二話 炎が司るもの
なぜ中継地からヒノキまでの輸送に一八日もかかるのか。道が悪いというのもあるが、最たる理由は魔物であった。
どれほど対策を立てて挑もうと、一部の物資が駄目になることもあり、酷ければ輸送隊そのものが壊滅する。
本陣で使われる清水はデマドから流れている。しかし本来はレンガに送るのを目的としているため、前もって用意したとしても限界があった。
ヒノキを含む山々には、毒をもつ生物が確認されている。そのため探せば源泉もあるのだが、本陣周辺で清水を入手するのは難しい。
六十年前にも刻亀討伐は決行されているが、残念ながら現状をみれば結果が解る。
その頃はデマドだけでなく、清水を生業としていた村々も存在していた。作戦失敗を切欠として、徐々に村人は故郷を離れていったが、当時利用されていた清水の源泉は今も残っている。
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闇の中で炎を明かりとする集団。道上での焚き火は禁止されているため、十七名は野宿地をそこから少し外していた。
パチパチと音を鳴らす炎。当初は赤色だったが、時間の経過とともに別色が混ざり始める。
地面にそのまま火を熾しているわけではなく、熱に強いと思われる容器のなかで、その炎は闇を彩っていた。
すでに魔法炎ではないのに、その明かりは煙が少ない。土と火の影響を受けた木々は水分が少ないようで、乾燥させる手間もないのだと思われる。
荷馬車には焚き火に利用する燃料や、空樽がたくさん積まれていた。食料は皆でつくるのではなく、個人で管理しているとのこと。もしそれが尽きてしまった場合は、余裕のある者から買ったり、自力で調達しなくてはいけない。
グレンの場合は商会員に任せてあるため、そういった心配は今のところない。
一行の三人と別れてからここまで、魔物との戦闘は五回ほど。豚に鼠に鼬。
鼬は成人女性の片足ほどだが、性格はとても凶暴であり、相手が自分より大きくても襲ってくる。この種は性別で体格に差があり、雄は魔力まといを得意とし、雌は魔法を使う。
繁殖期以外は一体で行動するため、単独の中ではかなり小さい魔物である。
そういった魔物の生息する地帯を、夜間でも気にせず移動するのが火炎団であった。これまでの輸送隊と違い、彼らには物資護衛時の手引き書はない。そもそも彼らが登録しているのは、討伐ギルドである。
だがフエゴが言ったとおり、一人ひとりが戦いに慣れていた。それは輸送隊の兵士も同じではあるのだが、彼らとはなにかが異なる。
指揮系統を整えて、それぞれが役割をもって動く。多少の違いはあるが、その点は同じである。
グレンは干し肉をかじりながら、色々と考えを巡らせていた。
まだ夜は冷えるため、焚き火に手を当てている者が数名いる。だが長時間それをする必要はないようで、少しすると離れていく。
酒を飲む者や、賭け事に興じている人の姿もある。
「なんかけっこう自由なんすね」
「おいちゃんたちはさ、依頼を受けてそのたびに報酬をもらってんのよ」
次にどの都市へ行くか。そのような方針は赤火や朱火、または明火の長が決めるのだが、収入源である依頼はそれぞれの班長が責任をとる。
「そんで依頼の内容がさ、町や村の近場とは限らないわけよ。普段からこういう野宿してたら、今さら真面目にはできないじゃない」
熱心な信者が祈願所へ向かうため、前もって周囲の魔物を減らして欲しい。
大きな群れの発生が確認されたため、それが村を襲う前に駆除して欲しい。
魔物具職人からの依頼などなど。
「風の魔物とか確認されたら、やっぱ奥地でも行くことあるんすか」
「そりゃ行くよ。依頼主だけじゃなくてさ、ギルド運営や都市からも報酬が加算されるんだ」
風属性の魔物は災いを齎すと言われている。今になって考えると、これも風使いが迫害を受ける原因の一つかも知れない。
会話が途切れると、二人のあいだに沈黙が残る。
なぜこのオッサンがグレンと話しているのか。
