二話
8章と9章の境に外伝を割り込んだので、そちらから読んでいただくことをお勧めしたいです。
荷馬車の前方を進んでいた先行隊。
森のなか。湿った土は靴底を沈ませる。
そこには二十代後半の男が、仲間たちと立っていた。
彼の両腰には、打撃を優先させた片手剣が二振り。それは軍の支給品であり、ほかの一般兵も同じものを所持していた。
手には剣国の物と思われる、切れ味を優先させた懐刀が握られている。だが魔虫との戦闘中であるにも関わらず、それら三振りは刃が空気に晒されていない。
その奇妙な出で立ちの男性に、地面に手を添えていた責任者が声をかける。
「一体はこのまま迎え撃てますが、もう一方は進路を人工道にずらしました。走る速度から考えますと、大犬魔でしょうか」
男は懐刀の柄尻で自分の頭を小突きながら、近場にいる五名に指示をだす。
「今から走っても、そっちにゃ追いつけやせん。ですがこのまま放っておけば、あっしが代理殿に怒られてしまいやす」
変なしゃべり方だが、ゼドとはどこか違う。
男は鞘の先を部下たちに向けると、それぞれの役割を決めていく。
「お前さん方は、ここで魔虫を引きつけてくだせえ」
選んだのは火属性の一般兵を含む四名であり、急時の判断をする者もその場で決める。
次に雷使いをさしたのち、分隊長は顔だけを責任者へと動かし。
「申し訳ないんすが、旦那にはこちらと御一緒に、このまま単独を迎え撃っていただきてえ」
本来は指揮を放棄するなどありえないが、ここにいる一般兵たちは、黙ったまま頷きだけを返す。
責任者もそれに習うと。
「自分は構いませんが、あなたは一人になってしまいますが」
「このまま走ろうと、どうせ追いつきゃいたしやせん。あっしは属性兵の方々に混ざらせていただきやす」
そう言うと一般分隊長は、両腰の片手剣を鞘から払おうとする。
偶然か否か。刃が抜けきる前に、死角より跳びかかってきた魔虫がそれに当たった。彼の引き捌きは美しく、打撃の剣で魔虫は真二つ。
分隊長は驚きながら。
「こりゃまた上手くいったもんで。幸先がいいや」
そう言って微笑む彼とは対照に、ガンセキの目は笑っていない。
責任者はゼドという道剣士を思い浮かべながら、相手をまっすぐに見つめ。
「それではコガラシさん。ご武運を」
男は責任者にお辞儀をすると。
「あっしも、旦那との無事な再会を願っていやすぜ」
コガラシは右剣を肩にかつぐと、前方の地面に左剣の刃先を向けて、そのままゆっくりと走りだす。
この話に確証はない。
両手持ちは才能を必要とする。短剣ならばまだ解るが、彼の得物は片手剣。
もしその刃が打撃ではなく、切れ味優先だったとすれば。
訓練では得られない。産まれながらの両利きでなければ、二刀を持つのは難しいと、以前どこかで読んだことがある。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
時間は少し巻き戻る。
デマドから本陣までのあいだ、勇者一行は高位魔法を制限する。これは責任者から、二十五名への要求であった。
どれほど素性を調べようと、協力者と呼ばれる存在は、偽りの過去すら用意してしまう。
味方を疑うという行為は、士気の低下に繋がる。しかしグレンが実際に襲われているのだから、輸送隊側もその要求には承諾していた。
雨魔法が得意な水使いは、敵味方の判別が上手いと推測される。それとは逆に高位が苦手であれば、氷魔法が得意なのだと相手は考える。
雷水土の高位魔法。逆手重装の黒膜化に、地流しや掌波などの人内魔法。これらの使用は禁止されているが、緊急時はそれぞれの判断により、制限は解かれるものとする。
このような信念旗の対策を行っても、残念ながら情報の防衛は完璧とは言えない。
