十六話 評価
どんなに弱っていても、夜は闇が活発となるのだから、やはり近づいてくる魔物もいる。
以前より所属する班員の多くは、日中の清水運びで戦える者は少ない。しかしニノ朱から編成された者たちを中心にして、彼ら彼女らは一夜を無事に乗り切ることができた。
グレンを含む一団は、夜明け前に出発する。
昼前には三人と別れた場所に到着し、そこで簡単な休憩を挟んだのち、再び移動を再開させる。昨日の雨は道にも影響を及ぼしているが、黄土で整備されているため、あの獣道に比べればなんの問題もなかった。
景色はすぐさま茶褐色に変化するわけではない。まず始めに感じるのは、移動時の土質である。
靴で踏み締めるさいの音が、魔法の土から自然の土に。
空を見上げれば、魔物と思われる鳥が、一団の上空を旋回している。
それに気を取られていると、いつの間にか周囲の緑は少なくなり、木のかわりに石や岩が目立っていた。
道中の会話は少ない。
一人死んだ。それでも目的の清水は、こうして無事に運ばれている。
力馬の引く荷台の車輪が、乾き始めた地面を削る。その音だけが響くなか、グレンは修行も忘れて積み荷を守る。
悲しさはある。でもそれよりも、昨日の疲れがとれない。
足は重く、一歩が前に進まない。
景色を楽しむ余裕はある。物思いに耽る時間もある。
考えることのできる幸せを噛みしめて、グレンは動かない足を、もう一歩前に進めていく。
岩山には木が少ないせいか、遠くの景色はよく見えた。
枯れた平野の真中を流れる川と、その向こうに存在する大きな岩の群。
「清水運びは、成功だよな?」
「結果からすれば成功だけどさ、それを個人として決めるのなら、自分で答えをだすしかないのよ」
別に返事が欲しかったわけではない。それでもただの独り言に、誰かが返事をしてくれた。
「成功だろ」
「じゃっ、成功で良いんじゃない」
青年の肩を叩くと、そのままオッサンは離れていく。
「成功じゃないんなら、やってらんねえよ」
蹴った小石は地面を転がり、回る車輪に弾かれた。
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時刻は十五時を過ぎたころ、魔物との戦闘も運良くほとんどなく、一団は川まで辿りついた。
「昨日の雨は一日だったから良いけど、あんま凄いと中継地危なくないっすか?」
川の近場にあるのだから、氾濫すれば大変なことになるだろう。
商会員はグレンに微笑むと。
「中継地の場所を決めたのは、レンガの先人です」
恐らくだが、レンガから派遣された職人が造ったのだろう。
昨日の雨により、川は濁り増水している。それに架かる真新しい橋は、この瞬間も流れに抗いながら、その場に存在していた。
水門という単語を使っているが、正確には少し違うのだろう。その構造物もまた、長年の失敗を繰り返し、今日の成功を掴みとった。
「レンガの歴史とは、水との戦いです」
汚染された水。五百年の魔獣王との関係。そしてあの都市は、幾度も川の氾濫に苦しめられてきた。
訓練されているはずの力馬は、橋の手前で立ち止まっていた。
商会員は震える身体を撫でながら。
「大きな利点があるからこそ、時に大きな被害をもたらします。崇めると同時に、神を畏れる」
そうでなければ遥かな昔。生贄などという風習は発生しなかっただろう。
「私はそのことを忘れずに、今日まで信仰を続けてきました」
神は救ってくれるだけではなく、本来は恐ろしい相手でもある。
信仰の形は人それぞれ。魔法という救いにより、神の畏れを忘れた者たちは、一体どれほどの数がいるのか。
商会員の導きにより、力馬は橋へと足を進める。
「恐らくグレンさんは、私などより遥かに、神を畏れておいででしょう」
彼の声は川の音にかき消され、青年の耳には届かない。
力馬が動けば、一団も一緒になって動きだす。
背中。
馬を動かすその姿は、なぜかこの場にいる誰よりも、頼もしく思えた。
水しぶきが、グレンの頬を冷たくさせる。
ふと、青年は思いだす。
四人で渡ったあの橋を。
空は晴れていた。
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夕暮れ時の少し前に、一団は中継地に到着する。その場所は四方を大岩に囲まれているが、数カ所が通れるようなっている。
中継地へ入るには、両側を大岩に囲まれた一本道を、少しのあいだ進まなければいけない。五mほどの岩というのは、なんだかんだで圧迫感があり、ここを通るのは勇気がいる。
人間の気配を感じながら、大岩の通路から中継地を目指す。そのような自殺行為をするには、よほどの憎しみを心に宿すか、狂化種としてなにかを捨てる必要があるだろう。
そしてやがて現れる木製の壁。その上に立つ兵士が一団を確認すると、少しして壁の一部が持ち上がり扉となった。
班長は安堵の表情を浮かべながら、周囲の面々に。
「積み荷の受け渡しを終えたら、とりあえず解散だ。後のことは追って俺から説明するが、中継地から無断で離れるのは禁止だぞ」
グレンは息を吐き、肩の力が抜けるのを感じた。
この感覚。恐らく同盟員の中には、これを忘れられなくて、生涯現役を続ける者もいるだろう。
