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炎拳士と突然変異  作者: 作者です
9章 集団行動
113/209

二話 

8章と9章の境に外伝を割り込んだので、そちらから読んでいただくことをお勧めしたいです。

荷馬車の前方を進んでいた先行隊。


森のなか。湿った土は靴底を沈ませる。


そこには二十代後半の男が、仲間たちと立っていた。


彼の両腰には、打撃を優先させた片手剣が二振り。それは軍の支給品であり、ほかの一般兵も同じものを所持していた。


手には剣国の物と思われる、切れ味を優先させた懐刀が握られている。だが魔虫との戦闘中であるにも関わらず、それら三振りは刃が空気に晒されていない。



その奇妙な出で立ちの男性に、地面に手を添えていた責任者が声をかける。


「一体はこのまま迎え撃てますが、もう一方は進路を人工道にずらしました。走る速度から考えますと、大犬魔でしょうか」


男は懐刀の柄尻で自分の頭を小突きながら、近場にいる五名に指示をだす。


「今から走っても、そっちにゃ追いつけやせん。ですがこのまま放っておけば、あっしが代理殿に怒られてしまいやす」


変なしゃべり方だが、ゼドとはどこか違う。


男は鞘の先を部下たちに向けると、それぞれの役割を決めていく。


「お前さん方は、ここで魔虫を引きつけてくだせえ」


選んだのは火属性の一般兵を含む四名であり、急時の判断をする者もその場で決める。


次に雷使いをさしたのち、分隊長は顔だけを責任者へと動かし。


「申し訳ないんすが、旦那にはこちらと御一緒に、このまま単独を迎え撃っていただきてえ」


本来は指揮を放棄するなどありえないが、ここにいる一般兵たちは、黙ったまま頷きだけを返す。


責任者もそれに習うと。


「自分は構いませんが、あなたは一人になってしまいますが」


「このまま走ろうと、どうせ追いつきゃいたしやせん。あっしは属性兵の方々に混ざらせていただきやす」


そう言うと一般分隊長は、両腰の片手剣を鞘から払おうとする。


偶然か否か。刃が抜けきる前に、死角より跳びかかってきた魔虫がそれに当たった。彼の引き捌きは美しく、打撃の剣で魔虫は真二つ。


分隊長は驚きながら。


「こりゃまた上手くいったもんで。幸先がいいや」


そう言って微笑む彼とは対照に、ガンセキの目は笑っていない。




責任者はゼドという道剣士を思い浮かべながら、相手をまっすぐに見つめ。


「それではコガラシさん。ご武運を」


男は責任者にお辞儀をすると。


「あっしも、旦那との無事な再会を願っていやすぜ」


コガラシは右剣うけんを肩にかつぐと、前方の地面に左剣さけんの刃先を向けて、そのままゆっくりと走りだす。



この話に確証はない。


両手持ちは才能を必要とする。短剣ならばまだ解るが、彼の得物は片手剣。


もしその刃が打撃ではなく、切れ味優先だったとすれば。


訓練では得られない。産まれながらの両利きでなければ、二刀を持つのは難しいと、以前どこかで読んだことがある。



・・・・・・・・

・・・・・・・・




時間は少し巻き戻る。


デマドから本陣までのあいだ、勇者一行は高位魔法を制限する。これは責任者から、二十五名への要求であった。


どれほど素性を調べようと、協力者と呼ばれる存在は、偽りの過去すら用意してしまう。


味方を疑うという行為は、士気の低下に繋がる。しかしグレンが実際に襲われているのだから、輸送隊側もその要求には承諾していた。


雨魔法が得意な水使いは、敵味方の判別が上手いと推測される。それとは逆に高位が苦手であれば、氷魔法が得意なのだと相手は考える。


雷水土の高位魔法。逆手重装の黒膜化に、地流しや掌波などの人内魔法。これらの使用は禁止されているが、緊急時はそれぞれの判断により、制限は解かれるものとする。