・・
・・
魔霧毒虫の群れと遭遇してから数分後。
荷馬車から二十mほど離れた位置で、アクアとセレスは魔虫の進行を防いでいた。
最前線はここから百mほど離れているため、霧が邪魔で目視はできない。それでもこちらへ流れてくる数を考えれば、グレンたちが踏ん張っているのだろう。
だが相手は百を越える群れであり、油断をすれば突破される危険はあった。
魔虫は数が多いが、周囲の木を一本燃やすことにより、前線より流れてきた敵の進行を喰い止められる。
アクアは味方が召喚した中岩に乗ると、密集している魔虫に氷の矢を放つ。それが突き刺さった場所は凍りつくため、数体が動きを止められていた。
しかし近くで樹木が燃えているため、その熱により氷の捕縛が弱まってしまう。
青の護衛は高位だけでなく、並位魔法も未熟であった。その事実を兵士たちに気づかれないよう、セレスは即座に接近すると、水たまりに向けて雷撃を放つ。
勇者は近場にいた炎使いへ視線を送ると、穏やかな口調で。
「そろそろ消したほうが良いですよね」
グレンと同等の鎮火技術がなければ、炎使いは自分の魔法を制御できなくなる。
人工道の周囲は木々の間隔があけられているが、枝どうしは重なっているため、放っておくと火が全体に広まってしまう。
人の手から完全に離れた炎は、やがて魔法とは呼べなくなり、発生した煙が輸送隊を危険に晒す。
炎使いはセレスの提案にうなずくと、木を燃やしていた炎を消す。
その場にいる土使いは戦闘には参加せず、常に領域を発動させておくことで、群れの動きを読まなくてはならない。
土属性の兵士が燃やす木を決め、火属性の兵士がその指示を実行する。そして寄ってきた魔虫をアクアが凍らせたのち、セレスが雷撃で仕留める。
当然だが敵も生物であるため、全ての魔虫を炎へと誘うことはできない。
魔力の質が高いグレンでさえ、生木を燃やすには油玉を必要とする。それを炎放射で行うとなれば、相応の時間が必要となる。
土使いは領域による周囲の把握と、自分の身を守るだけで精一杯であった。
中岩により安全を確保していても、青の護衛を狙う個体は存在する。しかしガンセキの教えにより、アクアは一つの技術を身につけていた。
迫る危険は魔物具が教えてくれる。それに加え今は両手がふさがっていても、ある程度の対処を可能としていた。
目視できる魔虫は木の矢で殺し、死角から迫る個体は氷塊で潰す、または氷壁により動きを鈍らせる。
火属性の兵士は多くの魔虫に狙われてしまう。彼が生木を着火させるまでのあいだ、セレスはその護衛にまわらなくてはならない。
炎の間近に立っていれば、雷使いだとしても狙われる。攻撃を仕掛けてきた魔虫は二体。
一方は前方から顔面にしがみつこうとする。もう一方は背後から近づくと、セレスの腰をめがけ、後ろ足で地面を蹴りあげる。
彼女の利腕は右。
左足を一歩進めることで、片手剣を左上から斜めに振るう。前方の魔虫は刃に切り裂かれ、後方から迫る物体は、そのまま柄の尻で破壊する。
だが炎に反応した数体が、すでに赤の属性兵を取り囲んでいた。左腕からの電撃連射により、セレスは彼の死角となっていた四体を始末した。
低位魔法では死なないはずの毒虫を、勇者は一撃で沈黙させることができる。オババからは基礎しか教わっていなくとも、そこから独自に発展させた剣技を持つ。
属性兵は樹木に魔法が燃え移ったのを確認すると、炎を放射している腕を動かし、残った魔虫を全て焼き払う。
ここまでしてしまえば、あとはこの場から少し離れ、炎に敵が集まるのを待つだけで良い。
セレスは剣を軽く振り、刃に付着した汚れを払う。
・・
・・