しかし残念ながら、彼は朱火の団員ではなく、勇者一行の赤の護衛であった。
「今から報告に行くから、あんたも来てくれ」
「いやっ、なんか……お腹の調子が悪くて」
またの機会にという前に、班長は続けて言葉を発する。
「俺らの帰還が伝わってれば、たぶん責任者もくるだろうから、あんたはあんたで合流したほうが良いだろ」
役には立ったと思っているが、命令無視や器物破損などもあるため、正直あまり行きたくない。
なによりも、人に評価されるというのが、とても怖かった。今回は自分だけでなく、勇者一行の代表として参加したのだから。
それでも赤の護衛なのだから、グレンに断るすべはなかった。
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樽の受け渡しは中継地内の広場にて行われ、今は明火や商会員の手にわたっている。ヒノキ本陣で不足しているのだから、デマド産の清水とあわせたのち、近いうちにそちらへと送られるのだろう。
あらかたやるべきことを終わらせた一同が、班長の合図で散っていく。
本当は彼らに混じって自分も散りたいが、グレンは素直に班長の後を追う。
中継地内部に大きな建物は少なく、ペルデルが目指すそれも作りは多少丁寧だが、けっして立派なものではなかった。
明火長。ギルド登録団体でありながら、現在はこの中継地に存在する、物資の流れを管理する者の中心となっている。
班長補佐は途中まで二人に同行していたが、彼女は彼女で補佐としてやるべきことがあるようで、挨拶を終えると去っていく。
あからさまに緊張している姿を見て、補佐は呆れ半分で笑っていたが、グレンはそれに気づく余裕もない。
そしてついに到着してしまう。班長は扉の前に立つと振り向いて。
「俺も敬語ってのは得意じゃないけど、一応うちのお偉いさんだから」
「知ってると思いますが、自分基本は敬語です」
フエゴに対して、最近は口調が荒くなっているが、最初は丁寧な言葉を心がけていた。
班長はその返事にうなづくと、ノックをする。中からの返事を待つ。
「どうぞ」
年齢によるものなのか、それとも最初からそうなのかは解らない。彼女の声は、少しかすれていた。
失礼しますと言ったのち、班長は室内に入る。グレンは半分気持ち悪くなっていたが、半分はもうどうでも良くなっていたため、ペルデルに続く。
机上の書類と思われる束の中で、椅子に腰掛ける女性。
皺が深く刻まれているが、目つきが鋭い。
ゼドとはなにかが違う。
グレンは思う。なにこの人、怖いと。
「お疲れさま」
明火長は立ち上がると。
「すこし汚れていて申し訳ないが、そこに座ってください」
その指先は、来客用と思われる椅子に向けられていた。
班長は頭を下げると、言われた場所に腰を下ろす。
明火長は飲み物を用意しているようで、二人に背を向けていた。左側の腕には、黄色い布が巻かれている。
グレンは心ここに在らずではあったが、班長に続く。
二人が席につくのをまち、明火長は人数分の飲み物を机に置いて、反対側の椅子に座る。
「簡単な報告を聞く前に」
女性はグレンを見て。
「今回の協力、本当にありがとうございました」
セレスたち三人と別れたとき、ペルデルの班は数名を中継地に戻していた。それは魔物の素材を持ち帰るだけでなく、本来は勇者一行を明火長に会わせるための、案内人という役目であったとのこと。
編成されたばかりの班で、戦力が減るのは避けたいところではある。それでも火炎団もまた、勇者一行との繋がりを求めていた。
「セレス様の中継地での行動は、私の耳にも入っておりますが、それを聞いてこちらも安心しております」
信念旗の対策や、まじめに修行をする姿。
明火長は頭を下げると。
「我々も依頼を受け、金を頂く立場ではありますが、半強制といった形でもございます。生意気と思われるかも知れませんが、どうかお許しを」
火炎団にも事情があり、今回の依頼は断ることができなかった。それでも被害がでることは予想できるため、勇者一行を見極める必要がある。
それ次第で、彼女らは今後の方針を決めるのだろう。
グレンは頭をかきながら。
「まあこれだけ立派な土台を用意してもらってるので、兵士にもギルドにも俺らは頭が上がりません。勇者一行というのは名だけが先走ってる感がありますので、こちらとしてもそうしていただけるのは有り難いです」
明火長はお礼を言ったのち、ペルデルの方を向き。
「それでは、報告をお願いします」
班長はうなづくと、咳払いをして。
「まず始めに。団員には死者はなく、清水も無事に運搬を完了できました。しかし商会員を守りきれず、一名死なせてしまいました」
「そうですか。では、私の方で商会への謝罪を済ませておきます」
上位の魔物との戦闘はあったが、素材の入手はできなかったこと。
信念旗の妨害を受けたこと。
グレンだけでなく、勇者一行の支援もあり、退けることに成功したこと。
班員の疲労状況。
二人が淡々と情報を交わすなか、グレンはそれについていけず、ふと周囲を見渡していた。
責任者の姿はない。