このような信念旗の対策を行っても、残念ながら情報の防衛は完璧とは言えない。


・・

・・


魔霧毒虫の群れと遭遇してから数分後。


荷馬車から二十mほど離れた位置で、アクアとセレスは魔虫の進行を防いでいた。


最前線はここから百mほど離れているため、霧が邪魔で目視はできない。それでもこちらへ流れてくる数を考えれば、グレンたちが踏ん張っているのだろう。


だが相手は百を越える群れであり、油断をすれば突破される危険はあった。



魔虫は数が多いが、周囲の木を一本燃やすことにより、前線より流れてきた敵の進行を喰い止められる。


アクアは味方が召喚した中岩に乗ると、密集している魔虫に氷の矢を放つ。それが突き刺さった場所は凍りつくため、数体が動きを止められていた。


しかし近くで樹木が燃えているため、その熱により氷の捕縛が弱まってしまう。


青の護衛は高位だけでなく、並位魔法も未熟であった。その事実を兵士たちに気づかれないよう、セレスは即座に接近すると、水たまりに向けて雷撃を放つ。


勇者は近場にいた炎使いへ視線を送ると、穏やかな口調で。


「そろそろ消したほうが良いですよね」


グレンと同等の鎮火技術がなければ、炎使いは自分の魔法を制御できなくなる。


人工道の周囲は木々の間隔があけられているが、枝どうしは重なっているため、放っておくと火が全体に広まってしまう。


人の手から完全に離れた炎は、やがて魔法とは呼べなくなり、発生した煙が輸送隊を危険に晒す。


炎使いはセレスの提案にうなずくと、木を燃やしていた炎を消す。


その場にいる土使いは戦闘には参加せず、常に領域を発動させておくことで、群れの動きを読まなくてはならない。


土属性の兵士が燃やす木を決め、火属性の兵士がその指示を実行する。そして寄ってきた魔虫をアクアが凍らせたのち、セレスが雷撃で仕留める。



当然だが敵も生物であるため、全ての魔虫を炎へと誘うことはできない。


魔力の質が高いグレンでさえ、生木を燃やすには油玉を必要とする。それを炎放射で行うとなれば、相応の時間が必要となる。


土使いは領域による周囲の把握と、自分の身を守るだけで精一杯であった。


中岩により安全を確保していても、青の護衛を狙う個体は存在する。しかしガンセキの教えにより、アクアは一つの技術を身につけていた。


迫る危険は魔物具が教えてくれる。それに加え今は両手がふさがっていても、ある程度の対処を可能としていた。


目視できる魔虫は木の矢で殺し、死角から迫る個体は氷塊で潰す、または氷壁により動きを鈍らせる。



火属性の兵士は多くの魔虫に狙われてしまう。彼が生木を着火させるまでのあいだ、セレスはその護衛にまわらなくてはならない。


炎の間近に立っていれば、雷使いだとしても狙われる。攻撃を仕掛けてきた魔虫は二体。


一方は前方から顔面にしがみつこうとする。もう一方は背後から近づくと、セレスの腰をめがけ、後ろ足で地面を蹴りあげる。


彼女の利腕は右。


左足を一歩進めることで、片手剣を左上から斜めに振るう。前方の魔虫は刃に切り裂かれ、後方から迫る物体は、そのまま柄の尻で破壊する。


だが炎に反応した数体が、すでに赤の属性兵を取り囲んでいた。左腕からの電撃連射により、セレスは彼の死角となっていた四体を始末した。


低位魔法では死なないはずの毒虫を、勇者は一撃で沈黙させることができる。オババからは基礎しか教わっていなくとも、そこから独自に発展させた剣技を持つ。


属性兵は樹木に魔法が燃え移ったのを確認すると、炎を放射している腕を動かし、残った魔虫を全て焼き払う。


ここまでしてしまえば、あとはこの場から少し離れ、炎に敵が集まるのを待つだけで良い。


セレスは剣を軽く振り、刃に付着した汚れを払う。


・・

・・


勇者たちの戦いが安定してきたころ、荷馬車の近くには、全身を震わせている旅人がいた。


