六話 清水運び開始
拠点の近場に確認されている源泉は六ヶ所。
支流の始まりと言える湧き水であったり、美しい泉であったり。もし魔物さえ存在しなければ、観光として金を稼げていたかも知れない。
清水の濃度はその場でも調べられるが、拠点に戻らなければ詳しい数値は解らない。
測定には毒などを必要とするため、商会員の持参したものでは、六ヶ所すべてを調べるのは不可能であった。
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火炎団は拠点で二日を過ごし、四ヶ所の源泉を調査した。測定の結果、清水として実用ができるのは二ヶ所のみ。
候補一・拠点から少し遠いが、道のりはそこまで険しくない。
候補二・拠点から近いが、清水を運ぶとなれば困難が予想される。
三日目の源泉調査では、実際に一人が清水入りの樽を背負うことで、運搬が可能かどうかを確かめる。
候補一・源泉到着までに一時間半。拠点へ運ぶのに一時間四十分。
候補二・源泉到着までに一時間。拠点へ運ぶのに一時間二十分。
一見では候補二の方が早い。だがこの結果は運び手が少ないからであり、それが増える本番となれば、所要時間は変化すると商会員は予想した。
班長は彼らの言葉を信じ、候補一の源泉より清水を調達すると決める。
ここまでは順調であった。
しかし、物事は上手く行かないものである。
鼻の利く者は水の匂いを。
肌の敏感な者は空気の湿り気を。
耳を澄ます者は雲の音を。
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拠点四日目の深夜。
木製の壁は所々に穴があり、そこから外の空気が入ってくる。
このような場所でも、室内というだけで安心してしまうのは、どうしようもない人の性である。
ここは様子を見るべきか、それとも予定どおり行動を開始するか。
廃墟の中で向かい合うのは四名。
火炎団の班長。火炎団の古株。赤の護衛。
馬と荷車の管理があるため、話し合いに参加する商会員は一人のみ。
まずはフエゴが自身の経験を語る。
「雨は通り過ぎても、地面の泥濘は当分残るのよね。特にここらは黄土を敷いてないからさ、乾くのにも数日は必要だな」
次にグレンが先の予想を。
「拠点まではなんとか運べるけどよ、地面が今より悪化しちまえば、たかが三日の整備だと厳しいんじゃねえか」
もし帰りの道中で荷馬車が止まれば、厄介事が増えるのは目に見えていた。
班長は二人にうなづくと、魔物具使いたちの言葉を伝える。
「あと五時間もすれば降り始めるらしいけど、本降りは昼過ぎになるそうだ」
商会員が一つの提案を。
「前もって荷馬車を人工道まで移しておいて、源泉から直接そこまで運ぶというのはどうでしょうか」
班長はその方法を頭の中で検討する。
「三人は中継地に戻っているから、ここにいる班員は一七名です」
フエゴとグレンを入れろば、総員一九名となる。
「五名を荷馬車につけるとして、清水調達に向かうのは一四人」
「運び手の護衛は最低でも九人はいねえとな。俺を含めても、三人は樽持ちだ」
用意した樽は全部で一二。そのうち昨日の試し運搬で、二樽には清水がすでに入っている。
班長は以上のことを踏まえ、商会員の提案に意見を述べる。
「一度に運べるのが五樽となれば、二度は往復する必要があります。だから荷馬車と源泉の距離が遠くなんのは避けたいな」
「午前中に作業を一通り終わらせてさ、本降りになる前に拠点を発つしかないんじゃない」
かなり厳しい内容だが、一同はそれに納得するしかなかった。
「わかってると思うけどよ、俺の体力は底なしじゃないからな。運び手をすんのは構わねえが、二樽を抱えんのは一度が限度だぞ」
「そこら辺はこちらでも配慮しますよ。だけどあんたには、無理を承知で色々やってもらいたいところだな」
グレンは意地汚い笑みを浮かべると。
「まあ頼まれたからには頑張りますけど、明火長さんには色つけて報告してくれよ」
「ありのままを伝えさせてもらいます。でも、そういった発言は控えたほうが、印象は良いと思うんだけどな」
だが赤の護衛にも考えがあるようで。
「内心が顔にでることが多いらしいんで、下手に繕うのは逆効果なんすよ」
「善人面を止めたほうが、話し合いは捗ることもあるのよね」
グレンが頑張って手伝いをするのは、着火眼のことだけでなく、火炎団との今後を円滑に進めるため。
そういった目的を明確にさせたほうが、交渉を進めやすいのも事実である。
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昼過ぎまでという時間制限があるため、清水運びは危険を承知で夜明け前の決行となる。
まだ雨は降っていない。火という明かりがなければ、満足に前も見えない。
ほかの樽持ちは背負っているだけなのに対し、グレンは両腕もふさがっていた。一応前は見えるのだが、二本の足だけでは辛い場所もあるため、護衛の団員に手伝ってもらうこともあった。
一団の先頭を務めるのは商会員。照明玉具をもってはいるが、よく迷わないものだと感心する。
班長はグレンと行動を共にしているが、フエゴは拠点にて荷馬車の警備を行っている。
土使いは一人のみだが、魔物具使いがいるので探知の心配はそこまでない。
現在。足場は傾斜となっていた。そのため魔力まといがなければ、空樽であろうと両手がふさがったまま歩くのは困難である。
まだ月を確認できる時間帯であり、そのぶん敵意を向けてくる魔物も多い。
この班には最近までニノ朱だった者もいるが、半数以上は一ノ朱であった。
闇の中。無言で進んでいた一団は、魔物具使いの合図で動きを止める。
