七話 巡る螺旋
水は腐る。綺麗な水の入手が困難だった時代、人は酒で喉を潤していた。
しかし光の一刻と呼ばれる変化が過ぎ、人類が形ばかりの進化をしたことで、水を保存する必要はなくなった。
今では酔うことを目的とされた、年齢制限が決められた飲料となっている。
デマドの酒場。
外見は他の建物に一手間かけた造りだが、足を踏み入れれば木の貼りが独特の色となる。
長い年月が経過したことで、なにかが染み込んだ風味も感じられる。
無骨な台には小さな酒樽が設置され、雰囲気のある棚には酒瓶が並ぶ。
宝玉は決まった物にしか組み込めないため、この世界では鉄だけでなく、ガラス製造の技術も飛躍していた。
電を発生させる玉具と塩。それらを使い加工されたものを熱する。
砂岩が自然の恵みを受け珪岩となり、さらに長い年月が経過して砂へと戻る。
遥か古。時を司る水と共に生きた存在が、死を司る剣の宿命で終わりを迎えた。その残骸が蓄積し、今日に石灰岩として蘇る。
全ては神々と古代種族の導きであり、これ以外にもガラスの原料はあると聞く。
酒入れにもガラスは利用されており、都市ならば一般では難しくとも、宿屋などでは窓として確認されている。玉具にさえならなければ、これらは再び利用することも可能であった。
仕切り長板の背後に酒はなく、そのかわり肉の塊が幾つか吊るされていた。デマドの家畜かどうかは不明だが、すでに調理を終えており、見ているだけで腹が満たされる。
二人が腰を下ろしたのは対面席。ガンセキは一息ついたのち、思いつめた表情の相手を見て。
「内容は俺の方で決めていいですか」
「酒は任せるだすが、肴はいらないだす」
右手に握られていたパンは、酒場に到着すると同時に、ゼドの胃袋へと消えていた。
ガンセキは彼の要望を受け入れると、頃合いをみて酒持ち(店員)を呼び、置いてある酒の種類を聞く。
「果実はぶどうもあるけどベチャが主だ。穀物は麦と米の両方だが、米は旅用だから薄めてある。乳は馬とヤギの二種だが、少ないから高いよ」
酒持ちのお勧めはベチャ酒。これの原料はグニュリだが、知名度は酒の方が高い。というよりべチャベチャとグニュリが同じ果実と知らない人が多い。
比較的に水分の多いものが酒に利用され、食用に比べると味は苦いとのこと。
ガンセキはとりあえずベチャを二人分、肴は頼まないことにする。酒持ちは不満そうな表情を浮かべると。
「酒だけじゃ身体に悪いんだけどね。まあ好きにするといいさ」
気遣ってくれる酒持ちに、ガンセキは苦笑いを返す。
そこに誰もいなくなると、二人は黙ったまま向かい合う。注文が運ばれてくるまで、この嫌な空気が続くと思っていた。
しかしガンセキの予想に反し、ゼドは懐を探り始め。
「忘れてただす。お前たちに渡す物があったんだすよ」
本当はデマドまで一緒に行くつもりであったが、ゼドはレンガで買いたいものがあると言って、ガンセキの誘いを断っていた。
「実際に用事があったんですね。集団行動が嫌だから、てっきりその口実かと」
そんな失礼な発言に不貞腐れながらも、ゼドは用意していた物を取りだすと。
「これは魔物の頭骨から造られた腕輪だす」
右前腕に宝玉具、左手首に素材の腕輪。二振りで一組。
ゼドはその魔物具を装着すると。
「左手を右腕に添えてから、腕輪に魔力を送るだけで良いだす。それだけで使い手の魔力まといを強化できるだす」
効果は十分で切れるとのこと。実際に動作を見せることで、ゼドは魔物具の使い方を相手に教える。
「土の領域が優れた魔法ということは、そのぶん研究も進んでいるだす。お前が使うのは反対だすが、誰に託すかは責任者に任せるだす」
ガンセキは魔物具を見つめながら。
「属性は水のようですね」
ゼドの右前腕には、青い宝石が埋め込まれていた。
「お前の予想通り、もとは水辺に巣をつくる魔物だす」
本来の力を発揮させるとなれば、炎使いだと役不足である。
「どんなに強力な魔法を使えても、実戦に利用できなきゃ無意味だすよ」
引き出せる力が弱くとも、活かせるかどうかは使い手にもよる。
「本音としてはグレンに頼みたいのですが、あいつはやるべき事が多いので、俺から無理は言えません」
「直感が優れている人物のほうが、この魔物具には向いていると思うだすよ。いわば第六感を刺激しているわけだすしね。使用のときに注意すべきことは、嫌なことから目を逸らさない姿勢だす」
一通りの説明を終えると、ゼドは両腕から魔物具を外し、相手へ渡そうとする。
しかしガンセキは手を伸ばさない。
「信念旗のことを考えれば、俺もそれが欲しい」
土の領域があったからこそ、魔物との戦闘を避けて、ここまで進むことができた。しかし責任者への負担は大きく、戦いを免れないときもある。
