五話 強者の資格
魔物というのは自然の中で生きているため、縄張りどうしの争いもあれば、肉食が群れを襲うこともある。
警戒の度合いも日によって異なれば、普段は大人しい魔物が、時にはいつもより攻撃的だったりもする。
先行していた団員より、それらの情報を得た小隊長は、予定のルートを変更した。
土質が比較的安定していたため、中継地周辺の道づくりは後回しとなっているのが現状である。
高い場所から見下ろせば、この荒野は平坦な眺めであるが、実際にはそうでもない。窪地もあれば、軽く上った先が低い崖になっていたりもする。
過去に道であった場所を慎重に進めば、やはりそれなりの時間が経過してしまう。
収容所に存在した駅と呼ばれる施設。列車はとても貴重であるからして、そのまま放置されるはずもないが、残されたレールは進む上での道標であった。
採石場の近くを通るルートであれば、もっと速く野営地まで辿りつけただろう。
登山道の出入り口。もともと何らかの建物があったようで、木や岩などの残骸が散らかっていたが、広さは充分であった。
人数がそれなりに多いため、野営の支度も楽ではない。撤収のことも考えれば、眠れる時間は余計に少なくなる。
浅い眠りであれば、人間は夢をみる。
・・
・・
陽は暮れ始め、明かり火がパチパチと音を鳴らし始めたころ。
とても大きな天幕から、目的の人物が出てきた。だが周りに何名か邪魔者がいるため、まだ行動は起こせない。
気づかれないよう、距離をおきながら、息を殺して後をつける。
とても偉い人。護衛の兵士は三名。
だが彼はその者たちに興味はなかった。要人の傍で、単独の魔族を常時警戒する強者が一人。
偉い人は小さな天幕に入るが、標的は中には入らなかった。兵士と少し会話をすると、強者は持ち場を離れる。
一人になった。
だが、まだ人目もあるため、行動には移せない。
その後も機会を狙ったが、やはりこのような場所では難しい。
今日も、なにもできなかった。
持ち場を離れたものだから、今日も怒られてしまったが、その声が耳に入らない。
邪魔だ。
周りの人間が、自分の邪魔をする。
伸ばせば手が届くのに、邪魔な人間が多すぎる。
喉が乾く。
なにか、変化を。
矢が飛び交う。
雷鳴が旗を破る。
炎が天幕を焼き、やがて煙が発生し、夜空を覆う。
普通の煙ではない。なんらかの細工が施されている。
不足の事態。清水も手元になく、痰が絡む。
恐怖の足音が大地を揺らし、人ならざる者の叫びが辺りに鳴り響く。
岩壁に身を隠しながら、隙を見ては雷を放つ。
剣の柄。それと手を布で縛りつけ、女は叫びながら走りだす。
男は大地に両腕をそえ、味方を敵のもとまで導く。
敵の数は。
土以外の属性も紛れているのに、なぜ領域が反応しなかった。
苦しい。
息ができない。
なぜ自分たちはこんな思いまでして、こんなところで戦っているのか。
敗色が濃くなれば、死への恐れは増していく。
水をつくれたとしても、消火作業どころではない。
食べ物が燃えろば、明日に絶望する。
喧騒の中
この変化を喜ぶ者が一人
雷撃を避け、飛炎を断つ。
歩みは止まらず、走りだし、飛び上がる。
地面に靴底が触れることなく、一体を兜ごと叩き斬る。着地と同時、咥えていた懐刀を鞘から払い、兜の隙間に差し込んだ。
細く飛び散った血が顔面に付着したが、目は開かれたまま。
魔者たちは一瞬怯んだが、相手が一人と知ると、勢いを取り戻す。
中魔を押しのけ、大きな魔者が前に出ると、巨大な棍棒を振り下ろす。
風が吹く。
剣士は姿勢を低く取ると、片足を軸に身体を動かし、大量の魔力をまとわせた懐刀を一閃。
刃は届かなくとも、なぜか大魔の足を装具ごと切断した。
安定を失ったそれは巨体ごと崩れ落ち、周囲の魔者を巻き込んだ。
使うなと言われていたが、もう我慢はできなかった。
