五話 ツンデレ
魔虫との戦いを無事に乗り切った輸送隊は、ゼドとガンセキの話し合いがすんだのち、今日の野宿予定地に向けて移動を再開させた。
これまでの勇者一行は三食であったか、この集団行動では魔物との戦闘が増えるとのことで、昼はなく数度にわけて干し芋などを口に入れている。
グレンはずっと赤鉄の訓練をしていたが、周りの景色が見えないせいか、集中できずに難航していた。
十四時を回ったころ、救護兵に清水の布を取り換えてもらったが、そのとき以外は包帯を解くことも許されない。
全身を水塊でなんどか流したのち、衣類も着替えたのだが、逆手重装は朝のままである。
未だに魔虫の残骸が隙間に残っていると思われるため、気分は非常に最悪であるにも関わらず、それを目で確認することもできない。
やがて時刻は夕方となる。
しかしグレンの視界に変化はなく、白い布に黄昏色が滲んでいるだけ。
ただ一つ解ることは、もうすぐ夜がくる。
今朝の戦いでは単独が現れるという事態が起こり、さらにオジサンの問題行動が加わったせいで、けっこうな遅れが生じていた。
そのため野宿地までは、もう少しかかってしまうとのこと。グレンは荷車に揺られながら、近くのボルガに向けて。
「ちょいとお兄さんや、あたしに周りの景色を教えてくれやしませんか」
「木がいっぱいあるんだな。あとはそうだなぁ……道に石ころや窪みが多くてよぉ、ちっと荷車を動かしづれぇぞ」
相手が返事をしたことに気を良くしたのか、青年は声を大きくして。
「動かし難くいのはわかるけどよ、もっと丁寧にしやがれクソ野郎。バカやガキの荷物はどうでも良いが、これには俺だけじゃなくて、大切な責任者の私物が積んであるんだぞクソ野郎」
「そんなこと言われても困るんだな、おれは一生懸命やってんだ」
手探りでアクアの肩掛け鞄を探しだすと、グレンはそれを足置きにして。
「だいたい景色はもっと詳しく教えてくれクソ野郎。たとえば木の大きさとかをよ、ボルガ何個分で答えてもらいたいんだクソ野郎」
「なんだそりゃ? おれは一人しかいねぇんだな」
行儀の悪い青年は、荷台の外側へ向けてツバを吐くと。
「牛魔の大きさは、お前の二個分ってことだクソ野郎」
ボルガの身長は一見で二mほどだが、体重も牛魔の半分というわけではない。それでも人間としてみれば、かなり重いほうである。
「まあたしかにそんくらいだけどよぉ、なんで基準をおれにするんだ?」
「そんなの嫌がらせに決まってんだろクソ野郎」
「おめぇはおれになんの恨みがあるんだ? あと最後にその言葉をつけんじゃねぇ」
「悪かったボルガさん。もうしないから許してくれウ◯コ男子」
その返答が気に入らなかったようで、ボルガは無言で荷車を引く。
「おいボルガ。返事をしてくれよ」
無視されることが辛くなり、しまいにグレンは涙目になりながら。
「ねえ、ボルガさんってば!」
次の瞬間であった。荷台がガタンと揺れ、グレンは舌を噛んでしまう。
「いてへぇじゃねえか、このクソや……ウ◯コ男子!!」
だが彼がなんど暴言を吐こうと、ボルガは返事をしてくれない。
「ちくしょう。俺を無視するとは良い度胸だな」
青年は両腕を交差させると、相手が返事をするであろう方法を考える。
数分後。グレンはある程度の考えをまとめると、ボルガに愛情を込めて。
「おいセレス。セレスはいないのか……どこだセレス」
しばらくするとボルガも困ったようで。
「勇者さまは代理補佐と一緒にいるんだな。もうちっと大きい声で呼ばねぇと」
「おおセレス、やっぱそこにいるんじゃねえか。しかしあれだな、お前すこし声が低くなったよな」
その返答にボルガは首を傾げると。
「なに言ってんだおめえ、おれは勇者さまじゃねぇぞ」
「なんだボルガかよ、同じバカだから気づかなかった」
失礼な青年にボルガは溜息をつきながら。
「勇者さまは馬鹿じゃねえし、おれは…」
「頭が悪いんだろ。でもセレスは馬鹿だし、ついでにお前も馬鹿で良いじゃねえか」
そう言ってグレンはボルガの発言を遮ってしまう。
今まで二人の会話を近くで聞いていたのか、少しすると誰かがボルガに話しかけてきた。
「ちょっとボルガ。いくら赤の護衛さまでも、すこしは言い返さないとダメだよ」
その声は小さくて聞き取りにくいが、目を使えないぶん、グレンは意識を耳に向けていた。
「こいつの口が悪いのは、ただのお茶目なんだな。それに気づけないから、おれはバカらしいんだ」
