私は桜の花が嫌い
芳子様が逮捕及び処刑された日の琴葉ちゃんの話です。スピンオフです。
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1948年3月25日
「はるこお姉様、ちょっと出掛けて来るわ。」
午後昼下がり。琴葉は麻の着物にもんぺで外に出ると街中を歩く。横浜の街並も歩く人の姿もすっかり変わった。
琴葉が子供の頃は西洋建築の建物が並び洋装のブティックもあり西洋人の姿もあった。姉のはるこが百貨店のショーウィンドウの赤い靴を気に入って買いに行くのに着いて行った事もある。
女学生になると白い丸襟のブラウスにグレイのジャンパースカートという洋装の制服で英語やフランス語を学んでいた。
しかしそれも戦争により一変。西洋は敵国。琴葉の女学校の外国語教師達も敵性語排除令により帰国。異国への憧れは遠い夢物語となった。
戦況の悪化により陸軍の大尉であった父とその部下である姉の夫は出征。琴葉は母の実家がある秋田に母、姉のはるこ、そして使用人数名と共に疎開していた。
3年前の1945年。終戦後再び琴葉達は横浜に戻ってきた。そこにあったのは異国情緒漂う街並みではなく一面の焼け野原であった。
琴葉達が住んでいた家は全焼。戦争によって何もかも失ったのだ。1つを除いては。
「あら。」
琴葉の髪に何かが落ちてくる。手で髪に触れる琴葉。そこには桜の花びらが1枚あった。
頭上を見上げると桜の並木道だ。
「ここにある桜の木だけは変わらないのね。」
家も街も全て空襲でなくなった。しかし桜の木だけはなくならなかった。
琴葉は並木道を通り百貨店へと足を急ぐ。
「すみません、予約した園寺です。」
琴葉は百貨店の美容室に入る。横浜駅と隣接した百貨店の一部は空襲で焼けたが昨年再建築された。再びかつての華やかで異国の香りが広がる街並みが少しずつではあるが戻りつつある。
「園寺様、お待ちしておりました。」
店員が琴葉を店の中に案内する。琴葉は赤地の着物に着付けてもらい髪を結ってもらい最後に化粧を施してもらう。
姿見には華やかに着飾った自分自身が写る。戦争中は西洋だけでなく贅沢も敵。質素な身なりばかりを強いられていた琴葉の生活にようやく華やいだ物が返ってきた。
「園寺様、写真館の方がお見えになりました。」
琴葉は美容室の店員に連れられ百貨店の外に向かう。
先ほど歩いた桜の並木道にカメラマンが待機していた。琴葉は桜の木の下に立つと写真撮影が始まる。
琴葉が成人した昭和19年は戦況が酷く成人式は行われなかった。戦争の爪痕が残りつつあるも生活が落ち付いてきた今写真だけでも残そうと思ったのだ。
「園寺さん。」
カメラマンが野原に咲いてる赤い薔薇を見つける。カメラマンは琴葉に赤い薔薇を渡す。
「こちらを持って撮影しませんか?」
「芳子様」
琴葉は呟く。赤い薔薇を手に取ると少女の頃の思い出が甦る。
琴葉が戦争で失ったものはもう1つあった。
3年前の1945年10月。日本が終戦を迎えた2カ月後琴葉は新聞の一面を飾ったニュースを目にした。
「川島芳子 北京で逮捕」
それはなき中国の王朝に生まれ、王朝復活のために日本軍に協力した男装の王女の記事であった。琴葉は女学生の頃この人と友達だった。いや、琴葉は友達以上に慕っていた。
「琴葉、何をしてるの?!」
新聞で芳子の逮捕を知ると琴葉はわずかに残った着物を纏め売ろうとした。しかしそれを見たはるこが止めに入った。
「売って大陸への渡航費にするの。」
「大陸?何馬鹿な事を言ってるの?日本は中国に負けたのよ。」
