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第17話 初出勤

『ソフィアちゃん、お元気ですか? 私は無事に王都に辿り着き、エクレールさんの所属する調香師ギルドに入会することができました。


 調香師ギルドとは、香りの専門家が集まって、お客様のお困りごとを解決する組織のことです。恋の悩みでも、心身の不調でも、モンスター退治でも、ご要望があれば世界中どこへでも駆けつけて、お客様の望む香りを調香します。


 私も早くみんなの役に立ちたいな。そのためにも、エクレールさんのもとで調香スキルを磨きます。

 今日は待ちに待った初出勤日。私、頑張るね! ミモザより』


 手紙を書き終えたミモザは、「よしっ」と満足そうに微笑む。ざっと読み返してから封等に入れた。


 王都マシヴァに来て、三日が経過した。調香師ギルドの入会テストを終えてからは、入寮手続きや仕事道具の調達といった準備期間に当てられた。


 故郷から離れた地で暮らすことには不安もあったが、エクレールやギルバートが気にかけてくれたおかげで、滞りなく準備を進められた。そして今日は、手紙でも書いた通り初出勤日だ。


 身支度を終えたミモザは、斜め掛け鞄を下げて寮から飛び出す。ポストの前で立ち止まると手紙を投函した。


(ソフィアちゃんにはいつ届くかな? 遠いから結構時間かかっちゃうかも)


 ポストの前で「無事に届きますように」とお祈りする。ソフィアの体調のことも気がかりだったが、いつまでも感傷に浸っているわけにはいかない。


 ソフィアとは、いつか一流の調香師になって戻ってくると約束した。そのためにも、エクレールのもとで調香スキルを磨かなければ。


「よーしっ、頑張るぞー!」


 ミモザは拳を高く突き上げて、気合を入れた。



 住宅の密集する五番街を抜けて、調香師ギルドのある一番街にやって来た。日中は賑わっている大通りも、早朝は閑散としている。通り沿いに立ち並ぶ店は、軒並みクローズの札が下げられていた。


 調香師ギルドも、まだ営業していない。お客さんがやってくるのは、もう少し日が昇ってからだ。それでも見習い調香師のミモザは、早朝に出勤してお客様を迎える準備をするように言われていた。


 朝の新鮮な空気を大きく吸い込んでから、ミモザはギルドの扉を開ける。


「おはようございます!」


 元気よく挨拶をするも、一階のショップには誰もいない。しんと静まりかえった店内に香水瓶が整然と並んでいるだけだった。


(エクレールさんは二階かな?)


 ミモザは店の奥にある階段を登る。二階にやって来ると、ギルバートの執務室から話し声が聞こえてきた。部屋の前まで駆け寄って、扉を叩く。


「おはようございます、ミモザです」


 声をかけたものの返事はない。部屋の中からはギルバートとエクレールの話し声が聞こえた。ミモザはそーっと扉を開けて、隙間から中の様子を伺う。


「エクレちゃん。前にも話したけど、うちのギルドは潤沢に資金があるわけじゃないんだ。無駄遣いはほどほどにね」

「すべて必要経費です。無駄遣いではありません」


 ギルバートが諭すも、エクレールはさも当然といわんばかりに反論する。その反応を見て、ギルバートは頭を抱えた。


「そうは言ってもさ、高速鉄道の一等車に乗るのはいかがなものか……。昨日、経理から遠征費用を報告されて、気が遠くなったよ」


 高速鉄道の一等車には心当たりがある。二人が話しているのは、ミモザ達がイサキの町から王都マシヴァに移動した時のことだろう。


 遠征の度に一等車を利用していたら、莫大な費用が掛かる。ギルバートが頭を抱えてしまうのも理解できた。しかしエクレールは、毅然とした態度で正当性を主張する。


「私、人混みの中にいると嗅覚が鈍るんです。三等車に何時間も籠っていたら、鼻が馬鹿になってしまいます。鼻は調香師の商売道具。それを守るのは必要経費では?」


 先日も似たようなことを言っていた。調香師は嗅覚を商売道具としているのだから、エクレールの言い分も理解できる。ギルバートがどのように反論するのか注目していると、頭を抱えながらぼやいた。


