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第11話 眠る君


 先日まで降り続いた大雨が嘘のように、雲一つない快晴が広がる。

 蝉達の命を削る声に包まれながら、伊月の葬儀は身内だけで行われた。

 皆が伊月との別れに涙する中には喪服を着た私の姿もある。彼の両親から「良ければ息子を最後に送ってやってくれ」と葬儀に参列させてもらったのだ。

 

 伊月の死には国内のみならず、世界中が悲しみに暮れた。


 降り続く大雨で川が氾濫、君はそこで逃げ遅れた親子を助けるため1人濁流へ飛び込んだ。

 君の勇気ある行動のおかげで親子は助かった。しかしその直後、君は更なる波に飲まれ、次に見つかった時には力尽きていたそうだ。


 喪服を着た参列者達が次々と棺桶で眠る伊月に白の別れ花を供えていく。もちろん全員が喪服を着ているため、伊月の棺桶はまるで黒い蕾に包まれているようだ。

 順番が回ってきた私も同じように他の人と同じように棺桶を覗く。人々が供えた白く美しい別れ花に囲まれた伊月はとても安らかな表情だった。


 その時、本当に彼は死んだのだと理解した。

 私はまるで人形のように感情を失った瞳で伊月を見つめる。言いたい事はいっぱいある。しかし胸の中で葛藤する1つの想いが私の口を固く結ぶ。


 私にとって君は……本当にどうでもいい存在だったのかもしれない。

 だって……君が死んだとニュースで知っても、今こうして目の前で息をしてない君を見ても、涙1つ流れないのだから。


 私は何も言わず、他の人と違う花を伊月に供える。


 伊月を優しく囲む白の中に一輪の青が生まれる。私が供えたのは彼が私のために用意してくれたあの丘の薔薇、病室で花瓶に刺してあった一輪だ。

 すると私の行動に周囲からしっ責の声が聞こえる。どうやらマナー違反だったようだ。


 でも……そんなことはどうでもよかった。


 結局、伊月とは最期の言葉も交わす事なく、葬儀が終わると迎えに来た両親の車に乗り込む。車は病院とは全く逆の道へ進んだ。

 今日私が帰るのは病院ではない。「せっかくだから実家で落ち着いてきなさい」という事で病院側が今日限りの帰宅を許してくれたのだ。

 道中、両親は私に何度も話かけてくれていたと思うけど、内容は何ひとつ覚えてない。


 やがて約1年振りの我が家へ帰った私はそのまま自室へ戻る。

 室内は綺麗に保たれている。きっと両親が毎日掃除してくれているのだろう。


 勉強机にセミダブルサイズのベッド……棚には数々のコンクールで受賞した賞状やトロフィー。そして……私の生き甲斐でもあったグランドピアノ。


 もうピアノは弾かないから売るなり捨てるなり好きに処分してって言ったのに……。


 じっとピアノを見つめる。 このピアノは私の人生の中で最も時を共にした相棒だった。きっと私の涙を1番多く見ているのも家族ではなくこのピアノだ。


 このピアノを弾けば……。


 なにを思ったのか私はピアノ椅子を引き出して、腰を下ろす。そのまま鍵盤蓋を開き、綺麗な真っ白い鍵盤の3音を押す。


 懐かしさすら覚える室内に響く和音。調律も狂っていない。


 もう弾かない。触れる事も無いと思っていた。


 私は両手を鍵盤に置く。そして……ある曲を奏で始める。文化祭で最後に弾くはずだったあの合唱曲だ。

 室内は心地良いピアノの音色に包まれるが病気のせいか、それともながらくピアノを弾いてこなかったブランクか……はたまたそのどちらもか、私の指はミスを繰り返す。


 しかしどれだけミスを重ねようとも演奏は止めない私の脳裏には当時の光景が蘇る。何度も話し合いを重ねた指揮者の指揮に合わせて伴奏する私と歌うクラスメイト。その中で私はふと男性パートの方を見る。そこには君もいる。


 ふと我に返る。しかし私の目に色は戻らない。視界は滲まない。


「……やっぱり流れないや」


 ポツリと呟いた私はそのまま手を止めず、奏で続ける。すると声が聞こえた気がした。

 

「約束、守ってくれたんだ」


 そうだよ……ほら、君が望んだ通り……私はまたピアノを弾いてるよ。かなり下手になっちゃってるけど。


 目を瞑る。瞼の裏に君の笑顔が蘇る。

 そしてまた声が聞こえる。「こんなもんじゃないだろ?」と。


「……うっさい。黙って聞いてて」

 

 演奏は激しさを増す。強弱なんて関係ない、乱暴にすら見える程、鍵盤を強く叩く。

 

 指が思うように動かない、腕も疲れた。汗がしたたり落ちる。

 しかし私が奏でる演奏は確かに熱を帯びる。


 瞼の裏で君はまた笑う。「やっぱり浅木はすげぇや」


「何言ってんの? これからなんだから……」


 演奏はフィナーレに差し掛かる。


「だから……見てなさいよ。私の生き様を」


 8月某日。煩い蝉達が命を歌う中、私が枯れた涙の代わりに必死に奏でたのは君への鎮魂歌だったのだろうか?






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