「雨魔法で体力を奪えば、大抵の群れは逃げだします。魔物具をアクアに持たせれば、事前に戦いを回避することも可能です」
しかしそのまま受け取れるほど、ガンセキは素直な性格ではなかった。
ゼドはその点に気づき、対処をする。
「支度金はそれなりにもらっているだすからね。余ったのを使わせてもらっただす。案内人だとしても、払ってもらったぶんは働くだすよ」
「俺たちを安全に導くために、貴方は五名の仲間と契約をしました。宝石玉の道具を用意してしまえば、彼らの報酬が足りなくなるのでは」
「一流が造った魔物具をレンガで入手するには、運搬費も込みでかなり高いだす。でも盛んな都市に比べれば、レンガで造られたのは安いだすよ。まあ質には不満があるだすがね」
駆け出しの宝玉具職人が、今後の参考や経験を目的として、魔物具を造ることがある。
「名工の造ったそれと、初心者の魔物具を一緒にしちゃダメだすよ。ちなみに狂気のログが残した魔物具は、一流の宝玉具と同等だす。彼の魔獣具に関しては、自分たちが一生働いても、手にすることはできないだす」
ゼドの言葉には矛盾が隠れており、ガンセキがそれを見逃すはずもない。
「練習や経験の一環で、宝石玉を利用するとは考えられません。ゼドさん……あの人が貴方を疑う理由ですが、俺にもなんとなく解ります」
支度金ではない。ゼドは自分への報酬を使い、一流の職人が造った魔物具を、レンガで入手した。それも普通の武具屋では入手できないため、鉄工商会と交渉したのだと考えられる。
「入手経路は商会だけじゃないだす。自分は違法武具屋で買ったのだすが、それが本物だっただけだす」
「そんな話を俺に信じろというのですか。第一に貴方の金で入手したのなら、俺たちが貰うわけにはいきません」
ここまで拒絶しようと、ゼドは嘘を止めない。
「確かに本物だったのだすが、能力が気に入らないだすよ。知っての通り、自分には必要ないだすからね」
魔物の力を借りなくとも、ゼドの直感はすでに研ぎ澄まされている。
「レンガでなくとも、換金所くらいなら町にあります」
ゼドは相手を睨みつけると。
「金があっても、使い方が解らんよ」
酒も飲まなければ、服装も気にしない。
「お前のように本を読んでみたが、その世界に浸れないだす」
美味い不味いはなんとなく解るが、そこに楽しさを見いだせない。
「レンガでは違法だすが、賭け事に嵌ろうとした経験もあるだす」
当たるか外れるかの緊張。
負けた時の悔しさ。
勝った時の開放。
「どんなに金を賭けても、興奮を得られないだす」
生物としての本能を、なんどか試したこともある。
「ここら辺は治安が良すぎてないだすが、お店を探しても、結局は恥をかくだす」
性欲に溺れたくても、数年前から男として機能しない。
ガンセキは相手から視線をそらし、無言で魔物具を受け取った。
その時を見計らったかのように、酒持ちが二人の間に品を置く。
「初めての客だ、遠慮したらぶっ飛ばすよ」
切られた肉と、グニュリの酒漬け。
「ありがとうございます」
素直に礼を言ったガンセキに、酒持ちは笑顔を向け、その場をあとにする。
ベチャ酒はガラスの瓶に入っており、責任者は小さめのグラスへそれを注ぐ。
瓶の隣には、塩のようなものが入った小皿。
薄い赤色の液体に、一つまみの粉をふる。
その瞬間だった。グラスの底が泡だち、今にも中身が溢れそうになる。手元が汚れる前に口をつけると、ガンセキは一気に飲み干す。
酒はスッと喉を抜け、胃袋へと到着する。
その光景を黙って見つめていたが、ゼドは笑顔を向けると。
「女も食事も楽しくない。でも昔から、寝付きだけは良いだす」
座りながらだとしても、気が休まらずとも、浅い夢を見ることができる。
「一生懸命働いているお陰で、これだけは守ることができるだす」
「グレンも眠りは浅いですが、不眠というわけではないようです」
その返事にうなずくと、自分に用意されたグラスへ液体を注ぐ。粉を振らずに一口。ものすごく苦かったのか、ゼドは顔をしかめると。
「刺激を感じれば、生きている気がするだす」
次に酒を泡立たせる。しかしガンセキと違い、中身がこぼれても気にせず、そのまま時間をおく。
薄い赤だった液体は、透明に変化していた。ゼドは透き通ったその水を、不味そうに飲み始める。
ガンセキが四杯目に手をつける頃だった。
「意志をもって戦いに狂うぶんには、なんの問題もない。意味をもって殺しに狂うぶんには、その先になにかがある」
戦った先に勝利を求めるのが戦士。
戦わずの殺しを求めるのが暗殺者。
「始めは戦いを望もうと、気づけば勝利ではなく、殺すことを目的としているだす」
そのうち訳が解らなくなる。
「たとえそこに意志を宿そうと、両方を求めた瞬間に、それはただの狂戦士だす」
