十話 七年と千年
現在の時刻は朝の八時。
勇者一行がデマドに到着したのが六日前であり、ゼドと合流したのは待機三日目のことであった。そして昨日の昼すぎに、中継地から兵たちが戻ってきた。
組合がするべきことは、向こうからの要望を整理し、デマドでは揃えられないものをレンガに要求する。
一般兵の武具は壊れやすい。修復ができなければ、新たに取り寄せる必要がある。
ある都市で造られた濁宝玉は王都に送られ、聖域としての技術力を利用することで、属性兵の武具が量産される。レンガ軍の採用している玉具も、その大半は王都製であるため、数と引き換えに質は低い。
デマドから中継地までは五日。だが帰りは荷馬車が空となっているため、もう少し短い期間での到着が可能かも知れない。
食料と武具は常に消費するが、色々な方面から予想をしなければ、時間による状況の変化に対処ができなくなる。
修行場へと向かう道中。グレンはガンセキから学んだことをまとめると。
「鉄だって再利用は可能なんじゃねえっすか」
損傷の激しい武具は、本陣からレンガに送られる。
「そうなれば帰りの荷馬車も空じゃないなから、移動には相応の時間が必要になります。本陣からの要望を迅速に伝えるには、早馬みたいなのが必要になんのかな」
「たしかに馬は速いが、単独での行動は危険だ。種によって違いはあるが、魔物の速さはお前も知っているだろ」
中継地からデマドならまだ良いが、ヒノキ周辺を単騎で動くなど自殺行為である。
基本は物資を運ぶ者たちに任せているが、それだと緊急の対応ができないため、必要時は複数の馬を走らせているのではないか。
「急事の伝達に戦馬を利用できれば、今よりも上手くことを運べると思うんすけど」
「それは無理だな。乗り手だけでなく、戦馬の育成は難しい。人間は当然として、馬にも才能が必要だ」
なにより人と馬の相性が関係してくる。
「大昔は鳥などに伝書を任せていたらしいが、黄昏以降その技術は退化している」
後ろを歩いていたアクアは、彼らの話題に興味があったのか、久しぶりに口を開く。
「戦馬ってそんなに凄いのかい」
その声にガンセキは振り向くと。
「軍での移動中に、本隊の前方を進むのが戦馬隊だ」
指揮官の存在する本隊を中心として、それぞれの役割をもった集団が敵地を目指す。しかしそこまでの道程は決して楽なものではない。なぜなら戦場には魔者だけでなく、多くの魔物も生息しているからである。
本隊は足場の確りした場所を通る。だが動きやすいということは、それを狙う敵側も同じである。
「その位置を任されているというだけで、彼らの実力は証明できるだろ」
グレンもガンセキに続き。
「人ほどじゃねえけどよ、魔者にとっても魔物は敵なんだ。これだけは覚えておいて損はねえぞ」
速くても持久力のない獣は、身を潜めながら接近し、一気に獲物を仕留める。肉食ほどの足はなくとも、気づくのが早ければ、草食は逃げきれる。
しかし千四百年前に、人類は黄昏を迎えた。
魔物は魔物を襲って食べる。魔物は襲ってきた魔物を殺す。肉食は人間を狙うことが増え、草食は人間に憎しみを向けるようになった。
「種を残すためならよ、肉食は魔者すら餌だと判断する」
勇者一行や魔族などの例外を除き、個々の力は魔者も人もそこまで強くない。そもそも人間の属性使いは、全体の三割である。
戦場を経験した男は、グレンの言葉にうなずくと。
「しかし人類と魔者は組織としての力を持ち、なかにはボルガさんのような属性兵もいる。その恐ろしさを理解できない魔物は、相手が兵団であることに気づかないまま、考えなしにその一部を餌として襲う」
アクアはグレンから視線をそらし。
「君はいつだって、なにかを考えてる」
「生き残るために必要だったら、そりゃ俺だって考えるよ」
そうしていれば、嫌なことを忘れられたから。
肉食動物。かつて頂点にいたという誇りが、雑食への道を許さなかった。彼らは単純な力を求め、考える力を退化させた種が多い。
単独はそのまま強くなり、群れの肉食もただ群れているだけで、考えなしに襲ってくる。
魔者からしてみれば、そういった魔物は軽蔑の対象となっているのかも知れない。
