四話 流れ流れて流されて
そこは灰色の壁に囲まれており、内側には建物がいくつか存在していた。
セレスは辺りを見回しながら。
「人が住んでたんだろうけど、ここは町や村じゃない」
「祈願所にしては大きすぎるしさ、なんか凄く不気味だよ」
廃墟ではあるのだが、周囲の壁や建物は、それなりの強度を保っている。
「気分は乗らんが、野宿するには良いかも知れんな」
「位置関係が悪いんで、せいぜい飯休憩くらいにしか使えませんよ」
ここは中継地から三時間と少しの場所である。
すでに一団は川から離れていたため、岩山の麓といえるだろう。
少し離れた場所で、小隊長が声を発する。
「朱火の者たちが戻るのを待つ。排泄と食事を今のうちにすませとけ」
積み荷の護衛は五十名だが、十五名ほどの団員が先行していた。
小隊長の指示に従い、食事を摂ろうとしていたところ、商会員が一行に近づいてくる。
「ピリカさまより一行の皆さまに、ここの説明をするよう言われております」
見張りの者を除き、兵士たちは休憩に入っていた。
セレスは背筋を伸ばすと、一歩前にでて。
「こんな場所があるなんて、私もガンセキさんも聞いてない」
「世間さまには、あまりお見せできない場所というものがあります。前回の刻亀討伐をされた勇者さまも、こことは別の道を通られたそうです」
治安維持軍。彼らが捕らえた犯罪者は、どこに行くのか。
「収容所っすか?」
声にはださないが、彼は感情が顔にでやすいため、商会員は気づいているだろう。
人権が聞いて呆れる。
「なるほどな。軽犯罪者は町や都市の収容所に送られるが、重い罪を犯せばこういった場所に入れられるのか」
「犯罪者が中心ではあります。ただ、信仰心をお持ちの方は、管理側もここへの立ち入りは禁じられます」
この建物に足を踏み入れる前。遠くに薄っすらと見えたあの景色。それを確認しているからか、セレスもどこか表情が暗い。
グレンはフエゴを探したが、その姿は確認できない。
ここで暮らしていた者たちの作業場を、今は壁の外から眺めているのだろう。
文明の発展と衰退。
「世間さまにお見せできる場所ではありません。しかしレンガの歴史を支えてきたのは、間違いなくこの地です」
前回の刻亀討伐では、まだここは現役だった。
責任者はこの事実を誤魔化さないために、神を信じる二人をしっかりと見つめて。
「巨大化すれば自然への害に繋がってしまう物が多い。だがそれらは生活をする上で、すでに欠かせないものとなっている」
グレンは薄ら笑いを浮かべながら。
「刻亀討伐に成功すれば、ここは昔の姿を取り戻すだろうよ」
レンガから近いとは言えないが、それでもこの施設はトタンとデマドのあいだ。
「交通が整えば、どんだけの費用が浮くか。お前の馬鹿な頭でも想像できんだろ」
現時点で鉄工商会が原料を仕入れている地は、ここよりもずっと離れていた。
「そのお金の一部でもさ、魔王の領域で戦っている人たちに回せるのなら、それは物凄い実績なんじゃないかな」
アクアもまた、神への信仰はもっている。だがそれ以前に、彼女は青の護衛である。
朝食は静かにという教えを破り、セレスはデマドでグレンを茶化して遊んでいた。
それでも二人は神を心の底から信じている。
商会員は拳を強く握りしめ。
「はっきり言いますが、私もこの地は許せません」
鉄を造り、鎧にする。
各都市と契約し、邪魔をするものは排除する。
「ですが、これまでそれでご飯を食べてきました」
年老いた身体に鞭を打ってでも、清水を運び、自然を守る。
「私は勇者です。それが人々のためになると信じ、刻亀と戦います」
グレンは赤の護衛としての役目を。
「必要悪なんかじゃねえぞ。隠しているからには、悪は悪だ」
表面ばかりが美しいこの世界。しかしこれはまだ、ほんの一部でしかないのだろう。
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魔物の気配はなくとも、見張りは大切な役目である。
「申し訳ありませんでした」
隣に立つ兵士の言葉に分隊長は苦笑い。
「ありゃ、あっしが悪いんでさ」
「それでも、ついて行くのが我々の役目です」
直接の上司であるコガラシよりも、別分隊のフィエルの指示に従った。
「お前さんには、いつも迷惑をかけていやすね」
彼の突撃癖は、これが最初ではなかった。
目立たない人物で、性格は優柔不断。
「同じ補佐として、自分が情けない」
「あっしは一人でもそうそう死にやせん。もしまた先走っちまったときは、あんたが追うか残るか決めてくだせえ」
その真面目な性格に、コガラシはいつも助けられていた。
「焦りは死を呼びますので、自分ももっと冷静を保てるよう努めます」
一礼すると、補佐は持ち場にもどる。
「その言葉、肝に命じやす」
