六話 拳士の得物
セレスに寝床まで案内してもらったのち、しばらくすると食事を用意されたのだが、毒の影響か空腹とは言えなかった。
だが食べ物を残すような真似はせず、無理やり口の中に放り込んだ。味などわからなかったが、満腹とともに再び眠気をもよおす。
周りが見えないというのは、彼からすれば慣れない事態である。物事に集中できなければ、考えごとも上手く進まないため、そのぶん修行がはかどらない。
これまでの思考能力が弱まると、警戒意識も当然ながら鈍ってしまう。
一日を通してそれを経験したことで、グレンはなにもせず眠ると決めた。
救護兵か訪れるのをまち、目の具合を確認してもらうと、そのまま床につく。休憩所は布と木の棒でつくられた簡単なつくりだが、防水布と毛皮が重ねられており、多少だとしても寝心地は良かった。
それに野宿予定地と言われているだけあり、地面には人の手が加えられていた。どうやら精神の方に疲れがきていたようで、青年は少しすると死んだように沈黙する。
戦うことへの喜びと、それを否定する感情。
常に物事を考える性格。
これら二つが鎧となって、グレンという人物を形成しているのだろう。
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目蓋を開いたとき、辺りには静けさが漂っていた。映る景色は相変わらずなため、まだ夜は明けていない。
だが彼は人という生物が苦手であり、休んだことで警戒意識がもとにもどれば、集団行動への不安も一緒に蘇ってしまう。
徐々に意識が回復してくると、考えごとも次々に頭を過ってきた。こうなってしまえば、もう二度寝はできない。
耳をすませば会話をしている者たちもおり、自分の周りで寝ているのは数人なのだと気づく。
「小便いきてえ」
などと小声を発してみたものの、他者にその意思を伝えられるほど、彼はできた人間ではない。
弱気な青年は尿意を我慢すると、息を殺しながら時間が過ぎていくのを待つ。
現在の時刻はよくわからないが、周囲が気持ち明るくなってきた。
もうすぐ恐怖が終わり、暗黒の大地が安心に染まる。
近くで誰かが寝ていると想像すれば、動かないように意識してしまう。寝返りを長時間しなければ、体重のかかっていた部位に痛みが残る。
それでもグレンは若いため、難なく上半身を起こすことに成功した。
魔虫に噛まれたところは未だに痺れるが、治療を受けているのだから、この程度では怪我のうちにも入らない。
清水の布を取り換えるために、眠っている自分を起こさなかった。それはもう処置の必要はないと、救護兵が判断したという意味である。
そういった都合の良い解釈をすると、グレンは不器用な手つきで包帯をほどく。あとで怒られるかもしれないが、一刻も早く用を足したいのだから気になどしない。
彼のこういった行動は少しずつ染みこんでいったものである。必要ならば捻じ曲げることもできるが、性根を正すとなれば容易ではない。
毒霧により止まらなくなった涙はすでに乾いていたが、しばらく使っていなかったこともあり、少しのあいだ周囲を見わたす。
まだ辺りは薄暗いのだが、その光景を眩しく感じてしまうのは、冷たい空気に眼球が慣れていないせいか。
「春だとしても、夜明けはまだ肌寒いってことかね」
黄昏時は気分が沈む。だが今の時間は安心により、油断してしまうことが多い。
グレンは周りで眠っている者たちを起こさないよう、なるべく気を配りながら立ち上がると、音もなく休憩所をあとにする。
これまでは魔物に気づかれないよう、存在を隠しながら朝をまってきた。しかし今は人数が多いため、夜間も戦うことを前提として、三十名はそれぞれで休息をとっている。
周囲を警戒する者たち。
照明玉具の近場にて、荷馬車を守りながら待機をしている者たち。
休憩所で眠る者たち。
起きてすぐは判断力などの低下により、土の領域が使えても見落とすことが多い。夜間の魔物は積荷を狙わないため、護衛の兵たちは日中と違い、全員がまとまっていた。