その情けない男性は右手を頭に添えながら、半泣きでうずくまっていたが、立ち上がると大声で叫びだす。


「もう駄目だすっ! でっかいのがこっちに来ただすよ!!」


ガンセキたちが戦っている方面を、ゼドは一生懸命に指さしていた。


近場にいた隊長代理は彼の発言に注目すると、土の属性兵に指示を飛ばす。


「あなたは先行隊の方面を領域で探って! あとそこのオジサン! 泣いている暇があるなら、彼に対象の位置を教えるの!!」


ゼドは右腕を頭から顔面にもっていくと、より一層の大声で泣き叫び。


「ひどいだすぅっ オジサンって言っただす!!」


左手が痛いのを我慢してまでも、三十過ぎの男性は地団駄を踏み。


「お兄さんって呼んでくれなきゃ、自分はお手伝いしないだすよ!!」


叫ぶたびに、後頭部の傷が痛む。



分隊長代理はオジサンに白い目を向けると。


「駄目だこの人……ぜんぜん使えないの」


今は戦闘中であり、状況は刻々と流れていく。土の属性兵は両手を地面に添えながら。


「毒虫との戦闘に紛れ、二体の単独が出現しました!」


群れを向かい打つために、ガンセキたちは森の中へと足を踏み入れていた。


「一方は先行隊が食い止めていますが、残る一体は人工道への突破を許し、現在こちらへ接近しています!!」


土の属性兵が現状を伝えたころには、後方の三名が中央に到着していた。


隊長代理は周囲に指示が届くよう、大きな声で元気よく。


「勇者さまたちは現状維持! 先ほど合流した一般二名は、わたしと一緒に荷馬車の防衛!」


代理補佐と先行隊に、恐らく彼女の叫びは届いていない。しかしその声は、すこし偉そうで、とても可愛らしかった。


中央に残る一般兵のうち、一人は土の領域を使用可能。



隊長代理は小さな胸を張ると、霧で隠れた人工道に意識を向け。


「あなたはできる限り地面の慣らしを! 単独がこちらにある程度接近したら、二人はそのまま迎え撃つの!!」


彼女が指示を送ったのは、これまで領域を展開させていた土の属性兵と、後方より合流した水の属性兵。


三名は大声で返事をすると、それぞれに行動する。


「ちょっとオジサン? どこ行くの!?」


困ったオジサンは悲鳴を上げると、グレンたちの方面に向け、怪我人とは思えない速度で逃げ去った。



物資に魔虫が取り付かないよう、管理者たちは荷馬車の周囲で警戒をしていたが、ピリカはゼドの背中を見つめながら。


「こういった行動は本人より事前に話しがありましたので、我々も許可をしております」


殺気を受けた魔物の反応は昼夜で変化する。


現在はその存在を確認できていないが、オジサンの背後には五名の部下が控えていた。


グレンたちの方面には、彼らが加わったのだと考えられる。


「緊急事態ですので、よろしければわたくしたちもお手伝いいたしますが」


ピリカを除いた四名のうち、三人が水の属性使いだが、実戦経験はないに等しい。



嬉しそうに微笑みながらも、隊長代理はその提案を拒む。


「本当に危ないときは、一般の分隊長補佐さんに助けてもらいますので」


荷馬車の進行方向から右側には、三名の味方が今も待機していた。



護衛の対象は二台の馬車だが、勇者一行の私物がそれには乗せられなかったため、荷車が一台用意されていた。隊長代理はその方向に視線を向けると。


「おいボルガ、いつまでそんなの持ってるの! おまえは早く向こうに行きなさい!」


万が一の自体に備え、右側より中央へと向かう手筈を整えておく。


彼女は攻撃型であり、本当は防御型を中央に残しておきたいが、隊長代理がこの場を離れるわけにもいかない。


ボルガは荷台から急いで手を離すと、困った口調で返事をする。


「一行の荷物を守るのは、俺に任された大切な役目なんだな」