「そんなに寂しいなら、あんたも中継地に戻ればよかったんじゃ」
朱火には長が二人いる。一ノ朱はそれなりの実力を備えているが、二ノ朱は経験の浅い者が多い。
「おいちゃんだって本当はそうしたいよ。でもさぁ、上からこの班に同行しろって命令されてんだもの」
上というのは恐らく明火長かと思われる。
グレンは周囲を見わたすと。
「もしかしてこの班って、最近編成されたばかりですか」
「良くわかったねぇ。少し前まで二ノ朱だったのが何人かいるんだって。まぁ、偉そうに言ってるおいちゃんは、未だに二ノ朱なんだけどさ」
ではなんのために明火長は、この人物を同行させたのか。
「もし班長が死ねばさ、代わりを用意するじゃない。だからおいちゃんは念のため」
恐らくこの一団の班長は、まだそういった経験が浅いのだと思われる。
オッサンは背中を地面につけると、両手を枕にしたのち足を組む。
グレンは残っていた干し肉を食べる。
何気なく左腕を動かせば、逆手重装が視界に映った。
そういえばこの武具も四十万である。ただしそのなかには、純宝玉と職人の技術料は含まれていない。
食後グレンは左腰袋から火玉を取りだすと、着火せずに前方へ放る。目で意識を集中し、炎を灯してくれと願う。
だが、神からの返答はなかった。
「そう簡単にはいかないよ。グレンちゃんは長いこと手型として生きてきたんだ」
なぜオババは着火眼について教えなかったのか。
「魔物との戦いを見させてもらったけど、せっかくその才があるんだ。このまま拳士として生きたほうが良いんじゃない」
フエゴは寝転んだまま。
「おいちゃんは昔から腕っ節が弱くてね、魔法の修行をするしかなかった。それにさ、もし今から教えようと、刻亀討伐には間に合わない」
「自分の炎について考えろ。そう言ったのは、俺を拳士にした張本人です」
グレンは懐から紙切れを取りだすと。
「金は用意できませんが、あんたに渡せるもんはあります」
フエゴは身体を起こすと。
「なにそれ?」
「知人に道具屋がいるんすけど、そいつは商売よりも、開発のほうが得意なんすよ」
魔物狩りを始めてからの一・二年。不器用なため最後の方は関わることを拒まれたが、グレンも最初の内は開発を手伝っていた。
「もともと効果があるかわかんねえ品ですし、俺もうろ覚えで書いたから、原料や作り方に誤りがあるかも知れません」
国や地域。または個人によって違いはあるかも知れないが、人は年齢を重ねると悩みが増える。
悩みは時に商売と直結する。
果実の皮などにそんな力があるとはグレンにも思えない。だが常連の客が現れるということは、実際にそれなりの効果があったのだろう。
グレンがなにを言いたいのか。なんとなく察しがついたのか、フエゴは顔を引きつらせながら。
「おいちゃん……ハゲてないよ」
「でも、頭皮には自信がないんすよね」
間違いなく紙切れに興味があるようだが、なぜか頑なにそれを受け取ろうとしない。
「さっきも言いましたが、製作法に誤りがあるかも知れねえから、もしかしたら逆効果ってなこともある。だから自己責任だな」
「おいちゃん……ハゲてないよ? でも、知り合いに気にしている人がいるから、その人のために受け取っても良いかな」
「開発者の許可をとってないので、俺としては個人使用にしてもらえると助かる」
フエゴは震える手でグレンより紙切れを受けとると。
「まずは安全かどうかの確認をしたほうが良いから、おいちゃんが身をもって試すことにする。まあ商売目的には使わないって約束するけど、ここには雷の神官がいないから、ちゃんとした契約はできないね」
実際にグレンが一行の三人と別れるときも、それが問題となっていた。しかし正式な手順でなかったとしても、まったく意味をなさないわけではない。
なにもしないよりは、なんらかの形を残すほうが良い。
グレンは改めてフエゴと向き合い。
「俺は人から受けた恩を無視して、あんたから知識を得ようとする人間です。全て教えろってわけじゃない、触りだけでも良い」
