十三話 切欠
仮眠室に男と女の壁はなく、責任者と勇者は兵士と休息を共にしている。レンガでも四人は同部屋であったため、そこまで抵抗はないようだ。
現在アクアは室内で朝を待っていた。メモリアや兵士と言葉を交わすこともあるが、魔物具で周囲の警戒をしている時間のほうが長い。
本当は外のほうが野生の勘は働くのだが、なぜか彼女はそれをせず、屋内での警戒を続けていた。
商会の五名は荷馬車から離れられないため、交代で休息をとっているようだが、ピリカは待機室にいることが多い。
そこの地面は土がむきだしになっており、領域魔法を使うこともできる。分隊長の指示もその場で受け取れるため、ここのほうが急事の対応が容易なのだと思われる。
ゼドも待機室にいるのだが、ベッドで休むのを拒み、壁に背中をあずけたまま眠っていた。身体を横たえてしまうと、夜間起きるのが辛いから嫌だとのこと。
問題のある行動と発言を繰り返したせいで、彼はこの中でとても浮いていた。そのため一行との会話は時々あるが、兵士たちは誰もゼドに近づこうとはしない。
それでもピリカはこれまでの付き合いで、ゼドという人間をある程度は知っていた。
商人は立ちあがると、旅人のもとまで足を進め、その隣に腰をおろす。
周囲は彼女の行動に気づき、視線をそちらに向けていたが、少ししてそれぞれがもとの位置にもどす。
ゼドは目を閉じたまま、相手には一切の反応を示さない。だがピリカは相手の気持ちなど考えず。
「一行の皆様に、なにかあったのでしょうか?」
ガンセキはともかく、話し合いを終えた三人の様子には、ピリカ以外の者たちも気づいている。
しかしゼドは寝息をたてたまま、なんの返事もしない。
「案内人なのですから、なにか聞いておりませんか? 仲違いをされたままですと、今後に支障をきたしますので」
鼻がつまっているようで、ゼドは息苦しそうにしていたが、未だ眠ったままである。
「あら、とても苦しそう。仕方ないですね、私がなんとかしましょう」
そう言うとゼドの鼻孔に指を突っ込み、その中にある汚れを掻きだす。とても痛かったようで、ゼドは半分泣きながら。
「鼻くそ穿りには技術が必要なんだす。素人が無闇に掻きだすと、売値が半減しちゃうんだすよ」
右は一粒十万だが、ピリカのせいで全てが台無しになったとのこと。
「ここまで成長させるのに、どれほどの苦労があるか、君はわかっているのだすか。どうせお嬢さんのことだから、金に目が眩んでこんな暴挙にでたのかも知れないだすが、穿り師の熟練された指があってこそ、自分の鼻くそは輝きを増すのだす」
ゼドは鞄から道具を取りだすと、ピリカに荒らされた右穴の手入れを始める。
「予定が狂っただす。今年の品評会に間に合わなかったら、全部お嬢さんのせいだすからね」
「あら、そんな奇抜な会があるのですか。もしよろしければ、私もご一緒させてもらいたいものです。しかし、それほどまでに愛好家が多いのであれば、私の耳にも届くと思うのですが」
口から出任せだと思われるが、ゼドは真面目な表情を崩したりせず。
「金儲けより大切なことがあるから、自分たちは密かに愛好してきただす」
美しい鼻くそには相応の価値がある。しかし愛好家のほとんどは、自らも究極の一粒を制作しようとしているらしい。
「なるほど、たいへん興味深いお話をありがとうございました。ですがそうなりますと、もっとも優れた一粒を選出するのが難しいのでは」
「そりゃあ自分の作品を最優秀に推したいだすよ。でもいくつかある中から、自分はこれだと決めて品評会に提出しただすから、あとは他者の評価を待つしかないだす」
ゼドも自分の作品から一度目を離し、他者が作り上げた自信の一粒を真剣に評価する。
「水分の抜け具合や、形に趣があるかどうか。透き通るような色を自分は好むだすが、歴史を感じさせる汚れにも、なんらかの味わいを見いだしてみるだす」
作者はなにを思いこれを選んだのか。作者はこの鼻くそでなにを表現しようとしたのか。
移りゆく時代の汚れと、その中にある微かな美。
そしてなによりも、鼻くそという残骸の儚さ。
「自分たちは話し合いで一番を決めるんだす。当然だすが、意見が食い違うことだってあるだす。でも皆とても真剣だからこそ、また新たに鼻くそを作ろうと思うんだす」
祖国を復興させる。安定派はその気持を抑えつけてでも、古代種族との約束を守り続けてきた。
なぜこの男は、ピリカと信念旗の繋がりを疑っていたのか。
「たしかに遠い目で見れば、討伐作戦の成功は不利益だす。しかし現状で刻亀という存在は、レンガに大きな被害をもたらしているだすよね」
だが始めて顔を合わせたとき、彼女は刻亀討伐の失敗を望んでいた。
光の一刻。その時代に鉄工商会と接触した敗国者が、今どの派閥に偏っているのかは解らない。
「お嬢さんは以前、世界の管理を否定していたから、そうなれば安定派の可能性は低いだす」
いつか終わる戦争を、少しでも長続きさせる。安定派は強大な力をもっているが、それはやがて終わりを迎える思想であった。
