CASE「榎木日向牙」
見てくれなんてものは、周りからの偏見材料に過ぎない。そんなもので、俺を全部知った気になんてならないでほしい。俺のことなんて、何も知らないし、知ろうともしてくれないくせに。俺を傷つけるなら、最初から寄ってこないでくれよ。あんたらの自己満足に付き合ってやれる程、俺も暇じゃないんだ。
あぁ、今日もまた綺麗な風穴が開いた。ほら、お前が開けた穴だ。見えてないふりすんじゃねぇよ
「もか、忘れ物は無いか?」
「うん!寝る前にちゃんと確認したもん!ひゅーにぃも忘れ物ない?」
妹の声に反応するかのように、自分の鞄の中を確認する。教科書は持ったし、弁当も持った。今日は体育は無いから体育着はいらない。大丈夫だ。頷き返すと、もかもまた笑顔で頷き、小さい体で懸命に俺の裾を引っ張った。早く行こうと言いたいのだろう。
「もか、引っ張るなって」
「んじゃ早く行こー。遅刻しちゃう」
「まだ早いし、大丈夫だと思うけど...。まぁいいか。行ってきまーす」
「行ってきまーす!」
俺たちがそう言うと、中から施設の人たちが数人顔を出してきて、行ってらっしゃいと言ってくれる。普通の家族だ。誰になんと言われようと、普通の家族なんだ。夢でも、幻でも、そう思わせてくれ。思わせてやってくれ。
もかと一緒に通学路を歩いてる最中、一つ、自分の口から大きな欠伸が出てくる。目元が孕んだ水気を手でぐりぐりと拭っていると、下から心配そうな声が聞こえてくる。
「...ひゅーにぃ、あまり寝てないの?」
「え?そんなことないよ」
「でも、あくびしてたよ。眠いんじゃないの?」
妹の純粋な視線が胃に悪い。確かに、もかが薄々察している通り、俺は昨夜ちゃんと寝てない。しかもその寝てない理由も、妹にはあまり知られたくない不純な理由だ。だから、もかには話したくない。話さなくていいんだ、知らなくていいんだ。こんな教育に悪いもの。耳を見せないように注意しながら、もかに視線を向ける。
「大丈夫だって。昨日もちゃんと寝たから、そんな心配すんな」
必死に笑って取り繕うが、妹からはうん、と元気の無さそうな返事だけしか返ってこなかった。
子供は大人が思うより、大人をよく見ている。もかだってきっとそうだ。俺たちが隠し切れていると思っているところも、きっと見透かしている。分かった上で、楽しい話をしてくれる。もかや施設の子供たちを見ていれば分かる。
「...ひゅーにぃ、今日ね、音楽でリコーダーのテストがあるの!」
「あぁ、練習してたやつか?頑張れよ」
「うん!もか頑張るから、そのままちゃーんと応援しててね」
そう言って愛らしい笑顔を見せてくれる。だから、俺も妹の前では無理をしてでも笑う。妹の理想と世界を、兄である俺が崩すわけにはいかない。ただでさえ壊され続けたのだ。最後の砦くらいは守ってやらないと。そうでないと、兄を名乗るだなんて到底出来たものではない。
それから、もかの学校での話を聞きながら通学路を進んでいれば、もかの通う小学校まですぐだった。
「ひゅーにぃ、また放課後ねー!」
大きくブンブンと手を振りながら、もかは学校の方に歩いていく。やがて友達を見つけたのか、そちらの方へと走って行った。俺もその様子を確認して、道を引き返す。サボるわけではない。学校へと向かっているのだ。俺の学校は、もかの学校より近い。つまり、通り過ぎていることになる。これを友人にやんわりと話したら、過保護だと言われた。そりゃあんな可愛い妹を持てば過保護にもなる。
「ダリィ、サボりてぇ...」
心の声を口にすれば、本当に足が街に向いてしまいそうで非常に困る。けれどなんとか己を律し、学校へと足を進ませる。
「おい榎木!前回の反省文はなんだ!それにそんなピアスまでまた付けて!何回指導を受ければ気が済むんだ!お前は面接にもそんなだらしない格好で行くつもりか!」
だっる。