隊長代理は首をたてに動かすと、ビリカの目をしっかりと見つめ。


「うんと重いと思うから、二人ほど力をかして欲しいです」


「ええ、了承いたしました」


そういうと商人は自らボルガのもとへ向かい。


「魔法では役に立てませんので、わたくしが引かさせていただきます」


ピリカはもう一名を呼ぶと、ボルガにかわって荷車を受けもつ。


隊長代理は目をパチクリさせながら。


「良いのかな、偉い人にそんなことさせて。わたし、あとで怒られませんか?」


「わたくし偉くありませんので、そこら辺はお気づかいなく。それになにもしないと、ゼドさんに嫌味を言われそうな気がいたします」


逃げたオジサンがそんなことを言うのなら、わたしが逆に怒ります。隊長代理はそのようにピリカへ伝えると、頭を下げて感謝の気持ちを送る。


商人はいつもの笑を浮かべながらも、少し固い口調で。


「今は戦闘中ですので、まずはそちらに集中いたしましょう」


ピリカはそう言ったのち、相手と呼吸を合わせて荷台を持ち上げる。現在は待機中だが、いつでも動かせるようにとのこと。


先ほど魔法では役に立てないと発言していたが、魔力まといは可能なようであるため、二人とも低位ならば使えるのだと思われる。


「それじゃあボルガ、わたしが合図したらこっちにきて」


大男は小さく首を動かしたのち、駆け足で移動を始める。


隊長代理はボルガの背中に向けて。


「一人でもどってきちゃダメだからね、三人と一緒にくるんだよ!」


ボルガは少し振りかえると。


「姐さん、おれはそこまで馬鹿じゃねぇんだな」


それでもあねさんは、頑張れとボルガを応援していた。


・・

・・


中央から四十mほどの距離に、セレスたちは移動していた。この位置から荷馬車の方向を四時とすれば、グレンたちは九時の方向で魔虫と戦っている。


そこにはなぜか逃げたはずのオジサンがおり、今は中岩の下で震えていた。


ゼドは身を屈めながらも、か細い声で一生懸命に。


「木々の間隔はあいているだすから、そこからでも人工道は狙えるだすよ」


「霧のせいで前が見えないじゃないか。ていうかダスさん……そこにいられると邪魔だよ」


原理は解らないが、毒虫はゼドを狙おうとしない。だが逆方面から近づいてくる個体もいた。


「それにさ、氷の矢じゃ届かないと思うけど」


「肉眼で見る必要なんてないだすよ。あと道はまっすぐ伸びてるわけじゃないだすから、この位置からなら充分に射程内だす」


そう言うとゼドは立ち上がり。


「魔物具の能力はもう発動しているんだすよね」


アクアは相手を見下ろしながらうなずくと。


「あと五分は大丈夫だよ」


「そしたらまずは水の塊を頭上につくるだす」


時の力なのかどうかは解らないが、それは宙に浮いたまま維持させることができる。


青の護衛は嫌そうにしながらも、仕方なくゼドの指示に従う。やがてアクアの頭上には、空気中の水分が集められる。


オジサンはそれを見上げながら。


「水の塊が中岩に接触しないよう、そのまま高度を落とすだす。上半身だけでいいだすから、アクア殿はその中に入って欲しいだすよ」


当然だが少女は顔をしかめると。


「嘘をいっちゃ駄目ダスよ。そんなことしたら、息ができないじゃないダスか」


「真似するんじゃないだす! 年上を馬鹿にすると、痛い目にあっちゃうだすよ!!」


そもそもゼドは真面目であり、決してアクアを騙しているわけでもない。


「水魔小蛇は水中から得物を狙うだす。その能力が上乗せされているのだすから、あとは自分の直感を信じて矢を放つだすよ」


ボルガの走りを見たあとなのだから、ゼドの言葉には信憑性があった。


「命中率が異常に上がるけど、そのあいだ息ができないってことかい」


自分が操る水ならば、そこからでても服や髪は濡れない。


「だすが……これをしている最中に、雷を喰らうと痛いだすよ」


