終 節:おもうゆえに④
ゆずれない想い
胸に秘めて
突き進むは茨の道
光が収まった後、羅候の眼前には一人の白髪の美丈夫が跪いている。
「……羅候様……」
低い耳障りの良いバリトンでそう羅候を呼ぶ。
その呼び声に羅候は一つ頷くと自身も屈む。
「ニーズヘッグ、彼らを頼んだよ?」
「ちょおっと待て!さっきの竜が、こいつってか!?」
当然の疑問を代表して口にしたのは、淘汰だ。
「煩い小童が」
その淘汰を見下ろし、鼻でせせら笑う。
「お前っ……」
既に、臨戦態勢の二人を眺めながら、羅候は淡々と言う。
「ニーズヘッグには、地上に同行してもらうから」
「なっ!こんな奴、いらねえよ!」
「お前に着いていくわけではない。守るべき主……マナ様の為に行くまでだ」
―― こっ、こいつっ!
両者一歩も引かない睨み合いに、思わぬ方向から終止符は打たれた。
「ふっ……二人とも、落ち着いてっ!」
見慣れぬ少女がそこにはいた。
「お前、誰だ?」
状況について行けず、淘汰は少女をまじまじと眺めながら問う。
「この姿では、初めてだったよね。淘汰、僕だよ!ラタトスク!」
「リス!?」
思わず、淘汰は叫ぶ。そう、淘汰の知っているラタトスクはリスで、マナの従者で。
「まさか……」
「ラタトスクにも、地上に同伴してもらうから。この二人は、きっと淘汰とマナの力になってくれるはず」
羅候の言葉を受けて、少女……ラタトスクは、にっこりと愛らしい笑みを浮かべて淘汰の腕に抱きついた。
「よろしくね?淘汰!」
呆然とする淘汰に、レヴィがやれやれと、哀れみの思いを込めて淘汰の肩を叩く。
「甘い、新婚生活にはなりそうにないな?」
「まっ……まあ、賑やかで楽しそうじゃないか!」
キリエがフォローとも思えなくもない言葉で、淘汰を励ます。
「そろそろ、行ったほうがいいんじゃないのか?」
桔梗がそう言葉を掛けたとき、何とも言えない静寂がその場を支配した。
淘汰は、昨日“ここに来る”と心に決めたとき、この“別れ”があることも当然覚悟しているはずだった。
だが、いざそのときが迫ってくると何とも言えない寂寥感に襲われてしまって。
「やっ……やだなあ。別に、今生の別れじゃないんだしさっ!」
キリエが、わざと明るく言う。
「言っただろう?お前をからかいに行ってやると」
「レヴィ……」
淘汰、桔梗、キリエそしてレヴィは、どこか予感がした。
“もう、会えない”という、嫌な予感が胸をよぎった。
だが、そんな“未来”を受け入れる為に、ここで別れるのではないと。
“光”を掴むために、それぞれの道を歩むだけなのだと、そう自分たちに言い聞かせた。
そんなやり取りを眺めながら、志杏椶は微笑んでいた。
「うしっ!行くか!羅候、どこに俺は行けば良いんだ?」
真っ直ぐに、迷いのない声で淘汰が羅候に問う。
「地上の東方にある少数部族に身を置いてもらおうと考えているよ」
「少数部族?」
淘汰が聞き返すのに、志杏椶が応える。
「そう。とても小さな部族だけど……妖に対抗し得る力を、唯一持っている地上人と天界人が共に作り上げている集落よ。マナと淘汰、あなたたちの力を隠しながら身を潜めるには、うってつけというわけ」
「でも突然行って、怪しまれないか?」
当然の疑問を淘汰は口にした。
「現在の頭領は私と共に天界から降りた仲間。雄飛といえば、判るかしら?」
「あっ、まさか……」
そう呟いたのは、桔梗だ。
「そう、その“まさか”よ」
志杏椶が苦笑を漏らす。
元の天名を韋駄天 ……名を雄飛 という男が、志杏椶が伊倭大神の名を頂いて地上に降りる際、補佐として共に降りた。
だが、降りた地で一人の地上人と恋に落ちた。
天界では地上人との交わりは禁忌とされる風習が色濃く残っており。雄飛は、天名を捨ててその女性との“未来”を選んだ。
当時、東域ではその噂で持ち切りだった。
一年たった今でも、吟遊詩人の間では取り沙汰される、一種の“語り草”となっていた。
「彼に、既に文を出しておいたわ」
「雄飛殿か。それなら心強いや」
緊張の糸が少し解れたのか、淘汰が溜息交じりにそう言う。
「道を、開くよ?」
羅候が言うのに、淘汰が頷く。
