十一話 おいちゃんの杖
時間は少し遡る。
拠点ではいつでも出発ができるよう、荷馬車を動かしていた。
小屋が近くにあり、下方の沢は遠目で確認できる。
同じ大きさの荷馬車であれば、すれ違うことができるほどの道幅。
足もとは疎らだが黄色い土となっている。雨により悪化しているが、魔法から発生したものだけあり、荷馬車を動かすこともなんとかできる。
もっとも力馬だけでは難しいため、数名が荷台の後ろを押す必要があるだろう。
周囲の木々は密集しているため、班長たちのいる場所と同じく薄暗い。そこから複数の眼が光るのは、けっこう恐ろしいものだった。
現れたのは氷犬魔の群れ。
この魔物は口から水塊を飛ばし、命中すればその部分を凍らせる。基本は相手の足もとを狙い、動きを封じてから牙を向ける。
戦いの序盤。
魔物具使いが力馬と荷馬車の前方を守り、二名の炎使いが右と左側を受けもつ。後方は土使いが横長の岩壁を召喚して、犬魔の接近を妨害する。
フエゴは荷馬車の上に乗り、身体をくねらせながら杖を振り回していた。着火眼で全員の補助をしているので、けっして遊んでいるわけではない。
しかし全ての個体は薄くとも魔力をまとえるため、着火させてもそのまま岩壁を迂回してきたり、身体を震わして鎮火させる個体もいる。
炎使いは炎放射により、接近してくる個体を遠ざけることができた。
一定の間隔で神に魔力を送れば、放射が途切れることはない。だが雨のせいで維持が上手くできず、十秒ほどで炎が消えてしまう。
荷馬車への接近を許したとき、土使いは岩剣で相手を叩き潰す。炎使いは放射中に刃物を熱し、それが途切れろばナイフを投げる。
魔力を手袋に送れば、得物を熱から守る。
魔力を手袋にまとえば、身体能力を強化する。
女の団員は片手剣で次々に敵を殺していたが、相手は馬や商会員だけでなく、荷馬車も狙ってくる。それでも電撃を使えるため、犬魔の動きを止めることができた。
もし個体が痺れているのなら、着火眼でも火力を上げて焼き殺せる。また氷で動きを封じられたときも、フエゴに頼めばなんとかしてくれた。
彼らは討伐を専門としているため、今回のように荷馬車の護衛をしたことはないが、活かすことのできる経験はあった。
野宿道具や魔物の素材など、いつも明火の者が運ぶため、団員は移動中それを守っている。
群れの狙いは積み荷ではなく、強い怒りをなぜか人間に向けている。
樽は荷台の前方に積んであるが、まだ余裕があるため動ける空間も多い。フエゴの役割からして、そこは最適な場所だろう。しかし相手は人間を狙っているため、個体が清水に接近するといった欠点もある。
なんどか危ない場面もあったが、五名は順調に犬魔の数を減らしていく。
雨による影響を受けない炎使いは、両手からの炎放射ができる。高い技術があれば自力でも可能だが、玉具を使うことで安定させる。
炎を一つに合わせて範囲を広げたり、必要時は二つに別けて犬魔を個々に遠ざける。
魔力まといにより身体は焼けなくとも、熱で犬魔は薄闇へと引き返す。やがて体勢を立て直すと、同じところを再び攻めるか、別の方向に狙いを切り替える。
まず始めに兆候が現れたのは、雨対策の玉具を持たない炎使い。
「フエゴさん……」
彼は左腕に火を灯していた。
「……火力が上げれません!」
再び神に魔力と願いを送るが、やはりホノオからの返事はない。
犬魔が待っていてくれるはずもなく、少しすると水塊が飛んでくる。炎使いはそれを避けると、ナイフを熱しないまま投げた。
フエゴは空を見上げる。
「なんか、嫌な予感がするのよね」
どんなに雨が降ろうと、普段より魔力を多く送れば、玉具なしでも同じ速度で火力は上げられる。
