十二話 選択肢
その地に辿りつくために、戦う者たちは道をゆく。
しかし進めば進むほど、行く手は霧に遮られ、目指す先は霞んでしまう。
失敗や絶望を繰り返したせいで、やがて戦者は疲れて消える。
だが諦めの悪い者は、心を壊してでも歩みを止めない。
それでも道を踏み外さんと、一歩一歩を踏みしめて、霧の中を慎重に進んでいく。
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多くの人間が行き交う場所だけでなく、誰も寄りつかない土地だとしても、神々と闇の存在は戦っていた。
五百年前。刻亀のせいでヒノキ山は通行ができなくなり、人気というものが消えてしまった。
信仰に厚い人々は、儀式としてそういった場所に赴くことで、神々の勝利を祈る。
本来はそういった目的で建てられるのが祈願所である。しかし刻亀討伐では、輸送の上で重要な役割を担っていた。
一部が崩れかけた囲壁に、苔や蔓に覆われた石造りの建物。人のいない時間が長かったため、もし単独の魔物に襲われろば簡単に壊されるだろう。
そもそも人がいなければ、群れの住処となってしまう危険もある。しかし現在は輸送隊が定期で利用するため、魔物の嫌う匂いもこびりついており、数ヶ所には真新しい修復あともみられる。
メモリアたちは日暮れとともに祈願所へ辿りつき、荷馬車は専用の小屋へと入れられ、力馬も今日はそこで休息をとる。
その古びた建物の中央には、魔物が入り込めないように設計された空間がある。祈願室などと呼ばれているだけあり、そこには祭壇が設置されていた。
一通りの警戒態勢を整え、今晩の安全を確保した三十名は、次に祈りの儀式をしなくてはならない。
炎の明かりに照らされた祈願室。セレスは皆に見守られながら、一人祭壇から神へと言葉を送っていた。
グレンはこういった儀式に興味がないのか、今は祈願所の外で見張りをしている。ゼドも同じく堅苦しい空気を拒んだのだが、監視対象であるため嫌々その場に残らされていた。
儀式中は私語が禁止されているため、祭壇のセレスを見るほかにすることがない。
神への祈りはセレスだけに許される行為ではないため、信仰のある者は順番に祭壇へと足を進める。
ピリカとフィエル。アクアにセレス。ガンセキやメモリアも祈りは捧げたが、ほかの四名に比べれば時間は短かった。
周りに習い祈りは送っていたようだが、なぜかゼドは祭壇からのそれを拒み、その場から動こうとはしなかった。
分隊長が両方とも儀式に参加するわけにはいかないため、現在コガラシは別室で待機をしている。
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祈願所と囲壁のあいだ。庭と呼ぶには少しばかり荒れているが、それでも広さは充分にあるため、守りという点では安心感が野宿場よりも上である。
外にでて警戒にあたっているのは、今のところグレンを含めて六名。
この場を指揮しているのは一般分隊長補佐。コガラシがいるのは室内ではあるのだが、領域魔法が使えるよう足下は土となっている。
お世辞にも、祈願所の防衛機能は優れてるとは言えない。だが魔物は野宿場よりも警戒意識を高めるため、夜間攻撃を受ける回数が減るとのこと。
壁という仕切りがあるだけで、それは自然との隔たりとなる。このような古い建物だとしても、無人でなくなれば息を吹き返す。
たしかに廃墟などを塒にする種もいる。しかし人工物というものは、魔物からすれば昼夜関係なく、やはり恐怖の対象なのだろう。
宝石玉の照明玉具は夜中でもかなり明るいのだが、壊れでもしたら鉄工商会からすれば痛手である。
野宿場と違い多くの兵士は屋内にいるため、今周囲を照らしているのは、手持ちの玉具や魔法の明かりだけ。
しかし炎使いであるはずの青年は、低位魔法で視界を確保しようとしない。実を言えばこれもガンセキが提案した修行である。
近くには兵士もいるが、彼は誰とも言葉を交わさずに、聴覚と肌で周囲を見張っていた。といってもゼドやその部下と比べれば、グレンの技術はないよりはましな程度である。
アクアは野生の勘に優れた魔物具を所持しているため、本来は彼女のほうが適任だろう。しかしセレスほどではないとしても、それなりの信仰心はあるようで、儀式にでたいと本人は希望していた。
