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原罪  作者: 梨藍
Overture
28/54

第二節:うまれるこころ④

純粋な願いは


時に鋭利な刃となる

「……っ……」

 マナは、その場に倒れこんだ。腕が赤く滲んでいる。ついさっきまで傍にいたニーズヘックは、今は眠りに付いている。

 

 羅睺の持つ治癒の力に頼れば一瞬で治るだろう。


―― 但し、羅睺の涙と引き換えに……


 マナが傷付いて帰る度に、羅睺は涙を流す。我が身に傷を負うよりも、悲しむ。だから、自分を傷付けない……その一点においては、マナは約束を守っていた。


―― だが……ほんの一瞬の機の緩みが、怪我に繋がった。


『マナ様っ!』


 ラタトクスが叫んだ時には、遅かった。“ヒト”の“憎悪”にまみれた矢は、どんな毒矢よりもマナの身体を蝕む。ほんの一瞬の気の緩みが、怪我に繋がった。


『一旦、森に帰りましょう』


 苦しむマナを見かねたニーズヘックが言った。しかし、マナは首を縦には振らなかった。


『ニーズヘックも、ラタトクスも……羅睺が泣くの、見たくないでしょう?』


 その一言に、二匹は言葉を詰まらせた。それは、予感ではなく確信……あの美しく繊細な自分達のもう一人の主は、他者の痛みを我が物として感じる。


 マナの傷を我が痛みと感じるだけでなく、その傷から伝わる“ヒト”の痛みまで感じてしまうだろう。

 だからこそ、帰ることを拒むマナの心を思うと、二匹はどうしようもないジレンマに襲われた。それでも、良い案が浮かぶ筈もなく。


 大人しくマナの言う事に従うしか術はなかった。

 

 マナと同じく深い傷を負ったニーズヘックは、その傷を癒すべく湖の底で眠りに付いている。水竜……中でも水属性の長と同意義であるニーズヘックにとって、一番の癒しの場が“水中”なのであり、又、特にここは神泉の名を戴く“ウルドの泉”である。その回復力は計り知れない。


『私もマナ様のお傍に……』


 最後までそう言って傍を離れようとしないニーズヘックをどうにか説得して別れたのがつい先程なのだ。

 そして、ラタトクスはというとマナの為にと薬草を求めて近くを走り回っている。苦しむマナの周りを、風の精達が舞う。


<苦しみを取り除くことは出来ませんが>


<少しでも痛みが和らぎますように>


 そんな祈りを込めて、囁く様に歌う。その歌に誘われる様に、マナは深い眠りへと落ちて行った。


 淘汰は、一歩その森に足を踏み入れた瞬間……いつもとは違うその空気を全身に感じ、思わず身構えた。近付く事を禁じられているこの森に入る者は早々いない。否、この薄気味悪さすら感じる森に好き好んで近付く者は淘汰くらいのものだろう。


 だからこそ、何とも言えない薄気味悪さに……その存在に緊張した空気に、思わず身構えたのだ。


「……誰だ!」


 気配のする方に勢い良く振り返ると、そこには一匹のリスがこちらを向いて威嚇している。


「何だ、リスか。どうしたんだ?こんな森の中で……迷子にでもなったか?」


―― そっと……

 

 驚かさないように近付くと、手を差し出す。更に毛を逆立てて威嚇するリスに、淘汰は苦笑を漏らした。


「心配するなよ、お前の大切な人を傷付けないと約束する。だから……そんなに怯えなくていいんだぞ?」


 撫でようとした淘汰の右手に、容赦なく歯を剥き出しにしたまま噛み付く。


「……これが、お前の心の痛みなんだな?」


 そう言って苦笑すると、空いている左手でそっとリスを撫でた。


「俺には……真武伯父上や亡き母上のように、精霊や動物達と言葉を交わす事は叶わないけど……でも、気持ちは伝わって来るんだ。だから、お前の気持ち……判るよ……」


 予想外の、その見知らぬ“ヒト”の反応に、リスは……ラタトクスは一瞬躊躇してしまった。その隙に、淘汰はひょいとラタトクスを抱き上げる。


「そっか、お前はラタトクスって言うのか……俺の名前は淘汰だ、よろしくな?」


 その笑顔を、ラタトクスは呆然と眺めてしまった。容赦なく噛んだその指が痛くない筈はないのに。


―― その痛みを与えている自分が憎くない訳がないのに……


「うん、憎くはないけど……初対面でそんなに嫌われたら悲しいなあ」


 その一言で、自分の“想い”が伝わるのだと、ラタトクスは確信したのだった。


「言っただろう?俺は、君の大切な人を傷付けないと約束するって」


 疑心を晴らす、その一点の曇りもない笑顔に、ラタトクスは裡に蠢く“ヒト”に対する憎悪が、音を立てて崩れ去るのを感じた。鮮血の止まらないその指が、とても痛々しくて……まるで、自分が今まで“人”に対して抱いていた“憎悪”が流れているようで ―……