学校にやっとの思いで来れたと思ったらこれだ。生徒指導のやつに捕まってしまった。ちんたらちんたら同じことを繰り返してくる。そんなことを言われても何も変わらないのに、ずっと同じことを繰り返す。暇なのか、こいつは。
周りの目も程々に浴びた後授業を始めるチャイムが鳴る。遅刻だ。
「先生ー、遅刻するんで戻っていいっすか?」
やる気がなさそうに言えば、先生は仕方なさそうに鼻を鳴らした。
「放課後来い!お前は徹底的に指導してやる!」
「バイトなんで無理でーっす。んじゃ」
ちょっと待てと言って止めようとしてくるダル絡みジジイを無視して、さっさと教室へと向かっていく。
もう授業が始まっていることだろう。教室からは教壇に立つ大人の声しか聞こえてこない。
「今から行っても授業中か」
口に出した時には既に足を反対に向け、階段を登っていた。そして3階の渡り廊下を歩いて、ピロティーに踏み入る。鍵付きで腰くらいの高さの格子があるが、このくらいの高さなら、誰だって飛び越えられる。立ち入り禁止というだけで、誰も入ってこようとはしない。皆臆病が過ぎる。
この学校には、屋上なんてものはない。だから、このピロティーが俺とあいつとの溜まり場だ。
「よぉ、おせぇじゃねかよ」
「わり、ちょっとジジイに捕まってた」
「またかよ。あいつも飽きねぇよなぁ」
そう言ってケタケタと笑うこいつは小鳥遊豹眞。腐れ縁だ。
そいつの隣に座れば、どうでもいい話が始まる。今やってるゲームの話だとか、そろそろやる文化祭がだるいだとか。そんな、本当にどうでもいいような話だ。でも、時間を潰すにはちょうどいい話だ。
鐘が鳴って、購買で適当なパンを買って、そいつと食べる。午後の授業にも参加することなく放課後まで適応なことをだべって時間を潰す。それがいつもの学校での過ごし方だ。不良だと言われればそれまでだが、そんなもの、今が楽しければそれでいいだろう。高校を卒業出来るだけの数字があれば問題ないのだから。
放課後になれば、校庭が部活動生で賑やかになっていく。
「お、もうこんな時間か。流石にそろそろ帰るか。お前もバイトだろ?」
「あぁ。そろそろ行くわ」
地面に放置していた鞄を背負い、豹眞に向かって手を振り、その場を後にする。俺が見えなくなるまで、豹眞はその場を離れることは無かった。
外に出れば、少しずつ日が傾き始めていた。もうすっかり秋も板についていた頃合いになってきた。この時期は比較的過ごしやすくて嫌いではない。
もかの迎えに行かなくてはと思うが、バイトまでの時間もかなり押している。流石に遅刻は避けたい。あそこの上司は、男も女も皆陰湿なのだ。もかは友達も多く、暗くなる寸前に帰ってくることもある。それに、最近は迎えにいかなくても自分で帰ってきてくる。だから大丈夫だろうと思い、バイトへの足を早めた。
「もかちゃん、一緒に帰ろー!」
「あ...。うん、いいよ!」
ランドセルを背負って、友達の英子ちゃんと千佳ちゃんと一緒に校門をくぐっていく。途中、先生にさようならと言われたら、さようならと言い返す。学校を出たら、ひゅーにぃが迎えに来てるかもと思って、辺りをきょろきょろと見るけど、その姿は見つからない。
「もかちゃん?どうしたの?」
千佳ちゃんに声をかけられて、急いでそっちの方に足を運ぶ。
「ううん!なんでもないよ!」
「そう?それじゃ行こー」
それから、三人並んで最初は歩いていた。だけど、テレビの話や、動画サイトの配信者の話、流行りのスマホゲームの話になっていくと、もかは話についていけなくなった。次第に、三人並んでいたはずなのに、真ん中にはもかが居たはずなのに、話しにくそうだと思ってしまって、一歩後ろに引いてしまった。そこでラッキーとでも思ったのか、もかが居た距離を一気に詰めて、もかが入る隙はなくなっていた。偶に、もかを気にしてるみたいに同意を求めてくるけど、そんなのやめてほしい。苦笑いしか出来ないし、後ろにいるって分かってる時点で、もかが仲間外れだって言っているようなものじゃん。