ガンセキは隣のグレンに意識を向け。
「食物連鎖が崩れたこの世界では、そのような変化をしなければ、生き残れないと判断したのだろう」
「それでも俺は人間だからよ、考える力は産まれたときからもってたよ。オッサンがそれを強化してくれただけだ」
青の護衛はグレンの足もとを見つめながら。
「魔犬のときも牛魔のときも、勝つ方法を考えたから、君は今ここにいるんだ。個の力なんてなくたってさ、グレン君がそれを忘れなければ、生き残ることはきっとできるよ」
グレンは頭をかきながら、締りのない口調で。
「生き残っても、成果がなけりゃ意味はねえ。まあ考えるのは好きだからよ、嫌になるまで続けてみるさ」
その返事にガンセキは笑みをつくり。
「個人で使うために心増水を求めたが、組合長は四人分を用意すると約束した。無断で行動したのは褒められんが、お前が刻亀と戦う方法を考えなければ、この結果は絶対に生まれなかった」
一を考えれば四になる。個と数はどこかで繋がっている。
「狼魔や獅子魔などを筆頭にして、統率のとれた肉食の魔物もいる。軍の移動で警戒が必要なのは、こいつらのような群れだ」
飛竜は光闇関係なく、空を汚すものに罰を与える。数十年を上空で過ごし、翼を休めるときのみ、魔物としての本能を開放する。
刻亀は山となり、魔物を時の力で狂わせる。
単独は確かに強い。時にそれが被害をもたらすこともある。しかしどれも数の王には敵わない。
主鹿こそが暗黒の大地であり、魔物の王と呼ばれていた。
会話をしながら歩いていたため、しばらく道なりに進めば、やがて修行場が見えてきた。
アクアは心を引き締めながらも、気になっていたことをガンセキに質問する。
「心増水が凄いのはよく解るけどさ、ボクやガンさんが使っても意味はあるのかい」
しかし答えたのは責任者ではなく、赤の護衛であった。
「魔力を補給するわけじゃねえ。お前みたいに沢山もってりゃ、回復量もそれに比例するだろ」
もしそうでないのなら、セレスが魔力を使い果たせば、もとの状態に戻るまで数週間は要するであろう。
グレンはいつも通りだが、アクアは上手く返すことができていない。彼の左腕に絡みつく逆手重装が、見えない壁となっていた。
ガンセキはこの会話を続けるために、自分の知識を二人に伝える。
「同盟側が心増水をどれだけ保有しているかで、時に戦況を左右することもある。戦いが長期化すればするほどにな」
精神面は当然として、肉体の疲労も魔力の自然回復に影響する。
「人の手でも心知の木ってのは成長するし、実らせることもできる。だけど組合長さんの話では、魔者側と比べれば差があるらしい」
魔者から奪っても、五年から十年でもとにもどる。
ガンセキはグレンにうなずくと。
「そもそも心知の木にも寿命がある。五十年を過ぎたあたりから、どちらにせよ収穫量は減っていくな」
アクアは逆手重装を見つめていたが、視線をガンセキの背中へ移し。
「でもそれだとさ、同盟側が不利ってことかい。さっきガンさん言ってたじゃないか、心知の実は戦況を左右するって」
「心増水の保有量だけが決め手じゃねえ。千年前で互いの力は拮抗してたんだ、今は技術だって当時より進んでるだろ」
魔者側も進歩はしているのだろうが、その歩みは人類の方が速いと考えられる。
宝玉の埋め込みは安定した効果を期待でき、そこまで難しくもないと言われていた。
練り込みは高い技術を必要とするが、宝玉の力を最大限に活かすことができる。
「そういった知識を守る職人派閥と、彼らを管理することで金を稼ぐ連中。発展が遅れてる原因とまでは言わねえが、関係はあるんじゃないか」
本当はもっと進んでいても変ではない。しかしグレンはその点に触れなかった。
今までは三人に自分の推測を晒してきたが、敗国者の情報が少ないため、ここより先は時と場所を考えて発言した方がいい。赤の護衛はそう判断していた。
変化はあったとしても、千年の想いは残るのだから。
アクアは返事をせず、うなずくだけで終らせた。グレンもその態度に気づいていたが、無表情で受け入れる。
責任者はしばらく考えたのち。
「魔者にとっても魔物は注意すべき存在だが、人類に比べれば危険は少ない」
