第10話 ダンジョン探索って楽しい
細い通路には、地面を這うように炎が広がっている。歩いているだけでも汗が吹き出すほど、熱気に包まれていた。ミモザは服が燃えないように炎を避けながら先を急ぐ。
角を曲がったところで、フレイムキャットを発見した。今度は五体だ。
「いました!」
ミモザが合図をすると、エクレールが後方で詠唱を唱える。風が巻き起こると、周囲にフルーツの香りが広がった。同時にフレイムキャットはふにゃふにゃと力が抜けたように床に寝そべる。
「おお! これなら楽勝っすね!」
「はいっ! 私でも倒せます!」
ロイとミモザで手分けして五体のフレイムキャットを討伐する。パタパタと叩いて討伐をすると、魔法石とシベットが出現した。
「魔法石ゲットです!」
「シベットは、エクレールさんに預ければいいっすか?」
「ええ、こっちで回収するわ」
サクサクとアイテムを回収して、先へ進む。その後も弱体化したフレイムキャットを次々と討伐していった。
最初はモンスターに怯えていたミモザも、こうもサクサク進むと楽しくなってくる。
「ダンジョン探索って楽しいですね! 素材集めもできるし、お小遣い稼ぎにはちょうど良さそう」
ミモザが何気なく口にすると、隣を歩いていたロイが苦々しい表情を浮かべながら首を左右に振る。
「いやいや、こんなに上手くいっているのは、エクレールさんのおかげだから。普段はもっとおっかない場所だから、一人で潜るのはおすすめしないぞ」
ロイの言う通りだ。エクレールの調香したアロマ水がなければ、今頃ミモザは丸焦げになっていただろう。やはりダンジョンは、特別な力を持つ者だけが来られる場所のようだ。
順調にモンスターを討伐しながら進んでいると、五匹のフレイムキャットに追い詰められている中年男性の探索者を発見する。壁際に追い詰められた探索者に、フレイムキャットが牙を剥いていた。すぐにエクレールが風を吹かせて、フレイムキャットを弱体化させる。
へろへろと床に倒れていくフレイムキャットを見て、追い詰められていた探索者はホッと安堵の表情を浮かべた。
「いやはや、助かりました。もう駄目かと思いました」
救助された探索者は、深々と頭を下げる。ミモザとロイが恐縮していると、エクレールがトランクケースから小瓶を取り出して二人の前に出た。
「ご無事で何よりです。私は調香師ルネのエクレールと申します。ここは危険ですから、外へお逃げください。この香りを纏っていれば、モンスターと遭遇することなく外に出られますから」
「おお、それは助かります。ちょうど水魔法が枯渇して困っていたところだったので」
どうやら彼は、水魔法の使い手のようだ。おおかた水魔法でこの騒動を収めようとしたところ、途中で魔力が尽きてしまったのだろう。
エクレールは探索者の手首にモンスター避けの香水を吹き付ける。スーッとした香りを纏った探索者は、もう一度頭を下げた。
「ありがとうございます。このご恩は忘れません。後日、調香師ギルドへお礼の品を贈らせていただきますね」
そう告げると、探索者はダンジョンの外へと駆けて行った。
ミモザは一連のやりとりをぽけーっと見守る。その一方で、ロイは呆れたような表情を浮かべていた。
「今、あからさまに恩を売っていませんでした? わざわざ名前まで名乗って……」
「気のせいよ」
涼し気な顔で答えるエクレールを眺めがら、ロイは複雑そうに目を細めていた。
その後もフレイムキャットを討伐しながら通路を進んでいくと、開けたエリアに出る。そこには、大量のフレイムキャットがひしめき合っていた。ざっと見ただけでも百体はいそうだ。ただの猫だったら可愛らしいが、炎を纏っているせいで迂闊に近付くことはできない。
「ロイさん……この中をよく突破できましたね」
「だから死ぬかと思ったって言ったんだ」
一歩足を踏み入れただけでも丸焦げになりそうだ。想像しただけでもゾッとした。
フレイムキャットの群れの先には、下の階層へ繋がる階段がある。そこには大勢の探索者が立ち往生していた。
モンスターは原則階層間の移動はしないため、十五階層に足を踏み入れなければフレイムキャットに襲われることはない。しかし、十五階層を通らなければ上の階層にも移動できないため、下層に潜っていた探索者は階段で足止めを食らっていたというわけだ。
「下層にいた探索者も無事みたいね。さっさと片付けてしまいましょう」
「「はいっ」」
ミモザとロイは、気を引き締めながら返事をした。ミモザは広間の入り口に近付き、アロマディフューザーから蒸気を漂わせる。その背後から、エクレールが風魔法を放って香りを充満させた。