「鉄工商会の代表というよりも、復国派の代表として考えたほうが、色々と辻褄が合うだす」
ピリカは目尻を指でさすりながら。
「貴方の話はあくまでも予想であり、確証などありません。ですが、もし私が復国派であったとすれば、もっと場所を選ぶべきでは」
会話の内容は聞かれていなくとも、メモリアやアクアを含めた周囲の者たちは、二人に意識を向けているかも知れない。
なぜ三人が仲違いをしているのか。
「自分はお嬢さんの質問に答えただけだすよ。全部ではないだすが、信念旗の情報をガンセキに教えただす。あの様子から察するに、仲違いの理由はそこじゃないだすか」
「なるほど。四人がどのような話し合いをしていたのか、私にも予想ができました」
信念旗は風使いや魔人の保護を目的とし、後ろ盾は勇者が戦争に参加するのを良く思わない。
「ガンセキを含めて、一行の面々は話し合いが好きだす。だから少なくとも、世間の評判だけで、あの四人は信念旗を見ないだす」
「私はあくまでも鉄工商会の人間ですが、その上で発言させていただきます」
ピリカは目蓋を開くと、一瞬アクアの方をみて。
「行動にでるのが早過ぎます。派閥というものにも、力関係があるのではないでしょうか」
「デマドではあの人が怖くて動けなかっただすが、お嬢さんのいる今が狙い目なんだすよ」
案内人として、自分にできること。
「信念旗と鉄工商会の一部が繋がっている。そんな確証はなんもないだすが、これでも自分はずっとそういう生き方をしてきたから、勘だけは冴えているんだすよ」
「あの方はたしかに商会の幹部ですが、自然を守るという役目ですので、ギルド運営からの出向者です」
復国の意志をもっている者もいれば、世界の管理を目指す者もいる。安定派はその中間といえるため、両者とは協力も敵対もしていない。
だが繋がりはある。
「組合長という地位を前任者から引き継いだのは五年ほど前ですが、私たちも彼の出処に関しては掴めておりません」
こういった事情から、ゼドは安定派を信用していない。そもそも治安軍の運営資金の一部は、ギルドからでているとの噂もある。
「神位魔法を使える勇者。その情報が広まったからこそ、刻亀討伐の計画が始まっただす。もしかすれば、一行との接触が目的なんだすかね」
「心知の実。彼はその約束により、赤の護衛さまと繋がっております」
鉄工商会といえど、容易に手出しのできる相手ではない。
「責任者という立場は、その役目が終わっても残るだす。その発言が大きな力をもっていると気づいていれば、ガンセキは見守るほかにない」
偽りかも知れないが、ピリカは信念旗との繋がりはないと言った。
「先ほどゼドさんが仰言ったとおり、鉄工商会は世界の管理を望んでおりません」
「近くで見てればなんとなくわかるだす。あの四人は信念旗との話し合いを望んでいる。だから嫌でも、自分はそれに向けて動かなくちゃいけないだす」
治安軍の力を知っているからこそ、彼はピリカと勇者一行が接触するのを嫌がっていた。
「切欠はつくっただすから、あとは彼らに託すだす」
そう言ってゼドは立ち上がる。ピリカは相手の横顔を見つめながら。
「ヒノキに到着すれば、そこで案内はお終いなのですか」
商人の質問に、旅人は答えない。
「失礼ながら調べさせてもらいました。彼らは間者としてだけでなく、貴方の剣も等しく必要とするのでは」
「もし再び剣を握れば、意識せずとも、自分はまた果てを目指す」
螺旋の終わり。その先にある、罰の道。
誰もそれを望まないのなら、目指す必要なんてない。
勇者との約束を守りたい。
ゼドは少し歩くと、周りの視線から逃げるように、待機室の隅に腰をおろす。
だがここは、そこまで広くない。
・・
・・
アクアは両膝を抱えながら、ゼドにだけ聞こえる声で。
「ボクはさ、グレン君が嫌いなんだ」
「陰口なら余所でやって欲しいだす。それでもし自分が同意したら、あとで皆に言いふらすんじゃないだすか」
そんな案内人の返答に、青の護衛は頭を左右に振って。
「ダスさん仲良いみたいだからさ。お願いだよ、もしグレン君が今後なにをしたとしても、味方でいて欲しいんだ」
ボルガには頼めない。同じ臭いがするからこそ、少女はオジサンに頼んだのだろう。
「同じ場所を目指す人がいるのなら、味方なんて彼には必要ないだすよ」
「自分で選んだ道だからかい。でもそんなの、寂しいじゃないか」
それでもゼドはアクアの願いを拒絶する。
「自分は馬鹿だから、気づくことなんてできないだす。助けを求められないのなら、それはグレン殿が背負うしかないのだすよ」
オジサンは壁に背中をあずけると、天井を見上げながら。
「嫌いでも別に良いじゃないだすか。そんな彼の無様な姿を見て、間違ってると訴えるだす。無視されようと、グレン殿はちゃんと聞いてるだすよ」
アクアは小さくうなずくと。
「知ってる。グレン君はさ……なんだかんだで、とても真面目なんだ」
もうすぐ、夜が明ける。