第4話 事件の始まり
ミモザは、エクレールに弟子入りを申し込んだ。ルネの称号を持つ調香師の弟子になれば、調香師養成学校に通わずとも一人前の調香師になれるかもしれない。学費を工面できないミモザにとっては、またとないチャンスだった。
熱意を持って頼み込んだものの、エクレールの返答は素っ気ないものだった。
「弟子を取るつもりはないわ」
「そんなぁ……」
顔を上げたミモザは、眉を下げて情けない表情を浮かべる。ショックを受けていると、エクレールは至極まっとうなアドバイスをした。
「調香の勉強がしたいなら、王都にある調香師養成学校に通いなさい。貴方、今いくつ?」
「十五歳です」
「それなら来年から通えるじゃない」
やはりというべきか、調香師養成学校への進学を勧められてしまった。それができたら苦労はしない。学校に通わせてもらえない状況では、エクレールに頼る他なかった。
「家族からは、調香師になることを反対されているんです。私の家は、代々調薬店を営んでいるので、私も調薬師養成学校に通うように言われているんです」
「それならまずは親御さんを説得することから始めなさい」
そんなまっとうなことを言われたら、ぐうの音も出ない。ミモザが黙り込んでいると、エクレールは踵を返して立ち去ろうとする。
「じゃあね」
「あの、ちょっと!」
呼び止めたものの、今度は振り返ることなく立ち去って行った。
「行っちゃった……」
ミモザは呆然としながら、エクレールの背中を眺めていた。
◇
弟子入り計画は失敗に終わった。エクレールの言う通り、両親を説得して調香師養成学校に通わせてもらうしかなさそうだ。翌日も、どうやって親を説得しようかと延々と悩んでいた。
放課後、難しい顔をしながらメインストリートを歩いていると、ダンジョン管理局がやけに騒がしいことに気付く。
(あれ? 何かあったのかな?)
ダンジョン管理局が賑わっているのはいつものことだが、今日はいつもと様子が違う。開かれた扉の前で立ち話をする男達の顔には、困惑が滲んでいた。それだけではない。人混みの中には、怪我をしている者もいた。何かトラブルがあったのかもしれない。
少し離れた場所から様子を伺っていると、通行人から断片的に情報が入ってくる。
「ダンジョンの十五階層でモンスターが大量出現したらしいぞ」
「ああ聞いた。フレイムキャットだろ? 火を放つモンスターが大量に湧いたせいで、十五階層は火の海らしいな」
「負傷者も大勢出ているらしいぞ。それに十五階層より下に潜っている奴らは、まだダンジョンに取り残されているそうだ」
「おっかないねぇ。誰か腕っぷしの良い探索者はいないのか?」
会話の内容から、大体の状況が掴めた。ダンジョン内では、特定のモンスターが大量発生することがある。あらかじめ分かっていれば対処もできるが、モンスターの大量発生は前触れなく起こる。そのため予期せず巻き込まれて、被害に遭うことも珍しくない。
怪我を負ったとしても脱出できれば治療もできるが、ダンジョンに取り残されている人がいるというのは気がかりだ。モンスターは一度出現したら、自然に消滅することはない。誰かが退治しなければ、取り残された人々は外に出られないというわけだ。
どうやって対処するのかと事の成り行きを見守っていると、屈強な男達の中に見覚えのある人物が混じっていることに気付く。銀髪の美しい女性、昨日出会った調香師のエクレールだ。
エクレールは、堂々とした佇まいで屈強な男達の間を通り抜け、ダンジョン管理局の受付嬢のもとへ向かう。困惑する受付嬢に、エクレールは凛とした声で告げた。
「お代をいただけるのであれば、フレイムキャットの討伐を引き受けても構いませんよ」
ミモザは耳を疑った。エクレールは調香師だ。探索者ですら恐れをなすモンスターを相手にできるとは思えない。
そう感じたのはミモザだけではなかったようだ。周囲にいた探索者もギョッとした目でエクレールを見つめた。
「お嬢ちゃん、何者だ?」
大剣を携えた屈強な探索者から尋ねられると、エクレールは涼し気な顔で答えた。
「私は調香師のエクレールです」
調香師と聞くと、周囲にいた探索者はドッと笑い出した。
「調香師にモンスター退治ができるわけがないだろう」
「やめとけ、やけとけ。犠牲者が増えるだけだ」
男達の態度は失礼極まりないが、ミモザも概ね同じ意見だ。細腕の彼女が、剣を振るえるとは思えない。モンスターに襲われたらひとたまりもないだろう。せせら笑う男達を、エクレールが一瞥する。
「では、他にフレイムキャットの討伐に立候補される方はいますか?」
笑いが止まり、しんと静まり返る。エクレールは小さく溜息をつくと、よく通る声で伝えた。
「剣を振るうだけがモンスター退治ではありません。調香師には、調香師の戦い方があります」
エクレールは、再び受付嬢に視線を向ける。氷のような眼差しを向けられて、椅子に座っていた受付嬢は、びくんと肩を跳ね上がらせた。
「私にお任せいただけますか?」
「は、はい……」
エクレールの圧に押し負けたのか、受付嬢は表情を強張らせながらこくこくと頷いた。フレイムキャットの討伐を引き受けると、エクレールは颯爽と管理局の外に出る。そこでミモザと目が合った。
「あら、貴方……」
こちらの存在に気付いたところで、ミモザはエクレールに駆け寄る。
「話は聞きました。ダンジョンで大量発生したフレイムキャットを退治するんですよね」
「ええ、そのつもりだけど?」
「できるんですか?」
失礼を承知の上で尋ねると、エクレールは涼し気な顔で頷く。
「少々準備の時間が必要だけど、モノが揃えば可能ね」
「モノ?」
首を傾げていると、エクレールはふと考え込むように口元に細い指を添えた。
「そう言えば、貴方の家は調薬店だったわね。調合室を貸してくれない?」
「何をするんですか?」
ぱちぱちと瞬きをしながら尋ねると、エクレールは腕組みをしながらにやりと笑った。
「決まっているじゃない。調香をするの。モンスターを倒すための、とびっきりの香りをね」