黒膜化において、グレンの身体を縛りつけていたもの。それは体重の増加でもあるのだが、闇に包まれることへの恐怖が一番の原因と言える。
夜を照らしてこその炎ではあるが、それは恐怖を小さな明かりで紛らわすとも言える。黒膜化に大切なのは闇との同調であるため、灯火は邪魔にしかならない。
土の領域を使えない人間は、どうしても視覚に頼ってしまう。それを封じることで警戒意識を高め、恐怖心を糧に自らの拙い技術を過敏にさせる。
日中は赤鉄の修行と軽鎧による体重増加への慣れ。夜間は闇への耐性を整える。つまり責任者は刻亀との戦いまでに、赤鉄と黒膜化を完成させる予定であった。
この勇者一行にも若いという弱点があり、それはアクアだけでなく、グレンとセレスにも当てはまる。
そもそもギゼルは旅立ちのときに三十を過ぎていたからこそ、身体極化をある程度だがものにしていた。
わずか五歳で高位魔法をセレスは習得したが、彼女はそれを未だ実戦に活かし切れていない。
高位を習得したのが二五だとしても、ガンセキは一年経たずに使いこなせるようになっていた。彼が責任者に選ばれた最大の理由はそこであった。
個人にあった修行法を編みだし、習得から会得までの期間を短縮させる。
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夜に身を委ね、音を肌で感じとる。ガンセキの言うとおり、普段よりも研ぎ澄まされた気はするが、そのぶん精神の消耗は激しい。
グレンは息をつくと、両手を上に伸ばし身体を解す。そうすれば夜空が自然と目に映る。
宝石玉の照明がないせいか、星々はこれまでよりも強く輝いていた。
その中の一つになりたいのか、気づけば青年は片手に火を灯し、少しでもそれを高く上げようとしていた。
だがそんな行為に嫌気がさしたのか、グレンは苦笑いを浮かべると。
「……虚しいな」
神への願いをやめろば、それだけで灯った火は消える。
「なんで消しちゃうのさ、メラメラ綺麗だったのに」
振り返れば、そこには小さな女の子が立っていた。
「儀式は終わったのか」
「四人だけで話し合いをするから、ガンさんに呼んでこいって頼まれた」
恐らくグレンの予想を二人にも伝えるのだろう。
「一応は案内人だろ。ゼドさんも呼ばなくていいのか」
「誘ったみたいだけどさ、断られたんじゃないかい」
そう言うと祈願所へと向きを返し、相手をまたずに歩きだした。それでもグレンはその場から動こうとはしない。
アクアもついて来ないことに気づいたようで。
「どうしたのさ。少ししか時間もらえなかったそうだし、早く行こうよ」
この道を進むと決めたのは自分自身。ゼドの言葉を思いだすと、グレンは力なくうなずいて、アクアのあとを追いかける。
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祈願所の内部も外見と同じく石で造られているのだが、壁や床にボロボロの木板が貼られている。苔や蔓も内部までは侵食しておらず、最近掃除されたばかりのようで、そこまで埃っぽくもない。
この建物は大きくないため、部屋数も多いとは言えない。たしかに修復されてはいるのだが、それが全体というわけではなく、掃除されているのも決まった場所だけである。
先を歩くアクアとの会話はない。
少し疲れているのか、その小さな背中からは、いつもの元気が感じられなかった。
「土の領域をつかえばさ、人の心とかわかるんだよね」
魔法陣で能力を決めるさい、なんらかの制限を加えたほうが、より大きな効果を期待できる。懐刀が対象としているのは魔力だけであり、使用者の感情を隠しているわけではない。
「俺はお前が嫌いだけどよ、常にそう思ってはいねえ」
人の心はわずかな言葉で揺れる。裏切りを考えている者がいたとしても、本当にそれで良いのかと悩むのは当然である。
グレンは周囲を見渡したあと。
「実際にことを起こす寸前にならなけりゃ、敵意ってのは心の大半を占めねえし、下手すりゃそのあとも悩み続けんだろ」
レンガで実行部隊はガランという人物を失った。恐らく生き残った者たちは、個人差もあるが後悔しているだろう。
