八話 小屋に一人
魔物はあまり鳴き声をあげない。
太陽の光が木々に遮られる。それだけでも怖いのだが、今日のような天気だと、空気が別物へと変化する。
草や木のあいだを通る風は、雨により少し冷えている気がする。山中に響く人の足音は、否応に間隔が短くなっていた。
湿り始めた地面に足を取られるし、上り下りの傾斜が急であれば、筋肉は悲鳴をあげる。
たとえ魔力をまとっていようと、何度か足を滑らせてしまう。
団員に支えられたり、自力で体勢を立て直していたため、今のところ転倒はない。
グレンは両手の樽を抱かえ直すと。
《もうお家に帰りたい》
心の中でそういった弱音を吐くものの、周りには団員しかいないため、そうそう我儘も言えない。
しかし日頃から鍛えていただけあり、一団から遅れることもなければ、他がグレンに合わせることもなかった。
縄が張られた急斜面や岩場などでは、他者に一樽任せることもあったが、鼻水を垂らしながら青年は地道に進んでいく。
戦いが終われば死体が残るため、行きと帰りは別の場所を通っているが、それでも一団に敵意を向けてくる魔物は存在していた。
だが流石は火炎団とでも言うべきか、九人の護衛はそれぞれに役割を果たす。それでも彼らは人間なのだから、上手くいかないこともある。
拠点まであと少しだったが、雨の臭いや音により、魔物具の感知も弱まり始めていた。
大地の状態が変化すれば、土の領域も操作が困難となる。
そもそも魔虫は事前の発見が難しく、魔力の少ない小型であれば、それは尚更であった。
班長は下方の沢を指さすと。
「清水は飲むなよ、この蜘蛛に毒はないぞ」
炎放射で敵を殲滅するのが三名。
運び手と商会員の護衛に四名。
明火から支給された魔物具は感知のみであり、戦闘にはそこまで活かせない。しかしこの一団には、個人持ちの魔物具使いが二名いた。
「単独が動きだした。お前らはそっちの対処を頼む」
班長の指示により、彼らは急斜面を駆け上がる。
すでに魔虫の群れは一団へと辿りついていた。
この蜘蛛は素早く地を這うが、糸などは使ってこない。しかし全ての個体が土の結界をまとっているため、事前の発見は魔霧毒虫よりも難しい。
グレンは足もとの魔虫を踏み潰したのち。
「俺に一人まわせっ!」
焦るのも仕方ない。なぜなら両手が塞がっている状態で、蜘蛛が彼の足をよじ登っていた。
班長はその個体を肉眼で捉えると。
「今そっちに炎を走らせる。対象はちゃんと蜘蛛にしてあるから、迷わず飛び込んでくれ!」
迫ってくる炎に自ら入るのは勇気がいる。だが怖がってもいられないため、両手で樽を抱きしめると、グレンはその場でうずくまる。
火傷の心配はなかったとしても、やはり熱いものは熱い。青年は涙目になりながら。
「もう、お家に帰りたい」
その声はとても小さかったが、何人かは苦笑いを浮かべていた。
しぱらくすると攻撃対象を変更したようで、炎はグレンから去っていく。気づけば班長は四つの炎を操り、運び手を狙っていた個体を次々に排除していった。
グレンは予想する。炎の速度を上げるということは、そのぶん対象の切り替えが難しくなるため、このような乱戦では下手に玉具を使わないほうが良い。
運び手の周辺を綺麗にすると、班長は四つの炎を一つに合わせたのち、三名の団員へとそれを走らせる。
合わさろうと熱さに変化はない。それでも炎は大きくなるため、魔虫の多くはそちらに意識を向けていた。
三名は放射を止めると、班長の炎が消えるのを待つ。
「残り十秒」
炎走りは三十秒で消えるが、合わさることで時間の延長が可能となる。
ペルデル自身の技術や熟練も関係してくるが、炎走りについて調べなければ、このような使い方はできないだろう。
小型の蜘蛛は徐々に一ヶ所へと集まっていく。
「五・四・三・二」
三名は魔虫たちを囲う。手の平は地面へと向けられていた。
班長の炎が静まった瞬間だった。放射されたそれは一ヶ所に集中する。
フエゴの魔法と違い、物理化はされていない。しかしその炎は木々の枝まで伸び、天を焼こうと狂い上がる。
・・
・・
戦いが終わり、一同は息をつく。グレンは周囲を警戒しながら。
「単独と戦っている二人は?」
土使いは両手を地面に添えると。
「もう片付いたようで、今はこちらに戻っています」
たしかに感知はそれなりに使えるようになったが、焼けた臭いと雨に妨害されているのだから、その技術はまだ未熟といえる。
抱えていた樽を持ち直すと、グレンは頬を赤く染めて。
「ハンチョ、おしっこ」
その発言に班長は顔を引きつらせると。
「洞窟前であれだけ済ませとけって言ったのに、あんたまだ大丈夫だって」
「あのときは本当に行きたくなかったんだもん」
汗と雨により化粧の落ち始めた団員は、グレンの肩をそっと叩き。
「もうすぐ拠点につくから、それまでの辛抱ですよ」
「漏らしても知りませんからね。もしものときは、一樽使ってでも綺麗にしますから」
「そんなことしたら、あんたの責任者に言うからな」
グレンは鼻水を垂らしながら。
