第13話 天音
若き英雄が濁流にのまれながらも人の命を救ってから数年後、とある大きなコンサートホールには長蛇の列が出来ていた。
音楽で高みを目指す者であれば誰もが1度は夢見るこの会場では、本日大きなピアノのリサイタルがある。主役は黒のドレスを身に纏い、胸の辺りに1輪の青い薔薇が添えられ、青みがかった髪を結い上げた私。楽屋には差し入れである茶菓子や花束が多く並んでいる。
ついにここまで来たんだ……。
不思議と緊張は感じない私が目を瞑ながら、集中力を研ぎ澄ませていると楽屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
「失礼しまーす! 浅木さん、スタンバイお願いします!」
「わかりました」
楽屋を出た私は会場へ移動する。
暗い通路を通り、ステージの袖で待機していると開演のブザーが鳴った。
ステージが暗転する。すべての準備が完了した事を確認したスタッフからの合図で私はステージに上がると、一筋スポットライトの光が私を照らした。
同時に観客達から大きな拍手が送られる。ピアノ椅子の手前で観客席を向き、一礼をする。
頭を上げると、満員かと思われた観客席の最前列中央、最も私の演奏を近くで見られる席の1つが空席である事を確認した。
しかしその席はただの空席ではない。背もたれにはサムライブルーのユニフォームがかけられている。
背番号は20、その少し上に彼の名。あれは彼が私にプレゼントしてくれたユニフォームだ。
これは私が運営に頼み込んでやってもらったこと。本来座るはずだった彼の為に特等席をとってもらったのだ。
……見ててね。
心の中で呟いた私がピアノ椅子に腰掛け、鍵盤に指を置く。
もう指は震えない。どうか彼に届くようにと願いを込めて開催されたこのリサイタルのタイトルは――天音。
静寂の中、ピアノの旋律が響き渡り始める。
楽曲は君との思い出の曲。中学最後の文化祭で弾けなかったあの合唱曲だ。
指が鍵盤の上で踊る。ミスなど欠片も無い美しい音色が会場を包み込む。
どう? 私の演奏、そっちまで届いてる?
瞳を閉じて心の中で君に問いかける。
今生きていられるのも、ピアノを弾けるのも全部……全部君のおかげ。
演奏がフィナーレへ差し掛かる。ピアノが揺れるほどの力で奏でる。君が安心して向こうで過ごせるように。
だから――。
演奏が終わる。すると観客は総立ちで、スタンディングオベーションで私を讃える。私も立ち上がって観客に一礼で応える。
その時だった。
最前列中央、サムライブルーのユニフォームをかけた座席で観客に混じって私に拍手を送る人影が見えた気がした。
他の観客と同じように拍手をする満足そうな彼はずっと私が見たかったあの笑顔を見せる。
相変わらず、むかつくね。でも……。
私は彼の笑顔に微笑み返した。
「――ありがとう」
今作ここで完結となります。
ご拝読、ありがとうございました。
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