「筋の通ったものから、くだらない幼稚なものまで。たとえ悪事だとしても、すべての行動には理由がある」
そのようなグレンの考えに、アクアが納得するはずもなく。
「ちゃんとした理由があれば、なにをしても許されるのかい」
「……さあな」
青年は肩をすくめて笑っていた。
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仮眠室には責任者と勇者がまっていた。
いくつかのベッドと小さな机が一つ。その上には欠けた花瓶が置かれていたが、中にはなにも生けられていない。
土の領域はすでに展開しているのだと思われる。ガンセキは手に持っていた照明を壁にかけると、手近なベッドに腰を下ろし。
「今朝グレンにもゼドさんからの情報を伝えた。これで一行の全員がすでに知っていることになるな」
勇者は一歩ガンセキに近づくと、恐る恐る口を開く。
「信念旗は一行を狙うためにつくられた組織じゃない。壊滅した後に、大きな後ろ盾を得て、今の姿になった」
「ゼドさんの問題行動は褒められたことではない。しかしそのお陰で得たものがあるのは事実だ」
コガラシは協力者の恐れがある。
責任者は赤の護衛に視線を送ると。
「俺の口からでも良いのだが、できればお前から二人に伝えてもらいたい」
青年は小さく息をつき、ゆっくりとうなずいたのち。
「今から教えるのは、あくまでも俺の予想でしかない。だからそれが絶対だと思い込むのは、できればやめて欲しい」
セレスとアクアはその言葉に承諾する。
グレンは冷たい床に座ると、内容を整理したのち、自分の予想を仲間に伝える。
風の神官という資格により、彼らは人の心を操作する。
変化と欲望を快く思わない者たちと、それらが重なれば、犯罪組織が誕生するかも知れない。
風使いは実際に少ないが、もしかすれば迫害を恐れ、自分の属性を隠している者もいる。
だがそれだけでは、信念旗が世界の害となる理由には繋がらない。
魔人。彼らはそれも保護の対象に入れていたため、一度この世界に壊滅させられた。
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セレスとアクアだけでなく、ガンセキもどこか表情が暗い。
「レンガでおじいちゃんが言ってたよ。魔人はみんな嘘つきだけど、そうさせたのはこの世界だって」
だがグレンは鼻で笑うと。
「でも嘘つきになったのはそいつのせいだ。人間にも俺みたいな嘘つきはいるし、魔人だってすべてが嘘つきとは限らねえだろ。それによ、その爺さんが誰かは知らねえが、一人の言葉だけを当てにすんのはやめた方が良い」
「だけどお爺さんの言ってたことは、グレンちゃんの予想に当てはまるもん」
魔人が闇の下僕なのだとすれば、色々と矛盾が発生する。
「たしかに俺の予想はよ、魔人が弱者じゃないと成り立たねえな。でもガンセキさんが言ったとおり、魔人なんて最初からいないかも知れないだろ」
都合の悪い思想をもつ者は、誰でも魔人として処刑される。
グレンはセレスに微笑みながら。
「お前たしか魔人嫌いだろ。ならそんな奴らはいないものとして考えたほうが、なにかと都合が良いんじゃねえか」
自分の意見を主張できる世の中を目指し、信念旗は結成された。しかし世界はそれを望まず、彼らを魔人として処罰した。
そのとき迫害を経験した信念旗は、同じような扱いを受ける風使いを保護するために、現在は犯罪組織として活動している。
アクアはグレンを睨みつけると。
「都合が良いって理由だけで、魔人という存在を無視するのが、君の考える勇者なのかい」
「じゃあセレスに聞くけどよ、お前の言う人々のためってのに、魔人は入っているのか」
そもそも魔人は人なのか。
「グレンちゃんの言うとおり、私は神さまを裏切った魔人が嫌い。でも一方的な悪意を向けるなんて、そんな勇者にだけはなりたくない」
「いるかどうかもわからねえ奴らを考えることに、なんの意味があるってんだ。問題は風の神官が人の心を操作できるとすれば、なぜそんなことをする必要があるのかだろ」
これまで黙って三人の話を聞いていたガンセキだが、グレンの言葉に反応したのか。
「だが変な話だな。風の神官がなにをしているかに関係なく、風神に仕えているだけだとしても、冷たい目を向けてくる者はいるだろうに」