それを確認してから羅候は自らの羽を一枚、その手に取ると下に落とした。
そこから風が巻き起こり、時空の壁が開いた。
「私が、先に行きましょう」
先頭を切って歩いていったのは、ニーズヘッグ。
「羅候様。マナ様は、必ず僕とニーズヘッグがお守り致します!」
目一杯に涙を浮かべて、深くお辞儀をするとラタトスクが後に続いた。
「じゃあ、行ってくる」
最後に、マナをしっかりと抱いた淘汰が、どこか散歩にでも出掛けるような軽い口調で言う。
その後姿に、羅候が最後の言葉を掛けた。
「淘汰。これだけは、必ず守って。あなたに近しい人の身に危機が及んでも、どんなに心配でも、天界に戻っては絶対にダメだよ?」
―― 戻ってきた先にあるのは、“絶望”でしかない。
「これだけは、必ず守って……忘れないで!」
どこか必死に訴える羅候のその言葉に、振り返ることなく手を挙げることで応えたそのとき、風が止んだ。
その場には既に、淘汰、マナ、ラタトクスそしてニーズヘックの姿はなかった。
「無事、着くといいな」
キリエが、今さっき淘汰の消えた場所を見つめたまま言う。
「着くに決まっている。当たり前だろう?」
レヴィがそう、真面目な顔で応えたのだった。
「さあ、私たちも“日常”に戻りましょう?」
志杏椶の言葉に桔梗、キリエ、レヴィの三人は頷く。
「来たるべき時、あなた達は大きな選択を迫られる。今日、この日を忘れないで。自分を、見失わないで。どうか、“運命”に負けないで欲しい」
そう言った羅候に、キリエは真っ直ぐと向いて言う。
「ああ、もちろん。なあ、羅候……だったら俺たちとも約束してくれ」
羅候は、一旦そこで言葉を切って自分を見つめているキリエを不思議そうに見る。
「自分の“未来”を、諦めないでくれ。簡単に“運命”を受け入れないで。羅候、君も一緒に居る。そんな“未来”じゃないと、きっとマナの本当の笑顔は見れない」
真っ直ぐな瞳と、強い意志を持った言葉に、羅候は微笑する。
「ありがとう」
「約束だよ?」
念を押すように、噛み締めるようにゆっくりとそういうキリエに、羅候は頷くことで応えた。
「では、羅候様。また来ます」
そう言って、志杏椶が羅候に向かって一礼する。
そして“ビルレストの鍵”を手に何事か詠唱を始めた。淡い光が“ビルレストの鍵”から放たれた。
「さあ、急いで!」
志杏椶の言葉に、レヴィが……後を追って桔梗がその光の渦へと身を投じた。
キリエがその後に続こうとした瞬間。
<いづれ、あなたは地上に降りる>
「……え?」
声なき声が、頭に響いてキリエは思わず立ち止まる。
<あなたの未来に起こることは、もう決まってしまっている。僕が視た、あなたの“未来”だよ>
聞こえた瞬間、眼前にもう一つの世界が広がった。そこには、紛れもない、キリエが座り込んでいる。
そこにいるキリエは、何かを抱き締めて涙を流していた。
抱き締めている“光”の正体を見ようとキリエが目を細めた瞬間、志杏椶の呼ぶ声で現実へと引き戻された。
「キリエ!何をしているの?早くなさい!」
「ちょっ!?志杏椶!」
―― 待ってくれッ
そう言う間もなく、志杏椶に腕を引かれて光の中へと……帰途へと着いてしまったのだった。尚も、羅候の声は脳に響く。
<選択の時が迫る。苦渋の選択を迫られる。その時“未来”へ繋がる“光”を手に入れる。一度は失ってしまうけれど、諦めないで>
―― 諦めなければ、“光”はより輝きを増して、その手に還ってくる
「どういう、意味なんだ?」
気になったのは、涙を流していた“未来の自分”。
知らず、視線は志杏椶に向かっていた。視線に気付いた志杏椶が、苦笑を浮かべながらキリエに言う。
「どうしたの?ぼんやりして」
―― 嫌な予感が、一瞬だけ胸をよぎった
だが、頭を振ると頭の隅に追いやって、志杏椶に微笑み返す。
「いや別に。なんでもない……そう、なんでもないさ」
―― そう、違うに決まっている
自分は、志杏椶にきっぱりと振られたではないか。
この手に、志杏椶を抱ける時が来るはずがない。
だから、この予感はきっと外れる……
自分自身に言い聞かせるように、キリエは心の中でそう呟いた。