刻亀討伐に成功しようと、まだ勇者の旅は終わらないのだから。
少しでも、力が欲しい。
「まあその点は別に良いよ。おいちゃんも長いこと生きてきたけどさ、目型の炎使いなんて、自分とグレンちゃん以外みたことないし」
「着火の仕方さえ解れば、火力を上げるだけなら自分でもなんとかできます」
だがそこまで甘いものではないようで、フエゴはしばらく考えながら。
「おいちゃんとしてはあんま多くを求めんのはお勧めしない。でも受け取ったからには、簡単なことくらいは教えるさ」
グレンには相手の人間性を一目で見抜く力はない。だがこの人物からは、ゼドのような裏表は感じない。
「まず着火眼は燃やす対象によって難度に違いがある。物を作りだす場所だからか、自分の両手が一番楽だね」
相手が人間である場合は、腕を狙って着火しろという意味でもある。
「最初のうちは燃えやすいもので着火の練習をした方がいい」
フエゴは火玉を指さして。
「それでも良いんだけどね、おいちゃんは油を染み込ませた布を利用した」
ここまでは基礎の基礎といった感じであり、グレンもすでに予想している。
「弱点とかありませんか」
「最大の弱点は着火眼そのものじゃない。おいちゃんなんかそれを知った途端にね、自分は特別なんだと思い込んじゃってさ」
オッサンは両腕を夜空に掲げると、劇場で演技をするように。
「俺って格好いい、最強だ!! って自画自賛するのが弱点だよ」
突然大声を発したフエゴに、少し離れた場所にいた団員の女性が。
「おっさんうっさい。お母さんに夜は静かにしましょうって教わらなかったの」
「そんなこと言ったって子供はいうこと聞かないよ。だからおいちゃんはお母さんに言われて、夜でもお外で遊んでたよ」
恐らく嘘だと思われるが、凄い屁理屈をいうオッサンだなと、グレンは自分を棚に上げて思っていた。
「それじゃ、お外で遊んできて良いよ」
どうやら相手のほうが一枚上手のようで、彼女の指先は魔物のいる森中に向けられていた。
「ごめんなさい。おいちゃんもうオジサンだから、そんな元気ないよ。でもお姉ちゃんがオッパイ触らせてくれたら、おいちゃん元気でるよ」
お姉さんは微笑みながら死ねと吐き捨て、そのままフエゴに背を向ける。
「まあそういうわけだから、着火眼に慢心するとお姉ちゃんに嫌われるんだ」
どう見ても着火眼は関係ないのだが、フエゴが言っている意味は理解した。
「戦闘中に気をつけることってないっすかね」
若い娘に嫌われたのが悲しかったのか、さも面倒そうに。
「グレンちゃん。魔力まとってから腕だしてみ」
なにをするのかよく解らなかったが、言われたとおり右腕をフエゴに向ける。
「そんじゃ、今から腕に並位上級の炎つけるから。まぁ消しても良いけど、熱かったらごめんよ」
もちろん断ろうとしたが、そのころにはすでに右腕が燃えていた。
「ちょっ、なにすんだオッサン!」
グレンは咄嗟にまとっていた魔力を発散させる。
並位上級と言ったわりに、予想を反し呆気なく鎮火した。
「普通は手や足下で火力を調節してから、炎使いは放射したり走らせたりするんだ」
しかし着火眼の場合はそうもいかない。
「最初は相手が驚いてくれるから、中級くらいまでなら上げれるけど、二度目からは低位のうちに消されちゃうのよね」
「接近戦主体ならその隙を狙えますが、魔法中心で戦うとなるとそれじゃ厳しくないっすか」
おいちゃんはグレンに背を向けて寝転ぶと。
「そっ、だからおいちゃんは未だに二ノ朱なの」
「でもそれで四十万は安すぎやしませんか」
フエゴが話している相手は、腐っているが赤の護衛である。
「火力を上げるときだけじゃなく、走らせたり放射させんのにも、神に願いと魔力を送る必要があるそうです」
決められた量の魔力をまとえなければ、練り込みという次の段階には移れない。
体内の魔力を移動させることで、地流しや掌波といった魔法が発動するが、それを飛炎や炎放射に置き換えることができる。
