一話 戦いに逃げた結果
今までと同じ夜がきた。恐らく勇者一行は明日には中継地へ到着するだろう。だがなぜか、グレンは三人とは別の場所にいた。
現在地は兵士たちに用意された野宿場ではなく、祈願所から五時間ほど進んだあたりであった。ここより中継地に向けて進むと、少しずつ木々は低くなり、土質も変化する。
ユカ平原は土と風。大森林は土と水。デマド一帯は水と風。
その地に影響を与えるのは、神または闇の存在であり、グレンの予想ではそこに生息する魔物でもある。もっとも人間と同じく、風属性の魔物は数が少ない。
中継地の周辺は土と火の魔物が多く、大地は乾燥しており、木の数も一気に少なくなる。
地面の草を触れば、まだここには水神の影響が残っているのだと解る。しかし土を握っても固まり難く、数秒で解けてしまう。
これまでは自然の泥臭さを強く感じていたが、今はそれも薄れていた。
気温などは変らないが、わずかな距離でこれほどの違い。千年前からこの世界はこうだったのか、それとも人類の黄昏を切欠に変化が始まったのか。
なんらかの理由で火炎団と行動することになった青年も、今になってそのような変化を感じていた。
これまで皆と護ってきた物資もそこにはなく、あるのは空の荷馬車だけ。そもそもこの大きさであれば、積み荷があろうと力馬なら一頭でも動かせる。
周囲にはグレンを含め、兵士の軽鎧をまとった者は一人もいない。その変わりかどうかは解らないが、身体の一部に朱色の布を巻きつけたのが十七名ほど。
しかしそんな孤独といえる空間にも、見知った相手が二人いる。それは今日まで共に旅をした商会員なのだが、ピリカではないため話したことはない。もっともグレンは彼女が苦手なので、同行されても困っただけである。
夜明けをまち、この集団は先人の道から外れ、馬車とともに道なき道を進む。
なぜこのような展開になってしまったのか。グレンも本当は嫌だったとしか言えないが、今さら一人は寂しいと泣き喚くわけにもいかない。なによりこうなったのは、自分が考えなしに動いたのが原因である。
現状で解るのは一つだけ。赤の護衛が中継地に辿りつくのは、ガンセキたちよりも数日遅くなる。
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祈願所の仮眠室。アクアとセレスも用事はすんだようで、グレンと共にガンセキを探す。
少なからず自分の魔法に劣等を感じていたため、青年の機嫌は足取りを見れば二人にもわかる。
両手に火を灯せるのなら、手型の炎使い。足下に火を灯せるのなら、足型の炎使い。
それと同じで指定した場所に火を発生させるのが、目型の炎使いということである。
「着火眼てな呼び方らしいけど、目とはあんま関係ないんだってよ」
燃やすものが視界に映っていなくとも、その位置を使う側が認識していろば、目型の炎使いは着火が可能となる。
「でも相手が動いてたりすると着火に失敗するから、そこら辺は訓練が必要なんだと」
炎使いとしての特徴を知れたのが嬉しかったのか、ここまで一方的に話しをするグレンは珍しい。
アクアも聞いてはいるのだが、その様子にすこし興醒めた表情となっている。セレスも最初は嬉しそうに笑っていた。
「離れてても火力を上げれんだからよ、そこから自力で気づけたかも知れないのにな。その点にはまったく気づかなかったんだから、アクアさんが前から言うように、どうやら俺は馬鹿だったみたいだ」
なぜかは解らない。彼は喜んでいるはずなのに、セレスは声をかけることができなかった。
「ガンセキさんに相談してみないと解らねえけど、黒膜化よりこっちを優先させたほうが良いかも知れねえな。まあ最優先は赤鉄だけどよ」
ふざけている時は別として、グレンはいつも内容を整理してから声にだしている。だが今は気持ちが先に出すぎており、他者のことをまったく考えていない。
「止めたほうが良いんじゃないかい。そうやって予定を次々に変えてると、もしかしたら呪いが発生するかも知れないよ」
アクアの鋭い指摘に、グレンは少しだけ黙り込んだ。
祈願所の一室にガンセキはいた。どうやらここで今後の打ち合わせをしていたようだが、現在は火炎団だけでなく、コガラシやピリカの姿もない。
グレンは責任者を見るや、満面の笑みで先ほど仕入れた知識を伝える。その内容はセレスとアクアもすでに知っている。
ガンセキはしばらく黙って聞いていたが。
