二話 にっこりと微笑んだ
ゲイルと名乗った男のことは、グレンも良く覚えていた。これまでの短い人生で、心の底から個人を怖いと感じたのは、初めての経験だったから。
「どうかしたのか?」
目の前に立つ責任者。
「なぜ相手がそんな知識を持っていたのか。偶然情報を仕入れた時は、それを第一に考えろって」
そう教えてくれた相手は、いつの間にか姿が消えていた。
「ゼドさんは今も昔も、情報を得る仕事をしているそうです」
グレンは力なくガンセキを見上げ。
「信念旗に関する情報を教えろって頼んだら、道剣士に関する知識を誰から得たのかって返されました」
質問に対して関係のない話をされた。一見そう思えるかもしれない。
「あの店の正体を知っていた上で、俺の質問に対してゲイルさんの話を始めた」
「今も昔も、情報を得る仕事をしている……か」
ゼドは仲間とともに、裏武具屋を見張っていた。
「レンガほどの都市となれば、信念旗もそれなりの拠点は持ってますよね。そういった視点から考えると、裏武具屋って良い場所だと思いませんか?」
「拠点が一つとは限らないが、あれだけの玉具を揃えるとなれば、それなりの後ろ盾はあって当然か」
鉄工商会の恐ろしさ。赤の護衛として、自分がやるべきこと。
「ここを発つ前に、ピリカさんに伝えておきます。荷物頼んでも良いですか?」
「俺も同行すべきだと思うが」
できろば一緒に来てほしい。
「このことに関しては、自分でやりたいんすよ」
それでもなぜか、本心とは逆の行動を選んでしまう自分がいた。
責任者はしばらく相手を見つめていたが、溜息をつくと。
「……そうか」
他人との接触を嫌う青年が、自ら関わろうとした相手である。面識はなくとも、グレンのゲイルへ対する拘りは、ガンセキも薄々感じていた。
「二人に伝えるかどうかは、ガンセキさんの判断に任せます」
グレンはピリカの居場所を確認すると、責任者をその場に残して歩きだす。
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荷馬車に繋がれた力馬とは別に、予備とは思えない数の馬が、この広場には用意されていた。コガラシやイザクの分隊だけでなく、小隊規模の人数がそこには集まっていた。
力馬のうち五頭には、見慣れない物が取り付けられていた。
「あれってもしかして、戦闘用の馬ですか?」
馬装の形をとった宝玉具。
ピリカは手を左右に振りながら、いつもの笑みで。
「あれは手綱を引く者が使う構造になっております」
乗るのは人ではなく積荷であった。組み込まれているのは濁宝玉であり、戦いに利用するには少し心持たない。
「馬にそんなもんが必要ってことは、近道といってもやっぱ楽じゃないんすね」
グレンの苦笑いに、ピリカは涼し気な笑みを返して。
「成功すればかなりの近道となりますが、最悪壊滅の恐れもございます」
途中から勇者一行は小隊と離れ、メモリアやコガラシ。そして朱火の団員とともにその道を通る。
「ヒノキ山麓の本陣も維持費は安くありません。申し訳ありませんが、一日も速く準備に入ってもらいたいのです」
油玉量産。グレンの立てる刻亀戦の策と、討伐作戦全体の調整。
ヒノキ山開拓の進行具合や、雪に狂わされた魔物など、到着してから直に確認したいこともある。
「その準備とやらをする前に、死んじまっちゃ元も子もないんすけど」
「無事に送り届けるためにも、優秀な案内人をこちらで用意いたしました」
どちらを進もうと、魔物は昼夜を問わず襲ってくる。
近道で一番危険なのは、魔物を含めた遭難だった。
「あの人、そろそろ引退とか考える頃なんじゃないっすか?」
視線の先には、神を畏れる商会員が立っていた。魔力まといがあるとはいえ、剣の定めから逃れるのは難しい。
「鉄工商会はとても大きな組織ですが、厄介な敵は少なくありません」
物の運搬だけに限らず、危険な道だとしても、時に進まなくてはいけない。
「私などとは比べられないほど、世界中を渡り歩いてきた御方です」
なんども行き来してこそ、身につく経験がある。しかし刻亀が現れてからの数百年、ヒノキまでの近道に詳しい人間など、すでにどこにもいない。
初老の商会員が近道を通ったのは、この作戦が始まる前の下準備と、始まってからの数回だけ。
「世界は広いものでして、これからグレンさんが進む道よりも、危険な場所は沢山ございます」
すべてまとめて彼らは鉄工商会である。一線を退いたとき、衰えた肉体に鞭を打ってでも、行きたい場所を目指す者がいる。
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「ゲイルさん……ですか?」
一通りの会話を終えたのち、グレンは本題に移っていた。
「彼の店について調べてもらいたいんすよ。もしかしたら、信念旗と繋がってるかも知れないんで」