各自の視線は下方に向けられていた。しかし火の明かりでは、まだなにも見えていない。
班長は穏やかな声で。
「炎放射……構え」
このような木々の密集した場所では、一点放射だと途中で遮られてしまう。
グレンは抱かえていたものを地面に置いていたが、未だ背中には空樽がある。満足に動けないぶん、やはり不安が心を支配する。
「着火。火力は並位中級を維持」
班長の指示に従うのは四名。逆腕に炎が灯る。
魔法が低位から並位へと変化したため、そのぶん周囲も照らされる。だが魔物の姿はまだ確認できない。
「飛具に点火」
炎使いたちの利き腕には、それぞれに投げ槍やナイフなどが握られていた。宝玉具と思われるそれは、班長の指示どおり燃え始めていた。
まだ魔物は見えない。だがグレンの鼻はしっかりと、その動きを感じている。
黒手で強化されるのは臭覚のみだが、敵と思われる存在の足音や、草をかき分ける音色が耳に入った瞬間であった。
ペルデルは片腕を上げる。最初は握り拳だったが、一本ずつ指が増えていく。
五本の指がすべて開かれたとき、班長はその手を振り下げて。
「放射、開始」
火力は並位中級のままだとしても、炎が交じり合うことで協力魔法となり、辺りを一気に焼き始める。
魔物らしき姿は目に移るが、炎により全貌は把握できていない。
この炎放射という魔法は、火元に近づけば近づくほどに熱くなる。一団に迫っていた魔物の群れは、その勢いを緩めざる負えなかった。
「放射はそのままに、飛具を構えろ」
利き腕に持たれた玉具は、すでに赤身へと変化し、高熱を発していることが見て取れる。
魔物たちは炎に焼かれながらも、人間への憎しみだけを頼りとして、少しずつ四名に近づこうとする。
「火力を並位下級に落とせ」
炎の熱が弱まれば、敵はここぞとばかりに歩みを再開させる。
班長は鞘から両手剣を払い、それを地面に突き刺すと。
「……投げろ」
利き腕より放たれたそれは、魔物の身体に突き刺さる。
人より重たい肉体が地面に崩れろば、それなりの音がなる。
突き刺さった玉具は、その後も身体を焼き続ける。
どんなに魔物がもがこうと、刃の形状により抜け難くなっている。
投げ槍を得物とする炎使いは、投擲後にそのまま対象へ接近すると、石突を靴底で押し込む。魔物は傾斜により、少し転がってから停止した。
まだ周囲には敵がいる。炎使いは槍をそのままに、背中側の腰に差した短剣を抜くと、火を灯す。
ナイフ使いは最初の投擲を終えたあとも、別のナイフを投げ続ける。
敵の群れは壊滅した。
それでも、まだ一体だけ立っていた。
全身にナイフが突き刺さっている。それは熱を発し、未だ肉体を焼いている。
足取りは不安定だが、まだ倒れてはいない。しかし斜面を登る力が残っていないのか、一団に近づこうとしても転んでしまう。
班長の足もとは燃えていた。
その炎には剣が突き刺さっていた。
両手剣の柄を握り直すと、班長は地面を削りながら、それを振り上げる。
火の宝石玉を練り込んだ両手剣は、炎走りの速度を強化する。
ボスは血を流しながら、刃物に肉を焼かれながらも、横に跳ねて迫ってくる炎を避けようとする。
だがこの魔法には追尾能力が備わっているため、炎はボスのもとに到着した。
身体に突き刺さったナイフの熱により、魔力まといが鈍っていたせいか、その炎は直に毛と皮膚を焼く。
焦げた独特な臭いが、先ほどからグレンの鼻を刺激する。
それでも班長に容赦はない。再び地面に火を熾し、その火力を上げると、今度は玉具を使わずに走らせる。
速度の異なる二つの炎に翻弄され、魔物はなんども足を焦がす。
燃えているのは地面なため、そこから離れろば身体は焼けない。あと十秒ほどで、最初に走らせた魔法は消えるだろう。
ボスは炎から逃げるために、前方へ大きく跳んだ。
着地した瞬間であった。
炎により熱せられた両手剣が、ボスの頭を叩き斬る。
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先日戦った猪のような相手はそうそう現れないため、戦いに慣れている団員たちであれば、数十秒で決着がつく。
本当はボスから素材を回収したいところだが、現状は清水の運搬が優先である。
もっとも岩猪のような魔物の素材であれば、多少無理をしてでも持って帰ろうとするだろう。
グレンは空の樽を抱えると、班長の背中を見つめる。
群れを専門とする朱火。
このペルデルという人物は、一ノ朱火長と同じ足型の炎使いであり、聞いた話によれば教えも受けているとのこと。
着火眼を満足に使えない赤の護衛は、炎走りを使った戦闘を目の当たりにして、本気で羨ましいと感じていた。
接近戦を主体とする場合は、やはり手型よりも足型の方が優れている。
班長は剣身を布で拭いたのち、両手剣を鞘に帰すと。
「ここから速く移動したほうが良いな」
鼻の利く者たちは、先ほどから焼け焦げた臭いのせいで、魔物具を使用できないでいた。
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まだ太陽は顔をだしていないが、少しずつ辺りは明るくなってきた。
現在。グレンたちの目前には、岩を出入口とする洞窟が存在している。
土使いが領域を展開し、内部を探る。
魔物の気配はない。そもそも入ってすぐの所に、彼らが求める源泉は確認されていた。
班長は各自に指示をだす。
運び手と護衛の数名が洞窟に入り、源泉より清水を汲み、空樽を満杯にする。
残りはこの場にて魔物の警戒を。
グレンは班長の話も聞かず、その場で天を仰ぐ。
木枝の隙間から見える空は、一面を雲に覆われていた。
水滴が、額に当たる。
班長は照明玉具に魔力を送ると。
「急ぐぞ」
本降りとなれば、炎使いはホノオとの繋がりが薄くなる。