第五節:いたみのなかで③
追憶の果てに
揺らめく残滓
「へえ。じゃあ、伯父上とラスティ様に“王様になれ”って言ったのは、マナだったのか」
“立ち入るは禁忌”と謂われるイザウェルの森。その最奥にあるウルドの泉の畔で、空を仰ぐようにして横たわっていた淘汰は勢いを付けて起き上がると、隣に膝を抱えて小さく蹲る様にして座っているマナの方を見遣る。
いつの間にか日常となってしまったこのひと時が、今の淘汰にとっては何より楽しみな時間だった。
マナはこうして“誰にも言わないでね?”と言いながら淘汰の知らない世界のことを話してくれた。その内容は、淘汰にとってはどれも真新しいものばかりだった。どんな戯曲よりも魅力的で、純粋に好奇心をくすぐられた。マナとの約束がなければ、友人達に話して聞かせたいぐらいだった。
だが、決して淘汰が自らの意思で聞き出したわけではない。むしろ、マナから「誰にも言わないで?」と最初に言われたときには、そんな重要な話を聞くことは出来ないと断ったくらいだ。
それに、淘汰にしてみればマナと会えればそれだけで良かった。会うことが楽しみで仕方なかったのだから。
しかし、マナは淘汰に知っていて欲しかった。その“心”が伝わってきて、結局淘汰が折れた。そして、ぽつりぽつりとこの世界の秘密を、マナは淘汰に打ち明けていった。
「……って、ちょっと待てよ!?今、さらっとスゲエこと言わなかったか!?」
「淘汰、反応遅いよ?」
一つ間を置いて驚く淘汰を、面白そうにマナは笑いながら顧みる。
『三人の兄弟に、僕はセカイを託した』
※※※※※※
「その三兄弟のうち、長兄は西を、次兄は東を。そして末の娘は、兄達にも隠された大切な任を負ったわ」
「ちょっと待って!それなら、父さんと真武様は……兄弟?」
志杏椶の開口一番の大告白に、キリストは思わず腰を浮かせて詰め寄る。その動揺も予想済みだったのか、志杏椶は更に続ける。
「私の母、吉祥天 珠依姫。隠し名をカナン・ヌト・ヴォーダン。こちらが、母の本当の名よ。母は正真正銘ラスティ様と真武伯父様、二人の実の妹。三人は、同じ花の期に生を受けた光属性の純聖精霊族だった」
精霊は当時、二種に分かれていた。光・闇・火・水・風・土いずれか一つの属性にしか属さず、神と王への忠誠心そして純心を持った純聖精霊族。
そして、光属性を伴うことを前提された火・水・風・土の4大元素の2属性を持つ代わりに、“意思”を持たない高位精霊族。
有翼人種はその昔“高位精霊族”と呼ばれる、精霊の中でも神と王に近い存在だった。だが、姿形は似ていても漂う事しかなかった。ただ、森羅万象の中に“在る”だけの存在だった。
万物を司るユグドラシルの化身でもある神は、彼らに言った。
“この赤い実に触れてはならない”
それが、ユグドラシルの意思なのだと、彼らに教えを説いた。純聖精霊族は、素直にその言葉に従った。
しかし、高位精霊族は疑問を抱いた。やがて“意思”を持った高位精霊族は神と王に“憧れ”を抱くようになる。
大地に足を付けて自らの意思で歩きたい。
彼らのような力が欲しい。
掟が破られるのに、そう時間は掛からなかった。ユグドラシルに生る赤い実を食べた者たちは、次々と大地に足を下ろした。
彼らの中には、土を、風を、緑をその身で感じるだけで満足する者達もいた。
ユグドラシルによって与えられた、“五感”という恩恵に感謝して。そして、赤い実を口にした自らの罪を贖う為、彼らは天上を後にした。
新天地を求めて、天上界をあとにして天下界。現在、地上と呼ばれる“葦原の地”へと去っていった。そうして、自らが精霊であったという記憶を捨て、一から“文化”を築き上げていった。
それが、現在“人間”と呼ばれる種族の派生起源だ。
一方、更に力を求めて欲に溺れるもの達が現れた。彼らは、翼を持つが故に大地を知らず、力ばかりを追い求めた。欲から生まれた“負の感情”は、やがて葦原の地までを侵食し始めた。
果ては争いが絶え間なく続く混沌の時代が訪れた。
彼らは、神と王の存在を忘れた。
神は嘆いた。この事態を恐れて、“赤い実を口にしてはならない”と注意を促したのだ。だが、その行為が裏目に出た。己の浅はかさを嘆いた。
誰を責める事もせず、ただただ、嘆くことしか出来なかった。
王は、神から恩恵を授かったにも関わらず、自分たちを裏切った“ヒト”という存在に憤った。信じていた者達の、手酷い裏切りに、嘆き悲しむ神の姿に、王は生まれて初めて怒りを覚えた。
二人が最初に受けた、裏切りだった。
神と王は、欲に溺れた彼らの前に姿を現す事を恐れた。力を求められることが恐ろしかった。そんな時、ユグドラシルから命の胎動を聞いた王は、彼らに生命の息吹を与えた。その三人は、純聖精霊族の中でも稀に見る、光属性だった。
王から息吹を与えられ神より恩恵を授かった三人は、更に神に近しい存在となった。
長兄には天の智の全てを。
次兄には地の智の全てを。
そして、末の娘にはこの世の理を。
神は、それぞれに分け与えた。そうして、純聖精霊族でもなく高位精霊族でもない、彼らの代弁者を造った。
そんな彼らに、王はこの世の未来を託した。
もう一度、“ヒト”を信じてみようと心に決めた。
世界を二分し、東西に分かれて平定する事を兄達に命じた。妹には、二人の兄にすら内密に、大切な使命が言い渡された。
「この鍵を、守る事」
そう言って志杏椶が手にしたのは、耳飾だ。
「何の鍵なんだ?」
覗き込むように見入っているキリエとレヴィに、志杏椶が続ける。
「これは、彼らの住まう“ミミルの泉”へ繋がる唯一の鍵。ビルレストの鍵」
「え!?」
「母の本当の名は“カナン”。“珠依姫”が巫女名だと知っているのは恐らく、母自身と九曜一族の現当主イザヤ・レイ・ラスール。そして、その名を受け継いだ私くらいのものでしょうね」
珠依姫とは、神霊の依り代の意を持つ。即ち、“神の意の代弁者”だ。
神の意を汲み、世界を正す事を義務付けられた九曜一族。その最高位は当主ではなく、“珠依姫”と呼ばれる巫女姫の存在である事を知るものは、九曜一族の中にも少ない。
九曜一族こそが“珠依姫”を隠すベールだということは、彼女の兄でもある東西両王すら知らない真実だ。
「そして、伯父上達は確信を持てないでいるの。“神”の存在に。彼らが真に欲しているのは、精霊王ではなく、神よ」
「神って……でも、ちょっと待てよ。精霊王が二人いるんじゃなくて?」
「太陽の化身であり創造と破壊を司る“王”、そして月の化身であり浄化と再生を司る“女神”」
もっともらしいキリエの問い掛けを遮るようにそう呟いたのは、レヴィだ。その呟きに、志杏椶が頷く。
「そう、二人の大きな違いはそこなのよ」