隊長の変な口調のせいか、頼りない補佐のせいか、この分隊は普段から怠けている者が多い。
ではなぜ、彼らが勇者の護衛に抜擢されたのか。
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灰色の囲い壁。その内側から、開かれた大門を眺めている男がいた。
メモリアは硬いパンを飲み込むと。
「どうかしたの?」
「コガラシ殿を見てただす」
それは昔の癖。
敵地に侵入したさい、色々と調べることはあるのだが、その中で重要なことの一つ。
「あの人の分隊はね、問題行動が多いけど、色々とすごいの」
「人類の最大の強みはなにか、メモリア殿は知ってるだすが?」
朱火の大半は先行しているが、数名はこの一団と行動している。
「私たちはあまり恩恵を受けないけど、日々進歩する技術かな」
村出身者も兵士ではなく、ギルドに登録する人は多い。だがもし、その者が故郷を捨てれば、残された家族はどのような扱いを受けるのか。
「魔物というのはたしかに厄介だすがね、それが人間の強みなんだす」
レンガの夜勤外務は、毎日が実戦である。
都市だけでなく村の者たちも、夜になれば魔物から故郷を守らなくてはいけない。
「魔族が現れる以前の兵士より、間違いなく今のほうが練度は上だす」
勇者の村周辺の魔物は比較的弱い。
だが忘れてはいけない。あの村の並位属性使いは、他よりも圧倒的に多く、彼らが強いと認識する魔物も生息していた。
「コガラシ殿が魔者の指揮官だとすれば、その情報を味方に伝えなきゃいけないだす」
彼が魔王の領域からもどり、分隊長となったのは一年前。
あれだけの都市を守る兵士の中で、強いと認識されている一般分隊。
「彼は誘導に引っかかりやすいだすが、罠ごと突破されるかもしれないだす」
「それじゃあ、もし私が魔者だったら、オジサンはなんて報告するの?」
ゼドは鼻の穴に指を突っ込んで。
「上っ面が厚くて掴みにくいけど、たぶんとても冷徹な怖い人だから、できる限り関わっちゃダメって伝えるだす」
「ちょっとオジサン、それどういうこと?」
彼女との付き合いが長い兵士は、その会話が耳に入ってしまったのか、頭をかきながら下を向く。
・・
・・
コガラシはレンガの方角を眺めていた。
穏やかな眼差しの奥に、なにかが潜む。
「交代の時間です、休憩をとってください」
「そうですかい。じゃっ お言葉に甘えやす」
周囲の部下たちに手を振り、解散の合図を送る。
「そんなに時間ないから、急いで食べたほうが良いわよ」
「わかりやした」
だが未だ、彼は道の先を眺めていた。
フィエルはコガラシに強く当たっているが、それにも理由がある。
「さっきの言葉、そのままあんたに返すわ」
面倒を見れてば良いものを。
ただでさえ迷惑をかけてきたくせに。
「一人息子なんだから、自から志願したってことでしょ」
彼女はそこまで鈍くない。コガラシが戦場に行ったのは、自分が関係していることも知っている。
だからこそ時間の空きを見ては、彼の母を気にしていた。
しかし今回の刻亀討伐は別である。
「どんだけ戦いたいのよ。おばさん、あまり体調よくないのに」
親不孝という単語が、彼女の口調からは感じとれる。
「お前さんは本当に魔法が上手くなりやしたね」
調和型は仕上げるのに時間がかかる。
「あっしは斬るのが上手になっただけで、それ以外はおっしゃる通り、昔のままでごぜえやす」
戦場へ旅だったとき、彼女はまだ補佐ではなかった。
「高名な人に弟子入りしたそうじゃない」
「ええ、恩人でさあ」
分隊長と補佐は勤務時間が別である。
「その喋り方も、お師匠さまにそうしろって言われたのかしら?」
「誰かさんの堅物な性格も、あっしと同じで真似っこじゃありやせんか」
今は亡き師匠を想いだしながら。
「最初は形から入ろうとしたんでさあ」
師と共に剣を振り、やがて内地での日々を送る。
「いつのまにか、染みこんじまいやした」
「そういえば、あんた昔から流されやすい性格してたわ」
流れ流れて流されて、コガラシは今ここに立つ。
「理由はわかりやせんが、仲違いで別れたんじゃないなら、恩は返しといたほうが良いですぜ」
絶対に後悔する。
「あの人は兵士として、一生を捧げるんですって」
家族は持たない。
「男のあっしとしても、惚れるねぇ」
そういう人物であったからこそ、コガラシも諦めて逃げたのである。
「ほんと冗談じゃないわよ」
良い夢を見させてもらった。
楽しかった、ありがとう。
いつまでも会話をしていると怒られるため、コガラシは背を向けると、収容所に足を進める。
父の形見。
懐刀で頭を小突きながら
「刻亀討伐に関しては、おっかさんの命令でさあ」
受けた恩は返せ。
コガラシは小さな声で。
「本当はあっしだって、看取りてえよ」