なんとかしろと言っても、どうにかなるわけでもない。この場を仕切る者として、彼はこの事態に対処する。
杖の先で足もとの袋を拾い上げると、それに手を突っ込んで。
「君投げんの得意そうだよね。敵はおいちゃんが燃やすからさ、これ任せるよ」
フエゴは油玉をいくつか放る。
炎使いは一つ掴むことに成功するが、ほかの玉は地面に落ちた。
「ナイフとこれは別物ですが、まあやってみます」
並位魔法は使えないが、低位であれば灯すことは可能だった。犬魔の水塊を燃える左腕で受け止めると、炎使いは隙の生じた相手に油玉を命中させる。
その個体に火が灯れば、瞬く間に炎へと変化する。
・・
・・
群れとの戦闘が始まって十二分が過ぎた。
土使いと魔物具使いは、互いの持ち場を入れ替えていた。
少し前にフエゴを除き、この場にいる炎使いは並位魔法が使えなくなっていた。
一人はナイフと油玉を交互に投げる。もう一人は着火に怯んだ犬魔を蹴飛ばす。
商会員は荷台にて、今は炎使いに油玉を渡すべく、荷台の上を慌ただしく動き回る。オッサンは彼の邪魔をしないよう、樽の上で踊っていた。
清水運びに使用するだけあり、その樽は丈夫な造りとなっている。しつこいかも知れないが、遊んでいるわけではない。
仕事に勤しむフエゴは、天をなでようと杖を伸ばしながら。
「班長は今どの辺かな?」
「今さっき、指示された地点を過ぎました」
土の領域で探っていると、水塊が飛んできた。即座に岩の剣で受け止めたが、次の瞬間に凍りつく。
急に得物が重くなれば、思うように振れなくなるため、その隙に犬魔が接近する。先ほどまで黄土に触れていた手は、地面に減り込んでいた。
立ち上がると同時に、岩の片手剣が犬魔を吹き飛ばす。しかし軽い打撃では、殺害するには至らない。
フエゴはその個体が立ち上がる前に着火させると、荷馬車の後方で戦う女性に向け。
「可愛いお嬢ちゃんを行かすのは、本当はおいちゃんの主義に反するのよ。だからね、嫌いになっちゃダメ、絶対」
現状での戦力低下は痛い。しかしこの中で一番足が速く、確実かつ安全に救援を呼べるのは彼女のみ。
魔物具使いはその場で飛び上がると、荷台の上に着地して。
「無事にここへ戻るためにも、その杖を貸してもらいたいのですが」
「えっ……別に良いけど?」
あからさまに嫌そうな返答である。しかし女の子にお願いされろば、オジサンに断ることなどできない。
「おいちゃんのお気に入りだから、なくしちゃ駄目よ」
杖を受けとった魔物具使いは、にっこりしながらフエゴを見上げ。
「これがない方が、魔法に集中できますよね」
彼女は振り向くと、荷台から飛び上がり、空中で杖を投げる。
実はこの杖、地面に接する部分が鋭く尖っていた。美しく着地を決めると、女性はそのまま走りだす。
紛失する心配はないだろう。なぜなら犬魔の胴体に、杖が突き刺さっていた。
残された者たちは無言で犬魔と戦う。優しいオッサンは怒ったりしない。
「まあ、あとで拭けば良いのよね」
戦力が低下したからには、フエゴも踊りをやめ。
「それじゃあ、皆さん準備は良いかな」
荷馬車の後方すれすれに岩壁を召喚すると、土使いは力馬を守ることに専念する。
馬は怯えているものの、訓練されているようで、暴れもせずにうずくまっていた。
並位魔法の使えない炎使いも、戦力とは言えない商会員も、今は貴重な人手である。
五人での戦いが始まった。
・・
・・
土使いは岩壁を召喚しながらも、岩の片手剣で犬魔を遠ざけ、岩の盾で水の塊を防ぐ。
ナイフを得物とする炎使いは、魔法がなくともかなり戦えていた。
だがもう一人の炎使いは苦戦している。彼の玉具はガラス球であり、得物としての利用は難しく、素手での戦闘にも慣れていない。そうなれば着火眼による補助は、彼の方面が多くなる。