勇者たちの戦いが安定してきたころ、荷馬車の近くには、全身を震わせている旅人がいた。
その情けない男性は右手を頭に添えながら、半泣きでうずくまっていたが、立ち上がると大声で叫びだす。
「もう駄目だすっ! でっかいのがこっちに来ただすよ!!」
ガンセキたちが戦っている方面を、ゼドは一生懸命に指さしていた。
近場にいた隊長代理は彼の発言に注目すると、土の属性兵に指示を飛ばす。
「あなたは先行隊の方面を領域で探って! あとそこのオジサン! 泣いている暇があるなら、彼に対象の位置を教えるの!!」
ゼドは右腕を頭から顔面にもっていくと、より一層の大声で泣き叫び。
「ひどいだすぅっ オジサンって言っただす!!」
左手が痛いのを我慢してまでも、三十過ぎの男性は地団駄を踏み。
「お兄さんって呼んでくれなきゃ、自分はお手伝いしないだすよ!!」
叫ぶたびに、後頭部の傷が痛む。
分隊長代理はオジサンに白い目を向けると。
「駄目だこの人……ぜんぜん使えないの」
今は戦闘中であり、状況は刻々と流れていく。土の属性兵は両手を地面に添えながら。
「毒虫との戦闘に紛れ、二体の単独が出現しました!」
群れを向かい打つために、ガンセキたちは森の中へと足を踏み入れていた。
「一方は先行隊が食い止めていますが、残る一体は人工道への突破を許し、現在こちらへ接近しています!!」
土の属性兵が現状を伝えたころには、後方の三名が中央に到着していた。
隊長代理は周囲に指示が届くよう、大きな声で元気よく。
「勇者さまたちは現状維持! 先ほど合流した一般二名は、わたしと一緒に荷馬車の防衛!」
代理補佐と先行隊に、恐らく彼女の叫びは届いていない。しかしその声は、すこし偉そうで、とても可愛らしかった。
中央に残る一般兵のうち、一人は土の領域を使用可能。
隊長代理は小さな胸を張ると、霧で隠れた人工道に意識を向け。
「あなたはできる限り地面の慣らしを! 単独がこちらにある程度接近したら、二人はそのまま迎え撃つの!!」
彼女が指示を送ったのは、これまで領域を展開させていた土の属性兵と、後方より合流した水の属性兵。
三名は大声で返事をすると、それぞれに行動する。
「ちょっとオジサン? どこ行くの!?」
困ったオジサンは悲鳴を上げると、グレンたちの方面に向け、怪我人とは思えない速度で逃げ去った。
物資に魔虫が取り付かないよう、管理者たちは荷馬車の周囲で警戒をしていたが、ピリカはゼドの背中を見つめながら。
「こういった行動は本人より事前に話しがありましたので、我々も許可をしております」
殺気を受けた魔物の反応は昼夜で変化する。
現在はその存在を確認できていないが、オジサンの背後には五名の部下が控えていた。
グレンたちの方面には、彼らが加わったのだと考えられる。
「緊急事態ですので、よろしければ私たちもお手伝いいたしますが」
ピリカを除いた四名のうち、三人が水の属性使いだが、実戦経験はないに等しい。
嬉しそうに微笑みながらも、隊長代理はその提案を拒む。
「本当に危ないときは、一般の分隊長補佐さんに助けてもらいますので」
荷馬車の進行方向から右側には、三名の味方が今も待機していた。
護衛の対象は二台の馬車だが、勇者一行の私物がそれには乗せられなかったため、荷車が一台用意されていた。隊長代理はその方向に視線を向けると。
「おいボルガ、いつまでそんなの持ってるの! おまえは早く向こうに行きなさい!」
万が一の自体に備え、右側より中央へと向かう手筈を整えておく。
彼女は攻撃型であり、本当は防御型を中央に残しておきたいが、隊長代理がこの場を離れるわけにもいかない。
ボルガは荷台から急いで手を離すと、困った口調で返事をする。
