第12話 旅立ちの朝
故郷を発つ日の朝、ミモザはオルコット家に訪れていた。ベッドで座るソフィアに、町を離れるようになった経緯を報告する。
「そっか。ミモザちゃん、香りのお勉強をするために王都に行くんだね……」
ソフィアは寂しそうに目を伏せる。
エクレールの弟子となったミモザは、王都マシヴァへ向かうことになった。王都には、エクレールが所属する調香師ギルドがある。そこを拠点として調香の勉強をすることになった。
「調香師ギルドに所属したら、エクレールさんと一緒に依頼を受けるんだ。ギルドで働けば報酬も手に入る。そのお金で調香師養成学校に通うつもり」
「ギルドで働きながら学費を稼ぐってこと?」
「そういうこと。エクレールさんに才能を認めてもらったとしても、うちの親が学費を出してくれるとは思えないからね。親に出してもらえないなら、自分で稼ぐしかないんだ」
できる限り悲壮感を滲ませないように明るく宣言する。そんなミモザに、ソフィアは尊敬の眼差しを向けていた。
「凄いなぁ。ミモザちゃんは」
「そんなことはないよ」
ひらひらと手を振って謙遜していると、ソフィアがミモザの両手を握り締めた。
「ミモザちゃんとお別れするのは寂しいけど、私、応援しているから。頑張ってね」
ソフィアからの応援で、身体の奥底からエネルギーが沸き上がってくる。こんな風に、自分の夢を誰かに応援されたのは初めてだ。ソフィアの期待に応えるためにも、精一杯頑張りたい。
「うん。頑張るよ」
意気込みを伝えながら、ソフィアの手をぎゅっと握り返した。町を離れることを伝えたところで、もう一つの用件を思い出す。
「そうだ、これをソフィアちゃんにあげる」
ミモザは鞄から木箱を取り出して、ソフィアに差し出した。
「なあに、これ?」
「開けてみて」
ソフィアがゆっくりと蓋を開けると、ハッと息をのむ音が聞こえた。
「これ……ミモザちゃんが大事にしていたものでしょう?」
木箱に入っていたのは、机の引き出しにしまっていた精油だった。十種類以上の精油が、木箱に収まっている。戸惑うソフィアに、ミモザは柔らかく微笑む。
「これはソフィアちゃんに持っていてほしいんだ」
「そんな、悪いよ……。香りの勉強をするなら、これからも必要になるでしょう?」
「調香師ギルドに入ったら、ギルドで仕入れた精油を使うんだって」
エクレールからは、調香に必要な材料はすべてギルドで揃えると説明された。だからミモザの集めていた精油は持っていく必要はない。
机の引き出しに残しているよりは、ソフィアに使ってもらう方がいい。退屈な毎日に、少しでも彩りを与えられたらと願っていた。
依然として戸惑いの色を浮かべるソフィアに、ミモザは翠色の瞳を輝かせながら告げる。
「いつかエクレールさんみたいな一流の調香師になって戻ってくるから。それまで待っててね」
これは永遠の別れではない。いつか一流の調香師になったら、この町に戻ってくるつもりだ。だから泣く必要などない。それなのに、ソフィアの瞳には涙が滲んでいた。
「うん、待ってる。ミモザちゃんが戻ってくるまでに、私も頑張って病気を治すから」
すんと洟を啜りながら訴える。前向きな言葉を聞いて、ミモザは目を細めながら柔らかく微笑んだ。
「お互い頑張ろうね。向こうに付いたら手紙書くから」
「うんっ!」
ミモザの笑顔につられるように、ソフィアも頬を緩ませる。約束を交わしてから、ミモザはオルコット家を去った。
大きな鞄を下げながら町の外へ繋がる門まで歩いていると、エクレールとロイの姿を見つける。ミモザは歩くペースを速めて、二人のもとへ向かった。
「お待たせしました!」
ミモザは元気よく声をかける。近くまでやって来ると、エクレールに淡々とした口調で尋ねられた。
「お別れは済んだの?」
「はい」
ミモザは頷く。家族との別れも既に済ませてある。母と兄は相変わらず不服そうな顔をしていたけれど、最終的には何も言わずに送り出してくれた。
父は「身体に気を付けるんだぞ」と、ミモザを気遣うように声をかけてくれた。それだけでなく、十分過ぎるほどのお小遣いも持たせてくれた。反対はされたものの、最終的には送り出してくれたことには感謝している。
家族との別れを思い出していると、エクレールは一冊のノートをミモザに差し出した。
「これを渡しておくわ」
「ノートですか?」
差し出されたノートを受け取る。こげ茶色の表紙には何も書かれておらず、新品だった。一般的なノートよりもページ数が多くて分厚い。まじまじと見つめていると、エクレールが説明をした。
「これはフレグランスノート。ここに香りのレシピを記録しておきなさい」
説明を受けると、ミモザは合点がいったように頷く。そういえば、エクレールも同じようなノートを持っていた。フレイムキャットを弱体化させるアロマ水も、ノートに記されたレシピを頼りに調香していた。
「使用した精油の種類や分量を記録するってことですね?」
「そう。このノートは、いずれ貴方の財産になるはずだから」
エクレールの言葉を聞いて、ミモザは大切そうにノートを抱きしめる。
「分かりました。さっそくこの前調香したレシピも記録しておきますね!」
元気よく告げると、エクレールは目を細めながら微笑んだ。
「詳しいレシピは後で教えるわ」
「はいっ!」
ミモザは晴れやかな笑顔を浮かべながら返事をした。すると馬車を捕まえたロイが大きく手を振る。
「おーい、そろそろ行きましょうよー」
「ええ、そうね」
エクレールは、涼し気な顔で馬車に向かう。ミモザはその背中を追いかけた。
「待ってくださいよ~」