力など興味はない。今はただ、この一時を。
血が滾る。
「俺は、今」
涎が溢れ、喉が潤う。
跳びかかってきた小魔の斬撃を懐刀で受け止めると、相手が地に落ちる前に片手剣で突き上げる。
串刺しにされた魔者は重力に従って、より深く突き刺さる。
「楽しい」
種族がバラバラの混合部隊なのだろうか、小さいのから大きいのまで、色んな魔者と戦える。
重くなった片手剣をその場に捨てる。
近場の兵士のもとまで歩き、彼の剣を懐刀の頭で叩く。その衝撃で剣は落下したが、地面につく前に蹴り上げて、自分の物としてしまう。
「邪魔だ、隠れてろ」
周囲の敵をあらかた片付けると、丸腰の兵士を残して走りだす。
彼だけで戦況を変化させるのは難しい。
ただでさえ不意を突かれ、こちらは混乱していた。
剣士は魔者を斬りながら、奴を探す。
誰が敵で、誰が味方か。
標的の足もとには、敵味方の死体が複数。
要人はその中にいない。
未だ、背中を守る兵士は五人。
邪魔だった。
剣士は一歩を踏みだす。
先に片付けよう。
味方として接触すれば、不意をついて三人くらいなら一手で殺せる。
一度、足がでてしまえば、もう止まらない。
止めれない。
標的は剣士に気づき、濡れた布ごしに声を発する。
「おめえさん、所属はどこだい?」
剣士は無言。
歩みはそのまま。
「いけねえなぁ、逸れちまったのかい」
「ええ。今、どこにいるのかも解らない」
剣士の片手剣は血を流し、全身も同色に染まっていた。
濡れた布を外し、口もとが外気にさらされる。
「悲しいねぇ。おめえさん……斬る相手、間違っちゃいけねえよ」
標的は一歩さがり。
「その赤色ん中に、人の血は混ざってんのかい?」
口調は軽いが、目つきは鋭い。
「ずっと、我慢してきたんだ」
剣士の眼球に映るのは一人のみ、もはや現状など考えていない。
「そりゃ良かった。若いのに、よく我慢したもんでぃ」
斬りたくて、斬りたくて仕方ない。
「もう、無理だ」
「おめえさん、前から俺のこと狙ってたね」
剣士は気づいてもらえたことが嬉しくて、首を上下になんども動かす。
兵士たちは鎧もまとわぬまま、彼を敵と判断し、剣先を向けていた。
「鏡があったら見せてえもんだ。兄ちゃん、今すげえ顔してますぜ」
興奮
喜び
苦悩
「一度、悲鳴でも上げたほうが良い」
青年は左右に首を振る。
「知ってますかい。斬られるとねぇ、すごく痛いんですぜ」
気づけば中年は兵士の剣を握り締めていた。手から血が滴り、地面を赤くする。
「やめろ」
剣士の顔が絶望に染まっていた。
「これで、俺はもう握れねえや」
青年は力が抜け、片手剣を落とし、両手で頭を抱える。
ギラついた目から水分が溢れ、口を大きく開く。
叫ぼうとした。
声がでない。
うずくまり、腹からだそうとしても叫べない。
涎だけがしたたり落ちる。
中年は右手から血をたらしながら、青年のもとに一歩を踏みだす。
「お止めください。この者、短剣を隠し持っております」
布ごしだからか、煙による影響か、兵士の声はしゃがれていた。
違和感を感じる。
「大丈夫でさあ。こういった人種はよ、戦えない奴に興味を示さねえ」
兵士の制止を振り切り、中年は青年を見下ろす位置につく。
「俺より強い奴もいるけど、弱い奴のほうが多いですぜ」
なぜ自分を狙った。
「名を売るためですかい?」
そんなものには興味ない。
「勝つ見込みはあったんですかねえ」
剣士に返答はない。
「それじゃ駄目ですぜ。もし俺とおめえに力の差があったら、その戦いは全然楽しくねえ」
「あんたなら……応えてくれると思ったんだ」
理由などない。そんな気がしただけ。
中年は周囲を見渡しながら。
「一昔前なら喜んで受けたんですが、悲しいことに今は面倒な立場でして、死ぬに死ねないんでさあ」
左手を前にだし、空気中の水分を集め、壁をつくりだす。
炎放射により、それは少しずつ溶けていく。