「一行の荷物を守るのは、俺に任された大切な役目なんだな」
隊長代理は首をたてに動かすと、ビリカの目をしっかりと見つめ。
「うんと重いと思うから、二人ほど力をかして欲しいです」
「ええ、了承いたしました」
そういうと商人は自らボルガのもとへ向かい。
「魔法では役に立てませんので、私が引かさせていただきます」
ピリカはもう一名を呼ぶと、ボルガにかわって荷車を受けもつ。
隊長代理は目をパチクリさせながら。
「良いのかな、偉い人にそんなことさせて。わたし、あとで怒られませんか?」
「わたくし偉くありませんので、そこら辺はお気づかいなく。それになにもしないと、ゼドさんに嫌味を言われそうな気がいたします」
逃げたオジサンがそんなことを言うのなら、わたしが逆に怒ります。隊長代理はそのようにピリカへ伝えると、頭を下げて感謝の気持ちを送る。
商人はいつもの笑を浮かべながらも、少し固い口調で。
「今は戦闘中ですので、まずはそちらに集中いたしましょう」
ピリカはそう言ったのち、相手と呼吸を合わせて荷台を持ち上げる。現在は待機中だが、いつでも動かせるようにとのこと。
先ほど魔法では役に立てないと発言していたが、魔力まといは可能なようであるため、二人とも低位ならば使えるのだと思われる。
「それじゃあボルガ、わたしが合図したらこっちにきて」
大男は小さく首を動かしたのち、駆け足で移動を始める。
隊長代理はボルガの背中に向けて。
「一人でもどってきちゃダメだからね、三人と一緒にくるんだよ!」
ボルガは少し振りかえると。
「姐さん、おれはそこまで馬鹿じゃねぇんだな」
それでも姐さんは、頑張れとボルガを応援していた。
・・
・・
中央から四十mほどの距離に、セレスたちは移動していた。この位置から荷馬車の方向を四時とすれば、グレンたちは九時の方向で魔虫と戦っている。
そこにはなぜか逃げたはずのオジサンがおり、今は中岩の下で震えていた。
ゼドは身を屈めながらも、か細い声で一生懸命に。
「木々の間隔はあいているだすから、そこからでも人工道は狙えるだすよ」
「霧のせいで前が見えないじゃないか。ていうかダスさん……そこにいられると邪魔だよ」
原理は解らないが、毒虫はゼドを狙おうとしない。だが逆方面から近づいてくる個体もいた。
「それにさ、氷の矢じゃ届かないと思うけど」
「肉眼で見る必要なんてないだすよ。あと道はまっすぐ伸びてるわけじゃないだすから、この位置からなら充分に射程内だす」
そう言うとゼドは立ち上がり。
「魔物具の能力はもう発動しているんだすよね」
アクアは相手を見下ろしながらうなずくと。
「あと五分は大丈夫だよ」
「そしたらまずは水の塊を頭上につくるだす」
時の力なのかどうかは解らないが、それは宙に浮いたまま維持させることができる。
青の護衛は嫌そうにしながらも、仕方なくゼドの指示に従う。やがてアクアの頭上には、空気中の水分が集められる。
オジサンはそれを見上げながら。
「水の塊が中岩に接触しないよう、そのまま高度を落とすだす。上半身だけでいいだすから、アクア殿はその中に入って欲しいだすよ」
当然だが少女は顔をしかめると。
「嘘をいっちゃ駄目ダスよ。そんなことしたら、息ができないじゃないダスか」
「真似するんじゃないだす! 年上を馬鹿にすると、痛い目にあっちゃうだすよ!!」
そもそもゼドは真面目であり、決してアクアを騙しているわけでもない。
「水魔小蛇は水中から得物を狙うだす。その能力が上乗せされているのだすから、あとは自分の直感を信じて矢を放つだすよ」
ボルガの走りを見たあとなのだから、ゼドの言葉には信憑性があった。
「命中率が異常に上がるけど、そのあいだ息ができないってことかい」