レンガの武具屋といっても、この女性が全てを把握しているわけではない。
「承知しましたが、もしその人物が協力者だとすれば、もうレンガにいないのでは?」
都市内襲撃という事を起こし、その前段階でゼドたちに目をつけられていた。
「あの男がいなくても、痕跡は残ってるはずです」
表の武具を仕入れていたのは、鉄工商会の誰だったのか。
「それに裏の顧客はまだ、レンガに残ってますよね」
違法武具屋や収集家など。
ピリカは頬に手をそえながら。
「高価な品を買っていただくのですから、最低限の礼儀がなければ、商売などできませんね」
何商会の誰々から仕入れた。そこまでは解らなくとも、仕入先の都市や町。どこの鉄鉱石を使っているかなど、客には伝えているのではないか。
「人間としては信用できない相手ですが、客との信頼関係を第一に考えているようでした」
そうでなければ、裏武具屋という怪しい店は成り立たない。
ピリカはしばらく考え込んでいたが、いつもの笑みを浮かべると。
「わかりました。こちらのほうでゲイルさんを調べさせてもらいます」
彼女の笑顔は動かない。
「この中継地から四時間ほど進んだ先に、グレンさんたちはある場所を通ります」
グレンはこの人が苦手だ。嫌いではない、どちらかと言えば怖い。
誰かに似ている。
触れてほしくないことに、入ってほしくない場所に、遠慮なく踏み込んでくる。
でも、あの職人は感情がわかりやすかった。
この女は違う。なにを考えているのか解らない。
「刻亀討伐の最大の目的は、そこにあるのかも知れません。ですので、成功を祈っております」
「まぁ、やれるだけやってみますよ」
全ての物事には利点もあれば難点もある。
「利益があるからこそ、私は協力をいたします」
ピリカはいつもの笑みを崩さない。
「全てが等価交換で成り立つとは考えておりません。それでも、代価を払うための努力はする人だと、私は判断いたしました」
彼女の言葉は偽りか、それとも本心か。
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ピリカとの会話を終えると、グレンは責任者に結果を報告する。
すでに荷物は兵士に預けてあるため、四人とも身軽であった。
デマドの時とは違い、ここでは出発式などもないようで、先見役と思われる朱火の一部はすでに発っていた。
途中から二手に分かれるだけあり、今回は大人数である。輸送をこれだけの数で行えれば、本来は効率がいいのだが、目的地への道が大軍移動に適していない。
勇者一行の前にレンガを発った第三陣も、全てがヒノキを目指しているわけではないが、移動には手こずっているとの話を聞いている。
「また二人で勝手に行動したんだね。ボクたちってさ、いつも置いてきぼりな気がするよ」
「責任者の許可はもらってるだろ。それに俺は情報を得るために、自分の足で動いてる」
セレスは睨み合う二人の間に入り。
「でもゼドさんはなんで、グレンちゃんの問いかけに答えたのかな」
これまで何度かガンセキが聞き出そうとしていたが、そのたびに話を逸らかされていた。
「陰気臭いとことか、グレン君に自分と近いものでも感じてんじゃないかい」
「やめてくれ」
茶化したアクアの発言に、本気でグレンは返してしまう。
「少なくとも俺は……あんな馬鹿じゃねえ」
ガンセキは辺りを見渡し、酷い言われようの男を探す。しかしその姿はどこにもない。
「あの人はあの人なりに、目指すものがあったんだ」
馬鹿にされ続けた道のりを、馬鹿にすることなど許されない。
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中継地にとって当り前の風景。
周りには人もいる。今日は輸送部隊が出発するから、それなりに慌ただしい。
それでもこれは、日常の光景である。
この三人からすれば、紛れるのは難しいことではなかった。
「そもそも貴方が金を借りるような真似をしなければ、このような事態にはならなかったのでは」
女の口調から、両者の関係が冷えきっていることは想像できる。
男は建物の壁に背中をあずけ、地べたに腰を下ろしていた。指先を額にあて、頭痛を表現する。
「二重契約なんて、ほんと厄介なことをしてくれたな」
とても嫌味な感じではあるが、内容は真っ当である。
「雇い主の優先順位は貴方にありますが、私たちも仕事です」
「申し訳ないだす」
この場には二名しかいないが、彼ら彼女らは反対した。実際にオルクは襲撃をしてきたものの、恐らく手下は一人か二人。
今さらなにを言っても、すでに手遅れとはわかっている。しかし雇い主の馬鹿すぎる行動に、一同は呆れ果てていた。
「ピリカ殿は復国派の可能性が高いだすから、動きを見張って欲しいだす」
セレスが立ち位置を考え始めたからには、彼女も別の道を意識するだろう。
「でもあの人は複雑な立場だすから、いつ手の平を返すかわからないだす」