 居た堪れなくなって、自分が見付けた薬草をそっと塗り込んだ。それを見て淘汰が更に笑みを深めた。


「まずは、薬草だな。よし……お前みたいな、ちっこいのが探したって、夜まで掛かるぞ?これだって、一生懸命探したんだろ?」


 言いながら、自分の肩に乗せる。ラタトクスは……そう、“ヒト”ならば、今その顔は真っ赤に染まっていた事だろう。丁度目の高さにある淘汰の耳を、甘噛みする。


「あはは、照れるなって!」


 豪快に笑いながら、ポスポスとラタトクスの頭を撫でる。


「っていう事は……そっか。森が警戒してるのは、俺に対してか。俺とは違って、愛されてんだなあ……お前のご主人様は」


 ぼんやりと呟く淘汰に、ラタトクスは首を傾げる。そんなラタトクスの感情が伝わったのか。淘汰は苦笑しながら言葉を返した。


「何でもない。独り言だよ……」


 その笑顔に翳りが射したのはほんの一瞬で、次の瞬間には笑顔でラタトクスに語り掛けた。


「とにかく、薬草持って行かないとな……急ごう!」


 言うや否や、淘汰は森を駆け出した。


 夕日を受けて穂が黄金に輝き始めた頃、ようやく淘汰とラタトクスはウルドの泉に到着していた。


「思ったより、時間が掛かっちまった……で、怪我人ってのはどこだ?」


 手に一杯薬草を持つ淘汰の肩から音もなく地面に降り立つと、迷うことなく一直線にラタトクスは駆け出した。淘汰は見失わないように必死に追い駆ける。


 そして、その先に居たのは……


「……なっ……」


 思わず、息を呑む。陽も透けるような白い肌に、ゆるく揺蕩う金糸の様な長い髪。その髪の縁取る、美しい容姿。


 しかし、その美しく透き通るような存在に不釣合いな鮮やかな朱色に気が付くと、我に返ったかのように、急いでその身の傍に屈むと、傷付いた腕を手に取った。


「……うん、大丈夫。そんなに深い傷じゃないみたいだ……」


 傍らで心配そうに見上げ、鼻を鳴らすラタトクスを安心させるように、淘汰が言う。


「……っう……」


 いきなり感じた他者の体温に、びくりと身体を震わせるとゆっくりと瞳が開いた。


「あ、大丈夫か?今治療するから……動くなよ?」


 その見知らぬ青年に目を見開くと、華奢で儚い印象を持つ容姿からは想像出来ない素早さで、淘汰から離れた。


「お前……何だっ!!」


「あ、そうか。自己紹介が先か……俺は淘汰。まだ神名はないから、ただの淘汰だ……お前、名前は?」


「ボクに近付くな!」


「ボクニチカヅクナ?変な名前だなあ」


 本気とも冗談とも取れるその淘汰の言い様に、苛立ちを隠せないかの様に剣を抜いた。


「ボクは本気だっ!」


 淘汰は、その警戒を隠そうともしない様に溜息を付く。そして、宥めるように言った。


「はいはい。本気なのは判ったから、とりあえず治療させてくれ」


 そう言って、尚も近付いてくる淘汰に悲鳴のような叫びを上げた。


「来るなっ!」


 剣が一閃。淘汰の頬を掠めた。思わず片目を瞑っただけで、淘汰は微動だにしない。流れる血を拭う事もなく、ただ静かに言う。


「気、済んだか?」


 怒りを顕にするでもなく、ただ苦笑する。淘汰のその様に、どこか心が痛んだ。今まで忘れていた“何か”が、心の奥底で脈打つのを感じた。言葉もなくただ茫然とする相手に近付くと、そっと腕を取って薬草を塗り始めた。


「痛くは、ないの?」


 そうか細い声で、呟く様に言うのに、淘汰は静かに言う。


「痛いのはお前だろ?俺を傷付けて、後悔してる……だから、そんな泣きそうな顔してるんだろ?」


 言いながら、黙々と治療を続ける相手に、思わず問うた。


「ボクが……ボクが怖くはないの?」


 その問いに、淘汰はやはり、顔を上げないまま答える。


「お前みたいな、チビのどこをどうしたら怖いっていうんだ?」


「……お前じゃない……マナ……」


 マナの、その呟きを聞き逃さなかった淘汰は、はっとして顔を上げたがすぐに傷口に視線を戻すと、苦笑を浮かべて治療を続けた。


 マナは生まれて初めて、涙がこんなにも温かいものだと知ったのだった。




<第二節:了>

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