「どこがお茶目なの。だいたい勇者さまの悪口までいってるんだよ」
恐らく声の主は可愛い子ちゃんだが、グレンは言い返したりせず、両膝を抱えながら二人のヒソヒソ話を聞いていた。
「気づけねぇってことは、もしかして姐さんもバカなのか。そんなだと、こいつの可愛らしさを知ることができないんだな。まぁおれにもわからねえけど」
「彼のどこが可愛いの? 見てくれなんて極悪人だし、言ってることはただの生意気な子供だよ」
見ることはできなくとも、可愛い子ちゃんが自分に白い目を向けていることは理解できる。
「あとおいこらボルガ、今さっきどさくさに紛れて、わたしに失礼なこと言ったでしょ」
「たぶん気のせいなんだな」
本当はもの凄くムカついているのだが、ここで爆発させると責任者に迷惑をかけてしまう。
それにボルガならともかく、隊長代理に暴言を吐くわけにもいかない。
だが青年は気づいていなかった。隊長代理の近くには、目つきの悪いオジサンがいることを。
「グレン殿が彼に酷いことをいうのは、きっと周りが見えなくて心細いんだすよ」
メモリアはなるほどとうなずくと。
「もしかして寂しかっただけなの? そう考えると、すこし可愛いと思えるかも」
「この悍ましい姿でかまってちゃんなんて、可愛いどころの話じゃないだすよ」
ぷぷぷと笑い合う二人に、ボルガはすこし怒った口調で。
「普通に声をかけてくれれば、おれだって普通に返せるんだな。寂しいって気持ちはわかったけどよぉ、そんなんじゃ思いは伝わらねぇんだな」
「なにを言ってるだすか。そういう素直じゃないところが、彼のいう可愛らしさなんだすよ」
気づけば辺りは暗くなりはじめ、今朝の戦闘でグレンを助けてくれた炎使いが、魔法で足下を明るくしていた。
暗黒に染まりゆく世界の中で、今このとき目覚を迎えた者がいる。
「そこの無駄にデカイ糞野郎と腐ったグニュリ(ゼド)。用があるからよ、ちょっとこっちに来てくれないか」
聞こえてないと思ってたのか、呼ばれた者たちは静かになる。
メモリアは恐る恐る、三人を代表して口をひらく。
「ムカついたからといって、すぐに暴力に訴えるのは良くないと思うの」
野宿中に利用する照明玉具を使うことはできないが、小型のそれはいくつか用意されているようで、荷馬車の管理者たちが魔力を送っていた。
その弱い明かりが、男の口もとを微かに照らす。
「なんだそのバカみたいな声は。まさかこの俺を小馬鹿にしているのか」
一歩さがる足音が青年の耳に届く。恐らく隊長代理が、荷車から少し離れたのだろう。
「バカになんてしてないよ。それにわたしは生れつきこの声なの」
「お前らが言うとおり、俺はとても可愛らしいから、女性を殴っても許されると思うんだ」
グレンは荷台につかまりながら、ゆっくり立ち上がると、手探りで三人に近づこうとする。
「わたしきっとグレンさまより可愛いと思うから、殴っちゃダメだと思うの」
「勇者を腐るほど引っ叩いてきましたが、その行いで治安軍に捕まったことはないので、たぶん代理を殴っても問題ないと思うんです」
隊長代理がブンブンと首を振る音が聞こえる。
「わたし悪くないよ。悪いのはたぶん、ボルガとそこのオジサンだと思うの」
「自分は真実を明かしただけだす。そのあとグレン殿を馬鹿にしたのは、今さっき人に罪をなすりつけた代理殿だす」
「おっ お、おれはおめぇをバカになんてしてねぇぞ。むしろバカなのはおれなんだな」
もちろん腐ったグニュリとデカブツは後でぶん殴る。その意志をメモリアに伝えると、グレンは声を震わせながら。
「なによりも、許せないことがあるんです」
荷馬車の前後左右に、宝玉具や火の明かりが灯り、今の状況を恐ろしいまでに演出する。
「あんたごときの可愛い子ちゃんが」
完全な闇に包まれたこの世界に、もはや彼女の逃げ場はない。
「この俺よりも可愛いなんて……なに自惚れてんだこの野郎!!」
グレンは三人に飛びかかろうとしたが、自分の荷物に足をつまずかせ、そのまま転倒してしまう。
素材の入った鞄であれば大惨事であったが、幸い彼が倒れたのはもう一方の荷物だった。
「なにこの人、頭おかしいの!!」
「ばっ 化け物に食われるだす!!」
二人はそう言って荷車から逃げだすが、ボルガはそれを動かさないといけないため、一人取り残されてしまう。
グレンは荷台を這いながら、なんとかボルガのもとまで辿りつくと。
