でもそれは、彼女の選択。
自分の分隊には愛着がある。振られたら、ギルドに登録する意味もない。
「こっちですべきこたあ、全て終わらせやしたんで」
勇者同盟に編入されろば、今の部下とは別れるかもしれない。
「これで未練を残すことなく、最後まで戦えまさあ」
彼は兵士のまま、剣士として生きるだろう。
ゼドは鼻の穴に指先を当て。
「心を研ぐことの危険性を、自分は内緒にしたまま弟子に教えただす。まあ、これっぽっちも後悔はないだすがね」
穿ろうとしたその手は、そっと下ろされていた。
「自分に都合が良いよう事を運んだようだすが、相手が人間だって忘れてないだすか」
ゼドは意地汚い笑みをコガラシに向け。
「内緒のままで、本当に良いんだすかね?」
なにも選ばず、誰も求めず、兵士を続ける可能性もある。
怖いのか。
「戦狂いのあっしの剣に、そんな道はありやせん」
卑怯者は無意識に、地面へ尻をつけていた。
心技・二
決められた範囲。不安を刺激し恐怖を増大させることで、弱者の戦意を完全に喪失させる。
見下す者
「お前が望んだその道に」
闇に浮かんだ男の顔は
「意味は」
人か
「誇りは」
それとも鬼か
「信念は」
いや違う。
「果ては、あるのか」
この男は、ただの
「自分は思うのだすが」
差し伸べられた手をつかみ、コガラシは立ち上がる。
「たぶんお師匠さんの歩んだ道のりこそが、剣に生きて、剣に死ぬってことなんだすよ」
自分はもう剣士ではないのだろう。でもこれだけは、剣士に伝えておきたかった。
話したこともなければ、顔だって見たことはない。
育ててきた沢山の兵士が死に、もう明日への気力など失っていただろう。
「彼のような剣士が、きっと本物の剣豪なんだす」
理想とする死に場所を捨ててでも、己を生かし、名も知らぬ誰かを活かす。
螺旋を終わらせるために、ゼドは手段を選ばなかった。そんな壊れた者が、剣豪であるはずがない。
コガラシは相手の丸まった肩をつかみ。
「いけねえ。このままじゃ、絶対に駄目でさあ」
ボロボロの服を握り締め、半べそをかきながら。
「あんたは……捨てちゃいけねえ」
馬鹿二人は、全力で仕事をサボっていた。
心技について。
大きな岩に歴史ありで、最初にガンセキに仕掛けたのが、心技一だと思います。