自分が操る水ならば、そこからでても服や髪は濡れない。
「だすが……これをしている最中に、雷を喰らうと痛いだすよ」
ゼドは懐からナイフを取りだすと。
「一分くらいなら、自分は頑張ってアクア殿を守るだす」
青の護衛は相手を見下ろしながら。
「ダスさん情けないから、あんま信用できないよ。それに怪我人がなに言ってるのさ」
ゼドの正体に関しては、責任者からそれとなく教えられていたが、彼は普段の行動があまりにも歪んでいた。
近くで話を聞いていたセレスは、中岩に一歩近づくと。
「とりあえず余裕ができたから、私もアクアを守ります」
土の属性兵は領域の展開を中断させ、火の属性兵と共に囮役と徹していた。
青の護衛は少し嬉しそうに息をつくと。
「グレン君やダスさんに背中を任せるのは怖いけどさ、ボクはセレスちゃんを信用しても良いのかい」
「アクアは勇者を信じて、私はそれになろうと頑張るから」
その後は会話もなく、少女は黙ったまま半身を水にゆだねる。
二話 一道の剣士
岩をよじ登ろうとする魔虫に、セレスは片手剣を突き刺す。だがその瞬間であった、勇者の背後から別の個体が迫る。
刃を岩から抜く余裕はないが、彼女の得物は片手剣であり、左腕があいていた。
電撃は跳びかかってきた個体に命中したが、別の魔虫が地面よりセレスの足首を狙う。しかしその瞳に動揺はない。
女は片足をわずかに上げると、そのまま魔虫を踏みつぶす。セレスは残骸の付着した靴底を岩にかけると、力を入れて片手剣を引き抜いた。
ふとゼドが気になり、勇者はそちらに意識を向ける。
刃物を利き手に持った男は、なにもせずに呆けていた。
魔虫の群れは彼に近づくことすらできず、たとえ意を決し跳びかかろうと、身体に到着する寸前で破裂する。
まるでゼドの周囲に見えない壁があり、魔虫がそれにぶつかっているかのようであった。
だが突然なにを思ったのか、この男はナイフを中岩に自ら突き刺した。それで手ぶらになろうと、彼のもとから敵は離れていく。
右手で鼻くそを穿りながら、魔虫を岩から遠ざけている人物に、気づけばセレスは剣を向けていた。だがそれは構えとは言えない。
剣先の震えが止まらず、腰も引けていた。
ただ、相手が怖かった。
ゼドは鼻孔から人差し指を抜くと、ゆっくりセレスへ目を向けて。
「そのまま一歩前に踏みだせば、勇者さまの世界が変化するかも知れないだすね」
男は鼻くその付着した指を左右に振りながら。
「でもそれをしちゃダメだすよ。万が一の可能性として、後戻りできなくなるだす」
眼球が鈍く光る男性は、手元の汚物を口に含み。
「まずは足を一歩さげ、心を落ち着けてから、周囲を見渡してみるだす。道は一つではなく、沢山あることに気づけるはず」
毒虫は密集しておらず、清水で洗い流しているはずなのに、止めどなく涙があふれでる。
怖い。
関わっちゃ駄目だ。
でも。
変われるのなら。
それだけで、あの人を知ることができるなら。
私はここで、彼に向けて、一歩前に。
踏みだしたい。
そう考えた次の瞬間であった。
グレンのような偽物ではなく、本物の化け物が、勇者に一歩近づく。
セレスは咄嗟の判断で、片足をどちらかに動かした。
剣士だった男は鼻くそを飲み込むと、刃物を中岩から抜き、その切先を一方に向ける。
「ここは自分に任せて、この先に行くだす」
彼が示す方向は、魔物が通るであろう先人の道。
だけどセレスは動かない。アクアとの約束があるから。
「信じる必要なんてないだす。でも自分は守ることができなくとも、敵を殺す力はもっているだす」
愛することはできなくても、憎んでもらうことはできた。
彼が勇者に教えられたのは、殺しの剣だけである。
セレスは相手の目をまっすぐ見つめ、うなずきだけを返す。