「べつに俺はかまって欲しかったわけじゃないんだから、そこら辺を勘違いしないでよね!!」
意味不明な決め台詞を残したのち、青年は大男に拳を打ち込んだ。
その後は言うまでもなく、グレンを含めた四名はピリカに叱られた。
「全員がそちらに回られると、わたくしはこっちになってしまいます。なので今度からは責任者さまか、代理補佐のいるときにしてください」
どうやら彼女は怒る側よりも、怒られる側に回りたい性分だったようで、最後の方はへんなことを言いだしていた。
しかししょんぼりとしたメモリアは、一般分隊長の言うとおり、実に可愛い子ちゃんであった。
当然グレンは対抗したのだが、残念ながら目を背けられるばかりで、反応してくれる人は誰もいなかった。
・・
・・
その後。グレンは再び修行を再開させていた。
左手の炎を灯しながら、右腕にねり込んだ魔力を移動させる。
その修業風景は周囲の目にも止まっていたが、外から見れば火を灯しているだけ。信念旗のことを考えれば、本当は避けるべきなのだが、刻亀討伐までの日数には限りがあった。
だが現在の状況ではやはり修行がはかどらず、そのまま時間だけが流れていく。
いつの間にか青年は眠りに落ちてしまったようで、目覚めたときには荷車は動きを止めており、時間を無駄にしたことを後悔する。
だがまだ眠気は残っている。それでも赤鉄という自分の課題があるため、グレンはなんとか身体を起こそうと頑張っていた。
しかしその時だった。怪我人に対して無礼な何者かが、青年の頭を引っぱたく。
「ちょっと君っ! 人の鞄に足を乗っけちゃダメじゃないか!!」
「いっ……いてえじゃないか、アクアさん」
寝ぼけているため、いつものような声がでない。
「アタシたちは物資を運ぶために苦労していたのに、あんただけは悠々自適にお休みとは、とても良いご身分ね」
代理補佐がここにいるということは、すでに野宿場に到着したということである。
「申し訳ないっす。目もとを塞がれてるもんだから、つい眠気に負けちまいました」
「まあでも、もう少し休んでもらったほうが良いわね。明日は働いてもらいたいですし」
だがアクアは未だ怒りが収まらないようで。
「グレン君は今日サボったんだからさ、これからはボクのぶんまで頼んだよ」
「悪いけどよ、今日は勉強のために代理補佐に同行させてもらったんだ。明日からは中央で修行をさせてもらう」
当然だが青の護衛は文句をいうが、グレンが修行に重点をおくというのは、以前から決まっていることである。
「こんな時間に寝ちゃったから、グ~ちゃんもう寝れないんじゃないかな。だから私とお話しよ~」
「お前と話すことなどなにもない」
などとつい言ってしまうが、やるべきことは残っている。
「今日お前がとった行動について、ガンセキさんを交えて反省会を開くべきだな」
「それならこれからガンセキさんとするから、グレンちゃんは参加しなくていいもん」
もう眠ることはできないとしても、赤の護衛は休んだほうが良い。
「まあ、そういうなら、俺はお言葉に甘えさせてもらうけどな」
「休憩所ならもう設置が終わってるから、そっちで休んだほうが良いんじゃないかい。ボルガ君と過ごしたこの場所で寝たいなら、ボクはぜんぜん構わないけどさ」
どうやらボルガはここにはいないようである。恐らく夕方の出来事により、グレンを怖がっているのではないだろうか。
「あと言い忘れてたけどよ、どこかの誰かもゼドさんの口車に乗ったんだ。反省会にはちゃんとでろよ」
「うっ うるさいな、わかってるよ。君だって反省すべき点はあるんだからさ、横になりながらでも振り返らなきゃダメだよ」
そんなアクアの返事にうなずくと、グレンは荷台を立ち上がる。
さすがに長時間この場所に乗っていたため、どこになにがあるかは見当がついており、難なく地面を踏みしめることに成功した。
その瞬間だった。今までは三人の気配しか感じなかったが、大地に足を下ろしたことでそれが一変する。
「やっぱ三十人ってのは、いるだけで安心感が違うっすよ」
「そうですね。もう慣れたけど、アタシも都市の防衛しか経験がなかったから、こういうのはとても新鮮に感じたわ」
男たちの足音にまじり、可愛い子ちゃんだと思われる元気な音色。
照明玉具の明かりは布越しに青年の瞳を照らし、恐ろしい木々のざわめきすら掻き消してしまう。