味方の位置や敵の強さなどは、領域で大まかな把握ができたとしても、それだけでは完璧とはいえない。
隊長代理からすれば、動かす者たちが近場にいたほうが、指揮を執りやすいのは事実である。
昨日の戦いでは、左側と前方は中央から離れていた。メモリアがどんなに叫んだところで、その位置からでは指示は伝わらない。
レンガの防衛や軍の移動などでは、指揮官の言葉を広げる者たちがいる。しかし今の人数でその役目を兵士に任せると、荷馬車の防衛が手薄になる。
兵数が多くなれば指示は届き難くなるが、それでもこの輸送隊は三十名である。
犬魔の群れと戦ったときは、岩魔法でグレンの手助けをしていたため、五十mという制限があった。
だが魔虫との戦いでそれをする必要はなく、もしガンセキが中央で大地の声を使っていれば、より確実にことを運べたであろう。
照明玉具の周りで待機している兵たちは、赤の護衛が立っていることに気づき、少し困った表情を浮かべていた。
だが今はそれどころではない。グレンは彼らのもとに近づくと、顔を青白くさせながら。
「水が欲しいんすけど」
その場にいた救護兵は手持ち桶に水を注ぐと、一方を指さしながら。
「まったく。用があるときは言ってくれろば良いものを」
青年は首を曲げて謝ったのち、桶の水をこぼさないよう気をつけながら、急ぎ足で野宿場から離れていく。
先ほど教えてもらった木陰まで辿りつくと、グレンはそこで全てを開放する。
昨日はもよおさなかったぶん、今日はお腹が痛くなっていた。
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虫も鳴かない山の麓。
昇ってきた太陽が木々を照らす。
その輝きは風にゆれる枝々を通り、影とともに湿った地面を彩る。
春をむかえ緑が冴える。苔と雑草が入り混じった中に、青紫の花がひっそりと咲いていた。
欲望の秋と時止の冬。それら二つの季節にも、境というものは存在している。
目に見えない微魔小物の影響か、ここら一帯の落ち葉などは、通常よりも大地に帰るのが早いと聞く。もしレンガの近場にこのような土があれば、排泄物を清水で処理する必要もないのだろうか。
青年は立ち上がると、地面の穴に落とされた分身を見つめながら。
「君はやがて土に帰り、きっと可憐な花を咲かせるだろう。さよならは好きじゃない……許されるなら、またいつか」
そのような別れをつげると、涙を堪えながら物言わぬ友に土をかける。
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すっきりした表情で野宿場にもどれば、そこにはメモリアが待ち構えていた。
「お手洗いに行くときは、誰かと一緒にって決まりがあるの。そういうのを守ってもらえないと、オジサンみたいに怪我しちゃいます」
注意を受けた青年は、無表情で頭をさげると。
「なにぶん急いでたもんで」
「グレンさまは赤の護衛なんだから、それを自覚してくれないと困ります」
物資を守ることがメモリアたちの仕事だが、今は一行をヒノキに送り届けるという使命も帯びている。
魔王の領域で戦った経験をもつ、二名の分隊長。
非戦闘時には少し不安があるのだが、魔虫と大犬魔から荷馬車を守れたのは、隊長代理を中心に兵たちが動いた結果であった。
敵の探知に失敗したとしても、動揺せずに立て直した代理補佐は、珍しい調和型の土使いでもある。
そして凄まじい身体能力をもち、なおかつ頑強壁を習得した属性兵。
この分隊が優秀でなければ、そのような役目を任されるとは思えない。
頭をさげていたため、自然と相手の足もとが視界に入っていた。青年は姿勢をもどしたのち、薄気味悪い笑を浮かべながら。
「そんな震えてたら、誰も言うこと聞いちゃくれませんよ」
メモリアはその場から一歩さがる。恐らく昨日の出来事により、グレンのことが怖いのだろう。