ゼドは懐からナイフを取りだすと。


「一分くらいなら、自分は頑張ってアクア殿を守るだす」


青の護衛は相手を見下ろしながら。


「ダスさん情けないから、あんま信用できないよ。それに怪我人がなに言ってるのさ」


ゼドの正体に関しては、責任者からそれとなく教えられていたが、彼は普段の行動があまりにも歪んでいた。



近くで話を聞いていたセレスは、中岩に一歩近づくと。


「とりあえず余裕ができたから、私もアクアを守ります」


土の属性兵は領域の展開を中断させ、火の属性兵と共に囮役と徹していた。


青の護衛は少し嬉しそうに息をつくと。


「グレン君やダスさんに背中を任せるのは怖いけどさ、ボクはセレスちゃんを信用しても良いのかい」


「アクアは勇者を信じて、私はそれになろうと頑張るから」


その後は会話もなく、少女は黙ったまま半身を水にゆだねる。


















二話 一道の剣士


















岩をよじ登ろうとする魔虫に、セレスは片手剣を突き刺す。だがその瞬間であった、勇者の背後から別の個体が迫る。


刃を岩から抜く余裕はないが、彼女の得物は片手剣であり、左腕があいていた。


電撃は跳びかかってきた個体に命中したが、別の魔虫が地面よりセレスの足首を狙う。しかしその瞳に動揺はない。


女は片足をわずかに上げると、そのまま魔虫を踏みつぶす。セレスは残骸の付着した靴底を岩にかけると、力を入れて片手剣を引き抜いた。


ふとゼドが気になり、勇者はそちらに意識を向ける。



刃物を利き手に持った男は、なにもせずに呆けていた。


魔虫の群れは彼に近づくことすらできず、たとえ意を決し跳びかかろうと、身体に到着する寸前で破裂する。


まるでゼドの周囲に見えない壁があり、魔虫がそれにぶつかっているかのようであった。


だが突然なにを思ったのか、この男はナイフを中岩に自ら突き刺した。それで手ぶらになろうと、彼のもとから敵は離れていく。



右手で鼻くそを穿りながら、魔虫を岩から遠ざけている人物に、気づけばセレスは剣を向けていた。だがそれは構えとは言えない。


剣先の震えが止まらず、腰も引けていた。


ただ、相手が怖かった。



ゼドは鼻孔から人差し指を抜くと、ゆっくりセレスへ目を向けて。


「そのまま一歩前に踏みだせば、勇者さまの世界が変化するかも知れないだすね」


男は鼻くその付着した指を左右に振りながら。


「でもそれをしちゃダメだすよ。万が一の可能性として、後戻りできなくなるだす」


眼球が鈍く光る男性は、手元の汚物を口に含み。


「まずは足を一歩さげ、心を落ち着けてから、周囲を見渡してみるだす。道は一つではなく、沢山あることに気づけるはず」


毒虫は密集しておらず、清水で洗い流しているはずなのに、止めどなく涙があふれでる。


怖い。


関わっちゃ駄目だ。


でも。


変われるのなら。


それだけで、あの人を知ることができるなら。


私はここで、彼に向けて、一歩前に。


踏みだしたい。


そう考えた次の瞬間であった。


グレンのような偽物ではなく、本物の化け物が、勇者に一歩近づく。




セレスは咄嗟の判断で、片足をどちらかに動かした。




剣士だった男は鼻くそを飲み込むと、刃物を中岩から抜き、その切先を一方に向ける。


「ここは自分に任せて、この先に行くだす」


彼が示す方向は、魔物が通るであろう先人の道。


だけどセレスは動かない。アクアとの約束があるから。


「信じる必要なんてないだす。でも自分は守ることができなくとも、敵を殺す力はもっているだす」


愛することはできなくても、憎んでもらうことはできた。


彼が勇者に教えられたのは、殺しの剣だけである。


セレスは相手の目をまっすぐ見つめ、うなずきだけを返す。