「なるほど。この世界の魔法は感覚に頼る部分が多いからな、やはり先入観といったものが一番厄介ということか」
彼は小説が好きだった。宗教上の理由で許されないものもあるが、中にはこの世界とは異なる魔法も存在している。
だがどの世界でも、最初に魔法や剣を教えるのは、主人公の身近にいた登場人物である。その相手が大魔法使いか、それとも少し魔法を使えるだけなのか。
「妖怪と呼ばれるだけあって、あの婆さんは魔法にも詳しいんすけどね」
父が同じ属性だとしても、彼は自宅からでるのを拒んでいたため、両親からはあまり魔法を教わっていない。
「呼んでたのグレンちゃんだけだもん。それにオババは手型の炎使いだから、教えるのにも限界があったんだよ」
修行が大好きな責任者は、勇者の言葉に強くうなずくと。
「風か火かはわからんが、神官の所業を思い出してみろ。手から離れても火力の調節ができる。そこで止めたのは俺も賛成だ」
意図して間違いを教えなければ、土使いはここまで弱体化しなかった。
「着火眼に関しては、婆さんも詳しくなかったのか」
やはりグレンの様子が変なのは明らかであった。ガンセキが説明しなくとも、いつもの彼なら前もって予想を立てているだろう。
「考えを改めようと、最初の一言で後戻りが難しくなるんだ」
土の神は地中にいる。対策としてそういった想像をしても、未だガンセキと神の繋がりは薄くなったままである。
オババはそのような危険を知った上で、炎を飛ばせない理由を不明ということにした。
だが今回は違う。どこまで突き詰めているのかは解らないが、その団員は自らが着火眼の使い手であった。
「君は思い込みが激しいからさ、足下に火を灯す練習をしても、心のどこかで無駄だと考えてたんじゃないかい」
しかしその現象を直に見たことで、グレンも矯正された可能性がある。
「先入観を払拭すんなら、あの人からもっと色々聞いたほうがいいっすよね」
「お花をずっと探してたからさ、お客さんが来てるなんて知らなかったよ。それで、メラメラ団はどこに行ったのかな」
グレンは自分の頭に指を向けると。
「なんでも布をどこかに巻きつけんのが決まりらしい。色からしてたぶん朱火だろ」
いつもの彼なら、メラメラ団という謎の単語に一言入れるはず。
「話しを聞くことに反対はせんが、その前に自分なりの予想を立てるべきだと思うぞ」
このようなことをガンセキが言わずとも、いつもならその作業をすでに始めているだろう。
赤の護衛としての役目は、それぞれの勇者一行によって考え方が異なる。
「せっかく知ってる人がいるんだから、考えるのはそれからでも良いじゃないっすか」
それはセレス一行の炎使いとして、声にだしてはいけない言葉となっていた。しばらく三名は沈黙していたが、水使いは意志を込めた目で相手を睨むと。
「ねえ、グレン君さ」
アクアがなにかを言おうとしたが、ガンセキはそれを遮るように。
「彼らは先発隊みたいなものらしい。本体は今日の野宿場で待機しているとのことだ」
そのため要件を伝えた団員たちは、すでに祈願所から去っている。
「そんじゃ野宿場にいかねえと、連中とは接触できないってことか。もうすぐ九時になりますし、そろそろ出発の準備をしましょう」
一人では鎧の装着もできないくせに、グレンはそのまま部屋をあとにする。
残されたアクアは扉を見つめたまま。
「なんかあったのかい。それと、なんで邪魔するのさ」
「逆手重装の事実を兵士の一部に知られた。俺やあいつが考えていた以上に、風当たりが強くてな」
勇者の護衛が魔獣具に頼るのはどうかと思う。
「グレンもお前らと同じで、勇者の村からでた経験がほとんどない。俺もそれは解っていたはずなのだが、どうしても頼りすぎてしまう」
わずかな情報から多くの予想を立てる。だがそれは万能ではないため、見落としも当然でてくる。
「いつものグレンちゃんなら着火眼より、なぜ火炎団が祈願所に来たのかを優先するもん」
なぜガンセキはアクアの邪魔をしたのか。
「今回の一件は俺の責任だが、せっかくの機会でもある。グレンには身を持って経験してもらい、俺たちはあいつ抜きで物事を考える練習をする」
レンガでのそれとは違い、互いに連絡のとれない別行動。
責任者は二人に火炎団の目的を伝える。
数分後。それを聞き終えたアクアは。
「いつも思うんだけどさ、ガンさんってグレン君にだけ厳しいよね。ボクやセレスちゃんには過保護なくせに」
「俺たちに頼ろうとしないのなら、自分で何とかするしかないだろ」