犯罪組織に命を狙われるとわかっていながら、あえて風の神官となり、それでも民の心を操作しようとする。
「敵は悪。こちらは正義。そのようにしなければ、大義は立たず戦争も続かんということか」
戦争終結を望まない者たち。
「敗国者とギルドってさ、たぶん強い繋がりをもっているんだよね。ちゃんとした理由があるのかも知れない。でもだからって、そんなの絶対に間違ってるよ」
セレスもアクアの考えに賛同し、小さくうなずくと。
「戦争を続けることにどんな意味があるのかは解らない。でもたくさんの人が死んでるって事実は変わらない」
グレンは苛つきを隠すこともせず、木製の床に拳を叩きつけると。
「そうじゃねえだろ。理由もわからない癖に、お前らはなんで否定してんだ。結論をだすのはそれからだろ」
荒い発言を受けた二人は、相手に敵意を向ける。
だがガンセキは一理あると考えたようで。
「ゼドさんの話とお前の予想を重ねてみよう」
信念旗は迫害を受ける者の保護を目的とし、その後ろ盾は勇者が戦争に参加することを望んでいない。
「これらはまったく関係がないように見えるが、根本では繋がっているとのことだ」
「つまり勇者が戦争を終わらせたら、信念旗は都合が悪いってことかい」
セレスは目蓋を閉ざし、グレンのように考える姿勢をつくる。
「私たちがこのまま戦争を終わらせたら、風使いや魔人の迫害が強まるのかも」
魔族が消えろば残った敵方に憎悪が向けられるのは当然である。しかしそれだけの理由で、後ろ盾が勇者を否定するとは思えない。
「でもボクたちの使命は戦争を終わらせることだ。もし機会があるのなら、ちゃんと信念旗の話を聞いてさ、それからどうするかをみんなで考えるべきだよ」
二人の会話を聞いていた赤の護衛は、拳を強く握りしめると。
「信念旗の後ろ盾を敗国者と考えた場合は、ギルドや治安軍の裏にいる連中の話も聞かなきゃ駄目だ」
なぜ風使いや魔人を迫害するのか。その理由を一方からだけでなく、三方から知ってこそ意味がある。
今までアクアはグレンを睨むことは何度もあった。だが本気でその視線を送るのは、今回が始めてではないだろうか。
「もし筋の通った理由があったら、君は敗国者のどっちにつくんだい。もし……迫害をする側に回るというのなら、ボクは君を本気で軽蔑するよ」
「別に軽蔑されようがどうでも良いし、そもそも最後に決めんのは勇者だろ。なら変化の先ってのは、少しでも多いほうが良いんじゃねえのか」
一つでも、多くの選択肢を。
勇者は赤の護衛をまっすぐに見つめながら。
「でも私は仲間の意見を聞いてから判断したい。もし迫害にちゃんとした意味があったとしたら、グレンちゃんはどうするの」
「君がボクらとは違う答えをだしたとしても、悩んだすえに導きだしたのなら、もうなにも言えないよ」
アクアはその瞳に、うっすらと涙を浮かべながら。
「だけどさ。君はそれを風使いや……魔人に面と向って言えるのかい」
グレンは苦笑いを浮かべると。
「まるで俺が迫害をする側に回るような言い方だな。そのときになってみないと、答えなんてだせねえよ」
目的のためなら手段を選ばない。二人ともそんなグレンの姿勢には気づいていた。
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その地に辿りつくために、戦う者たちは道をゆく。
しかし進めば進むほど、行く手は霧に遮られ、目指す先は霞んでしまう。
失敗や絶望を繰り返したせいで、やがて戦者は疲れて消える。だけど諦めの悪い者は、心を壊してでも歩みを止めない。
それでも足を踏み外さんと、一歩一歩をしっかりと踏みしめて、霧の中を慎重に進んでいく。
だがどの世にも、本物の馬鹿がいる。
彼らは全速力で駆け抜けて、歴史の闇に消えていく。
それでも意味を残そうと、見失った果てを探し続ける。
話し合いが終わり、グレンは疲れたのか、外の空気を吸いに祈願所をでていた。
真面目な馬鹿は先ほどから、夜空をずっと眺めていた。
月とたくさんの星たちが、今も青年を照らしている。
グレンは歯を食い縛りながら、ここにはいないアクアへと、届かない返事を心でする。
《知られなければ……罪にはならねえ》