第五節:いたみのなかで④
追憶の果てに
揺らめく残滓
いつ、どうやって自分が派生したのか判らない。不確かな“自分”という存在。判ることは、この大樹と自分が同一のものだということ。この大樹の意思が、“自分”だということ。
ユグドラシル自身が“孤独”に気が付いたのはいつだっただろうか。寂しさに耐えかねたユグドラシルは、涙を零した。その涙は海を作った。そして、ユグドラシルは自らの根に足を下ろした。そこから大地が生まれ、緑が芽吹いた。
歌を謳った。それは、始まりの歌となった。歌から風が生まれた。それは、息吹を与える風だった。精霊誕生の瞬間である。
―― 賑わう世界……
ユグドラシルの望んだ通りの“世界”となった。だが、それでも神は孤独だった。
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「彼の方は、大樹であるユグドラシルから離れる事が叶わなかったの。ユグドラシルそのものであって、ユグドラシルではない彼の方を、精霊たちは尊敬と畏怖の念を抱き“神”と賞したわ。でも、ますます神は孤独になった」
「自分が、精霊じゃないという事を思い知らされたから、か……」
キリエが続けて言うのに、志杏椶が頷く。
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「同時にね、“力”を恐れたんだ。自分の大きな力を。自分がいつか“消える定め”にあると気付いた羅候は、自分の力の半分を一つの生命体に分け与えた。それがボクだよ」
淘汰は、ただ静かにマナの告白に耳を傾けていた。
「世界が産声を上げて間もなく、“ボク”という存在を作った。羅侯が“作った”最初で最後の“個の存在”」
「でもさ、マナ。その、神サマ……羅候が歌を謳ったから精霊が生まれて、歩いたから大地に緑が芽吹いたって」
そう、この世界を作ったのは、紛れもなく羅候である。それが、無意識に行われたということを暗に仄めかすマナに、淘汰は疑念を抱かずにはいられなかった。
「世界創造が、無意識に行われたってことか?精霊も、この大地も、海も……羅候が無意識のうちに作ってしまったと?」
マナは、静かに頷く。それは肯定の意の表れで……淘汰は一瞬、鳥肌が立った。この世界が“生み”の苦しみもなく無意識のうちにつくられた、偶然の産物だというのだ。想像に絶するその真実を聞かされて、誰が平常心でいられようか。
「でも、だから羅候は自分の意思で、自分の半身を作ることで“創造”を終わりにしたんだ」
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「神は、自らの力のうち、この世の起源である“創造と破壊”を分け与えた半身を作ったの」
―― 僕が持っていてはダメだから
『無意識に“創る”事は、とても罪深い。この世界の均衡を崩しかねない、とても罪深いことだから』
志杏椶の脳裏に浮かぶのは、彼の人の涙。東域における成人の証である天名“地天”の名を戴くまで、志杏椶は決して“ビルレストの鍵”を使うことはなかった。ミミルの泉へ赴くことはなかった。
それが、自分なりのけじめだと自身に言い訳じみた戒律を作っていたのだ。本心では畏れていた。この世を創造した神、その片割れの精霊王。彼らに会う事を、志杏椶は心のどこかで畏れていた。
しかし、偶像と現実は大きく違っていた。
“こんなにも儚い人が、本当に神なのだろうか?”
初めて訪れた時の、正直な志杏椶の感想であった。
―― そう……
『僕がこの世界を創った。神と、人は呼ぶよ。そうなんだ……カナンは眠ってしまったんだね。キミが、次代の珠依姫……志杏椶というの?』
何も言葉を発してはいないのに、心のうちを完璧に読まれていた。