「明火長に報告されるより嫌なんすけど」
「嫌なら我慢してくれ」
張っていた空気がグレンのせいで解けたため、班長は再び引き締める。
「二人を待って移動を再開するぞ。警戒は怠るなよ……あと少しで休憩だ」
・・
・・
その後は何事もなく、一団は拠点へと辿りついた。
運び手たちは設置されていた天幕に入り、三十分の休憩をとる。
グレンは団員に樽を渡すと、テントには行かず小屋へ向かう。
大量の汗を流していたためか、尿意はそれほどない。
「大丈夫ですか」
商会員に水を渡されると、零しながら一気に飲み干したのち、崩れるように座り込む。
「やっぱ自然の雨は厄介っすね。鼻が利かねえ」
「そうだな。今のところ神との繋がりは問題ないが、感知にはけっこうな影響がでてます」
フエゴは班長にうなずくと。
「本降りまで、あと四・五時間ってとこかな。荷馬車への積み込みを考えるとさ、正直そんなに余裕ないね」
行きと帰りだけでなく、洞窟内での作業もあるため、本当は休憩を削りたいところである。
今まで雨中を歩いていた商会員は、団員と共に積み込みを行っている。
この場にいる商会員は魔力をまとうと。
「次は私が樽を背負います。グレンさん……戦うことはできますか?」
赤の護衛は休憩を終えたあと、運び手の護衛をすることになっていた。
「明火から渡されてると思うけど、全員分はないっすよね」
「俺とフエゴさんは個人でもっている。今回持たされたのは四人分だけだ」
雨が降ったとしても、ホノオとの繋がりを保つ。
グレンは全身を布で拭きながら。
「信念旗のことを考えれば拠点に残りたいけど、全体から判断するとなれば、俺は運び手の護衛に回るべきだ」
個人持ちの魔物具使い。フエゴとペルデル。雨対策の玉具をもった四名。
【拠点の防衛】
フエゴ・魔物具使い一名・雨対策の玉具をもった一名。ほか二名は雨により魔法が弱体化する。
【運び手の護衛】
ペルデル・魔物具使い二名・雨対策の玉具をもった三名。ほか三名は雨により魔法が弱体化する。
魔法よりも体術を主体としているのだから、現状だとグレンは貴重な戦力となる。
フエゴはこの場にいる全員を見渡して。
「ペルデル君がいないあいだ、拠点に近づいてきた魔物はさ、単独が二回で群れが一回ってとこかな」
班長は腕を組むと、しばらく考えたのち。
「俺らの方が多いな」
「魔物の死体をそのままにしてきたんだ。恐らく次はもっと多いっすよ」
本来は日数をかけて、複数の源泉から清水を運ぶべきである。
しかし現状では違う。一度そのルートで運べたからには、同じ源泉のほうが良い。
フエゴは火炎団の団員として、赤の護衛に頭をさげ。
「申し訳ないんだけど、ペルデル君にだけで良いからさ、その左腕について教えてやってくれ」
雨中での戦闘は通常とは異なるため、誰がなにをでき、なにをできないのかを把握しなければいけない。
「もし連中の仲間だったとしても、今は火炎団としてこの場にいる。それに少なくとも、俺は勇者に恨みをもってない」
「まあ洞窟での戦闘で、あらかた把握されたと思ってるから、今さらってのもあるけどな」
黒く染まった逆手重装を見つめると、班長は苦笑いを浮かべ。
「どう見ても、魔物具ではないな」
商会員はその発言にうなずいて。
「そういえば、赤火長さんも魔獣具使いでしたね」
当然グレンは反応する。
「マジっすか。それってもしかして、初代団員が討伐した魔獣ですか?」
だが予想を反し、フエゴは頭を左右に振った。
「ギルドの依頼でね、赤火は盾の国で活動してた時期があるのよ」
暗黒の大地。なぜ数の王が最も厄介とされるのか。
「主鹿って魔獣はさ、突然変異の子供を拒絶しないのよ」
赤火長はそのとき猫の魔獣と戦い、片腕と引き換えに勝利した。
義手の魔獣具。
あまり人と関わりたがらない彼が、火炎団について知ろうとするのは、ただ単に興味があるからだけなのか。
グレンは関心しながらも、すこし首を傾げ。
「結果から言えば凄いけど、なんかあれっすね」
「まあ、よくよく考えると……そうなのよね」
ギルド運営は赤火を。
いや。トントという人物を。
班長は二人の会話を聞き、なんとなく気づいたのか。
「嫌な奴って印象しかなかったけど、あの人なりに苦労も多いってことか」
商会員はこの場の空気を変えるために。
「造ることは禁止されていますが、素材だけであれば持っていても罰はありません。盾国に面している都市は、そこから大量に仕入れているので、自然と魔物具が盛んになりました」
他国に売れるため、盾国でも魔物の素材は金になる。
休憩終了までもう時間はない。
グレンは立ち上がると、班長を見て。
「逆手重装について説明します」
班長も立ち上がり、グレンと共に小屋をあとにする。
その場に残された商会員は、火炎団の古株に頭をさげると。
「それでは、私も行きますね」
オッサンは黙りこんだまま、うなずきだけを返す。
商会員はもう一度頭をさげると、なにも言わずに外へ出ていく。
小屋に一人。
その背中は、とても小さい。