すると、前方にいたフレイムキャットから順々に弱体化していく。すべての個体に効いたわけではなかったが、ひとまずは弱った個体から討伐することにした。
「どんどん倒していきましょう」
「だなっ」
ロイと手分けしてフレイムキャットを討伐していく。何体目かの個体を討伐した後、見たことのない素材がドロップした。魔法石でもシベットでもない。ふわふわとした斑模様の布だ。
「エクレールさん、これなんですか?」
「フレイムキャットの毛皮ね。高級素材だから高く売れるわよ」
高く売れると聞いて、ミモザは目を輝かせる。これは思わぬ収穫だ。
レア素材を手にしてウキウキしていたところで隙が生まれた。背後から忍び寄るフレイムキャットの気配にミモザは気付かなかった。
「危ない!」
フレイムキャットが牙を剥いて、ミモザに襲い掛かる。寸でのところで、ロイが間に入った。
初手の攻撃は剣で食い止めたものの、フレイムキャットは素早い動きでロイの頬を引っ掻く。頬からは、ジワリと鮮血が滲んだ。
「ロイさんっ!」
「くっ……大丈夫だ」
血を流しながらも、ロイは戦闘態勢を崩さない。フレイムキャットが引いたところで、ロイが反撃した。
炎が燃え盛る身体に、剣を突き刺す。すると、フレイムキャットは白い光に包まれて消滅した。討伐は成功だ。
ロイが「はあぁ……ビビったぁ」と心臓を押さえているところに、ミモザが慌てて駆け寄る。
「ロイさん、ごめんなさい! 私が油断していたせいで!」
ロイの頬からは、血が滲んでいる。周囲の皮膚も火傷を負っていた。痛々しい傷を見て、ミモザはサッと青ざめた。自分のせいで怪我を負わせてしまった。罪悪感に苛まれていると、ロイは親指で血を拭って冗談めかしく笑った。
「背中の傷だったらダセェけど、顔面ならセーフっしょ!」
ロイはまるで気にしていない素振りを見せる。天然なのか、ミモザを気遣って明るく振舞っているのかは分からない。だけど明るい笑顔を見ていると、罪悪感が薄れていった。
とはいえ、このままで良いはずがない。ミモザは鞄から白いハンカチを取り出して、ロイの頬に当てた。
「素手で触ったら雑菌が入ってしまいます。これで拭いてください」
「おお……ありがとう」
ロイは驚いたように目を丸くしながらお礼を口にする。本当は傷口を消毒すべきだけど、今は必要な道具が揃っていない。ダンジョンから出たら、実家の調薬店で消毒をして傷薬を塗ろう。傷口をハンカチで抑えながら、その後の手当について考えていると、背後にいたエクレールが呆れたように口を挟んだ。
「イチャイチャするのはその辺で終わりにして、さっさとフレイムキャットを討伐してもらえるかしら?」
「い、イチャイチャなんてしてねーっすよ!」
振り返ったロイは、顔を真っ赤にしながら叫んだ。
気を取り直して、フレイムキャットの討伐に集中する。ミモザはダンジョンの中心部に立って、香りの蒸気を充満させた。エクレールの風魔法で空気を循環させると、広間全体がフルーツの香りで満たされる。すると、広間にいたすべてのフレイムキャットが床に寝そべった。
「さあ、早く討伐して外に出ましょう」
エクレールの言葉を合図に、弱体化したフレイムキャットを順々に討伐していく。パタパタと叩いて倒す度に、魔法石やシベットなどの素材がドロップした。素材も忘れずに回収していく。
フレイムキャットを次々と倒していくミモザ達の様子は、他の探索者もばっちり見ていた。
「なんだあれ……。凶悪なフレイムキャットが急に大人しくなったぞ……」
「戦闘を交えることなく一掃するなんて、信じられん……」
「あいつら、何者なんだ……」
エクレールは、圧倒されている探索者達に視線を向ける。するとコツコツとヒールを鳴らしながら彼らに近付いた。目の前までやって来ると、紺色のスカートの裾を掴んでお辞儀をする。
「私は、調香師ルネのエクレールと申します。お困りごとがあれば、何なりとお申し付けください。香りの力で解決します」
礼儀正しくお辞儀をする姿からは、貴族の令嬢のような品格を感じさせた。その様子を眺めていたロイは、呆れたように苦笑いを浮かべる。
「営業活動に余念がねえのなっ」
こうしてエクレールの調香スキルにより、大量発生していたフレイムキャットは一掃できた。これでクエストは達成だ。
さらにダンジョンから脱出する際には、探索者にモンスター避けの香りを分け与えた。そのおかげで、ダンジョンに取り残されていた探索者は、モンスターとの戦闘を交えることなく地上へと戻ることができたのだった。