四人での野宿には暖かさがあったが、今は明日への精気が満ちていくような気がする。
昨日はこの光景を肉眼で眺めることができたが、耳しか使えない今日のほうが、心強さというものを実感できる。
「ねえグレンちゃん、一緒に寝床まで行ったほうが良いよね」
「そうしてもらえると助かるけどよ、手をつなぐようなみっともない真似はしたくねえ」
どうしようもない青年の返答に、セレスはにへへと笑いながら。
「昔から照れ屋さんだもんね。でもそういうとこが、なによりも貴方らしい」
「くだらねえ」
ツバを吐きながらそう返すと、グレンは一人で歩きだす。
・・
・・
などと格好つけたものの、どこに向えば良いのか解らない。
しかも心なしが先ほどよりも薄暗いため、間違いなく野宿場からは離れているだろう
困って途方にくれたころだった。男のそれとは違う、やわらかな素手の感触が、青年の背中にそえられる。
「それじゃあグレンちゃん。手をつなぐのが嫌なら、私が押してあげちゃうよ」
「余計に恥ずかしいからやめてくれ」
だがその手は離れない。
「俺の先を歩いてくれろば、お前の足音についてくからよ」
「いいの。今はこれで」
男は本気で嫌がっていた。
「なあセレス。こういうのは俺の性分じゃねえ」
「知ってる。でも私はこうしたいから、グレンちゃんの意思は無視するの」
女は嬉しそうに笑いながら、しばらくは彼を押していた。
「あのころには戻れないとしても、今もちゃんとそばにいてくれる」
突然なにを思ったのか、セレスは頼りないその背中に頬をつけると。
「グレンちゃんは私のことが怖いんだよね。でも私だってグレンちゃんが怖いんだよ」
「だらけだらけの世の中なんて嫌いだって、どっかの誰かが歌ってたな。俺もその素晴らしいさに共感したのを覚えている」
そんな適当な返しを受けながらも、セレスは頬をすこし離すと、再び背中を押してグレンを歩かせる。
「私ね、今日はじめて単独と一人で戦ったの」
言われなくても知ってるが、青年はその行動を怒ったりせず。
「滅茶苦茶ビビったろ」
女性はうなずきながら、おでこを肩にくっつけると。
「メチャクチャ怖かった」
「でもよ、そんなの慣れだ。あと数回やってみれば、なんも感じなくなる」
グレンは立ち止まるセレスをおいて、足を一歩進めたのち、なにも見えない空を見上げると。
「だけどお前は雷使いだ。魔物を殺したという事実すら、慣れと一緒に流すんじゃねえぞ」
女は男に習い、星空を見わたしていた。
「近くに照明玉具があるからかな。村の祭壇でみたお空のほうが綺麗だね」
「地上を見てみろ。あの時とは比べ物にならないほど、お前の周りには人がいる」
そうだねと返事をすると、そのまま大きく飛び跳ねて、女は男の横に立つ。
「グレンちゃんの炎はさ」
女性はもう一歩足を進めると、青年の前方に着地する。
「魔力で燃えているのかな」
男性は顔を赤く染めながら。
「そんなの当り前だろうが」
セレスは片足で身体を回すと、グレンの正面で動きを止める。きっと彼女のまとめられた銀髪は、月の光に照らされて、さぞやキラキラと輝いているのだろう。
「魔力と心は一緒なんだよ。大切なものまで燃やしてない」
なにも見えていないはずなのに、青年は眩しそうに目を細めながら。
「俺が燃やしているのは、拳の心だけだ」
女は男へと片足を踏み入れる。
「それじゃあ約束して」
男は女が怖くなり、一歩後ろに逃げてしまう。
「もし貴方がその身を焦がしているのなら、苦しいときは熱いよって、一言でいいから私に教えて欲しい」
拳士は体勢を立て直し、両足で大地を踏みしめると。
「知ってるだろ。俺はそういうの嫌いなんだ」
目視することはできなくても、グレンには相手がうなずいたと、そのときはなぜかわかった。
「これは私からの一方的な約束だから、べつに答えなくても良いよ。でも忘れちゃダメ」
許されるなら、このまま口を開くことなく、自分の都合に合わせてやり過ごしたい。
それでも相手は、生きてる人間なのだから。
「返事はしねえ。だけど覚えとく」
たぶんセレスは笑ったのだろう。
「じゃあ、いこ」
少女は少年の左手をつかむと、あのころのように二人は歩きだす。
いや違う。彼を導いているのは、彼女なのだから。
そこから休憩所までは実際に離れていたのか、それともそう感じていただけなのか。
なにも見えない男の子に、もう真実はわからない。
ただ一つ覚えているのは、少女の手が暖かかったこと。