彼女の後方にいる兵士たちは、間違いなくこちらに意識を向けていた。
「わたしを殴っても良いですけど、決まりは守ってください」
もしグレンが暴力を振るってきたときは、彼らが止めに入るのだと予想できる。
相手は赤の護衛であり、一人で大量の魔虫を引きつけた炎使い。夜明けを迎えたこの世界で、その姿は異質な空気をまとっていた。
殴っても良いですか。
グレンとしては冗談半分で言ったのだが、メモリアは本気だと受けとったようである。
そんなに怯えるくらいなら、注意などしなければ良いと思うのだが、隊長代理なのだから仕方ない。
「まあ安全が第一なんで、次からはそうしますよ」
メモリアは肩の力を抜くと、ゆっくり息をついたのち、グレンに笑顔を向けながら。
「それじゃあ、食事の準備をするので、少しまっててください」
しかし懲りないのが彼の性分である。
「さっそくで悪いんすけど、体術の修行をしたいので、ここから離れても良いですかね」
休憩所で眠っていた者たちも、すでに何名かが目覚めており、少しずつ周囲は賑やかになっていた。
正直いえば居心地が悪いというのもあるのだが、この時間でないと体術の訓練は難しい。
「日中は常に移動してるし、夜はそれどころじゃない。五分や十分でも良いんで、そういうのを日頃から続けてないと、戦闘時に身体が動かなくなります」
訓練を再開させてから今日まで、グレンは調子をもどすのに数日かかっている。
その頼みにメモリアは可愛い声で唸ると。
「修行ならここですれば良いの」
「恥ずかしいから嫌っすよ。それに人目があると集中できません」
「たしかにグレンさまの言ってることは間違ってないよ。でも敵が接近してきたとき、最初に気づくのは土使いなんだけど、わたしは領域魔法を使えないの」
そうなれば発見者が彼女を通したのち、離れた場所にいるグレンに知らせなくてはならない。
「魔物は個々で特徴が違うの。だから時にその数秒がね、思わぬ事態を招くんだよ」
この森には存在が確認されてないが、身を隠しながら獲物に近づき、一気に仕留めようとする単独がいる。それが狙う対象は、群れから逸れた個体のみ。
そんな話をしていると、何者かが二人に近づいてきた。
「中央の指示が上手く通らなければ、遠くにいる兵たちは独自の判断で動くしかない。そのための分隊長補佐ということだ」
グレンはガンセキに朝の挨拶をすると。
「土の領域って魔法があるからこそ、周りの様子を見ながら各自で行動できるんすね」
「でも優秀なぶん、一か所が綻べばどんどん広がっちゃうの。だから土の領域が使えない人も、警戒を怠っちゃいけない」
それでも気の緩みは生じるため、一人ひとりが声をかけ合っていく必要がある。
ガンセキは何度もうなずきながら。
「なかなか上手くは行かんが、それが集団行動だ」
どんな理由があろうと、独断で動けば輪が乱れる。
「だからといって下手に意識を統一させようとすれば、内側から崩壊が始まるんじゃねえっすか」
「それを調節するのがわたしの役目」
不満がある者とは会話をする。
理解してから納得させるべきか、自分が納得してから相手に理解させるべきか。
メモリアは苦笑いを浮かべると。
「失敗ばかりしちゃうけど、それでもやらなきゃ始まんないの」
人を物として扱うか、それとも者として接するか。
自分を者とするか、それとも物とするか。
他者を物として扱い、自分も物だと考える。
なにをしようと、結果のためにすべきことをすればいい。
ガンセキは旅の責任者として、隊長代理に提案をする。
「グレンの修行には俺が付き合います」
メモリアはしばらく考えたのち。
「もしお二人に魔物が接近してきたら、群れの場合はこちらと合流してください。だけど相手が単独だったときは、属性兵がくるまで持ち堪えてもらいます」
基本は群れよりも単独のほうが、多くの魔力を本能に有している。