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報告をあらかた終えると、明火長は微笑みながら。
「このたびの成功も、グレンさんの協力があってこそ」
そういうと席を立ち。
「改めて、お礼を言わせてください」
「いえ……反省すべき点もたくさんありましたので」
相手の言葉をそのまま受け取らない。それは勇者一行として、赤の護衛の役目でもある。
明火長はその場を動くと、鍵のかけられた箱の中から袋を取りだし。
「働きに応じた報酬を支払うのが、明火としての役割でもあります。火炎団として行動してくださったのなら、受け取ってもらえると嬉しく思います」
まだ見極めは終わっていないと判断したため、グレンは立ち上がると。
「欲しいところではあるんですが、勝手にお金をもらうと怒られちゃうんで、責任者を通してもらえると」
「そうですか」
残念といった風でも、納得した様子でもない。グレンには、彼女の内心は解らない。
正直今は、この場をすぐにでも去りたい。
この発言が正しいか間違いかは解らない。
「それでは俺も責任者に報告等がありますので、そろそろ」
だがこれ以上この場にいると、なにかやらかしそうな気がする。
明火長は表情をそのままに。
「そうですね。グレン様もお疲れでしょうし、これにて終了ということで」
お偉いさんとの顔合わせは、すでにガンセキたちが済ませてくれている。それだけでも、グレンからすれば助かる話であった。
明火長が団員の一人を呼ぶ。グレンは彼に連れられて、一行に用意された部屋に向かうこととなった。
去り際。赤の護衛は班長にのみ聞こえる声で。
「色つけてくれよ」
班長は苦笑いを浮かべると。
「ありのままを」
グレンの評価は、本人がいなくなってから。
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明火長は赤の護衛が去った扉をしばらく見ていたが、やがてゆっくりと腰を落とし。
「あぁ……疲れた。あんな警戒されると、こっちまで緊張するわ。名前いうのも忘れてた」
「あの人、かなり用心深いですからね」
常に疑えという師の教えを守る、真面目な弟子である。
「それで、彼は実力は?」
「まあ勇者一行だけあって、そりゃ強いですよ。でも、俺の予想とはちょっと違ったな」
その返答に、明火長は興味深そうに耳を傾ける。
「強いことは強いです。でも、異常ではないですね」
「それじゃあ彼に勝つには、どのくらいの準備が必要?」
班長はしばらく考えると。
「うちの班から俺が三人選んで、そいつらと入念な打ち合わせをすれば、五戦四勝は可能かと」
明火長は顎に手をそえて。
「残りの一戦は?」
「相打ちです」
それがなにを意味するのか。
「あの人は頭が切れるけど、不利な戦況を覆すほどじゃない。でも大負けを負けにできるだけの力はあります」
「なるほどね。それで……悪い点は」
今回の評価は、ここからが本番といえる。
「精神にむらがあります。普段は忠実ですが、急に命令を無視します」
それを聞いた女性に返事はない。班長はそのまま続ける。
「さらに厄介なのは、自分の要望を無理やり通すことができる。俺からすればありえない判断でも、それをねじ込むことができる」
グレンは鎌斬との一対一を、許可を得た上で実現させた。
「部下とするにも癖が多い。だからと言って、人の上に立てる性格とも思えない」
明火長は苦笑いを浮かべながら。
「協力する意志はあるけど、それでも協調性は低い……か」
「孤高を気取っているわけじゃなく、人付き合いが苦手なんだと思います」
班長はグレンの姿を思い浮かべると。
「一生懸命であることは、俺にも伝わってきます」
それがどのような選択であろうと。
明火長はしばらく目をつむっていたが。
「このままの状態で依頼を続ければ、うちの団にもさらなる被害が予想されるけど、貴方の意見を聞きたい」
そう言われてもペルデルは困るのだが、聞かれろば返事をしなければいけない。
「自分のやるべきことを探して、達成する方法を必死に考えて。そういう姿を見せられたら、手を抜くなんて俺にはできませんよ」
明火長は目もとの皺をさすりながら。
「そうか。参考にさせてもらう」
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班長も去り、その一室は明火長だけとなる。
しばらく書類に目を通していたが、やはり気が散る。
「でっ オジサンの評価は?」
この建物には窓がある。しかし硝子ではなく、板を棒で持ち上げるだけの、簡単なつくりであった。
「それ聞くの? まあ、オバサンとそんな変わんないと思うのよね」
実際におばさんと言われる年齢になったため、文句は言わないが、この人物は昔からオバサンと呼んでいた。
「似てるね」
おいちゃんは窓の外。地べたに座りながら。
「ああ」
大敗にならないよう、今も一人で無駄な戦いを続けている。
明火長は右腕の黒い布をさすりながら。
「それでも、あんたに火炎団を守る気はないんでしょ」
フエゴは新たな杖を削りながら。
「だからさ、見ててイラつく」
自分の情けなさに。