なまじ優秀なせいで、何とかできてしまうことも多い。しかし上手くいったとしても、それは一人でできる範囲に留まる。
「今回の別行動で、俺がお前らを頼る練習ができろばと考えている」
赤の護衛がいないということは、そのぶん二人との話し合いが増えるだろう。
「あいつは人付き合いが苦手だが、レンガ滞在中に気づいたことがある。なんだかんだ言って俺たちがいないほうが、グレンは行動力があるんだ」
セレスは納得しながらも、少し寂しそうな表情で。
「たしかに生き生きしてた」
それともう一つ。
「グレンは兵士よりも、火炎団のほうが性にあってるかも知れんしな」
「そりゃそうだよ、なんたって同じメラメラ仲間じゃないか」
よくわからない納得の仕方だが、アクアなりにガンセキの言いたいことは理解したらしい。
「グレンちゃんは兵士としての規則より、拳士としての日課を優先させてた」
兵士の縛りは強みではあるが、弱みとも言える。真面目なグレンはそれに従おうとするが、彼の性格に合わない部分が多い。
その後。輸送隊は本来の予定どおり、九時半には全ての準備を終わらせ、皆がそろって祈願所を後にした。
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ガンセキは荷馬車の前方。セレスは一般の分隊長補佐。
アクアは中央を歩くが、グレンとの会話はあまりなかった。そもそも彼の頭には着火眼のことしかなく、周囲の景色にも目はいかなかった。
山中なのだから、見晴らしの良い場所も道中にはある。途中で休憩したのは、数年前まで人が暮らした集落。
わずかな年月でここまで寂びるのは少し悲しいが、それでも味わい深いところであった。
人の手を離れ自然に帰る。住人だった者たちの思い。周囲の村々との関係。
それなりの記憶が込められた場所かも知れない。
理由など言わずもがな、刻亀である。
だが魔獣の全てが人の害となっているわけではない。
祈願所を出立してから六時間、これまでに二度の戦いがあった。
三度目。輸送隊は鳥の襲撃を受けた。
殺すのが難しい魔物だが、ある程度の傷を負わすと逃げだす種が多い。魔物具を使ったアクアと炎使いにより、わずか数分でこの戦闘は終わっている。
一点放射のロッド。これに使われているのは濁宝玉だが、威力は宝石玉と大差ない。違うのは再発射に要する時間とのこと。
この玉具は兵士個人に支給されるものではなく、各中隊ごとに決められた数だけ用意されている。
ピリカの話だと飛竜が現れるまでは、飛行能力を有する魔物は、厄介この上ない相手であったらしい。もっとも食べるのが目的であれば、空でも魔獣王の怒りには触れないとのこと。
しかし人間を狙う場合、どうしても憎しみが混ざってしまうため、一定の高度を保って戦うようになった。
雷属性の飛行できる魔物のなかには、少ないが飛竜に習う種も確認されているらしい。そこから考えるに空を飛べる魔物は、本能で罰を恐れているのかも知れない。
こういった興味のありそうな話題があろうと、グレンは心ここに在らずであった。
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祈願所を立って七時間後。そこにいたのは二十数名のギルド登録団体。
どうやら暇な時間を利用して、彼ら彼女らは魔物を狩っていたようであった。なぜならここに来る途中で、群れの死骸が焼かれていたのを目で確認していた。
人工道の近場での狩りは避けていたようだが、それでも兵士であれば問題行動である。しかしメモリアにはそれを咎める権限はないのか、特にその点には触れなかった。
ピリカもいつもの笑みを浮かべたまま、黙って腰を下ろしていた。
魔物の素材を軍または商人にでも売るつもりなのか、数名はこのまま中継地に戻るらしい。残る者たちは本来の目的のため、もうすぐ夜になるというのに移動を開始するとのこと。
彼らの要求は予備の力馬であった。それを受けとった先発の五名はいち早くこの野宿場にもどり、馬を休ませていた。
それを知ったグレンたちは急いでオッサンを探す。その人物は二十名とは少し離れた場所で、一人これから進む道の先を眺めていた。
どのように声をかけるか悩む。責任者と青の護衛は自分のかわりにやってくれないようだし、セレスに期待することもできない。
「……朝はどうも」
そんな不器用な発言に振り向くと。