フエゴは誰にも聞こえない声で。
「よろしくないね」
後方は岩の壁により防げているが、そのぶん前方の守りが薄くなっており、荷馬車まで犬魔が辿りついていた。
樽を登りきった個体はフエゴが蹴飛ばしたが、そのとき爪が突き刺さっていたため、中身の清水が漏れだしてしまう。
オッサンは商会員を見て。
「たしか氷使いだっけ? 悪いけどさ、樽の穴を塞いどくれ」
商会員は荷台から降りると、前方へ回り込んで、フエゴの指示を実行する。
油玉が命中していれば火力が一気に上るため、着火眼でも相手を殺せるし、その隙を味方が狙ってくれる。
しかし雨による泥のせいで、どの個体が油に塗れているのか、フエゴには判別ができない。
まだ二十体は残っている。
なぜ炎が使えないのか。それが焦りとなり、炎使いの動きは鈍くなっていた。
雨中にも関わらず、土使いは良く頑張っている。しかし岩壁を維持させるのは、そろそろ限界だと思われる。
疲れるため、本当はあまりやりたくない。それでも流れをこちらに呼び戻すには、この方法しかないだろう。
「それじゃ今から、おいちゃんなんもしないよ」
彼と一緒に戦ったことがあれば、その言葉に文句のある者はいないだろう。
「十秒、できる限りの油玉を当てるように」
フエゴは当たりを見まわす。
その視線の先は犬魔。
一体ではない。
走る犬魔。
立ち止る犬魔。
商会員の前で、喉を鳴らす犬魔。
後足にナイフが刺さり、動きの悪い犬魔。
水塊を飛ばそうと、口を開けたまま動かない犬魔。
濡れた地面に足を滑らせる犬魔。
油玉が命中して怯む犬魔。
商会員を無視し、オッサンを目指す犬魔。
瞬きもせずに、多くの魔物を把握する。
目型の炎使いは、声にだして神へ願う。
「ホノオよ、燃やせ」
油が付着していれば、その個体は一気に燃え上がる。
油が付着してなければ、その個体は動きを止めて、まとっていた魔力を発散させる。
着火の瞬間に回避ができれば、炎は空気を焼いて消滅する。
たくさんの犬魔が、オッサンに燃やされていた。
ナイフ使いは刃物を投げる。
土使いは盾を土に帰すと、岩の両手剣で犬魔を叩き潰す。
丸腰の炎使いは、一生懸命に殴って蹴る。
この十秒で樽に穴があいた。それでも五体を殺し、半数以上の動きを鈍らせた。
間違いなく、流れはこちらに傾いた。しかしそれは油断にも繋がる。
岩の壁をよじ登った犬魔が一体。
今は樽の上に立つ男を見下ろしていた。
「ちょっと、そりゃないんじゃない」
足場が悪いため、逃げ場もない。
フエゴと一体は見つめ合う。
唯一の得物である木の杖は、魔物具使いに投げられた。
「いや、誰か助けて」
土使いは岩壁を崩そうとするが、すでに犬魔は姿勢を整えていた。
オッサンは諦めて、自分の腕を噛ませようと身構える。
怖いから目はつむっておく。
数秒後。
未だに痛みも衝撃もこない。フエゴは恐る恐る、目蓋を開く。
岩壁は崩れたようで、今は黄色い土だけが残っている。
犬魔は荷台の上に横たわっており、その身体には杖が減り込んでいた。
雨の中でも相手に聞こえるよう、増援として現れた女は大きな声で。
「おっさんには昔お世話になったけど、これで恩は返せたかな」
班長補佐はそう言うと、周囲の魔物を殺し始める。
それは嫌味でもあるのだが、ニノ朱を経験している者は、彼よりギルドでの常識を学ぶことが多い。
フエゴは樽から転げ落ちると、犬魔の死体に駆け寄り、その場にしゃがみ込む。
呆然とそれを見つめていたが、少しすると肩が震えだした。
あまりの悲しみに、オッサンは空を仰ぎながら。
「おっ、おいちゃんのつえがぁぁっ!」
その叫びは山中に響き渡る。
犬魔に刺さったときの衝撃で、お気に入りの杖が折れていた。