「それじゃ、もかちゃんまたねー!」
ようやくきた分かれ道で、2人に手を振り、また明日ねと別れていき、自分の施設への道を1人で歩き出す。こんなことは日常茶飯事だ。皆、もかを可哀想と思って話しかけてくれるけど、もかは皆の話についていけない。施設では、もかは小学5年生で皆より少しお姉さんだから、テレビは他の子達に譲らなきゃいけない。でも、もかはまだ小学生だから、スマホやタブレットなんて買ってもらえない。施設の子達からしたら、もかは大人に見えるかもしれないけど、大人達からしたらもかはまだまだ子供なのだ。
「スマホ欲しいなぁ」
クラスの子達は皆当たり前に持っているスマホ。だけど、私は高校生になるまでは絶対に買ってもらえない。施設の皆は好きだけど、我慢ばかりは疲れる。前まではひゅーにぃが助けてくれることだってあったけど、最近ではそれも無くなってしまった。ひゅーにぃは、バイトが忙しいから、きっともかと遊んでいる時間はない。もかがもっと大きかったら、もかだって、ひゅーにぃのお手伝いが出来ただろう。
なんでもかとひゅーにぃは、こんなに離れてるんだろう。
「ただいまー」
声をかければ、掃除機のうるさい音と、テレビからニュースの声が聞こえてくる。
靴を脱ぎ、靴箱へとしまう。最近人が増えたから、少しだけぎゅうぎゅうだ。
「あ、おかえりなさい、もかちゃん」
「ただいま、京子さん」
ぎゅ、と京子さんに抱きつく。京子さんは、この施設の人で、ずっとここにいるみたい。すごく優しいけど、怒ったらとっても怖い人。京子さんは優しいけど、我慢をさせてくるところだけは優しくない。
「京子さん、今日のお菓子は何?」
「今日はカステラだよ。私のお友達から貰ったの」
やった、と喜べば、京子さんは嬉しそうにニコニコとしている。その様子に、これが正解なんだと思う。
ひゅーにぃの真似はしてはいけない、大人達に言われる言葉。なんで、ひゅーにぃを、悪者にしたがるのだろう。
「やっぱり、日向牙はもう一人暮らしさせた方がいいんじゃない?」
夕食後、ひゅーにぃが帰ってきてるか確認しようと玄関に向かってる途中、リビングから聞こえてきた声に驚いて、つい物陰に隠れてしまう。施設の大人達が話していたのだ。
「バイトもしているしねぇ。ひとまず、高校を卒業するまではこっちで資金の援助をして、大学には行かせずに、そのまま就職させた方がいいんじゃないの?」
「確かにそれもそうよね。あんな存在、もかちゃんの側にいるだけで毒よ、毒。さっさと出てってくれないかしら」
どく、毒。きっと悪いものなのだろう。ひゅーにぃは、そんな人じゃない。優しいし、いつも、もかのことを気にかけてくれる。だけど、そう言っても誰も聞いてくれない。
もかはひゅーにぃと一緒にいたいのに、皆離れなさいと言ってくる。もかには分からない。
もうひゅーにぃの顔を見れる気分でも無くなって、いつもみたいに聞かない振りをしながら、大人達から離れていって、自分の部屋に向かった。
部屋は4人一組で、もかは3人の女の子と一緒。美穂ちゃんに、静香ちゃんに、紗奈ちゃん。ダブルベッド2つ向かい同士で置かれていて、ちょっと狭い。部屋に戻ったら、皆もかのことを見てきた。
「ねぇ、もかちゃん、もかちゃん!静香ちゃん、翔くんのことが好きなんだって!」
「さ、紗奈ちゃん。やめてよ...。言わないって言ったじゃん」
コイバナってやつだ。もかには関係ない。だって、もかには好きな人がいないから。そんなことをしてるより、ひゅーにぃがどうすればここに居てくれるかをもかは考える。
「あ、でも確か、一花ちゃんも、翔くんのこと好きって言ってたよ」
え、と皆の空気がこわれていく。そんなの、今は誰も聞いていないよ。
「あ、そ、そうなんだね…。翔くん、皆から人気だもんね…」
静香ちゃんはすっかり落ち込んでしまった。だけど、それも仕方ない。こんな風に言われれば、誰だって傷つく。