「ああ、お兄ちゃんかい。ごくろうさん、もうすぐ中継地につけんね」
どのように会話を続けろば良いのかも解らない。そもそも彼らはもうすぐ出発してしまう。
「突然で悪いんすが、着火眼について、もうちっと話を聞かせてくれませんか」
あまりにも直球なお願いに、オッサンは苦笑いを浮かべると。
「まあ別に良いけど、その代わりなにくれんの」
この男が着火眼の話しをだしたのは、赤の護衛がそれを知っていると、勘違いしたからである。
知識というのは一種の力。レンガ軍と違い火炎団には、それを一行に教える義務はない。
「おいちゃんも今の段階までくるのに、けっこう苦労してんだよ。だからせめてさ、お金かなんかちょうだいよ」
グレンは無一文。勇者一行にもそんな余裕はない。
兵士に頼むにも、現状では無理だろう。ピリカならなんとかできるかも知れないが、彼女は損得で動く人間である。
ガンセキは情けないその背を見ながら。
「デマドでお前に言ったはずだ」
グレンは愚かな自分の行動に気づき、急いで責任者の教えを思いだす。
相手が現在置かれている状況の把握。
相手の趣味や友好関係の調査。
相手の要求を事前に予想して、食いつきそうな話題を考える。
この人物の趣味や友好関係はわからなくとも、現在置かれている状況と、相手の食いつきそうな話題くらいなら用意できていたはず。
なに一つ考えていなかった青年は、顔を青く染めながら。
「あんたの欲しがるもんが、俺には予想できない。だから、教えてくれ」
「おいちゃんオッパイすきだよ。でも勇者にそんなこと頼んだら捕まっちゃうから、四十万くらいで良いかな」
要求された額は高いのか、それとも安いのか。混乱しているグレンには解らない。
だがどちらにせよ、勇者一行に支払える額ではなかった。
「ねえグレン君。できる限りで良いからさ、魔力をまとってみなよ」
ここでアクアが声をだすとは予想していなかった。責任者に目を向けると、うなずきを返された。
赤の護衛は意味不明のまま、仕方なく魔力をまとう。やがてその身は光に包まれ、暗くなり始めた周囲をわずかに照らす。
セレスは両腕で自分の胸を隠しながら。
「グレンちゃんはうんと強いから役に立つよ」
勇者一行が提供できるのは、現状だと戦力だけである。
「そりゃ強いのは知ってるよ。責任者は戦場で生き残ったし、赤の護衛はレンガで敵を退けてるからさ」
だが残念ながら、相手は火炎団であった。
「でもねぇ、おいちゃんたちは戦いでご飯食べてるじゃない。今さら強い人が短期間だけ加わっても、そんな嬉しかないよ」
彼らは兵士ではない。高値の宝玉具すら、個人で入手することもできる。
だがガンセキたちは朝の話し合いで、この返答を予想していた。
「清水の源泉は途中から徒歩となります。先ほど見ていただいた通り、赤の護衛は魔力まといを得意としているので、重い荷を運ぶのに役立つはず」
赤の護衛が二人分の樽を運べば、手のあいた者がそのぶん護衛に回れる。
「まあ確かに良い話だけどさ、おいちゃん個人への得は少し安全になるってだけじゃない」
責任者はグレンの肩に手を置くと。
「お前の意志は着火眼について学ぶことだけか」
青年は左手を額に添えたのち、しばらく考えこみ。
「万が一俺が死んだ場合。その対策としてピリカさんに相談する必要がありますが、許可を貰えばそちらの班長と責任者のあいだで契約を交わし、俺が火炎団に同行することも可能かと思います」
赤の護衛は考える。準備不足のこの状況で、どうすれば欲しいものを得られるかを。
「俺は着火眼だけでなく、火炎団との繋がりも持ちたいと思っています。あなた達も本作戦で勇者一行に命運を預けるわけですし、自分を判断基準にしてもらえれば良い」
「そこまで言うのなら、班長にはおいちゃんから話しても良いけどね」
グレンはその返事にうなずくと。
「魔法に関しては気が向けばで良い。俺があんたにとって少しでも役だったのなら、その価値のぶんを教えるだけでも構わない」
オッサンは自分の無精髭をしばし撫でていたが、姿勢を正すと、朱色の布に右腕をもっていく。
「おいちゃんはフエゴだ。よろしくね……」
フエゴは名を教えたのち、少しあいだをあけて。
「……グレンちゃん」
赤の護衛は引きつった笑みを浮かべていたが、一つだけ理解した。
信念旗からすれば、この別行動は狙い目だろう。もしかすれば、協力者が混ざっている可能性も否定できない。
だが少なくともこの男は、火炎団に誇りをもっている。