ゼドは一杯目を飲み終えると、グラスに注いだ液体に粉をふり。
「理解した上で戦いを求めているうちは、まだ自分を失ってないだす。注意が必要なのは、意識して拒んでいるつもりでも、無意識に戦いを求めている人間だす」
自らに暗示をかけることで、戦いへの欲求を抑える。たとえ気づいてはなくとも、それをしたのは自分の意思。
白ベチャを見つめていたゼドは、グラスに下唇を合わせると。
「本当に危険なのは、それすら気づけなくなった化け物だ」
戦いなんて望まない、壊れる前に逃げだすことができた。
「そう何度も言い聞かせておきながら、気づきもせずに欲している者は、すでに手の施しようがないだす」
ゼドはグラスを相手に見せると。
「気を紛らわせる手段があるのなら良い。変に真面目な奴ほど、そのうち狂って暴れ始めるだす」
透明な水の先に映る男の顔を、ガンセキには確認できなかった。
「最後はもう……狂化種と変わらない」
「それでも貴方は、勇者のために剣を持った」
闇に溶け込み。感情を殺す。
「この技術は剣士として、相手と戦うために訓練しただす」
自分の心を相手に読ませない。
暗闇に溶け込み、相手との一時を待つ。
「でも世間は、それを別の角度からしか見ないだす」
必要とされるのは技術だけ。誰もゼドの剣を求めない。
「影で動く技術を教えることはできても、人に教えるということは、力だけでは駄目なんだす」
育てることはできようと、自分が本物ではないのだから、一流の間者は造れない。
「体と技はなんとかできるんだすが、心だけは最初から持ってなくちゃ無理だす」
剣士とは、剣での戦いを愛するもの。そこに一本道を歩く必要はない。
ガンセキは答えを知りながら、ゼドに質問をする。
「もう剣は……持たないんですか」
「意志なき闘争の先にあるのは、永遠と巡る戦いの螺旋だけ」
同じことを繰り返す馬鹿だけが、一本道に迷い込む。
「今は剣無しの人生に、意味を見いだそうとしているだす」
そこに答えがあると信じて。
「グレン殿が言う道剣士。彼らは殺すために戦うのではなく、戦うために相手を殺すだす」
本性が本質と戦っているうちは、最後の一線がまだ残っている。
「戦いに狂うぶんには大丈夫。そう考えても良いのですか」
「昔は相手を求めて彷徨っていたんだすが、結局どれも一方通行で、寂しさだけが募っていくだす」
相手も戦いを望んでくれなければ、剣を振るう意味などない。
「意味なき戦いの先に果てはない。その事実に気付いたとき、向き合えるかどうかが大切だす。無視して戦いを続ければ、そのうち殺すために戦いを楽しむようになる」
だから魔王を倒すまで、ゼドは勇者と歩むと決めた。
そこに剣道の果て。螺旋の終わりがあると信じて。
ゼドは立ち上がると、酒場の出入り口へ向う。
「やっぱお酒は美味しくないだす。でも気が紛れるから、不味くても止めれないだす」
剣士だった男は、責任者に背を向けたまま。
「お前は責任者だが、もし弟子を持つ機会があるのなら、その教えに意味と名を持たせるだす」
拳に意味を。魔法に意志を。
「弟子が道に迷ったとき、きっと一つの支えとなる。内容次第だすが、誰かを支えようともする」
この世界ではそれを、流派と呼ぶ。
「導くのも流派なら、時にそれは邪魔もする。それでも自分は力だけを求めていたから、師匠の教えを学ばなかった」
たとえ弟子が拒絶しようと。
「剣を捨てた今になって、自分は後悔しているだす」
そう残すと、ゼドは酒場から逃げだした。
炎使いの誇りがあれば、グレンは道に迷わない。
「お前は気づかないだけで、ギゼルさんから教わっているはずだ」
その拳と心に宿る、流派の意志を。
「道拳士として生きるのなら、流派の誇りを拳心へ灯せ」
ガンセキは薄い赤色の液体を、そのまま喉の奥へと流し込む。ものすごい苦さに顔をしかめると、口直しにグニュリを頬張った。
それは異常なほどに味が濃く、種の食感と共に口内が落ちつく。喉越しの悪さは、泡だったベチャ酒で紛らわす。
「……美味い」
ガンセキは意地汚い仕草で、硬い肉を噛みしめながら、嬉しそうに笑っていた。
諦めていたその姿に、一つの可能性が生まれた。
「いつかこの目に焼きつけたい」
笑わずにはいられない。
初代の意志を灯した。
ギゼル流 魔力拳術。
シビレ一行ではない。
「俺たちの……」
ガラスの原料については、間違いがあるかも知れません。調べが不十分でごめんなさい。
ベチャ酒については、過去にそんな酒を見た覚えがありまして、俺の気のせいかもしれないけど、面白いと思ったので使わせてもらいました。
ガンセキもゼドも通な飲み方はできません。ガンセキのが普通で、ゼドのはちょっと背伸びした感じだと思います。ようは楽しく飲めれば素敵ってことで。