第18話 恋する乙女の願い
事前に知らされた情報によると、今回の依頼人はアスター子爵家の令嬢、カリーヌだ。チョコレートブラウンの髪をシニヨンに纏め、頬にはアプリコットのチークを指している。唇はコーラルピンクの口紅で彩られていた。クリーム色のワンピースがよく似合う、お洒落で可愛らしい女性だ。
応接間で依頼人と対面すると、エクレールは淡々と話を進める。
「ご希望される香りを、具体的に伺ってもよろしいでしょうか?」
「は、はい」
にこりともせず話を進めるエクレールに怖気づきながらも、カリーヌは依頼に至るまでの経緯を語った。
「実は、幼馴染がもうじき王都を離れるのです。パティシエになって自分の店を持つために、隣国で修業することになりました」
ミモザは話を聞きながら、フレグランスノートにメモを取る。『幼馴染がパティシエになるために隣国へ旅立つ』と書いたところで、続きを語られた。
「彼は昔からお菓子作りが得意でした。彼の作るパウンドケーキは、それはもう絶品で!」
「それは興味深いですね~」
カリーヌが熱を持って話すものだから、ミモザもつい口を挟んでしまった。絶品のパウンドケーキの味を想像していると、カリーヌは嬉しそうに微笑みかける。
「フレッドは、一番街にあるカフェ・フランジュで働いているので、そちらに伺えば召し上がれますよ」
「そうなんですね!」
それは良いことを聞いた。ミモザが『カフェ・フランジュで美味しいパウンドケーキが食べられる』とメモを取ったところで、エクレールが「こほんっ」咳払いをする。
話が横道に逸れてしまった。気を取り直して本筋に戻す。
「フレッドの夢は、私も応援してあげたいんです。ずっと、傍で見てきたので」
カリーヌの話を聞きながら、ミモザは頷く。幼馴染の夢とあれば、応援してあげたくなるのが当然のことだろう。しかしカリーヌの表情は、次第に曇っていった。
「ですが、別の感情もありまして……」
カリーヌは言葉を詰まらせる。続きを待っていると、これまで黙って話を聞いていたエクレールが口を開いた。
「貴方自身のことも、忘れてほしくないのね」
カリーヌはソファから立ち上がり、テーブルから身を乗り出す。
「そうなんです!」
あまりの勢いに圧倒される。そこまであからさまな反応を見せられたら、色恋沙汰に疎いミモザでも察しがついた。恐らくカリーヌは、幼馴染であるフレッドに恋心を寄せているのだろう。
「カリーヌ様とフレッド様は、恋人同士なのですか?」
直球に尋ねるのは失礼かと思いつつも、現状を把握するために探ってみる。するとカリーヌは、ソファに座り直しながら力なく首を振った。
「いいえ。ただの幼馴染です」
「異国へ旅立つ前に、想いを伝えないのですか?」
自分のことを忘れてほしくないのなら、想いを伝えるのが手っ取り早い。遠距離とはいえ交際をしていれば、簡単に忘れられることはないだろう。しかしカリーヌの考えは違った。
「伝えません。出発前に余計なことを言って、彼を困らせたくないので」
「なるほど……」
その気持ちは、分からないでもない。想いを口にすれば、少なからず相手を動揺させる。これから異国で修業を積もうとしている状況では、ノイズになる可能性もある。
ミモザが納得しかけていると、カリーヌは恥じらうように俯き加減で言葉を続けた。
「……それに、告白は向こうからしてほしいんです」
カリーヌは熟れた林檎のように頬を染めている。その反応を見て、エクレールがキリッとした表情で頷いた。
「分かるわ。こっちから告白するなんて、負けたような気がするものね」
はっきりと言い切るエクレールを見て、カリーヌは大きく頷く。
「そうなんです! 告白は絶対に向こうからしてほしいんです!」
意気投合する二人を交互に見ながら、ミモザは苦笑いを浮かべた。
(駄目だ。全然分からない……)
恋愛経験の乏しいミモザには理解不能だった。好きなら好きとはっきり言えばいい。どっちから告白したかなんて些細な事だろう。
蚊帳の外に追いやられて小さくなっていると、エクレールが依頼内容をまとめる。
「要するに、異国へ旅立つ幼馴染に自分の存在を思い出してもらえるような香りをご所望とのことですね?」
「はい。可能でしょうか?」
カリーヌが尋ねると、エクレールは口元に手を添えながら考え込む。
「普段から愛用している香水があれば、思い出してもらうことも容易ですが」
それは一理ある。その人を象徴する香りがあれば、思い出してもらうこともできるだろう。しかしカリーヌは、目を伏せながら首を振った。
「私、普段から色々な香水を使っているんです。フレッドに会う時も色々な香りを纏っていたので、特定の香りで思い出してもらうのは難しいかと……」
「カリーヌ様には、うちのショップをご贔屓にしていただいていますからね」
その口ぶりから、カリーヌが常連であることを察した。
思い返してみれば、応接間でカリーヌと対面した時も、フローラル調の香りが漂ってきた。あれはイストワールで扱っている香水『ロマンスブーケ』だ。
色んな香水を持っているということは、カリーヌも香水好きなのだろう。そう考えると親近感が湧いてきた。
「では、この機会にカリーヌ様に相応しい香りを調香しましょう」
「私に、相応しい香り?」
カリーヌは、エクレールの言葉を繰り返す。きょとんと目を丸くするカリーヌを見て、エクレールは人差し指を立てながら解説した。
「世界三大美女としても知られる砂漠の国の姫、カミラは言いました。いい女は自分に相応しい香りを知っている」
思いがけず名言が飛び出したことで、ミモザとカリーヌは身構える。二人が興味を示したのを見て、エクレールは話を続けた。
「伝承によると、カミラは常にスズランの香りを纏っていたそうです。それは彼女の淑やかな雰囲気に馴染んだ香りでした。スズランはカミラの香り。周囲にそう印象付けたことで、人々はスズランの香りを嗅ぐだけでカミラの存在を思い出しました。その結果、カミラは生涯で400人の殿方から求婚されたという逸話が残されています」
「400人!?」
ミモザは思わず声を上げる。いくら美女とはいえ、400人から求婚されるなんて規格外だ。香りによる印象操作は、それほど強烈なものということなのか。圧倒されていると、エクレールはカリーヌと視線を合わせる。
「カリーヌ様も自分に相応しい香りを纏って、フレッド様の心を射止めましょう」
エクレールの言葉を聞くと、カリーヌは頬を赤く染めながら頷いた。
「はい。よろしくお願いします」
方向性が定まったところで、エクレールは一枚の紙を差し出す。
「カリーヌ様に相応しい香りを知るための、アンケート用紙をご用意いたしました。こちらもご記入いただけますか?」
「分かりました」
ミモザもさりげなく用紙を覗く。アンケートでは、自分に相応しい言葉や色、ファッションの系統、興味のあるものなどが問われていた。カリーヌは時折悩みながらも回答をしていった。
アンケート用紙の記入が終わると、その日の打ち合わせはお開きとなる。ミモザとエクレールは、ギルドの外まで出てカリーヌをお見送りした。
「ありがとうございました~」
ミモザが元気よく声をかけると、カリーヌは振り返って会釈をした。カリーヌが人混みに消えていったところで、隣にいたエクレールから何食わぬ顔で告げられる。
「それじゃあ、明日までにカリーヌ様にふさわしい香りを考えて、私にプレゼンしてちょうだいね」
「…………はい?」
思いがけない言葉に、ミモザは笑顔を引っ込めた。