この男がなにを望んでいるのかは解らない。それでもこれは勇者として、必要なことなのだと信じて。




アクアへと視線を動かすと、今は水のなかで集中を高めているようであった。少女を包むその色は、少しだけ黒く濁っている気がする。


勇者は心配そうな表情を浮かべると、案内人に向き直り。


「よろしくお願いします」


ゼドはなにも答えないが、それが彼の返事だと信じ、セレスは道に向けて歩きだす。


・・

・・


犬が単独となって進化した魔物。


大きさはボルガの一・二個分ほどであり、単独の中では小ぶりであった。


セレスは森なかに身を潜めていた。


間近に存在している人工道の地面は凍りついており、木の矢が土に突き刺さっていた。


彼女がそれを目にしたとき、すでに大犬魔は動きを止めていた。


次の瞬間。単独の魔物は口内から雷を放つことで、凍える自らの足下を破壊する。アクアの捕縛は未熟であり、一撃で半分以上が削られ、もはや今にも動きだしそうであった。


怒りに満ちた眼光と、狂気を鳴らす喉。全身の毛は逆立ち、記憶に新しい犬魔の面影はどこにもない。



隠れているべきかもしれない。一人で戦って、勝つことのできる相手かどうか解らない。


このまま通りすぎるのを願い、中央の属性使いとこれが接触したのち、魔物の背後から雷撃を放つ。


挟み撃ちにしたほうが、より安全に戦いを進められる。



セレスは周囲の木々に身を潜めると、息を殺して時間が流れるのを待つ。


だが少しして気づく。犬の嗅覚は、人間よりも優れていることに。


勇者が足を踏みだした直後。その身を隠していた一本の木が引き裂かれ、音を立てて倒れていく。


「……うそ」


それは近場の木々に引っかかり、地面へと落ちることはなかったが、あと一歩遅れていればセレスは死んでいた。


勇者はゼドを恨む。いや、そんな暇はない。


生き残れたら怒ろう。


怖いはずもない。この程度で恐れるほど、自分は弱くない。



セレスは片手剣を握りしめ、大雷犬魔と対峙する。


全身の肌は電撃を受けたかのように痺れ、両足の震えを抑えることもできない。


単独と一人で向き合う恐怖を、このとき勇者は始めて経験した。



大犬魔は右前足を勇者に振り下ろす。


セレスは足を動かすと、腰を捻りながら背中を反る。それにより相手の攻撃を避けた瞬間に、左腕から電撃を連射した。


単独の魔物はとっさの判断で後方にさがるが、その退路では電撃を避けることはできない。


勇者は電撃が敵に命中すると確信し、大犬魔に斬りかかろうと一歩を踏み込んだ。


だが魔物は口を開くと、そこから雷撃を発射する。


互いの魔法が重なると、なにごともなかったかのように、それらはあっけなく消滅した。



勇者は姿勢を低く落とし、両前足のあいだに自分の片足を踏み入れ、そのまま片手剣を振り上げる。


大犬魔は上下の牙で彼女の刃を受け止めると、首を捻り頭を動かすことで、片手剣をセレスから奪おうとした。


勇者は歯を噛みしめると。


《こいつ……強い》


だが人間が相手でないのなら、本来の実力を発揮できる。片手剣が右腕から離れる瞬間だった、セレスは犬の顎に左手を叩きつけると、容赦なく上級の雷撃を発射する。


単独は意識を朦朧とさせ、そのまま倒れこんでしまう。


小型の単独といっても、体重はそれなりにある。このままでは身動きがとれないため、勇者は両方の手足をばたつかせながら、やっとの思いで毛に覆われた巨体から抜けだした。



セレスの片手剣は手もとになく、倒れた木々のあいだまで飛ばされていた。痛む身体を我慢すると、それを取りに歩きだす。


彼女は弱くない、むしろ強い。だが経験は浅い。


勝敗の見極めに失敗していた。たとえ上級の雷撃を零距離で受けたとしても、その一撃で死なない相手もいる。


魔力まといが他者よりも優れている拳士。


または、雷魔法に耐性がある犬魔。