「芳子様を助けに行くの!!」
琴葉ははるこに新聞の一面を見せる。
「お姉様、こんなの間違ってます。芳子様は売国奴でも戦犯ありません。少なくとも私の知る芳子様は。」
芳子は横浜の病院に入院にしていた。琴葉が
出会ったのは女学校最後の夏休みに入る前、親友のお見舞いに行った時だ。
薔薇が咲く庭園で男袴に打掛姿で佇む芳子に惹かれていた。女学校の帰りに立ち寄った琴葉を少女歌劇の男役のような装いで病室でいつも快く迎えてくれた。芳子の部屋にはいつも薔薇の花が飾られていた。
「芳子様はいつも亡くなった大陸の両親との思い出を嬉しそうに私に話して下さいました。そんな人が中国を裏切るなんて信じられません。」
琴葉は裁判所に行ってそう証言すると言うのだ。
「琴葉、気持ちは分かるけどよく考えて。芳子さんが裁かれてるのは日本軍に協力したから。そうよね?もし日本人の貴女が助けに言ったらどうなると思う?」
日本人の琴葉が庇えば芳子の漢奸疑惑は強まる一方だ。それに琴葉自身もただではすまない。
「芳子さんはそんな事望んでないわ。」
結局大陸行きは諦め芳子の無事を祈る事しかできなかった。
あれから3年。芳子のニュースを見聞きする事はない。芳子からも何の音沙汰もない。未だに牢獄の中なのか、それとも釈放され大陸で暮らしているのだろうか?
撮影が終わったのは夕方だ。琴葉は薔薇の花を手にして自宅へと帰る。
「ただいま。」
「お帰り琴葉。」
居間で父が夕刊を読んでいる。
(お父様なら知ってるかもしれないわ。)
かつて陸軍にいた父に芳子の消息を聞こうと思ったのだ。
「お父様、芳子様の事なのだけど」
父は芳子の名前を聞くと読んでいた新聞を閉じ立ち上がる。引き出しに新聞をしまうと部屋に戻っていく。
「ちょっと、お父様。」
「お前は何も知る必要はない。」
琴葉は不思議に思い引き出しから新聞を取り出し広げる。
「??!!」
琴葉は新聞の一面を見てその場で卒倒する。
「琴葉!!」
琴葉が目を覚ますと自分の部屋の布団の中だった。
「お姉様。」
はるこが傍らで覗き込んでいる。居間から物音が聞こえ家族総出で見に来たら琴葉が倒れていたのだ。
「これ、見たのね。」
はるこの手には今日の夕刊が握られている。
琴葉が倒れたのは夕刊の見出しの記事だ。
「川島芳子 北京の監獄にて処刑」
琴葉にとって一番聞きたくない事実が書かれていた。
「お姉様、私が芳子様を殺したんです。私が北京まで助けに行っていれば、いえ北京に帰る芳子様を止めていれば芳子様は死ぬ事はなかったのだから。」
「琴葉、それは違うわ。」
はるこは琴葉に記事を見せる。そこには裁判での芳子の主張が書かかれていた。芳子は自分が日本人の養女になってるから日本人だと主張した。しかし戸籍を移してなかったため証明できるものはなかったのだ。
「貴女が行っても助かる保証はなかったわ。」
布団からは机の上に飾られた薔薇の花が見える。今日琴葉が写真撮影に使ったものだ。はるこが飾ってくれたのだろう。花びらが何枚か落ちている。
「お姉様、少し1人にしてもらえないかしら?」
「分かったわ。」
はるこが部屋を出ると琴葉は起き上がり机に向かう。引き出しから紙とペンを取り出し手紙を書き始める。
「芳子様へ」
書き始めた時便箋に桜の花びらが散る。窓の外を見ると満開の桜が咲いている。
「桜は散ってもまた来年になればまた花を咲かせる。だけど芳子様は二度と返って来ない。」
琴葉は花びらが何枚か散った薔薇の花を手に取ると口づける。
「私は桜の花は嫌い。薔薇のが好きだわ。」
FIN
先日芳子様のお墓参り行って思い付きました。