この男がなにを望んでいるのかは解らない。それでもこれは勇者として、必要なことなのだと信じて。
アクアへと視線を動かすと、今は水のなかで集中を高めているようであった。少女を包むその色は、少しだけ黒く濁っている気がする。
勇者は心配そうな表情を浮かべると、案内人に向き直り。
「よろしくお願いします」
ゼドはなにも答えないが、それが彼の返事だと信じ、セレスは道に向けて歩きだす。
・・
・・
犬が単独となって進化した魔物。
大きさはボルガの一・二個分ほどであり、単独の中では小ぶりであった。
セレスは森なかに身を潜めていた。
間近に存在している人工道の地面は凍りついており、木の矢が土に突き刺さっていた。
彼女がそれを目にしたとき、すでに大犬魔は動きを止めていた。
次の瞬間。単独の魔物は口内から雷を放つことで、凍える自らの足下を破壊する。アクアの捕縛は未熟であり、一撃で半分以上が削られ、もはや今にも動きだしそうであった。
怒りに満ちた眼光と、狂気を鳴らす喉。全身の毛は逆立ち、記憶に新しい犬魔の面影はどこにもない。
隠れているべきかもしれない。一人で戦って、勝つことのできる相手かどうか解らない。
このまま通りすぎるのを願い、中央の属性使いとこれが接触したのち、魔物の背後から雷撃を放つ。
挟み撃ちにしたほうが、より安全に戦いを進められる。
セレスは周囲の木々に身を潜めると、息を殺して時間が流れるのを待つ。
だが少しして気づく。犬の嗅覚は、人間よりも優れていることに。
勇者が足を踏みだした直後。その身を隠していた一本の木が引き裂かれ、音を立てて倒れていく。
「……うそ」
それは近場の木々に引っかかり、地面へと落ちることはなかったが、あと一歩遅れていればセレスは死んでいた。
勇者はゼドを恨む。いや、そんな暇はない。
生き残れたら怒ろう。
怖いはずもない。この程度で恐れるほど、自分は弱くない。
セレスは片手剣を握りしめ、大雷犬魔と対峙する。
全身の肌は電撃を受けたかのように痺れ、両足の震えを抑えることもできない。
単独と一人で向き合う恐怖を、このとき勇者は始めて経験した。
大犬魔は右前足を勇者に振り下ろす。
セレスは足を動かすと、腰を捻りながら背中を反る。それにより相手の攻撃を避けた瞬間に、左腕から電撃を連射した。
単独の魔物はとっさの判断で後方にさがるが、その退路では電撃を避けることはできない。
勇者は電撃が敵に命中すると確信し、大犬魔に斬りかかろうと一歩を踏み込んだ。
だが魔物は口を開くと、そこから雷撃を発射する。
互いの魔法が重なると、なにごともなかったかのように、それらはあっけなく消滅した。
勇者は姿勢を低く落とし、両前足のあいだに自分の片足を踏み入れ、そのまま片手剣を振り上げる。
大犬魔は上下の牙で彼女の刃を受け止めると、首を捻り頭を動かすことで、片手剣をセレスから奪おうとした。
勇者は歯を噛みしめると。
《こいつ……強い》
だが人間が相手でないのなら、本来の実力を発揮できる。片手剣が右腕から離れる瞬間だった、セレスは犬の顎に左手を叩きつけると、容赦なく上級の雷撃を発射する。
単独は意識を朦朧とさせ、そのまま倒れこんでしまう。
小型の単独といっても、体重はそれなりにある。このままでは身動きがとれないため、勇者は両方の手足をばたつかせながら、やっとの思いで毛に覆われた巨体から抜けだした。
セレスの片手剣は手もとになく、倒れた木々のあいだまで飛ばされていた。痛む身体を我慢すると、それを取りに歩きだす。
彼女は弱くない、むしろ強い。だが経験は浅い。
勝敗の見極めに失敗していた。たとえ上級の雷撃を零距離で受けたとしても、その一撃で死なない相手もいる。