その微妙な空気を引きずったまま、もか達はそれぞれ2段ベッドに横になって眠った。
でも、もかはまだ少し、眠れずにいた。
23時37分。バイト終わりに、無人販売のスイーツ店に寄っていたら、すっかり遅くなってしまった。もかももう寝てる時間だろう。
あの施設は夜遅くなったら門を内側から閉めてしまう。そうなっては、簡単には中に入れない。だから急がなくてはと思い足を早めるが、その心配は杞憂に終わってくれたようだった。門が開いていた。それを有難く思い、施設の敷居を跨いでいく。
中は薄暗く、電気は全て消されていた、そう思っていたが、玄関の明かりだけが点いていた。そして、玄関には、眠そうに座り込んでいるもかの姿があった。その姿を見つけた途端、急いでもかへと駆け寄っていく。
「もか!?どうしたんだ、こんな時間に…」
「…あ、ひゅーにぃ。おかえり」
「いや、おかえりじゃなくて…なんでこんなとこいるんだ」
「起きちゃったから、ひゅーにぃのこと、待ってた…」
何で、目が覚めたからまた寝ようとしないんだ。何で、こっちに来るんだ。
「…ほら、部屋に戻るぞ。歩けるか?」
「むり〜」
もかはその場にぺたりと張り付いて動こうとはしてくれない。仕方がないと思い、共同のダイニングまでなんとか運び込む。
ダイニングの電気を点ければ、当然誰かがいる痕跡なんて無い。ほっとして、俺は手に提げていた袋をテーブルに置く。モカはそのビニール袋を興味津々といった様子で見てきた。
「ひゅーにぃ、それ、なぁに?」
「あぁ、SNSでバズってた無人販売のスイーツ店のだよ。もかが好きそうなバニラもあったけど、食べるか?」
「食べる!」
目を輝かせ、即答で頷いてくる。もかをこんな時間まで待たせたお詫びにもならないだろうが、喜んでくれたなら良かった。それから、もかと共にスイーツを囲み、大人には内緒の悪い子の夜更かしをして、晩を越した。
「ふぁーあ、ねむ...」
翌日、今日は休日だ。しかし、昨日遅くまで起きていたせいでまだ疲れが取れない。けれど、孤児院では昼まで寝るなんていう贅沢は許されない。特に、俺などの年長者は。
布団を片付け、1人部屋の寝室を後にする。
「あぁ、日向牙!ちょうど良かった!」
「ん?」
京子のババアが俺を見かけた瞬間走ってきた。その様子は嬉しそうにも、驚いたようにも見える。
「んだよ、朝から騒ぐなっての」
「そんなこと言わないでよ!貴方のお父様から荷物が届いたの!」
「...は?」
父親、それはあまり好まないものだ。病気で日に日にやつれていく母さんに呆れて、俺ともかをこの孤児院に置き去りにして、本人は行方をくらませた。そんな奴が、俺に今更なんのようがあるというんだ。
「...そんな荷物、受け取れねーよ」
「そんなこと言わずに!ほら!」
ぐい、と荷物を俺の方に差し出してくる。そんなことをしても無駄だ。俺は決して受け取らない。その意思は頑固としてあるはずなのに、一向に折れることがない京子ババアに対して、仕方なく、俺が折れてやることとした。
部屋に戻り、段ボールに封をしているガムテープに恐る恐るカッターの刃を入れる。中には、一冊の図鑑が入っていた。
「は?これだけかよ」
図鑑を手に取れば、中からはらりと紙が落ちてくる。不思議に思い、その紙を拾う。それは、もかが満点の星と、俺の似顔絵を描いたものだった。子供ながらに拙い芸術品だが、世界一上手だと、俺は思った。
「あー、なっつ。確か、なんかの宿題だったけな」
家族の似顔絵を描きましょう。という宿題だったはずだ。お袋か親父を描けばいいのに、頑なに、俺を描くと言って聞かなかったんだ。そして、この時期は星祭りが開催されていたから、その星をバックに俺を描いていた。もかが動かないで、と何度も注意をしてくるものだから、全然星を楽しむことなんて出来なかった。
「...そういえば、星祭りも近いな」