「そもそも目型の炎使いに関する資料が少ないんだよね。あったとしてもさ、そこまでしか書いてないのよ」
グレンが自分の魔法について本気で調べようとすれば、もしかすればレンガで気づけたかも知れない。しかし滞在時間も限られており、最後の方は刻亀の情報収集に追われていた。
「俺はあんたから話を聞こうと、その後も着火眼について考えていきたい」
目型の炎使いは、恐らく高位属性使いよりも少ない。
「グレンちゃんはさ、ホノオがなにを司ってるか知ってる」
「知識だか知恵じゃないんですか」
フエゴはグレンに背中を向けたまま。
「おいちゃんの故郷はさ、ここいらでいう森の民みたいなとこなんだよ。まあ崇めてたのは炎なんだけどね」
炎の民。
「場所によって知だったり、学だったりしてさ。炎ってなに司ってんのか良くわからないじゃない」
オッサンは片腕で自分の頭を支えながら、もう一方で尻をかき始めると。
「ちなみにおいちゃんが爺さまから教わったのは、文明の発展と衰退だった」
絶対に外れない雷。この人物がそれを知っているかはわからない。
「刻亀は雪で生物を進化させ、飛竜は雷の牢獄を展開し、主鹿は暗黒の大地と呼ばれる。そんで夢鳥は、恐らく変化じゃないかな」
頭部の模様が赤青黄。
白い瞳。
全身緑。
グレンは右手で頭を押さえつけながら。
「人に都合の良い炎ってのは、文明の力ってことですか。まあ、煙がでない炎は自然を守ってますしね」
いつか赤の護衛は気づくだろう。
「でも見方を変えりゃ、自然と文明って危なくないっすか」
「そっ、だからできるだけ誰にも言っちゃダメよ」
もしこの発言がなければ、フエゴはここで止めていたと。
炎使いのオッサンは身体を起こし、自分の腰袋に手を突っ込み、そこから小さなナイフを取りだす。
「きっとホノオだってさ、知られたくないと思ってるよ。身体に良くないもんは、どんなに繕っても身体に悪いんだ」
フエゴは脇においてあった木の杖を手に持つと、それをナイフで削り始める。
「どの属性もそれぞれ司っているものが宿っている。炎だってさ、もっと明確なのがあっても良いと思ったんだ」
土は領域と結界で居場所と安全を確認する。
水は氷で時を止める。
雷は手から罪を求めて放たれる。
風は並位で変化をさせ、高位で欲望を表現する。
しばらく二人は会話を止める。
周りも静かだったが、時々話し声が耳に届く。
彼らは町や村の外で過ごす時間が長い。
魔物具を持つ団員が立ち上がった瞬間だった。先ほどまでの緩みが一団から消えた。
班長は近場の土使いに目で合図を送る。
「近づいてくるのは単独が一。こちらに意識を向けてる群れが二」
右手で単独を、左手で群れの位置を。
兵士は近づいてくる魔物しか殺さないが、もしもの事態に備える。
火炎団は戦闘が始まれば、周囲の魔物も殺そうとする。
班長はこの場に残る面子を決め、群れと戦う者たちを決める。
残るは単独の相手をする者を決めるだけとなっていた。
グレンは周りに聞こえる声で。
「フエゴさん。俺と一緒に遊びませんか」
オッサンは杖を使って立ち上がると。
「じゃあさ、おいちゃんは炎の魔法使いやるから、グレンちゃんは拳士ね」
この世界の魔法は詠唱といっても神言くらいであるため、ほとんどが魔法戦士である。
恐らく偉大な物語の登場人物になりきって、二人で魔物と遊ぶのだと思われる。
グレンは立ち上がると、服についた汚れを落とす。
『じゃあね、わたしゆうしゃだから、グレンちゃんはごえいやって!』
なぜか、そんな昔のできごとを思いだしていた。
赤の護衛は苦笑いを浮かべると。
「オッサン。頼むから、ちゃん付けは止めてくれ」
「わかった。もう言わないよ、グレンちゃん」
ふざけた二人は班長の許可も得ないまま、勝手に森の中へ消えていった。
ガンセキが火炎団のほうが性に合うと思ったのも解る。ただその場合は、朱火ではなく赤火のほうが良いだろう。
グレンが先ほど思いだした記憶は、仕事を始める前のものであった。