魔力まといが他者よりも優れている拳士。
または、雷魔法に耐性がある犬魔。
太陽の光が影となり、迫る危険をセレスに教えてくれた。
勇者は振り返ると、即座に対処しようとしたが、大犬魔の一手がわずかに早い。
もし勇者がここで死んでしまえば、冗談ではすまされない。ゼドは彼女が戦うにしろ、逃げるにしろ、苦戦することは予想していた。
・・
・・
かつて戦場で名を馳せた、魔法を使う剣士がいた。
セレスを殺そうとした片方の前足には、剣が突き刺さっていた。だがそれは純宝玉の武具ではなく、全ての兵士に支給される、打撃優先の片手剣であった。
彼女を守ったのはゼドではない。
左腕に握られた片手剣が犬魔の前足を貫き、その先にある鋭い爪は、軽鎧をまとった男が靴底で押さえつけている。
彼は右腕にも同じ剣を握っており、それを自分の肩に背負っている。
セレスに背中を向けたまま、コガラシは関心した口ぶりで。
「実に見事な殺し合いでやした」
一気に勝負を決する必要もなく、味方がくるのを待っていても良かった。
隙を見て移動し、足場の良い人工道で戦うのも一つの手。
不意の一撃は振り返るより、そのまま左右か前方に跳んだほうが、生存の確率は上がる。
「そりゃ注文はありやすけど、文句はござあせん」
などと呑気に話しをしているが、まだ大犬魔は生きていた。
単独の魔物は動かせない前足を捨て、残ったもう一方を動かすと、その爪で男を突き刺そうとする。
二剣流の兵士が右肘を内側に動かした瞬間、担いでいた右剣も同時に操作される。犬魔の爪はそれに当たったことで軌道が逸れ、コガラシの左脇腹をかすって抜ける。
一般兵は左剣を手放すと、その場から右側に飛び跳ねて。
「ここで低位をお頼みしやす」
セレスは相手の言葉に従い、右手から電撃を連射した。
単独の犬魔は口を開いたため、再び雷撃でそれを打ち消すのかと思われた。
しかしコガラシは引いたその場で飛び上がり、空中で右剣を左手に持ちかえたのち、腰と右肩を捻り身体を横回転させる。それにより勢いの増した剣撃が、単独の頭部を破壊した。
放ったのは電撃の連射であったため、数発が一般兵に命中してしまう。
セレスはしばらく唖然としていたが、事態を把握すると。
「うわわっ ごめんなさい ごめんなさい」
コガラシは痛そうに屈みこむと。
「気にせんでくだせえ。電撃のわりに痛てえけど、深手は自分の失態でさぁ」
大雷犬魔の攻撃を流しきれず、彼の脇腹には血が滲んでいた。
「それより勇者さま。もうちっと戦いに集中しねえと、早死にいたしやすぜ」
剣士は二振りの刃を鞘へ返すと。
「自分を活かせねえ剣は、確かに良く切れやすが」
かつて戦場には、魔法を使う剣士がいた。その孤独な生涯のなかで、彼はただ一人の友にのみ、自分の経験を託すことができた。
コガラシはセレスの顔をみながら。
「気をつけねえと、刃先は己に向けられやす」
自殺の剣と自活の剣は表裏一体。
踏み込むべきか、引くべきか。
どちらの選択が、剣豪への道なのか。
答えは、誰にも解らない。
コガラシですが、彼は道剣士ではありません。ゼドやイザク、またはグレンやギゼルとの違いを、上手に表現できれば良いんだけど。
自分が剣士を書くと、どうしてもそっちよりになってしまうのですが、まあ頑張ってみようと思います。
自分を殺してでも、事をなそうとするのか。自分を活かしながら、事をなそうとするのか。
とりあえず、これを意識していこうと思います。
それと産まれながらの両利きなんて、たぶん実際にはいないと思います。そこらへんはまあ、異世界ってことで。
二刀流は刀と脇差し。だけど両手に片手剣となると、そういう設定にしたほうが良いかなと思いまして。