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原罪  作者: 梨藍
Overture
29/54

第三節:たゆたうきずな①

初めて生まれたこのキモチ


何と呼ぼう?

初めて生まれたこのキモチを何と呼ぼう?


甘く、切なく響く痛み……


名前すら知らないこのキモチを、何と呼べば良いのだろう?


初めて“自分”を見つけ出してくれた


初めて“自分”の存在を認めてくれた


彼らは、幼くも純粋な想いの、その名を知らない。


“恋”が芽生えた事すら気付かずに、無垢な心は染まっていく。


―― 甘美な時が流れ出す ――


―― “別離”という名の楔が2人を分かつ、その時まで ――



※※※※※※



『笑顔の方が、似合うよ』

 そう言われたのがつい昨日の事。マナは笑う練習をしていた。


 心惹かれたその少年は、光そのものであった。冷えた心を癒した笑顔……自分もあの笑顔が欲しいと、純粋にそう思った。


 だから、今日も少年が来るまで透き通った泉の畔の水面に向かって睨めっこだ。本人は笑っているつもりでも、いかんせん頬の筋肉が緊張の余り引き攣ってしまっていて目に映る自分の顔は“笑顔”とは程遠いものとなる。それを見て、肩を落とした。


「やっぱり、ボクには無理なのかなあ」


<そんなことありませんよ!>


 声無き声でそう必死に励ますのが、ラタトクスだ。


<マナ様の笑顔、ステキです!淘汰と同じ……いえ、それ以上ですともっ!!>


「うん、励ましてくれてありがとう」


 必死の激励も、虚しくマナの耳を通り過ぎるだけだ。一つ溜息を付いてから、ぼんやりと空を見上げる。


 思い出されるのは、少年との会話。自分を一人の“ヒト”として、対等に話してくれるヒト。


『マナはマナ……他のなんでもないだろ?例えば、お前が凄い力を持ってたとしても、それはただのオマケだ、オマケッ!!』


 その少年は、驚く事に誰もが畏怖し羨望するこの“力”の存在を明かしても、全く動じることはなく、それどころかあまつさえ溜息混じりにそう言い放ったのだ。


 それがつい昨日の事だ。マナは、自分の正体を明かす事にとても勇気を要した。もしも打ち明けたとして、

今までと同じように裏切られたら?


でも、信じたい


もしも、力の存在を知って

“欲”にまみれてしまったら?



そんなこと、あるわけがない


 募るのはジレンマ。信じる事に臆病になってしまった“心”と少年の曇りなき瞳……せめぎ合う自分の心が、とても苦しかった。

 あの出会いから1ケ月が経とうかという昨日、ようやっと決心したのだった。それまでマナはウルドの泉には近付かなかった。否、近付けなかった。


『この世界の、どこに希望があるの?』


 そう問うたマナに、少年は強気に迫った。


『じゃあ、俺が楽しい事、嬉しい事……教えてやる!』


“そんな、死んだ魚のような目をしたちびっ子は放っておけない”


 そう言って、マナの承諾も聞かずに夕の刻、ウルドの泉で会うことを約束したのだった。


 逢うことが怖かった。怪我の治療を施してもらったとき、マナは自らの姿を維持出来ないほどまで、力を消耗していた。だからこそ、容姿は“ヒト”そのもので。


 いくら自分の正体を言ったところで説得力があるはずも無く。


『はいはい、判ったよ……マナは強いんだな』


 そう笑って聞き流された。このとき、マナは勘違いをしてしまったのだ。


“まだ、この少年は自分の本当の姿を見ていないから、こんな態度なんだ”


―― と……


<本来の姿を見せたら、遠ざかる……どうせ、詭弁を並び立てるだけで……ボクを見る目は変わるんだ……>


 心のどこか、もう一人の自分が囁いた。その声に耳を塞ぎ、なけなしの勇気を振り絞って、自分の正体を……その容姿を告白したマナを、ほんの一瞬だけ目を見開いただけで、少年は一笑した。


