第五節:いたみのなかで⑤
追憶の果てに
揺らめく残滓
怖がらないで?
貴女には知る義務がある
珠依姫として、この世の起源を
そして、罪を
知る権利が
珠依の名を継ぐ者にはある
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「大姐上?」
そんな、今は遠い彼の人の声に心を奪われていた志杏椶を呼び戻したのはレヴィの声だった。
―― 今は、思い出に耽っている場合ではない
過去に酔っている場合ではない
自分には、時間がない
今度は自分が次世代に伝える番であり、珠依姫として託す使命があることを、志杏椶は重々承知していた。
「創造の力だけでは、何も成す事は出来ないのよ」
そう、創造の力だけで世界を創る事は出来ない。破壊、創造、浄化そして再生の力が一つになって初めて、意味を成す。
「でも、じゃあ創造の力だけで良かったんじゃないのか?」
もっともな疑問に、志杏椶は頷く。
「神はね、そうするつもりだった。でも、ユグドラシルは違った。ユグドラシルは、その場から動くことが出来ない自分達に代わり、この世を律する者を作りたかった。」
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「だから、破壊の力を?」
「そう、この世を乱す者を“裁く権利”をユグドラシルは精霊王に与えたの」
「でもね、そんな事……ボク達は……少なくとも、ボクはどうでも良かった。皆が笑顔で、羅候が隣で笑っていてくれれば、全部些細な事なんだ」
しかし、珠依姫がいなくなって、神の……羅候の声は人に届かなくなった。一度途絶えてしまうと、信仰事態が衰退していった。
力を欲する“欲”、人の業が羅候を蝕んでいった。ユグドラシルが受けるべき痛みの全てを、羅候が背負っていた。
「羅候はね、笑って言うんだ」
『僕は大丈夫……大丈夫だよ?ユグドラシルに還るだけだから。もともと、僕はユグドラシルだから』
「でもね、ボクはイヤなんだ。ずっと二人だった。ボクにとっては、ユグドラシルも羅候も個々の存在で……羅候は、“消えるんじゃない、また同化するんだ”って言うけど、でもボクにとっては消えるに等しいんだ」
淘汰には、今ようやっとマナが何故自分にこんな話をしたのか、理解できた気がした。
「一人で、ずっと抱え込んでたのか?」
膝を抱え込むように、小さく丸まっている背中。淘汰は、マナの頭を優しく撫ぜる。
「そっか、寂しかったのか」
「心、読まないで」
「読まなくても、それくらい判るさ」
険のある物言いとは裏腹に、マナの背中はますます小さくなる。その背中を、淘汰は優しく包み込んだ。
「ずっと、ずっと言ってきたんだ。“羅候を消さないで”って。訴えて来た。でも、皆羅候の存在を忘れて……ただ、“力”ばかり求められて……」
日増しに、羅候の力は弱まっていった。今も尚、人の“負の感情”に蝕まれ続けている。それでも、羅候は笑った。全ての“心”と共にある羅候は、マナに言った。
『僕はね、“ヒト”を信じたいんだ。マナ、君にも信じて欲しい』
「でも、ボクは憎いっ……悲しいんだ。羅侯に、消えて欲しくないんだ」
それでも、訴え続けた。でもその訴えがヒトに届く事はなかった。
諍いの絶えない世界
欲が充満した世界
羅候を消してしまう世界
「こんなセカイ、ボクはいらない」
でも、羅候が拒むから……裏切られてばかりなのに、それでも信じると言う。自分の存在を脅かす者達を、“赦し”続ける。
そんな羅候に、マナは焦燥感を募らせた。そして、自らの使命を……ユグドラシルが自分に与えた力を思い出した。
―― この世を律し、ユグドラシルを護る剣となる
「だから、羅候を消そうとする……ボクから羅候を奪おうとするヒト達を、ボクは“消す”事にしたんだ」
その時淘汰は全てを、理解した。“狩神”と呼ばれる存在、その意義。そして、“狩神”の忌み名に隠された、たった一つの切なる願い。
「もう、一人で抱え込まなくて良いんだ。一緒に探そう?誰も泣かなくて良い方法を。絶対に、見付けような?」
抱く腕に、力をそっと込める。頷きながら、マナは淘汰にしがみ付く様に淘汰の首元に顔を埋めた。
マナは、純粋に嬉しかった。淘汰が信じてくれる事は判っていた。
―― でも……
もしも万が一、羅候の“力”を求めてしまったら?
しかし、一人の力では限界があった。羅候が消える日は、すぐそこまで迫っていた。一人で抱え込む事がこんなに辛い事なのだと、マナは初めて知った。助けて欲しかった。他の誰でもない、“淘汰”に助けて欲しかった。
淘汰自身、マナが何か助けを求めている事は判っていた。万物の……精霊の声を聴く力はなかったが、代わりに精神感応能力に長けている淘汰には、マナの焦り、悲痛な叫びが手に取るように判っていた。
でも、何に起因するものなのか。何に対して、こんなにも臆病になっているのか。淘汰には、そこまでは判らなかった。
そう、今この時までは。そして、判った瞬間、時折聞こえる“声”の指す意味も全て理解した。
―― お前だったんだな、羅候。心が全て、お前に繋がっているのなら、俺のこの“声”も聞こえているな?
“マナを助けて”
―― その願い、俺が叶える。俺が、絶対に守り通す
夢の中のSOSに、そっと答えた。
「来て、淘汰……見て欲しい。ボクが、守りたいもの」
真っ直ぐに見上げて、そう切り出したマナに、淘汰は一つ頷いて見せた。この時既に、淘汰の気持ちは定まっていた。
羅候の気持ちも、淘汰には判ってしまったから。うっすらと、予感めいたものがあったが、淘汰は口には出さなかった。
きっと、マナを傷付けてしまう。
マナを開放する……“狩神”という呪縛から。“神を護る剣”という重責から開放する。羅候と会った事もなければ、面識もないはずなのに、不思議と淘汰には判ってしまった。声が、聞こえた気がした。
―― 嫌われるかな
恨まれてもいい、嫌われる覚悟は既に決まっている。マナの目指す事と真逆の事を遂行しようとしている羅候、それに協力したいと願う淘汰。
マナの与り知らないところで、二人の思惑が合致した。
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「神や精霊王への干渉は禁忌と、不文律で定められているわ。ましてや、その存在、力を望むなど、あってはならない事」
だが、求めてしまった。或いは疎んじ、屠ろうとしている。
「あなたたち、何か隠しているわね?」
「……!?」
志杏椶の確信を持ったその問い掛けに、2人は言葉を詰まらせた。
“求める事は禁忌”
その言葉が、キリエとレヴィの胸に突き刺さった。
淘汰も、そして精霊王であるマナも、お互いを求め合っている。その危険性を、改めて突き付けられた。
突き付けられて尚、友人とその恋人のあの笑顔を、二人は裏切る事が出来なくて。だが、志杏椶の打って変わった、地上を統べる王 伊和大神に冷たく見定められた二人には、押し黙る事しかできなかった。
彼女が、一人の女性である前に。
一人の姉である前に。
天界の戒律を守る王のうちの一人であるということを、いつの間にか二人は失念していたのだった。
二人は、目の前が真っ暗になるような錯覚に陥った。