「これは事前の指示ですから、最終判断は責任者さまに任せるの」
土の領域で計れるのは感情と魔力量だけであり、実力などは魔物を目視しなければ解らない。
事前に許可を取った上で、一人での行動を避けてもらえるのなら、離れた場所で体術の訓練をしても構わない。
「食事の準備ができたら呼びますから、グレンさまは好きなだけ修行してください」
メモリアの発言に対しては、なぜか責任者のほうが嬉しそうな顔をしていた。
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やはり兵士という職種は男性が多いのだが、探せば女性もそれなりにいる。しかし互いの戦力に差はないとしても、異性が混ざっていれば配慮をしなくてはならない。
個々によって症状に違いはあると聞くが、女性は月に一度だが体調不良を起こす。
頭痛や腹痛は判断力や戦闘力を低下させる。対策としては薬の服用などがあるのだが、効くかどうかは人それぞれ。
また効果の有無は不明だが、魔力まといで症状を緩和させることも可能だという。しかし自然の摂理を狂わせるものといった考えがあるため、その行為に人体への影響がないとは言い切れない。
グレンは修行に適した足場を探しながら、隣を歩くガンセキに声をかける。
「最初は頼りねえって思いましたが、あの人も色々考えながら代理をしてるんすね」
「女性だからこそとも言えるな。一見ではわからんが、恐らく苦労人だと思うぞ」
勇者一行は出立の前日に、アルカより分隊員の情報を受け取っていた。
「たしかフィエルさんはレンガの産まれで、メモリアさんは村の出身でしたっけ」
討伐ギルドは魔物と戦う時期を各団体で決められるため、腕に覚えのある女性はそちらに所属する者が多いとのこと。
だが兵士という職業は縛りが強いぶん、安定した給与を受け取れる。そのため故郷に仕送りをするとなれば、こちらのほうが堅実である。
前者で死亡すれば村への送金は止まってしまう。しかしレンガの兵士であれば、決められた期間は家族へと金が送られる。
ガンセキは自分の生まれ故郷を思い浮かべながら。
「その中でも特に貧しい村は、女性にも兵士という職を頼むのだろう」
「腕が立っても良いことばかりじゃねえっすね。金がないってことは、自腹で宝玉具も買えません」
自らの命より、故郷への仕送りを優先させる。
「兵士には出稼ぎの者が多いからな、軍より支給された品を使い続けるしかない」
ガンセキは歩みを止めると、木々に遮られた空を見あげて。
「せっかくの機会だ。修行の前に話しておきたいことがある」
昨日の一件で入手した、信念旗に関する情報。
「二人には夜のうちに伝えておいたから、あとはお前だけだ」
赤の護衛は足を止め、黄の護衛と向かい合う。
責任者は咳払いを一つすると。
「皆はそれぞれの価値観で生きている」
ゼドは目的のためならば、あらゆる事情を無視すると言った。
「どのような結論に辿りつこうと、それはお前が自分の意思で決めろ。だが人の話は聞け。納得できなくても、覚えているだけで良い」
表面だけが美しい、この世界。
「それだけで、少しは自分が好きになれるかも知れん」
グレンは頭をかきながら、向きを返すと歩きだす。
「まずは話を聞かせてください。考えるのはその先です」
結局は愚か者であろうとも、馬鹿なりに考え続ける。それが赤の護衛として、自分が成すべきことなのだから。
しばらくその道を進むと、青年は動きを止めて足場の確認をする。
昨日は休んでしまったが、拳士は今日も鎧をまとう。
そしてグレンは、両手を熱く握りしめた。
責任者は青年の背中に向け、重要なことを始めに伝える。
「コガラシさんは……協力者かも知れん」
彼は一点に集中してしまい、周りが見えなくなることも多い。
だがガンセキは気づいていた。
敗国者。
ギゼルの過去。
戦争終結を望まない者たち。
これら幾多の予想を掴み取る力こそが、炎拳士の最も得意とする武器なのだと。