星座図鑑に手を伸ばす。ページを捲れば、目次にはいくつものマーカーラインが引かれていた。確か、自分たちのお気に入りの星座だったはずだ。黄色が俺で、ピンクがもか。二つ被ってる物もある。
「本当、懐かしいな...」
星祭りにも、もう長らく行っていない。行く余裕がない。将来のために金を稼がなくちゃ。孤児院の大人達は、俺が人付き合いが苦手なことを分かりやすい程に憂いている。俺の目つきは母のように段々吊り上がっていく。そのうち、昔の母のように、捻くれて不良になってしまうのではなかろうか。ピアスが増えるたび、皆俺を避けたがる。話しかけても、仲良くしたくても、向こうがあっちに行ってしまうんだ。俺は、ずっと、近寄る努力をしているのに。でも、昔から人が怖い。何を考えているかわからない。俺の味方だと言ってくれる、バ先の元ヤンの先輩も。皆、信用できない。そんな俺の傍にいてくれたのは、信頼できたのは、もかと、豹眞だけだった。この2人がいてくれたから、学校に行く理由もあったし、もかの為に金を貯めようとも思える。
この2人がいなかったら、俺を支える存在がいなかったら、俺は生きていけない。
「そういえば、豹眞は祭り行くのか?」
きっと行かないだろう。けれど、聞くだけ聞いてみよう。そう思い、星座図鑑を通学用のバッグにしまった。
「星祭りぃ?お前あれに行く気なのかよ」
週明け、昼休みの食事中に豹眞に星祭りのことを話せば、早々にケラケラと笑われてしまった。
「別に、妹と祭りに行くことくらいいいだろ」
「いや、そうだけどさ、お前が祭りって、全然合わね〜w」
そう言ってまた腹を抱えて笑う。
「...そう言うからには、お前は行かないんだろうな」
俺がそう言った瞬間、豹眞の表情が急に止まる。風がぴゅーと吹けば、そのまま、豹眞を吹き飛ばしてしまいそうな気さえした。何か嫌な予感がして、豹眞の手を咄嗟に掴む。
「え、なに、どした」
当然怪訝そうな顔をされる。無理もない。俺だってなんでこんなことをしたか分からない。
「いや、なんでもない。ただ、なんか、お前がどっか行く気がして...」
掴んでいた手を離せば、冷めた温もりが離れていく。そうだ、とっくに彼の体はあの世で冷め切っているんだ。
「...俺、そろそろ教室戻るな」
「え、マジ?今休憩時間だろ?もしかして次、なんか好きな授業だった?」
「いや、単純にそろそろ出席危ないかなって」
恐る恐るお前はどうするかと聞けば、まだここにいる、と苦しそうに笑った。そんなに苦しいなら、もう、放っておけばいいのに。
いつまで、ここに囚われているんだ。
授業終わりの放課後、俺は明日に迫っていた星祭りについて考えていた。もかは一緒に行ってくれるだろうか。そんな不安を抱えつつも、バイトが全部休みで浮き足だった歩みを施設へと早めた。
「え?星祭り!?」
帰ってからもかに星祭りの話をふれば、嬉しそうに目を輝かせた。
「ひゅーにぃ、今年は一緒に行ってくれるの!?」
中学生になってから、バイトや勉強を理由に断り続けていたせいで何年ぶりかの星祭りだ。もう一緒に行きたくないとでも言われるかとも不安に思ったが、そんなことを思っていたのが馬鹿らしくなるほどに、目の前の少女は、誰が見ても分かるほどに喜びを顔に書いており、明日何を着ていこう、なんて言いながらはしゃいでいた。
そして翌日、祭り当日になった。浴衣に身を包んだもかが自慢げに浴衣を見せびらかせてくる。
「ひゅーにぃ、どう?かわいい?かわいい?」
期待の眼差しをこれでもかと向けてくる。可愛いよ、といえば、嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねている。
星祭りへは、施設の子供達全員参加という訳ではない。それぞれ事情はあるだろうから、自由参加ということになっている。しかし、なるべく参加はしようね、という心持ちではあるらしい。