太陽の光が影となり、迫る危険をセレスに教えてくれた。


勇者は振り返ると、即座に対処しようとしたが、大犬魔の一手がわずかに早い。


もし勇者がここで死んでしまえば、冗談ではすまされない。ゼドは彼女が戦うにしろ、逃げるにしろ、苦戦することは予想していた。


・・

・・


かつて戦場で名をせた、魔法を使う剣士がいた。





セレスを殺そうとした片方の前足には、剣が突き刺さっていた。だがそれは純宝玉の武具ではなく、全ての兵士に支給される、打撃優先の片手剣であった。


彼女を守ったのはゼドではない。


左腕に握られた片手剣が犬魔の前足を貫き、その先にある鋭い爪は、軽鎧をまとった男が靴底で押さえつけている。


彼は右腕にも同じ剣を握っており、それを自分の肩に背負っている。



セレスに背中を向けたまま、コガラシは関心した口ぶりで。


「実に見事な殺し合いでやした」


一気に勝負を決する必要もなく、味方がくるのを待っていても良かった。


隙を見て移動し、足場の良い人工道で戦うのも一つの手。


不意の一撃は振り返るより、そのまま左右か前方に跳んだほうが、生存の確率は上がる。


「そりゃ注文はありやすけど、文句はござあせん」


などと呑気に話しをしているが、まだ大犬魔は生きていた。


単独の魔物は動かせない前足を捨て、残ったもう一方を動かすと、その爪で男を突き刺そうとする。


二剣流の兵士が右肘を内側に動かした瞬間、担いでいた右剣うけんも同時に操作される。犬魔の爪はそれに当たったことで軌道が逸れ、コガラシの左脇腹をかすって抜ける。


一般兵は左剣さけんを手放すと、その場から右側に飛び跳ねて。


「ここで低位をお頼みしやす」


セレスは相手の言葉に従い、右手から電撃を連射した。


単独の犬魔は口を開いたため、再び雷撃でそれを打ち消すのかと思われた。


しかしコガラシは引いたその場で飛び上がり、空中で右剣を左手に持ちかえたのち、腰と右肩を捻り身体を横回転させる。それにより勢いの増した剣撃が、単独の頭部を破壊した。



放ったのは電撃の連射であったため、数発が一般兵に命中してしまう。


セレスはしばらく唖然としていたが、事態を把握すると。


「うわわっ ごめんなさい ごめんなさい」


コガラシは痛そうに屈みこむと。


「気にせんでくだせえ。電撃のわりに痛てえけど、深手は自分の失態でさぁ」


大雷犬魔の攻撃を流しきれず、彼の脇腹には血が滲んでいた。


「それより勇者さま。もうちっと戦いに集中しねえと、早死にいたしやすぜ」


剣士は二振りの刃を鞘へ返すと。


「自分を活かせねえ剣は、確かに良く切れやすが」


かつて戦場には、魔法を使う剣士がいた。その孤独な生涯のなかで、彼はただ一人の友にのみ、自分の経験を託すことができた。


コガラシはセレスの顔をみながら。


「気をつけねえと、刃先は己に向けられやす」


自殺の剣と自活の剣は表裏一体。


踏み込むべきか、引くべきか。


どちらの選択が、剣豪への道なのか。







答えは、誰にも解らない。

コガラシですが、彼は道剣士ではありません。ゼドやイザク、またはグレンやギゼルとの違いを、上手に表現できれば良いんだけど。


自分が剣士を書くと、どうしてもそっちよりになってしまうのですが、まあ頑張ってみようと思います。


自分を殺してでも、事をなそうとするのか。自分を活かしながら、事をなそうとするのか。


とりあえず、これを意識していこうと思います。



それと産まれながらの両利きなんて、たぶん実際にはいないと思います。そこらへんはまあ、異世界ってことで。


二刀流は刀と脇差し。だけど両手に片手剣となると、そういう設定にしたほうが良いかなと思いまして。


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