『だから、何だって言うんだ?』


 マナが茫然とする番だった。強く、念を押した。でも“だからどうした?”そんな一言で一蹴されてしまったのだった。


『俺、言ったよな?“マナはマナだ”って』


 その言葉が嬉しくて泣いた。少年にしがみついて、幼子の様に声をあげて泣いた。少年は、泣き止むまでずっとマナを抱き締めていた。

 聞けば、ずっと……一ヶ月もの間、ずっとウルドの泉に通い続けていたらしい。一日たりとも欠かすことなくである。


 ずっと来なかったらどうしたのか……そう、マナは少年に詰め寄った。泣きじゃくりながら“馬鹿”と連呼するマナの背中をさすりながら、少年は言った。


『だって、あれは俺が勝手に取り付けた約束。それに、いつの夕刻かは約束してなかったからな』


―― 事実、マナはちゃんと来てくれただろ?


 そう言って笑った。その笑顔を見たら、涙が止まらなくなった。そして今度は“ごめんなさい”と謝罪の言葉を繰り返した。

 涙が枯れるまで、少年はずっと抱き締めたまま背中を撫で続けた。その温もりを思い出して、思わずマナは微笑んだ。残念な事に、甘い記憶に浸っているマナは、自分の“笑顔”に気付く事はなかったが。


「何、ボケッとしてるんだ?」


「うわっ!」


 聞き慣れた少年の声と同時に、頭に優しい感触が伝わる。


「淘汰……」


「今日は、ちゃんと来てたな」


 笑顔でそう言う少年……淘汰を振り返る。


「だって、教えてくれるって言ったの……淘汰でしょ?“楽しい事”とか“嬉しい事”……この世界にはまだ希望があるんだって、教えてくれるんでしょ?」


―― 違うっ……


 こんな事が言いたいのではないのだと、心中自分を叱咤する。逢いたくて来たのだと、そう素直に言えない自分の口が恨めしくなって思わず俯く。


「はいはい、俯かないっ!落ちるだろ?」


 その言葉に、頭に手をやる。そこにあるものに気が付いて、そっと手に取ってまじまじと見つめた。


「……何?これ……キレイ……」


「花冠、俺はこう見えて器用なんだぞ?」


「……これ、淘汰が作ったの?」


「おう!」


 胸を張って自慢げに言う淘汰を、しばし茫然と眺めた後、マナは俯いて後ろを向いた。肩が小刻みに震えている。その様に心配そうに淘汰が覗き込む。そして、むっすりと顔をしかめた。


「……お前……何、笑い堪えてんだよ……」


「だっ……だって……淘汰が……淘汰がこれをって……考えると……」


 手の中にあるのは、何とも可愛らしい花冠……到底、淘汰から連想されるものとは縁遠いものだ。花冠を作る淘汰が脳裏をよぎると、笑いを堪えられなくなったのだった。


 そんな様を横目に見て、ぷいとそっぽを向いてあぐらをかく。


「そこまで笑うこと、ねえだろうが」


 はっとして淘汰に振り返ると、普段は大きいその背中が丸まっている。辛うじて垣間見える耳は、真っ赤だ。

 知らず微笑を浮かべたまま背後から抱きつく。


「……マナ?」


「ありがとう」


 顔を真っ赤に染めたまま固まってしまった淘汰に、自分の大胆な行動に気付いて慌てて離れる。


「いや……あの、ごめんっ!」


 今度は、マナが真っ赤になる番だ。その突飛なマナの行動にしばし茫然とした後、淘汰は柔らかい笑みを浮かべた。


「やっぱり、マナには笑顔が良く似合う」

 

 その笑顔につられてマナも微笑む。陽だまりの中、温かな光に包まれた日々は優しく2人を包み込む。この優しい時間がずっと続くと、二人は信じて疑わなかった。


―― 些細な……


些細なほつれはやがて、大きな波となって全てを飲み込む。この時既に、2人の気付かないところで、波紋は広がりつつあった。

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