第4話 蝕む病魔
伊月のギブスが取れてから約2ヶ月。
快適な入院生活を取り戻した私はそわそわと病室の入り口あたりに視線を向けては逸らし、また向けては逸らすを繰り返していると病室の扉が開く。姿を見せたのはスポーツウェア姿の伊月だ。
「浅木! お待たせ!」
「遅い!」
「しょうがないだろ。メディアから見つからないように最近はこっそり裏口から入れてもらってるんだぞ? それにしてもまだ6月なのに暑いな……俺、夏苦手だから嫌だな~」
「ふーん……じゃあなんの季節が好きなの?」
「春! 3月は風が気持ち良くなるし、4月は新たなスタートって感じで気合いが入る。それに5月に降る雨ってなんか良くない?」
「なにそれ」
私はクスッと笑みを浮かべる。私が笑った事が嬉しかったのか、伊月も笑顔を浮かべた。
「じゃあ早速……いつもの時間と行きますか」
開いた折りたたみ式のパイプ椅子に腰を下ろした伊月の足には、すでにギブスは無い。
彼は先日退院したのだ。本来ならばこの病院に来る用は定期検診以外ないはずだが……何故か毎日私に顔を見せにくる。いつも土産を持って。
癪だが正直なところ、この時間は私の最近の楽しみでもあった。
「今日は何?」
「今日は超人気店のケーキだ!」
伊月が土産として持ってきた箱の封を開けると、箱を少々傾けて中身を私に見せる。そこには苺のショートケーキが2つ。私はごくりと唾を飲み込んだ。
「早く! 早く食べよ!」
「まぁ急かすなって。ほらフォーク」
伊月がベッドに備え付けられた机の上にショートケーキを置く。
私が伊月を心待ちにしていた理由はこれ。彼が持ってくる茶菓子が楽しみなだけ、決して伊月自身を待っていたわけじゃない。
そう自分に言い聞かせながら私はフォークでケーキを口に運ぶ。
苺の酸味と濃厚な生クリームが絶妙にマッチしていて、とても美味だ。
「うーん……さいっこう!」
「ははは! 相変わらず浅木って本当に美味そうに食べるな!」
「……うっさい! ケーキの上の苺よこせ!」
伊月の返答も聞かず、私は伊月のケーキから、ショートケーキのシンボルとも言える苺を強奪してすぐさま口に放り込む。
「あぁっ!? 俺の苺!!」
ショックを受ける伊月に構わず、私が残りのケーキを食べようとした瞬間、突如フォークを持っていた右手が痺れ、そのままフォークを床に落としてしまった。
「おいおい……なにやってんだよ? ほら、俺のフォーク。まだ口つけないから」
伊月が私にフォークを差し出す。私はフォークを受け取ろうとしたが、またしてもフォークを落としてしまう。すると、伊月もなにか異変を感じ取ったようだ。
「……浅木、その手……」
伊月が見つめる私の手は尋常じゃないほど震えていた。
「あぁ、でちゃったか」
落ち着いた様子で震える右手を見つめる私に反して、伊月は取り乱した様子で立ち上がった。
「大丈夫かっ!? 先生呼んでこようか!?」
「ううん大丈夫。よくある事だから」
「もしかして……それが浅木が入院した原因なのか?」
私は震える右手を左手で抑えながら、伊月の問いに小さく頷く。
「うん……私の病気ね、神経がどんどん機能しなくなるんだって。今は時折手にしか症状は出ないけど、どんどん酷くなってるのはわかるんだ。次第に歩けなくなって、呼吸もできなくなる。最後に心臓が止まって私の人生は終わるの」
自分の病気の事など家族を除けば誰にも話した事はない。それなのに伊月には自分の行く末をペラペラと話してしまう。話を聞いた当の伊月は悲し気な表情を浮かべた。
「そんな……治るんだよな?」
「確率は1%以下だって、無理だよ。だから私、もう諦めてるの」
現実的でない確率に希望を見出せるほど、私は勇気ある人間ではない。ただ、目の前の伊月は違うようだ。
「駄目だっ! 弱きになるなよ!」
「……未来ある君はそう言えるよね。私にはもう何もない。君は知ってるよね? 中学時代の私がどんな人間だったか」
「知ってるよ……俺は浅木と3年間同じクラスだったし」
「じゃあ私がやった事も、もちろん知ってるでしょ?」
過去の自分を思い出す。あの輝しくて、何もかもが充実していたあの頃の自分を。