鉄工商会のお偉いさんと思われる人物を警戒する。言っていることは間違ってないが、やはり馬鹿である。
「よりにもよって、その女から借りるんだもんな……他にいなかったのかよ」
探る対象が雇い主では、こちらの動きも筒抜けだった。
ピリカがどのような依頼をしてくるのかも、五人は未だ把握していない。
「金をもらったからには、仕事はこなしますよ」
ゼドの部下たちは、グレンの護衛に回るのが反対だったわけではない。
「ごめんなさいだす」
そういう事態に使うべき金で、彼は魔物具を買っていた。
男は立ち上がると、尻を叩き砂を払う。
「まあ、もうどうしようもないか。できる限りのことはしますよ」
砂埃がゼドの服にかかる。
「豚との戦いで負った傷も、だいぶ良くなっただす」
ナイフでなんどか戦ったが、問題はなかった。包帯もあと数日で外せる。
「だから責任をもって、自分が勇者さまをヒノキまで案内するだす」
女は背を向けると、視線だけを雇い主に送り。
「責任ですか……貴方がいうと、ちゃんちゃらおかしな響きになりますね」
「失礼だすよ」
「心がこもってないからでしょうか?」
二人の眼差しに軽蔑の色はない。
「あと。前から気になっていたのですが」
これでも一応は師匠である。
「ダスダス言うのやめてくれませんか。正直、とても気持ち悪いだす」
そして女は影となり、気配が完全に消える。
「あの子、前からあんな口悪かっただすか?」
「時の流れは残酷なんだよ」
男はゼドの肩を叩き。
「俺はその喋り方、けっこう好きですがね」
そんな優しい相手を視界に入れようとした。しかしゼドの傍らには、もう誰もいなかった。
「ありがとうダス」
笑顔をつくってみたが、やはり上手くできない。
ゼドはゆっくりと歩きだす。そろそろ広場に戻らないと、また怒られるから。
丸まった背中。剣士として、姿勢の悪さはよろしくない。
それでも剣を捨ててから、日を追うごとに曲がっていく。
「お話は終わったのでしょうか?」
声をかけられたが、無視して進む。
この人物と顔を合わせたくなかったから、できるだけ広場には留まらないようにしていた。
グレンが中々こないと聞いたときも、彼は自分から名乗りを上げたのである。
「お話は終わったのでしょうか?」
しつこく声をかけてくる。
「自分は一人ぼっちだから、お話する相手がいないのだすよ。だからピリカ殿に話しかけてもらえて、今とても幸せだす」
「あらっ 本当ですか?」
ピリカは両手で顔を隠し、顔を赤く染めている。
「嘘だす。誰かさんの要求のせいで、とても怒られただす」
「まあ、それは申し訳ないことをしてしまいました」
ピリカはうなだれる。
「一生恨むだすからね。両親にも怒られたことないのに」
「奇遇です、実は私も怒られた経験がありません。もっとも、両親のお顔を拝見したこともございませんが」
思わぬ返答に、ゼドは相手の顔をみてしまう。
「それでも、育ての親にはよく叱られました」
笑っていた。
「そうだすか、可哀想だすね」
「親に怒られたことがないなんて、ゼドさんのほうが可哀想なんじゃありませんか?」
ゼドは相手を睨みつけると、そっぽを向き。
「怒られるのなんて慣れっこだすから、別になんとも思わないだすがね」
「慣れて当然です。自尊心もなにもかも、踏み躙られ続けた人生だったのでしょう?」
満面の笑顔を向けられて、ゼドはまた相手の方を向いてしまう。
「失礼な人だすね。そういったもんが殆ど残ってないから、阿呆みたく執着するんだすよ」
レンガで顔を合わせてから、それなりの期間を観察してきたのだから、それなりの成果をあげていた。
ピリカは表情を造ると、片手を頬にあて。
「ゼドさんに、そういったものがまだ残っていたとは驚きです」
この女は実に嫌な性格であった。
「残ってなきゃ、この世に未練なんてないだすよ」
「足掻いて藻掻いて、そして誰もいなくなった。可哀想な人です」
腹が立つことは沢山ある。
言い返したい時も山ほどある。
「そうなんだすよ。自分はこんなに可哀想なのに、自分で可哀想だって叫ぶと、みんなあざ笑うんだす」
叫んだって意味がないことを学び
「貴方はいつもふざけていますもんね」
彼は耐え忍ぶようになった。
「俺って可哀想的な空気を身体から放つと、可哀想って思われないだすから、こういうやり方に切り替えたんだす」
誰しも喋り方には大小の特徴がある。彼女もまた、常に一定の笑みを含んだ声を発っしていた。
ピリカの発言が少しのあいだ止まり、気づけば顔から感情が消えていた。
「恥ずかしげもなく、そういう返答をできるようになってしまうことが、わたしは可哀想だと言っているんですよ」
長男として
剣士として
男として
人として
あながち間違っていないから、余計にたちが悪い。
しばしの沈黙
舌が鳴り
「うっせえなぁ、ぶち殺すだすよ」
ピリカはにっこり