千年の時が流れようと、未だに戦争は続いているのだから、終わらない理由は間違いなくある。
「心知の実に関しては、確かに人類は魔者よりも不利だ。しかし魔王の領域という場所は、自然が他所よりも崩れている」
木の寿命は七十年から百年である。しかし極稀に、その摂理を無視する樹木が確認されていた。
「人類はこの千年で、五百年樹を魔者から奪うことに成功している。奴らの手から離れ、収穫量は少しずつ減っていたが、数年ほど前に安定したそうだ」
時間を重ねるほどに、百年樹は大きくなる。その年によって実る量に変化はあるが、他木と比例することで、その価値は人々に理解されている。
「心知の木は魔力との繋がりが深そうですから、やっぱそれが原因なんすかね」
摂理を狂わされた心知の木。それを利用している人類も、魔者に文句は言えない。
「戦場に思いを馳せるのも大切だが、今は刻亀について考えんとな」
そう言うとガンセキは、目を輝かせて。
「なにはともあれ、まずは修行だ」
グレンは責任者に苦笑いを返す。
それでも青年は、楽しそうに笑っていた。
中継地から兵たちがもどったのだから、近いうちに勇者一行はデマドを出発するだろう。
セレスは一人組合に残り、彼らの仕事を見学したいと望んだ。
それは喜ぶべきことであり、グレンもガンセキも反対はしなかった。
勇者は自らの意思で動き始める。
青の護衛は自分の立ち位置を模索する。
グレンは目前の修行場をまっすぐ見つめていた。
長いこと逆手重装を眺めていたアクアは、あることにふと気づく。
その色は醜いはずなのに、彼の炎と少し似ていた。
「ねえ、グレン君」
「なんだよ、アクアさん」
声をかけても、赤の護衛は振り向かない。それでも構わずに、アクアは確りとした口調で。
「ボクもボクなりに、生き残る方法を考えてみるよ」
右腕には宝玉具。左腕には魔物具。これを拒否することもできたのだが、アクアは自分の意思で使うと決めた。
グレンは立ち止まり、青空を見上げると。
「死なない方法から入ったほうが、俺は考えやすかったな」
戦わなければ死ぬこともない。
しかし戦わなければいけないのなら、死なないためにするべき行動はなにか。
十二歳からの七年、やるべきはただ一つ。魔物と戦い金を受け取ること。
苦しみ続け、考え抜いた果てに、グレンの中で小さな変化が起きた。
戦いの最中、普段は無表情。しかしその身が危なければ危ないほど、彼は無意識に興奮する。
その時だけは全てを忘れ、目前の敵と向かい合う。
孤独。憎しみ。嫉妬。飢え。そして恐怖。
戦いに狂ってしまう原因は人それぞれであり、大本となる感情も個々で異なってくる。
魔獣具の使い手として、アクアに教えられることが一つだけあった。
グレンは振り返ると、珍しく相手と視線を合わせ。
「魔獣具ってのは、使い手が目を背けると、無理やり視界に入れてくる。確かにやり方は乱暴だけどよ、俺への嫌がらせってわけでもないみたいだ」
ゼドが用意したのは魔物具だが、なにかの役に立つかも知れない。
アクアは自分の両腕を見つめながら。
「せめて使うのなら、どんな魔物だったのかを、ダスさんに聞けってことかい」
「それが礼儀ってもんじゃねえのか」
ガンセキは修行に心を躍らせながら。
「詳しくは無理だが、俺でも特徴くらいなら教えられる」
視力。聴覚。体格。それら全てが人間よりも劣っている。
普段は水の中に身を潜め、獲物が近づくのを待ち、毒牙でゆっくりと相手を殺す。しかし巻き付くことはせず、氷魔法で動きを封じるとのこと。
説明を終えたガンセキは、二人を交互にみて。
「もっとも水魔小蛇と戦った経験はないがな」
闇魔力は種によって違いがある。だからこそ調べている者でなければ、宝玉と闇魔力を上手く合わせることができない。
「その腕輪を使いこなす上で、もとになった魔物を知るというのは、もしかすれば重要なことかも知れんな」
魔物具職人の技術とは、そういった知識が中核となっているのではないだろうか。
憎む相手。愛する相手。生かす相手。殺す相手。
相手を知らなければ、なにも始まらない。
始めることはできたとしても、なにかしら負の要素がついてくる。