「はぁ……。同じルネでも、ミレイユは平気で三等車に乗っていたのになぁ……」


 その言葉を聞いた瞬間、エクレールは拳を強く握り締める。カツカツとヒールの音を立てて書斎机の前にやって来ると、バンッと机を叩いた。


「前任と比べるのは、辞めていただけます!?」


 物凄い剣幕で制されると、ギルバートの肩がびくんと跳ね上がった。


「あーあ、もう分かったから! 遠征費はこれで処理しておくから、そんなに怒らないで」


 エクレールの圧に押されて、ギルバートが白旗をあげる。このやりとりで、二人の上下関係が見えてしまった。

 ギルバートから遠征費の申請が降りても尚、エクレールは鬼の形相で迫っている。憐みの視線で見守っていると、不意にギルバートと目が合った。


「ああーっ! ミモザちゃん、おはよう! 今日が初出勤だったねー!」


 ギルバートはわざとらしく明るく振舞って、ミモザに声をかける。話題を変えようとしているのは見え見えだった。ミモザは、そーっと扉の影から姿を現す。


「お、おはようございますー……」


 ミモザが入出すると、エクレールが振り返る。先ほどまではヒートアップしていたエクレールだったが、ミモザの姿を見ると冷静さを取り戻した。


「おはよう、ミモザ」


 エクレールの怒りが収まったことで、ギルバートはホッと胸を撫で下ろす。それからエクレールに気付かれないように、「ありがとう」と口の動きだけで感謝していた。


 涼し気な表情を浮かべるエクレールと、両手を擦り合わせるギルバートを交互に見ながら、ミモザは苦笑いを浮かべた。


「えーっと、今日からよろしくお願いします」



 挨拶を済ませた後は、エクレールの指示のもとショップの開店準備を始める。それが終わると、ショップとは別の棟にある調香室に案内してもらった。


 調香室には、広い作業台が設置されており、台の上にはビーカーやスポイトなどの器具が並んでいる。部屋の前方には黒板もあって、理科室みたいな空間だ。


 入口に立って室内を眺めていると、エクレールから衝撃的な事実を知らされる。


「ここは私専用の調香室だから。好きに使っていいわよ」

「専用の調香室があるんですか!?」


 驚きのあまり大声を上げる。調香師ギルド『イストワール』には、八名の調香師が在籍していると聞いている。てっきりみんなでひとつの調香室を使うと思っていた。


「他の香りが混ざった部屋だと、正しい香りを作れないからね。まあ、これもルネの特権といえるわ」


 一流の称号を与えられたルネであれば、専用の調香室を用意してもらえるということか。天才は待遇が手厚いのだなぁと感心してしまった。するとエクレールは、調香室の奥にある扉を指さす。


「こっちは精油の保管庫よ」

「精油の!?」


 その言葉だけでワクワクしてしまう。きっとパラダイスのような場所に違いない。


「見てみたいです!」

「いいわよ、ついて来て」


 浮足立った気持ちのまま保管庫に案内された。


 保管庫の中は薄暗く、カーテンが閉められている。調香室と比べると空気がひんやりしていた。品質を保持するために冷暗所で保管しているのだろう。


 周囲を見渡すと、木棚に精油の小瓶がずらりと並んでいた。その数は、ミモザが集めていた精油よりも遥かに多い。


「色んな種類の精油があるんですね」


 ミモザはキラキラした瞳で精油を眺める。ざっと見たただけでも300種類はありそうだ。


 ラベルにはそれぞれの精油の名称が記されている。ラベンダーやネロリなどのお馴染みの精油だけでなく、もとの世界には存在しない精油もあった。恐らくこの世界にしか生息していない植物から抽出したものだろう。


「ここにある精油は、好きに使っていいから」

「本当ですか!?」


 思っていた通り、パラダイスだった。

 保管庫を出てからは、白衣に着替えたエクレールから本日の予定を聞かされる。


「午前中は、イストワールで扱っている精油と香水について教えるわ。午後からはお客様との打ち合わせがあるから同席してちょうだい」

「同席していいんですか!? ありがとうございます!」


 まさか初日から打ち合わせに同席できるとは思わなかった。オリジナルの香りを作り出すまでの流れを見学できると考えるとワクワクする。


「どのような香りを調香するのか、とても興味があります!」


 拳を握って訴えると、エクレールは表情を緩ませた。


「貴方、香りのこととなるとイキイキするのね」


 改めて指摘されると、気恥ずかしくなる。子供っぽいと思われてしまっただろうか? 「あははは……」と照れ笑いを浮かべていると、エクレールは腕組みをしながら目を細める。


「好きで居続けることも才能よ。その気持ちを大事にしなさい」


 そんな風に言われたのは初めてだ。実家にいた頃は、好きでいること自体を否定され続けて来たからだ。

 才能というのは大袈裟かもしれないが、エクレールの言葉は自信に繋がる。香りが好きという気持ちなら、誰にも負けない。


「はいっ!」


 ミモザは輝くような笑顔を浮かべながら、元気よく返事をした。


 スケジュールを確認した後は、白衣に着替え、金色の長い髪を後ろでまとめた。身支度を整えただけだが、自分も本物の調香師になれたような気がした。


 その後は予定通り、精油の種類やギルドで販売している香水について教えてもらった。常人であれば頭がパンクしそうな情報量だが、ミモザは香りに関することならいくらでも覚えられた。


 あっという間に午前の就業時間が終わり、昼休憩に入る。昼過ぎには、予定通りお客様がやって来た。


 フローラル調の香りを纏いながら、可愛らしい女性が応接間に入室する。仕立てのよいワンピースに、化粧を施した二十代前半とみられる女性だ。革張りのソファに腰を下ろすと、恥ずかしそうに頬を赤らめながら口を開いた。


「忘れられない香りを、作っていただきたいのです」

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