「申し訳ねえんですが、俺は利き手を怪我しちまいまして」
雷撃が当たり、氷の壁は砕け散る。
「ここで暴れて、一秒でも、一体でも敵さんを引きつけてえ」
兵士たちは二人の横を走り抜ける。
中年は名も知らぬ青年に頭を下げ。
「力を貸してくんなせえ」
炎放射を氷の盾で防ぎ、雷撃を岩の盾で凌ぐ。
氷は溶けて水となり、岩は砕けて土になる。
「少なくとも今は、おめえの剣が俺には必要でさあ」
岩の中から片手剣が現れ、そのまま魔者を叩き斬る。
水は凍り、細剣となって鎧の隙間を貫く。
青年は片手剣を拾うと、うつむいたまま立ち上がり、中年に背を向ける。
「……わかった」
風が吹く。
その場で片手剣を一振り。
斬撃が風に乗り、変化する。
青年は走りだし、魔者の懐に入り込む。
鎧には傷ができており、そこに懐刀の切先を当て、そのままの勢いで押しこむ。
男女六人。
魔者を蹴り飛ばし刃を抜く。
「女もいるのか」
「関係ねえよ、同じ兵士でさあ」
魔者は沢山。
「格好良いな」
中年はニヤけると。
「惚れたか?」
・・
・・
瞼が開く。
座ったまま、片手剣を抱きながら眠っていた。
視界が霞んでいるが、なんどか瞬きをすれば、眼球に照明玉具の光が映る。
分隊長はニヤけながら。
「良い女だったけど、顔も知りやせんよ」
生き残ったのは師と自分だけ。生存者は他にもいたかも知れないが、野営地から脱出して、二人で命からがら逃げ延びた。
女が兵士なんてとコガラシは考えている。
現にこうやって、同じ天幕で寝なきゃいけない場合もあるのだから。
レンガ軍という組織の中には、女同士で立ち上げた組合があり、何か起こればそれらが黙ってはいない。
しかし現状であれば問題は起こらないが、危険なのは劣勢に立たされた時である。精神に異常をきたせば、誰かさんのような危険人物も現れる。
女は兵士なんてするもんじゃない。ましてや、金に困るような環境で育ったわけでもない。
分隊長・小隊長・補佐。
そこまで高い役職ではないのかも知れないが、天幕で寝るときは万が一の事態に備え、休む位置が決められていた。
群れに備えるときは真中。
火に備えるときは出入り口付近。
視線の先には、こちらに背を向けて眠る女性。
こういった発言は苦手なのだが、喋っておきたい内容がある。
寝てても良い。
聞こえなくても良い。
できる限りの小さな声で、コガラシは思いを伝える。
「もしあんたが兵士じゃなけりゃ、あの人は違う選択をしたかも知れやせんぜ」
兵士に一生を捧げるというのは、恐らく嘘である。
「ましてや、自分が育てた自慢の兵士だ」
補佐を止め、兵士を止め、家庭に入る。
「きっと、お前さんの戦う姿に、あの人は惚れたんでさあ」
自分勝手な理由かも知れないが、悩んだ末に導きだした答えなのだろう。
分隊長は立ち上がると、眠っている属性兵を起こさないよう、慎重に歩きながら自分の部下たちを鞘で小突く。
まだ交代時間まで四十分ほどあるが、彼は一般兵を一人ずつ起こしていった。
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補佐と見張りをしていた五名とを合わせ、全員が天幕の外にでる。眠そうな者もいるが、いつものことであり、すでに彼らは慣れていた。
小隊長に許可はもらってある。
「もうすぐ朝になりやすが、まだ夜中ですんで、周囲の魔物さんに気をつけてくだせえ」
夜勤外務の数時間前に、彼は実費で修行場を借りていた。
自主参加であるため、最初は補佐のみであった。
コガラシは片手剣を構えると。
「そんじゃ、素振りから」
日によって不参加もいるが、最終的には全員が鍛錬に参加している。
人との戦闘経験が豊富な集団より、積み重ねを重視する者たちのほうが、ゼドとしては圧倒的に恐ろしい。
そもそも歴戦を生き抜くのは、こういった連中である。