もかの手を引いて、久しぶりの祭りの会場となる公園へと向かった。
祭り会場は、当たり前ではあるがとんでもなく賑わっていた。まぁ、星祭りは、星が綺麗に見える時に開催されるから、その日本一綺麗と言われている星を見る為に、観光客も押し寄せるほどだ。人混みに紛れないよう、もかの手を強く握る。
「もか、人が多いから、手を離すなよ。迷子になるぞ」
「うん!大丈夫、ちゃんと握ってる!」
ぎゅっと左手がより一層強く握られる。その言葉と感触に安心し、人混みをかき分けながら、屋台を見て回る。出ている店は普通の店となんら変わりない。焼きそばだの林檎飴だの定番なものばかりだ。
「もか、なんか気になる屋台あるか?」
「わたあめ!ひゅーにぃ!わたあめ食べよ!」
そう言って、パンパンに空気が入った大きな袋に入った綿飴を指差す。
「綿飴か...。だったら、先に飯食って...」
「やーだ!わたあめ!」
もかは珍しく駄々を捏ね始める。そういえば、祭りの時、必ずといっていいほどに、もかは綿飴から食べ始めていた。仕方ないと思い、もかご希望のピンク色の綿飴を購入する。もかに渡せば、嬉しそうにその綿飴を抱っこした。前が見えてるかと不安に思う。
「もか、大丈夫か?歩きずらかったら、俺が持とうか?」
「大丈夫!もかが持つ!でも、どっかで座りたいかも」
もかに言われて、俺達はイベント会場の方へとやってきた。空いているところに、持たされたレジャーシートを広げ、そこにもかと一緒に座る。もかは、先程買った綿飴を美味しそうに頬張っていた。
「もか、さっきから綿飴ばっか食ってるけど、飯はいいのか?」
「食べるよ。もか荷物見てるから、ひゅーにぃ焼きそば買ってきて!」
なんておねだりをされてしまう。仕方がなく、俺は屋台の方へと、急いで行った。
去っていった背中を見てふと思う。ひゅーにぃはいつも、もかに何かを隠したがる。特に耳元。いつも、もかには見せたがらない。もかの為なら、最初からやらなければいいのに。でも、きっと、そんな簡単に終わる話じゃないんだよね。でも、簡単に終わってほしいなって思うのは、もかのわがまま?
「ただいまー」
「おかえり、ひゅーにぃ」
座りながらも、もかが頬張っていた綿飴を横目に見れば、それはもう半分しか残っていなかった。
「もか、流石に綿飴食べ過ぎだぞ」
「いーじゃん別に。お祭りなんだから」
なんて言いながら、袋から見つけた焼きそばに手をつけ始める。
「…よく食うな」
「ひゅーにぃ、女の子にそういうこと言っちゃダメなんだよ。クラスの子が言ってた」
どんな話をしてたんだ、とついツッコミたくなってしまった。
「それよりひゅーにぃ、空見て空!」
「は?」
もかにつられて頭を上にする。そこには、何年振りかの星空が広がっていた。
「…奇麗だね」
「毎年、こんなもんだろ」
手が届かない程の雲の上にいる点の数々が、何年も前の家族を思い出させてくる。
俺の母親は、昔から体が弱くて、体調を崩しがちで、遂には入院した。父親は、そんな母さんを見て、俺達の見えないところで壊れていった。そして、俺達を施設に預けるだけ預けて、自分はさっさと何処かに行ってしまったんだ。ずっと、それが許さなかった。だけど、あの図鑑が送られて久々に見る星は、泣きたくなるほどに輝いている。
「ひゅーにぃ、見てみてあれ!はくちょう座!」
「あ?はくちょう座は夏の正座だろ?こんな秋に見れるもんじゃないだろ」
俺の言葉に、もかは嬉しそうに笑った。何がそんな楽しいのか、俺にはよく分からない。
「ひゅーにぃ、やっぱりお星さまのこと好きなんだね」
「…別に」
亡くなった母と、友人のことを思いながら星に追悼する。人が死ねば星になるというのなら、きっと、あの数多ある点のうちが、俺の大事な人なのかもしれない。だから、墓も知らない彼に向かって、祈りを捧げる。
もう、俺は大丈夫だから、明日から、お前はいらないって。
そう願いながら、もかと一緒に星を見続けた。